神奈川文学年表 明治元年~10年

凡例:+4 →+付きの月は閏月をあらわす

明治01年(1868年)
2月22日 岡倉由三郎(天心の弟)、横浜本町五丁目に、覚右衛門四男として生まれる。父は福井藩の横浜商館手代として横浜に移り住んでいた。 『岡倉天心全集』別巻年譜
+4月11日 岸田吟香(35)、横浜居留地九三番で米人ヴァン・リードが主宰する新聞「横浜新報もしほ草」の創刊から編集に従事する。 『幕末明治新聞全集』解題
5月26日 西村茂樹(40)、戊辰戦争の最中、京都から江戸に向かう途中、箱根山が戦闘で越えられず、三島から熱海に回り、舟を雇って江の島に行き一泊する。翌日、藤沢に出て東海道を行く。 『西村茂樹全集』3「往時録」
6月 外山正一(19)、慶応2年10月に幕府の留学生として横浜を出航、ロンドンに赴いたが、明治維新となり帰国、横浜港に帰着する。 『明治文学全集』60年譜
9月 植村正久(10)、横浜南太田の九尺間口の借家に一家で移住する。落魄した父はもと千五百石取りの旗本であった。 佐波亘編『植村正久と其の時代』
10月15日 依田学海(34)、明治維新に伴う天皇東帰のあと、東京に向かい、この日箱根山に上り、湯本から小田原に至って泊まる。翌日、小田原を立ち、戸塚に泊まる。 『学海日録』2
11月2日 田口卯吉(13)、横浜に移住し飯岡金次方に寄食。小間物屋、骨董屋の商売を手伝いながら、外人について英語を学ぶ。家族は程ケ谷の本陣苅部清兵衛方に仮寓し、母と姉は行商を営む。翌年5月、沼津に移る。 『鼎軒田口卯吉全集』8年譜
11月16日 北村透谷、小田原唐人町に生まれる。祖父玄快は藩医であり、父はやがて新政府の下級官吏となる。 『透谷全集』3年譜
12月下旬 森有礼(21)、横浜に神田孝平と行き、越年する。 犬塚孝明『森有礼』略年譜
年末 川島忠之助(15)、横須賀製鉄所の製図見習工となる。翌年、フランスの歯科医のもとに使丁として住みこむ。 明治文学叢刊『明治初期の翻訳文学』所収柳田泉「川島忠之助伝」
月日未詳 大井憲太郎(25)、横浜のフランス商館MM商会の福田乾一をたよる。 『明治文学全集』12年譜
明治02年(1869年)
1月1日 早矢仕有的(31)、横浜新浜町(まもなく相生町に移る)に丸屋商社(現、丸善)を正式に開店するが、福沢諭吉の尽力によるところが大きかった。 『丸善社史』
1月24日 阪井久良伎、横浜野毛に生まれる。父は神奈川奉行配下の役人。12年に東京に移住。 『近代文学研究叢書』55
3月 岡倉天心(6)、ジェイムズ・バラーの私塾に通って英語を習いはじめた。 『岡倉天心全集』別巻年譜
10月14日 成島柳北(32)、義兄と備中に行くため、アメリカ船に乗船すべく横浜に至るが、出航延期となり三泊し、17日午後5時に出航する。 『明治文学全集』4所収「航薇日記」
明治03年(1870年)
植村正久(12)、横浜弁天通にある石川彝(つね)の塾弁天社に学僕として住みこむ。翌年家にもどる。 佐波亘編『植村正久と其の時代』
6月 岸田吟香(37)、京浜間の定期航海業を営む。かたわら横浜に玩具骨董品店を開く。 『三代言論人集』1所収杉山栄「岸田吟香」年譜
7月21日 馬場辰猪(20)、横浜港からアメリカ船・太平洋郵船会社の船で出航、留学のためアメリカからイギリスに向かう。7年12月、横浜港に帰港する。 『馬場辰猪全集』4年譜
10月4日 福沢諭吉(34)、熱海入湯からの帰途、箱根湯本に二日間滞在。6日、湯本を出て藤沢-江の島-鎌倉と回り横浜金沢で一泊。7日、金沢から横浜に出て三泊し、10日に帰京。 『福沢諭吉全集』21書簡
+10月21日 森有礼(23)、横浜に出張し、アメリカ公使館にデ・ロング公使を訪ねる。 犬塚孝明『森有礼』略年譜
11月2日 福地桜痴(29)、横浜港から出航、伊藤博文貨幣制度視察団の一行としてアメリカに向かう。 柳田泉『福地桜痴』所収「奉使米国日記
12月2日 西園寺公望(21)、横浜港から出航、ヨーロッパ留学に向かう。13年10月21日に帰国する。 田中貢太郎『西園寺公望公伝』年表
12月3日 森有礼(23)、横浜港からアメリカ郵船グレート・リパブリック号で出航、少弁務使として任地ワシントンに向かう。5年1月21日、岩倉使節団一行を迎える。6年7月23日、横浜に帰着する。 犬塚孝明『森有礼』略年譜
月日未詳 若松賤子(6=島田かし子)、一家離散のため横浜の織物商山城屋の番頭大川甚兵衛の養女となり横浜に住む。 『訳文巖本嘉志子』ほか
月日未詳 東海散士(17=柴四朗)、横浜で英人某の書生となる。 『近代文学研究叢書』21
月日未詳 本多庸一(22)、横浜元弁天の修文館に入学。 『明治文学全集』88年譜
月日未詳 押川方義(21)、横浜元弁天の修文館に入学。 佐波亘編『植村正久と其の時代』
明治04年(1871年)
2月 小野梓(18)、横浜港から出航、自費留学でアメリカに赴き、翌5年、大蔵省の官費留学生となってイギリスに向かう。7年5月22日、バンクーバー号で横浜に帰国する。 西村眞次『小野梓伝』
11月12日 福地桜痴(30)、横浜港から太平会社アメリカ号で出航、岩倉具視欧米使節団の一行としてアメリカに向かう。久米邦武、中江兆民も一行の中にある。6年7月上旬、使節一行とは別に帰国する。 久米邦武『米欧回覧実記』、柳田泉『福地桜痴』
12月19日 高島嘉右衛門(39)、横浜伊勢山下と入船町に市学校(高島学校または藍謝堂)を開校。岡倉天心は早くここに学ぶ。 『横浜市史稿』、『岡倉天心全集』年譜
12月24日 押川方義(20)、バラーより受洗。 佐波亘編『植村正久と其の時代』
月日未詳 若松賤子(7)、ミス・キダーの学校(フェリス女学院の前身)に学ぶ。 『フェリス女学院100年史』
月日未詳 植村正久(13)、横浜の修文館でS・R・ブラウンに学ぶ。 佐波亘編『植村正久と其の時代』
月日未詳 小野梓(18)、横浜の修文館でブラウンに学ぶ。 『小野梓全集』5年譜
月日未詳 井深梶之助(17)、横浜の修文館でブラウンに学ぶ。 『井深梶之助とその時代』
月日未詳 島田三郎(19、当時は鈴木姓)、横浜の修文館でブラウンに学ぶ。 高橋昌郎『島田三郎伝』
明治05年(1872年)
2月13日 本多庸一(23)、バラーより受洗。 佐波亘編『植村正久と其の時代』
3月24日 沼間守一(28)、大蔵大輔井上馨のすすめで横浜に行き、租税寮出仕(役人)として横浜運上所(税関)勤務をはじめる。 『横浜近代史総合年表』、『明治文学全集』91年譜
7月 沼間守一(28)、横浜港から井上毅らと出航、ヨーロッパ視察に向かう。6年9月6日に帰国する。 『三代言論人集』3所収岡野他家夫「沼間守一」
11月25日 添田唖蝉坊、大磯西小磯に生まれる。父は農業を営んでいた。 『唖蝉坊流生記』年譜
秋~冬 J・C・へボン(57)、ブラウン・奥野昌綱との共訳で『馬可伝福音書』『約翰伝福音書』を出版。 『へボン書簡集』年表
月日未詳 栗本鋤雲(50)、横浜に遊び、横浜毎日新聞社に入社。 『明治文学全集』4年譜
明治06年(1873年)
1月 井深梶之助(19)、横浜で宣教師ブラウンより受洗する。 佐波亘編『植村正久と其の時代』
3月12日 副島蒼海(44)、横浜港より軍艦龍驤で出航、特命全権大使として清国に向かう。 丸山幹治『副島種臣伯』
5月30日 仮名垣魯文(44)、横浜の太田東福寺奥の牧畜所で製造した牛乳の販売を始める。一合につき銀三匁である。 『横浜近代史総合年表』
秋以前 へボン(58)、邦訳『馬太伝福音書』を出版する。 『へボン書簡集』
10月17日 尾崎三良(31)、横浜港に、イギリスのピオ会社の汽船で、寺島宗則公使と共に帰国する。外人旅客は随時上陸したのに、日本人は税関の取り調べ後ということで止めおかれ憤慨する。夜、公使のおかげで上陸、横浜富貴楼で接待をうける。 『自叙略伝』
10月25日 山県有朋(35)、四鎮台視察からの帰途、箱根山中で西郷従道よりの急使に接し、征韓論をめぐる対立の切迫を知り、小田原に一泊して急ぎ帰京する。その翌日、五参議の辞表の提出があり、六年の政変となる。 徳富猪一郎『公爵山県有朋伝』中
月日未詳 島田三郎(21)、横浜毎日新聞社の記者となる。 『明治文学全集』91所収「愛読者諸君に告ぐ」
月日未詳 仮名垣魯文(44)、神奈川県庁の雇員となる。 『近代文学研究叢書』2
明治07年(1874年)
3月15日 福沢諭吉(38)、家族、親戚など三十人ほどで箱根に湯治に行く。29日に帰京する。 『福沢諭吉全集』17書簡
4月 岸田吟香(40)、横浜港から御用船新約克丸で出航、従軍記者として台湾に向かう。 『三代言論人集』1所収杉山栄「岸田吟香」年譜
11月16日 島田三郎(22)、横浜毎日新聞の主筆となる。 『横浜近代史総合年表』
12月4日 前島密(39)、横浜港からゴールデン・エージ号で出航、日米郵便交換条約発効に伴う諸準備のため、神戸、長崎に向かう。 『横浜近代史総合年表』
月日未詳 仮名垣魯文(45)、横浜毎日新聞社の雑報記者となる。(~8年11月)。 『近代文学研究叢書』2
月日未詳 塚原渋柿園(26)、横浜毎日新聞社に入社する。 『明治文学全集』89塚原蓼洲「兵馬倥偬の人」
この年 川島忠之助(21)、横浜蘭八番商館の番頭になる。 明治文学叢刊『明治初期の翻訳文学』所収柳田泉「川島忠之助伝」
明治08年(1875年)
1月21日 馬場辰猪(24)、土佐へ帰省の途次、横浜に立ちより、ついで藤沢に一泊する。翌日、箱根に一泊する。 『明治文化全集』14馬場辰猪日記「抄」
3月3日 山崎紫紅、横浜(久良岐郡)戸部の紙問屋の家に生まれる。 『明治文学全集』85年譜
6月1日 若松賤子(11)、この日開校のフェリス・セミナリーに入学する。 『フェリス和英女学校六十年史』
7月24日 塚原渋柿園(27)、島田三郎のあとをついで、横浜毎日新聞の編集長となる。 『横浜近代史総合年表』
9月6日 田口卯吉(20)、「横浜毎日」に「讒謗律の疑ひ」(筆名は田口十内)を投書する。投書は以後11年まで続けられた。 『鼎軒田口卯吉全集』8年譜
10月20日 塚原渋柿園(27)、田口十内の「讒謗律の疑ひ」を掲載したかどにより、編集長として罰金百円、禁獄十カ月に処せられる。 『近代文学研究叢書』17
10月21日 金子喜一、横浜の笹下に生まれる。 『日本近代文学大事典』
11月1日 仮名垣魯文(46)、横浜本町の毎日新聞会社を発行所として「仮名読新聞」を発刊する。 宮武外骨『文明開化』
12月4日 森有礼(28)、清国駐在特命全権公使として、横浜港から神戸を経て、玄武丸で任地北京に向かう。9年5月8日に北京より帰国する。さらに10月18日北京に向けて横浜を出航、翌10年5月下旬に帰国する。 犬塚孝明『森有礼』略年譜
冬ヵ 成島柳北(38)、自宅禁獄中の塚原渋柿園を横浜に見舞う。二人は初対面であった。渋柿園「桜痴先生と柳北先生」 「文章世界」1
この年 川尻宝岑(32)、鎌倉円覚寺に参禅し、今北洪川に師事する。 『明治文学全集』85年譜
明治09年(1876年)
5月25日 (6月24日か?)杉浦重剛(21)、横浜港から太平洋郵便会社アラスカ号で出航、東京開成学校第二次(第一回?)海外留学生の一員として、化学勉強のためイギリスに向かう。13年5月17日、病を得て中途で横浜に帰国する。 大町桂月、猪狩史山『杉浦重剛先生』
6月7日 ベルツ(エルウィン・フォン・ベルツ)(27)、東京医学校教授に就任のため来日、横浜港に着く。 『ベルツの「日記」』、『明治文学全集』49
7月2日 仮名垣魯文(47)、横浜野毛坂上に新聞縦覧所「窟螻蟻」を開く。 『近代文学研究叢書』2
7月30日 依田学海(42)、箱根に妻と遊ぶ。湯本、宮ノ下、堂ケ島とそれぞれ一泊、8月2日から宮ノ下に滞在する。11日、江の島に行き一泊し、12日に帰京する。 『学海日録』3
8月25日 坪内逍遙(17)、四日市から船で横浜港に着く。県の選抜生として開成学校受験のための上京の途次である。 『坪内逍遙事典』年譜
8月29日 フォンタネージ(58)、彫刻家ラグーザ、建築家カッペレッティと共に、横浜港に着く。工部省雇として来日した。 『横浜近代史総合年表』
10月18日 森有礼(29)、横浜港から東京丸で出航、全権公使として清国の北京に向かう。 犬塚孝明『森有礼』略年譜、『横浜近代史総合年表』
10月 徳富蘇峰(13)、東京から横浜に行き、一、二泊ののち、横浜港から神戸に向けて出航する。京都同志社入学のためである。 『蘇峰自伝』
11月25日 川島忠之助(23)、横浜港から出航、蚕紙売り捌きのためイタリアに向かう。翌年7月帰国する。 明治文学叢刊『明治初期の翻訳文学』所収柳田泉「川島忠之助伝」
松村介石(17)、横浜のジェイムス・バラーの塾に入る。(~13年)。 『信仰五十年』
月日未詳 エミール・ギメ(40)、江の島を訪れる。 『1876ボンジュールかながわ』
明治10年(1877年)
5月16日 三遊亭円朝(38)、横浜に行き、馬車道の万竹亭に六、七年ぶりに出演する。 「東京さきがけ新聞」
5月27日 若松賤子(13)、横浜海岸教会で受洗する。 『訳文巖本嘉志子』
6月17日 エドワード・シルベスター・モース(38)、東京大学で動物学を教えるため来日、サンフランシスコから横浜港に着く。12年8月31日、アメリカに帰国する。 石川欣一訳『日本その日その日』
7月17日 モース(39)、矢田部良吉の案内で江の島に行き、実験所建設の手配をする。21日、再び行き実験を開始する。23日、外山正一らが江の島にモースを訪問する。 石川欣一訳『日本その日その日』
10月13日 モース(39)、横浜の日本亜細亜協会で「日本先住民の証跡」を講演する。 石川欣一訳『日本その日その日』
11月27日 矢野龍渓(26)、横浜に行き、町会所で開かれた演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
12月11日 福沢諭吉(42)、横浜に行き、町会所で開かれた演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』