神奈川文学年表 明治11年~20年

明治11年(1878年)
4月23日 福沢諭吉(43)、箱根に遊び滞在する。(~5月3日)。 『福沢諭吉全集』17書簡
7月19日 依田学海(44)、箱根に妻子および川田甕江(川田順の父)らと行き、湯本の福住に泊まる。翌日、宮ノ下の奈良屋に移る。宮城野村、木賀、堂ケ島、底倉などをめぐる。28日、甕江夫妻は帰京する。8月8日、湯本にもどり、翌日帰京する。 『学海日録』4
7月 陸羯南(20)、加藤拓川(19)、国分青�(21)、福本日南(20)ら司法省法学校の同級生と共に富士登山に向かい、小田原、箱根を経る。漢詩集「踏雲余踪」。 漢詩集「踏雲余踪」、『陸羯南全集』10年譜
7月 其角堂永機(54)、箱根に避暑する。依田学海と出会う。 依田学海『学海日録』4
8月10日 フェノロサ(25)、横浜港に着く。東京大学文学部雇として来日した。 『横浜近代史総合年表』
9月2日 成島柳北(41)、熱海に遊ぶ途中、小田原、箱根を経る。帰途大磯に遊ぶ。「澡泉紀遊」 『明治文学全集』4
10月13日 沼間守一(34)、横浜太田町の料理店佐野茂に行き、嚶鳴社の発会式に出席する。 『横浜近代史総合年表』
月日未詳 小島烏水(4)、父が横浜税関に就職したことから、横浜(久良岐郡)戸部村に住む。昭和2年までこの近辺を住居とする。 近藤信行『小島烏水山の風流使者伝』
明治12年(1879年)
7月6日 E・ベルツ(30)、海水浴場の適地を求めて、七里ガ浜、片瀬、江の島を歩く。 『ベルツの「日記」』
7月上旬 市川団十郎(40)、横浜に守田勘弥と行き、ゲーテ座で上演されたウエルーン一座による「連隊の娘」を観る。 『横浜近代史総合年表』
9月29日 成島柳北(42)、浜松に「嫁入娘の宰領」として西下の途次、箱根に行き、湯本の福住(萬翠楼)に一泊する。「箱根山ふたゝひ三たひ来てみれとあかぬは君の宿にそありける」。歓待の礼に詠む。 『柳北遺稿』上所収「浜松風」
10月8日 成島柳北(42)、浜松からの帰途、塔之沢の玉の湯に泊まる。翌日、湯本の福住(萬翠楼)に泊まる。10日、箱根を出立、藤沢の堀川亭で昼食ののち、江の島に行き、夷屋に泊まる。11日、鎌倉を見物したのち、公田から大岡に出る近道をして五里を歩き、横浜停車場に着く。 『柳北遺稿』上所収「濯纓日記」」
11月20日 森有礼(32)、横浜港からフランス郵船ヴォルガ号で出航、イギリス駐在特命全権公使として任地ロンドンに向かう。17年4月14日、横浜に帰着する。 犬塚孝明『森有礼』略年譜
12月1日 山田わか、三浦郡久村六九九番地に生まれる。 山崎朋子『あめゆきさんの歌』
12月 坪内逍遙(20)、東京から汽車で神奈川(横浜)に行き、そこから人力車を乗り継いで小田原に着く。さらに山駕籠で熱海に向かう。 薄田嶺雲編『熱海を語る―逍遙・半峰・春城三翁座談録』所収「坪内逍遙翁の熱海漫談」
明治13年(1880年)
1月21日 岸田吟香(46)、横浜港から東京丸で出航、目薬の精水販売のため清国に向かう。 『横浜近代史総合年表』
2月4日 成島柳北(42)、津田仙(42)らと川崎小向村の梅林を観る。以来毎年のように訪れる。 『柳北遺稿』上所収「小向村探梅記」
4月25日 大熊弁玉(62)、横浜神奈川町三宝寺で死去する。 『神奈川県史人物編』
5月中旬 福沢諭吉(45)、箱根に行き静養する。27日に帰宅する。 『福沢諭吉全集』17書簡
5月末 尾崎三良(38)、横浜港からフランス汽船で出航、柳原前光全権公使に随行の一等書記官として、ヨーロッパからロシアに向かう。翌年9月2日、横浜港に帰着する。 『自叙略伝』
6月7日 福沢諭吉(45)、神奈川県下七郡の依頼で「国会開設の儀に付建言」を起草する。 『福沢諭吉全集』20所収
6月初旬 杉浦重剛(25)、滞英中病を得て帰国し、その療養のため箱根に行き、湯本の福住に滞在する。9月初旬に帰京する。この間に、『有機化学沿革史』を翻訳する。 大町桂月、猪狩史山『杉浦重剛先生』
6月11日 J・R・ブラック(53)、前年再来日したが横浜で死去する。 「東京横浜毎日新聞」
7月9日 五姓田義松(25)、横浜港からフランスMM会社のタイナス号で出航、美術修行のためフランスに向かう。22年に帰国する。 『横浜近代史総合年表』、『新潮日本人名辞典』
8月5日 馬場辰猪(30)、箱根に遊び、湯本に滞在する。 安永梧郎『馬場辰猪』
8月15日 福沢諭吉(45)、箱根に行き、塔之沢に24日まで滞在する。 『福沢諭吉全集』17書簡
8月24日 大槻文彦(32)、富士登山の帰途、御殿場から「おとみ峠」を越え、仙石原、宮城野、木賀を経て湯本に至り泊まる。翌日、早雲寺を訪れる。26日、馬車で藤沢に行き昼食をとり、神奈川から汽車で帰京する。 『復軒旅日記』所収「富士山登山行」
8月28日 松村介石(20)、「箱根山中村」に滞在中、神の啓示を受ける。 『信仰五十年』
8月 徳富蘇峰(17)、上京中に、横浜金沢から鎌倉、江の島を友人と回り、江の島岩本楼に数日間滞在する。その間に友人が金の調達に出かけた。 『蘇峰自伝』
12月16日 今村紫紅、横浜の尾上町に生まれる。父は紙商を営む。 『神奈川県美術風土記』
月日未詳 天田愚庵(26)、小田原で写真屋を開業する。 『愚庵全集』年譜
明治14年(1881年)
2月28日 左右田喜一郎、横浜に生まれる。のち横浜小学校、横浜商業学校を経て、31年東京高等商業学校に進む。 岩井茂「左右田博士略伝」
3月20日 成島柳北(43)、友人二名と川崎小向村に梅を見る。 『柳北遺稿』上所収「小向村看梅記」
3月30日 成島柳北(44)、朝野新聞社の社務や世事から脱走して、横浜に行き、夕方、玄海丸で出航、京都に向かう。 『柳北遺稿』下所収「脱走ノ口供」、『柳北遺稿』上所収「ねみだれ髪」
5月15日 末広鉄腸(32)、横浜に行き、鉄橋際の富竹亭で開かれた、顕猶社の政談演説会に、沼間守一と共に客員として出席する。 『横浜近代史総合年表』
7月 A・H・クロウ(不詳)、江の島を訪れる。 『クロウ日本内陸紀行』
7月 西村茂樹(53)、箱根に行き保養滞在して、8月に帰京する。「是より病痾全く痊えて健全の体となれり」。 『西村茂樹全集』3「往時録」
8月5日 馬場辰猪(31)、淘綾郡大磯の自由民権運動の結社である湘南社の開業式に出席する。 『馬場辰猪全集』4年譜
8月 片山潜(21)、岡山から上京の途次、神戸から船で横浜港に着く。横浜停車場から初めての汽車旅行で東京に向かう。 『自傳』
10月6日 藤田茂吉(29)、横浜に行き、町会所で開かれた生糸荷預所事件に関する演説会で、「商戦」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
10月7日 落合直文(19)、遊学のため東上の途で、箱根湯本の福住に泊まる。8日、小田原、大磯を経て鎌倉に行き、三橋屋に泊まり、翌日、周遊し再泊する。10日、横浜金沢に向かい西村屋から舟で横須賀に行き、造船所を見学し、松阪屋に泊まる。11日、汽船で横浜に渡り、汽車で東京に着く。 『落合直文著作集』�所収「村雨日記」
10月10日 福地桜痴(40)、横浜青木町の町会所で聴衆千余人を前に、生糸問題に関して演説する。 『横浜近代史総合年表』
10月16日 依田学海(47)、巌谷一六(巌谷小波の父)らと玉川に遊ぶ。二子の渡しを渡り、川崎の溝の口の亀屋に泊まり、翌朝、舟を仕立てて漁をする。とれた魚は、塩やき、田楽、てんぷらなどにして食べる。帰途は玉川を下り、丸子に上陸して、帰京する。漢詩二首。 『学海日録』5
10月19日 フルベッキ(51)、横浜に行き、羽衣町の下田座で開かれた基督教演説会で、「万物の霊を論ず」を演説する。井深梶之助、奥野昌綱、田村直臣らも演説する。 『横浜近代史総合年表』
10月 尾崎三良(39)、京都に墓参の帰途、四日市から横浜通いの小汽船に乗り、翌日暮れ方横浜港に着き、一泊して帰京する。 『自叙略伝』
11月6日 島田三郎(28)、横浜羽衣町の佐の松座での顕猶社政談演説会で、「自由の制度は過激の勢焔を制するの第一策を論す」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
12月6日 末広鉄腸(32)、横浜に行き、住吉町の港座で開かれた政談演説会で、「一の政党をして社会を制止せしむる勿れ」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
月日未詳 北村透谷(13)、鎌倉に徒歩で無銭旅行をする。 『透谷全集』3書簡
明治15年(1882年)
1月18日 馬場辰猪(31)、横浜十全医院に入院する。4月24日、帝国大学付属病院に転院する。 『馬場辰猪全集』4年譜
1月26日 G�EF・ビゴー(21)、タイナス号で横浜に着く。32年6月まで日本に滞在する。 『ビゴー日本素描集』年譜
1月29日 沼間守一(38)、横浜に行き、羽衣町の佐の松座で開かれた顕猶社政談演説会で、「府県会議員并に選挙人の責任」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
3月14日 伊藤博文(40)、横浜港からゲーリック号で出航、立憲制度取調べのためヨーロッパに向かう。随行の一員に西園寺公望もあった。16年8月3日、フランス船タイナス号で横浜港に帰着する。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
3月25日 島田三郎(29)、神奈川県議会補欠選挙に当選する。20年10月まで県議会議員を勤める。 『神奈川県会史』
3月 佐佐木信綱(9)、上京の途次、三島から箱根越えをし、湯本の福住に泊まる。翌日、神奈川(横浜)まで馬車で行き、そこから初めて汽車に乘り東京に向かう。 『作歌八十二年』
4月9日 島地黙雷(44)、横浜に行き、伊勢佐木長者町の常清寺で開かれた仏教演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
4月 高野房太郎(14)、横浜の伯父の店で働きながら、市立横浜商業学校に通いはじめる。 大内兵衛ほか監修・大島清著『高野岩三郎伝』
5月7日 川島忠之助(29)、横浜港から出航、横浜正金銀行リヨン出張員としてフランスに向かう。21年に一時帰国して結婚、再びリヨンに行き、28年6月に帰国する。 明治文学叢刊『明治初期の翻訳文学』所収柳田泉「川島忠之助伝」
6月16日 有島武郎(4)、父が関税局長兼横浜税関長に就任したのにともない、横浜月岡町の官舎に移る。 『有島武郎全集』別巻年譜
6月25日 若松賤子(18)、フェリス女学校の第一回、そしてただ一人の卒業生となる。9月から母校で教鞭をとる。 『フェリス和英女学校六十年史』
7月9日 馬場辰猪(32)、川崎の学術演説会で講演をする。 『馬場辰猪全集』4年譜
8月2日 徳富蘇峰(19)、上京中に箱根に行く。神奈川(横浜)から円太郎馬車で小田原まで行き、そこから堂ケ島、芦之湯に行き、板垣退助をその常宿に訪ねる。 『蘇峰自伝』
11月4日 滝廉太郎(3)、父が神奈川県少書記に任じられ、横浜伊勢山の官舎に移り住む。 山田野理夫『荒城の月』
11月12日 小野梓(30)、横浜に行き、住吉町の港座で開かれた政談演説会で、「輸入減少の原因」を演説する。島田三郎は、「政体は社会の大勢に応ぜざるべからず」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
11月26日 有島生馬(壬生馬)、横浜月岡町の税関長官舎で生まれる。 『思い出の我』
11月 黒岩涙香(20)、横浜戸部の監獄に収監される。「東京輿論新誌」に発表した「開拓使官吏ノ処分ヲ論ズ」が官吏侮辱罪とされた。16日間、野毛切通しの開鑿工事に使役される。 伊藤秀雄『黒岩涙香』
明治16年(1883年)
1月10日 沼間守一(39)、横浜に行き、富竹亭で開かれた政談演説会で、「禁止税とは何ぞや」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
3月11日 依田学海(49)、川崎の小向井村に梅を見に行く。川崎まで汽車に乗り、そこから人力車で入る。漢詩一首。 『学海日録』5
3月19日 北村透谷(14)、神奈川県臨時議会の臨時書記となる。(~24日)。3月28日~5月1日。 『透谷全集』3年譜
5月16日 押川方義(31)、横浜に行き、耶蘇教会堂で開かれた基督教説教会で説教する。 『横浜近代史総合年表』
5月21日 大井憲太郎(39)、横浜に行き、羽衣座で開かれた横浜政談演説会で、星亨らと共に演説する。聴衆千二百人で未曾有の盛況と言われた。 『横浜近代史総合年表』
5月 北村透谷(14)、横浜居留地二〇番館のグランドホテルのボーイになる。 『透谷全集』3年譜
佐佐木信綱(10)、横浜から横須賀、横浜金沢へ、ついで鎌倉から江の島を回る。 『竹柏漫筆』所収「六浦の入江」
7月13日 中江兆民(35)、板垣退助と箱根に行き、自由党資金募集の趣意書を書くが、郵送中に紛失してしまう。 『中江兆民全集』別巻年譜
7月27日 前田夕暮、大住郡大根村大字南矢名字小南に生まれる。 『前田夕暮全集』5年譜
7月下旬 北村透谷(14)、富士登山への途次、川口村に秋山国三郎を訪ね二泊する。「富士山遊びの記憶」 「富士山遊びの記憶」
8月25日 成島柳北(46)、箱根に行き湯本の福住に泊まる。翌日、早雲寺、塔之沢などを回る。27日、木賀の松阪に移る。翌日、馬場辰猪と歓談する。29日、修善寺に向かう。 「朝野新聞」明治16年8月掲載「すげのを笠」
夏ヵ 馬場辰猪(33)、講談論議禁止処分中に箱根に遊ぶ。 安永梧郎『馬場辰猪』
10月28日 馬場辰猪(33)、横浜伊勢佐木町蔦座での国友会政談討論演説会で、「横浜人民は政治上に向って如何なる主義を執るべき乎」を演説する。 『馬場辰猪全集』4年譜
11月3日 杉浦重剛(28)、神奈川の大綱山に高島嘉衛門(嘉右衛門?)を訪ね歓談する。11月23日にも河上謹一と共に再訪する。以来親交を結ぶ。 大町桂月、猪狩史山『杉浦重剛先生』
11月9日 正岡子規(16)、陸羯南(26)、国分青�(26)、藤野古白(12)ら、横浜に行き、加藤拓川の外遊を見送る。翌朝、拓川はフランス船タイナス号で出航、フランス留学に向かう。漢詩「将発横浜示諸君」を賦する。 『子規全集』22年譜、『拓川集日記扁』
11月11日 馬場辰猪(33)、横浜住吉町湊座での国友会政談討論演説会で、「商業会社が政党に対して有する関渉如何」を演説する。 『馬場辰猪全集』4年譜
12月7日 松本雲舟、大磯に生まれる。 『日本近代文学大事典』
12月 馬場辰猪(33)、川崎砂子町一七二二番地に、明治義塾詞訟鑑定所分局を開く。 『馬場辰猪全集』4年譜
明治17年(1884年)
1月27日 馬場辰猪(33)、横浜羽衣町の羽衣座での国友会政談討論演説会で演説する。2月24日にも同所で、不景気問題について演説する。3月23日には住吉町湊座で「参政の権」を演説するが、中止解散となる。 『馬場辰猪全集』4年譜、『横浜近代史総合年表』
2月2日 黒田清輝(17)、横浜港から出航、法律研究のためフランスに向かう。留学中、洋画研究に転じる。 『横浜近代史総合年表』
2月 井上哲次郎(28)、官費留学生となり、ドイツに向かう。23年6月に帰国する。 『近代文学研究叢書』54
3月15日 長谷川伸、横浜日ノ出町に生まれる。 『長谷川伸全集』16年譜
3月16日 依田学海(50)、横浜の杉田に、知友と梅を見に行く。横浜まで汽車に乗り、そこから人力車で入る。知友たちは根岸の渡し場から舟で行く。東漸寺に梅を見る。 『学海日録』6
3月14日 成島柳北(46)、友人二名と川崎小向村に梅を見る。 『柳北遺稿』上所収「小向村観梅記」
4月20日 矢野龍渓(33)、横浜港から出航、ヨーロッパ外遊の旅に向かう。19年8月18日、アメリカを回って横浜港に帰着する。 『明治文学全集』15年譜
5月5日 萩原蘿月、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
6月14日 平野友輔(27)、横浜伊勢佐木町の蔦座で開かれた自由壮進政談学術演説会で、「維新前の志士の有様を陳べ併て今日の青年諸君に告ぐ、活動社会の発育」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
7月 尾崎紅葉(16)、石橋思案(16)、池田研池(16ヵ)が、江の島、鎌倉、横浜金沢、横須賀を三泊四日で回る。この時の紀行を基にして「江嶋土産滑稽貝屏風」が書かれ、「我楽多文庫」創刊号(18年5月)から連載された。 松原至文『明治文豪伝之内尾崎紅葉』
8月10日 蘇曼殊、横浜山下町に生まれる。 『定本佐藤春夫全集』21「蘇曼殊とはいかなる人ぞ」
8月20日 成島柳北(47)、熱海への途次、神奈川(横浜)から馬車で藤沢に至り、昼食をとる。ついで小田原の片岡氏に泊まる。 『柳北遺稿』上所収「洗愁日乗」
8月24日 森鴎外(22)、横浜の林家に前夜は泊まり、この日、横浜港からフランス船メンザレエ号でドイツ留学に向かう。穂積八束ら9人も同行する。21年9月8日、横浜港に帰着する。 『鴎外全集』35所収「航西日記」
8月 有島武郎(6)、妹の愛とともに横浜英和学校に入学する。 『有島武郎全集』別巻年譜
9月30日 天野貞祐、津久井郡鳥屋村に生まれる。24年4月、鳥屋村小学校に入学。30年、東京の獨協中学校(=独逸学協会学校中学)に進む。 蝦名賢造『天野貞祐伝』
11月6日 内村鑑三(23)、横浜港からシティ・オブ・トウキョウ号で出航、アメリカ留学に向かう。21年5月16日、イギリス船パーシヤ号で横浜に帰着する。 『内村鑑三全集』40年譜
11月26日 片山潜(24)、横浜港からサンパウロ号で出航、アメリカ留学に向かう。29年1月に帰国する。 『自傳』
月日未詳 B・H・チェンバレン(34)、箱根に遊び、以来、宮ノ下の富士屋ホテルに滞在することが多くなる。 『近代文学研究叢書』38
明治18年(1885年)
1月24日 犬養木堂(29)、横浜に行き、港座で開かれた朝鮮事件政談商業有志演説会で、「清国に対するの策」を演説する。尾崎行雄は、「清国与シ易キ耳」を演説する。2月8日、伊勢佐木町の蔦座で開かれた政談演説会で、犬養は「戦争の結果」、尾崎は「東西の形勢を論ず」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
2月28日 伊藤博文(43)、横浜港から出航、天津条約締結のため清国に向かう。4月28日、横浜港に帰着する。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
3月9日 森田思軒(23)、横浜港から広島丸で出航、「郵便報知」の特派員として、天津条約締結報道のため、上海から天津、北京に向かう。 『明治文学初期の翻訳文学』所収柳田泉「森田思軒伝記稿」
3月22日 依田学海(51)、熱海からの帰途、小田原に寄り、小峯の梅林に梅を見る。中松楼に泊まる。翌朝早く馬車で神奈川に向かう。漢詩三首。 『学海日録』6
4月4日 中里介山、西多摩郡羽村三七八番地に生まれる。 尾崎秀樹『評伝中里介山』
4月5日 馬場辰猪(34)、横浜に行き、住吉町の湊座で開かれた政談演説会で、「東洋の気運を説き併て日清の関係を論ず」を演説する。 『馬場辰猪全集』4年譜、『横浜近代史総合年表』
4月15日 依田学海(51)、船で西下のため横浜に行き、伊勢山大神宮に桜を見る。夕方、共同運輸の尾張丸で出航する。 『学海日録』6
4月16日 南方熊楠(18)、大学予備門在学中、春休みを利用して、鎌倉、江の島の名所旧跡めぐりに出かけ、19日に帰京する。 『南方熊楠全集』5所収「江ノ島記行」
4月19日 福沢諭吉(50)、家族など二十名ほどを連れて箱根塔之沢に湯治をする。5月16日に帰京する。 『福沢諭吉全集』17書簡
夏前 北村透谷(16)、南多摩郡川口村字森下の秋山国三郎方に大矢正夫(蒼海)を訪ね、盟友たちと行を共にしないことを告げる。「三日幻境」。 『透谷全集』3年譜
6月14日 森田思軒(23)、横浜港から出航、「郵便報知」の特派員として中国地方視察のため神戸に向かう。 『明治文学初期の翻訳文学』所収柳田泉「森田思軒伝記稿」
7月26日 伊藤博文(43)、横浜港から横浜丸で出航、天皇の山陽道巡幸に供奉する。8月12日、横浜港に帰着する。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
8月2日 西周(56)、横浜本牧に海水浴に行き、鏡海楼に滞在する。10日知人の死去を知り急ぎ帰京する。 『西周全集』3日記
8月 尾崎紅葉(17)、丸岡九華と厚木、大山に遊ぶ。 岡保生『尾崎紅葉の生涯と文学』年譜
朝比奈知泉(23)、箱根に帝国大学の友人たちと行き、元箱根の権現下の一民家を借りて過ごす。その間に二度目の富士登山を試みる。 『老記者の思ひ出』
9月8日 正岡子規(17)、友人と江の島、鎌倉への徒歩旅行を試みたが、戸塚の手前で疲れはて、神奈川に引き返し汽車で帰京した。「弥次喜多」。 『子規全集』10「筆まか勢」、『子規全集』22年譜
9月17日 湯浅半月(27)、横浜港からオアシック号で出航、アメリカ留学に向かう。24年7月、帰国する。 半田喜作『湯浅半月』
10月2日 馬場辰猪(35)、箱根福住楼に滞在中、この日「自伝」を書きあげた。 『馬場辰猪全集』4年譜
11月15日 野尻抱影、横浜の太田赤門の近くで生まれる。父は日本郵船の社員であった。のち太田小学校に入学する。 石田五郎『野尻抱影』
11月16日 馬場辰猪(35)、横浜に大石正巳と洋行のための買い物に行き、ついでに山手のモリソン商会に寄り、爆発物の購入手続きなどを聞く。これにより五日後拘引される。翌年裁判の結果無罪となる。 『日記抄』
月日未詳 大倉桃郎(6)、父が家産を傾けたため、一家をあげて横須賀汐入に移住する。 『日本近代文学大事典』
明治19年(1886年)
1月23日 市島春城(25)、横浜に行き、町会所で開かれた春季学術演説会で、「支那人の風学ぶべし学ぶ可からず」を演説する。5月15日、蔦座での同攻会横浜支会でも同じ主題で演説する。 『横浜近代史総合年表』
2月6日 島田三郎(33)、井深梶之助(31)、横浜港座で開かれた横浜基督教演説会で演説をする。 『横浜近代史総合年表』
2月11日 植木枝盛(29)、横浜に行き、羽衣座で開かれた自由政談演説会で、「租税論」を演説する。奥宮健之は「専制政治の元素を論ず」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
3月10日 福沢諭吉(51)、全国漫遊の第一回として東海道旅行を試み、この日出発し、箱根に泊まる。 『福沢諭吉全集』21年譜
4月1日 今村紫紅(5)、横浜小学校に入学する。 「中央美術」大正5年4月(今村紫紅年譜)
4月1日 山田わか(6)、横須賀の久里浜尋常小学校に入学する。 山崎朋子『あめゆきさんの歌』
4月10日 福地桜痴(44)、横浜神奈川町良泉寺で開かれた天下の糸平(故田中平八)の追憶会に渋沢栄一、益田孝らと共に出席する。 『横浜近代史総合年表』
4月22日 辻村伊助、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
5月 滝廉太郎(6)、神奈川県師範学校付属の老松小学校に入学する。8月、富山県に移る。 山田野理夫『荒城の月』
江見水蔭(16)、称好塾の友人と江の島、鎌倉、横浜金沢、横須賀を回る。 『自己中心明治文壇史』
6月12日 馬場辰猪(36)、横浜港から出航、大石正巳と共にアメリカに向かう。21年11月1日、フィラデルフィアの病院で死去する。 『馬場辰猪全集』4年譜
6月 田口卯吉(31)、箱根蘆之湯に母を連れて避暑する。新体詩「箱根山」 『鼎軒田口卯吉全集』所収「楽天録」のうち「箱根山」
7月17日 伊藤博文(44)、横浜金沢の富岡に行き滞在、海水浴を楽しむ。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
8月8日 西周(57)、箱根に遊び周遊する。20日に帰宅する。 『西周全集』3日記
10月2日 岡倉天心(23)、横浜港からシティ・オブ・ペキン号で出航、文部省美術取調委員としてアメリカを経由でヨーロッパに向かう。20年10月11日、ゲーリック号で横浜に帰着する。 『岡倉天心全集』別巻年譜
10月4日 伊藤左千夫(22)、横浜(久良岐郡)北方村の菅生牧場に勤めることとなり、横浜に移転する。 『左千夫全集』9書簡
11月14日 福地桜痴(45)、横浜青木町の町会所で、聴衆二千六百人余を前に、ノルマントン号事件について演説する。 『横浜近代史総合年表』
11月17日 黒岩涙香(24)、横浜港から近江丸で出航、「絵入自由新聞」特派員として、ノルマントン号事件の裁判報道のため神戸に向かう。 伊藤秀雄『黒岩涙香』
12月22日 南方熊楠(19)、横浜港からシティ・オブ・ペキン号で出航、勉学のためアメリカに向かう。アメリカ、イギリスあわせて14年の滞在ののち、33年10月15日、丹波丸で神戸に帰国する。 笠井清『南方熊楠』
高野房太郎(18)、横浜港から出航、商業研究の名目でアメリカに向かう。商売に失敗して翌年帰国する。 大内兵衛ほか監修・大島清著『高野岩三郎伝』
明治20年(1887年)
2月15日 ビゴー(26)、横浜居留地の海岸五番館クラブホテルで雑誌‘TOBAYE’(「トバエ」第二次)を発行する。 『ビゴー日本素描集』年譜
3月19日 斎藤昌三、高座郡座間村小字鈴鹿に生まれる。父は肥料、酒類、荒物等の田舎の百貨店を経営していた。 『日本近代文学大事典』、『書淫行状記』所収「我が家」
4月1日 久米秀治、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
4月17日 依田学海(53)、甲州を回って、この日三島から箱根に至り、塔之沢の福住氏(福住楼か)に泊まる。19日、湯本の福住(萬翠楼福住)に移り、福住正兄と語り合う。21日、湯本から馬車に乗り、藤沢で中食、神奈川から汽車で帰京する。 『学海日録』7
5月初旬 若松賤子(23)、友人と鎌倉を訪れる。紀行「旧き都のつと」。 「女学雑誌」
6月1日 伊藤博文(45)、横浜の金沢に行き東屋に滞在する。4日、同所夏島の別荘が落成して移る。「海辺の空気は至て清涼にて、心持大によろしく候。……日和よき時には、後の山廻り、海岸の貝ひろひ等にて、余程おもしろく日を送り申候」。8月13日、帰京する。以後、しばしば訪れて滞在する。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
7月8日 佐佐木信綱(15)、箱根に遊ぶ。塔之沢の福住楼に行く。福沢諭吉が滞在中であった。10日、大磯に行き百足屋に滞在中の西周を訪ね、一緒に海水浴をする。 『明治文學の片影』所収「西周男」
7月14日 石坂ミナ(21)、共立女学校和漢学科を卒業する。卒業証書授与式で、「自由を張るに女子も亦責任あり」を演説する。 「女学雑誌」
8月14日 荒畑寒村、横浜永楽に生まれる。家は廓内の台屋であった。生まれてまもなく、鎌倉郡永野村字上野庭の臼居家に里子に出される。『寒村自伝』。 『荒畑寒村著作集』10年譜
8月21日 北村透谷(18)、この日東京で宣教師ワーレンスの演説を聞き、その夜横浜に行く。横浜で商業をもくろんだが、失敗する。「一生中最も惨憺たる一週間」 『透谷全集』所収
9月5日 福沢諭吉(52)、鎌倉に海水浴に行き、子供たちと三橋与八方に滞在、23日に帰京する。 『福沢諭吉全集』18書簡
11月5日 末広鉄腸(38)、横浜に行き、住吉町の港座で開かれた政談演説会で、「現今の政治社会」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
12月26日 中島信行(41)、湘烟(23=湘煙)夫妻、保安条例により東京からの退去を命じられ、横浜太田村に移る。湘烟「白沙青松の郷」。 「太陽」4巻25号、湘烟「白沙青松の郷」
12月31日 尾崎行雄(29)、保安条例による退去命令で箱根に行き、塔之沢の福住楼に滞在し越年する。 『尾崎咢堂全集』11所収「咢堂自伝」
へボン(72)、新旧約全書の翻訳出版事業を完成する。 『ヘボン書簡集』
月日未詳 夏目漱石(20)、中村(柴野)是公らと江の島に日着日帰りの小旅行をする。 『漱石全集』12『木屑録』、『漱石全集』8『満韓ところどころ』
月日未詳 (20年ごろ)柳水亭種清(66)、小田原酒匂の上輩寺の住職となる。40年3月20日、その地で死去する。 『日本古典文学大辞典』(岩波書店)6