神奈川文学年表 明治21年~30年

明治21年(1888年)
1月10日 尾崎行雄(29)、箱根から横浜に移って弁天通り西村新七方に滞在する。1月31日、横浜港から出航、アメリカ、ヨーロッパに向かう。22年暮に帰国する。 『尾崎咢堂全集』11所収「咢堂自伝」
1月16日 小杉余子、藤沢に生まれる。 『日本近代文学大事典』
1月29日 福沢諭吉(53)、三人の娘と東海道の徒歩旅行を試み、川崎-鶴見-神奈川まで歩き、汽車で帰る。 『福沢諭吉全集』18書簡、雑録
3月10日 中島湘烟(24)、久良岐郡戸太町太田の新居に移る。 「湘烟選集」4年譜
3月10日 植村正久(30)、横浜港から出航、欧米視察に向かう。翌年1月20日に帰国する。 『横浜近代史総合年表』
3月14日 島田三郎(35)、横浜からシティ・オブ・リオデジャネイロ号で出航、欧米視察に向かう。22年8月24日、フランス船イロワヂ号を神戸で郵船の薩摩丸に乗りかえて横浜港に帰着する。 高橋昌郎『島田三郎伝』
3月23日 坪内逍遙(28)、友人と江の島、鎌倉に小旅行をする。 『坪内逍遙事典』年譜
4月13日 末広鉄腸(39)、横浜港からベルジック号で出航、アメリカからヨーロッパに向かう。船中でフィリピンの独立運動の志士リサールと知りあう。『唖の旅行』。 『三代言論人集』4所収末広恭雄「末広鉄腸」
4月 岩村透(18)、横浜港から出航、西洋美術研究のためアメリカ・ヨーロッパに向かう。 清見陸郎『岩村透と近代美術』
4月末 岡本綺堂(15)、江の島に、イギリス公使館書記官代理のガビンスを案内して行き、前年に父と泊まったことのある岩本楼を宿とする。4年ほど後にも再遊して恵比寿屋で昼食をとる。 「文藝春秋」昭和5年1月掲載「江の島の鮫」
5月3日 加藤武雄、津久井郡川尻村三九四番地に生まれる。生家は旧家で農業を営む。 『大衆文学大系』17年譜
5月13日 大内青巒(43)、横浜に行き、横浜最乗会の仏教哲学演説会で、島地黙雷、佐地実然らと共に演説する。 『横浜近代史総合年表』
5月20日 依田学海(54)、杉浦梅潭(重剛)と箱根に遊ぶ。塔之沢の玉の湯に泊まる。22日、塔の峯の麓を回る。25日、塔の峯の阿育王山阿弥陀寺の開山忌に行く。27日、帰京する。 『学海日録』7
5月24日 新島襄(45)、鎌倉海浜院に保養のため滞在。6月11日に帰京。 『新島襄全集』5「漫遊記」
5月25日 徳富蘇峰(25)、鎌倉の海浜院に赴き、前日から保養中の新島襄に看護師を紹介引き合わせる。午後鎌倉見物をして帰る。 『新島襄全集』5「漫遊記」
6月9日 井上円了(30)、横浜に行き、英船ゲーリック号で出港、欧米諸国の東洋学状況の視察に向かう。翌年6月に帰国する。 平野威馬雄『伝円了』年譜
6月 津田梅子(23)、横浜港に行き、来日した友人アリス・ベーコンを迎える。 吉川利一『津田梅子伝』
7月14日 里見弴、横浜月岡町の横浜税関長(父)の官舎で生まれる。 『里見弴全集』10年譜
8月1日 正岡子規(20)、友人佐々田と、東京から船で浦賀に渡り、横須賀、横浜金沢を経て鎌倉に至り一泊。2日、大雨の中、鎌倉を散策し江の島の向かい側に出て一泊。3日、激しい風の中を江の島に渡り、帰京する。「鎌倉行」 『子規全集』10「筆まか勢」、『子規全集』22年譜
8月5日 森有礼(40)、箱根に家族と行き、底倉の梅屋、ついで宮ノ下の奈良屋で保養する。翌日、木賀の亀屋で箕作麟祥と会う。19日、芦之湯に移り、9月2日、帰京する。 犬塚孝明『森有礼』略年譜
8月16日 巖谷小波(18)、横浜富岡の三条実美別邸に父の供をして行く。 「戊子日録」
8月10日 川上眉山(19)、硯友社同人の香夢楼緑と大磯に遊ぶ。 『明治文学全集』20年譜
武者小路実篤(3)、鎌倉へ避暑に連れられて行く。以後、九歳になるまで毎年出かけ、たいがい光明寺に宿をとった。  
9月3日 黒岩涙香(25)、大磯に、「絵入自由新聞」の記者仲間と行き、ついで江の島に遊び、金亀楼に席をとる。 霞の家主人「袂ぐさ」
9月 田口卯吉(33)、小田原電気鉄道株式会社の取締役となる。翌年辞任する。 『鼎軒田口卯吉全集』8年譜
11月2日 若松賤子(24)、フェリス女学校で文学会の記念会を催し、「月界の談話」という略劇を演じた。 「女学雑誌」
高橋誠一郎(4)、横浜の父のもとで暮らし始め、太田のち戸部に移り、老松小学校に通う。31年、慶應義塾中等部に入学して東京の寄宿舎に移る。 『私の履歴書』
12月2日 山県有朋(50)、横浜港から出航、ヨーロッパ各国の地方自治の現況を視察、アメリカを回り、翌年10月2日に帰国する。 徳富猪一郎『公爵山県有朋伝』中
12月27日 新島襄(46)、大磯百足屋で療養生活を始める。 『新島襄全集』5「漫遊記事」
月日未詳 添田唖蝉坊(17)、定期航路のボーイをしており、横浜に入港した際下船して上陸中に、船は急用で横浜を出帆して横須賀に向かってしまった。そこでそれを追うように横須賀方面に歩いたが、途中でポン引きにひっかかって土方部屋にほうりこまれた。のち脱出し、人夫となって横須賀に住みついた。 『唖蝉坊流生記』
明治22年(1889年)
1月5日 尾崎紅葉(20)、石橋思案(20)と小田原から海沿いの道を歩き、熱海に遊ぶ。8日に帰京。 巖谷大四『尾崎紅葉』、巌谷小波「己丑日録」
3月18日 川尻宝岑(46)、大磯に海水温浴に行く。 依田学海『学海日録』
4月1日 尾崎紅葉(21)、巌谷小波(18)と湯河原に遊び、藤田屋に5日まで滞在。この日、処女出版で出世作となった『二人比丘尼色懺悔』が刊行された。 『明治文学全集』20所収 小波「己丑日録」
4月7日 大井憲太郎(45)、横浜初音町東耘楼で開かれた大赦出獄諸氏慰労懇親会に、星亨、井上哲次郎らと共に出席する。 『横浜近代史総合年表』
4月20日 久松義典(33)、横浜に行き、富竹亭で開かれた政談演説会で、「第一期国会に於ける政治家の本領」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
5月2日 巌谷小波(18)、神奈川の高島邸に父、兄と行き、二泊する。4日午後帰京。この月、7日、16日、24日としきりに訪う。 『明治文学全集』20「己丑日録」
5月 内村鑑三(28)、橘樹農談会で、「農業と社会改良との関係」を講演する。 『内村鑑三全集』40年譜
6月1日 中島湘烟(25)、フェリス女学校の大講堂献堂式兼開校14年祝賀会で祝賀演説をする。若松賤子(25)も卒業生として、「昨日と明日」という英語演説をする。 『フェリス女学院100年史』
6月7日 田中智学(27)、横浜に行き、羽衣座で開かれた宗教改良演説会(~9日)で演説する。 『横浜近代史総合年表』
6月14日 植木枝盛(32)、横浜に行き、海岸一致教会で開かれた、婦人矯風会演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
6月16日 大内青巒(44)、横浜に行き、野毛大聖院で開かれた、仏教哲学演説会で演説する。11月10日に港座で開かれた仏教演説会でも演説する。 『横浜近代史総合年表』
7月10日 若松賤子(25)、巖本善治(25)と横浜海岸教会で結婚式をあげる。ブース師司会、中島信行・湘烟夫妻が証人として立ち会った。 『フェリス女学院100年史』
7月15日 伊藤博文(47)、小田原に行き、海岸の〓盟館に滞在する。18日、条約改正問題で帰京するが、21日、再び小田原に行く。以来秋にかけて、しばしば〓盟館に滞在する。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
7月18日 巌谷小波(19)、江の島に行き、金亀楼に滞在し、「妹背貝」を清書する。22日に帰京。 『明治文学全集』20「己丑日録」
7月 津田梅子(24)、横浜港から出航、アメリカ留学に向かう。25年8月帰国する。 吉川利一『津田梅子伝』
8月初旬 尾崎三良(47)、横浜の富岡に家族と遊び、三条公別荘を尋ね、金波楼に泊まる。近くの別荘に松方正義伯爵、田中不子麿子爵を訪ねる。4日間滞在する。 『尾崎三良自叙略伝』中
8月11日 尾崎三良(47)、鎌倉に家族と行き、光明寺の向かいの大工の家の二階三間を借りて滞在する。海水浴などに興じる。ついで長谷の別荘に移り、鎌倉をめぐる。「殆んど東京の俗紛を忘れたるものの如し」。9月6日に帰京する。 『尾崎三良自叙略伝』中
8月12日 依田学海(55)、箱根に家族一同と遊び、塔之沢の玉の湯に泊まる。翌日、宮ノ下の奈良屋に移り滞在する。14日、底倉に行き、宮城館を観瀑楼と命名し、墨書を与える。15日、堂ケ島に行き、尾上菊五郎と出会う。18日、帰京する。「箱根入費五十五円八十二銭なり」。 『学海日録』7
8月14日 植木枝盛(32)、横浜に行き、蔦座で開かれた大同派による政談演説会で演説し、弁士中止となる。 『横浜近代史総合年表』
8月31日 伊藤博文(47)、神戸からの帰途、江の島に行き、療養中の末松謙澄夫人を見舞う。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
星野天知(27)、明治女学校の臨海学校に同行し、極楽寺村の成就院に滞在する。 『黙歩七十年』
9月1日 白井喬二、横浜に生まれる。父は官吏であった。 『大衆文学大系』9年譜
9月14日 大井憲太郎(46)、横浜に行き、羽衣座で開かれた横浜政談演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
10月13日 杉浦重剛(34)、横浜に行き、町会所で開かれた、県教育会第三回総会で、榎本武揚らと共に演説する。 『横浜近代史総合年表』
10月末 伊藤博文(48)、小田原に建築中の別荘が落成し、滄浪閣と名づけ、横浜金沢の夏島の別荘もここに移す。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
11月21日 正岡子規(22)、午後東京を立って大磯に到り、松林館に三泊した。友人大谷是空を見舞いかたがたの小旅行である。「水戸紀行裏四日大尽」。 『子規全集』13
11月29日 島田三郎(36)、横浜に行き、住吉町会堂で開かれた横浜基督教青年会主催の演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
12月2日 津田光造、足柄上郡南足柄村に生まれる。 『日本近代文学大事典』
12月12日 岡倉天心(26)、宮内省の命により神奈川県に出張する。 『岡倉天心全集』別巻年譜
12月24日 正岡子規(22)、藤野古白と松山へ帰省の途次、大磯に下車して松林館に一泊する。「十二月帰省」 『子規全集』10「筆まか勢」
明治23年(1890年)
1月12日 大井憲太郎(47)、横浜に行き、富竹亭で開かれた横浜政談演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
1月17日 巖本善治(26)、横浜の海岸通の基督教会堂で開かれた廃娼大演説会で 「姦淫の公許」を演説する。
1月17日 島地黙雷(51)、横浜に行き、富竹亭で開かれた仏教演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
1月20日 徳富蘇峰(36)、大磯で療養中の新島襄危篤の報をうけ、2月1日に創刊する「国民新聞」披露のための招待客をおいて、大磯に駆けつける。 『蘇峰自伝』ほか
1月21日 島田三郎(38)、横浜に行き、蔦座で開かれた改進党政談演説会で演説中、壮士より暴行を受ける。 『横浜近代史総合年表』
1月23日 新島襄(46)、大磯百足屋で死去。前日、夫人と小崎弘道、徳富蘇峰を枕もとに呼び、遺言を蘇峰に書きとらせていた。 『新島襄全集』8年譜
2月1日 幸田露伴(22)、箱根に保養に行き湯本に滞在する。「客舎雑筆」 「客舎雑筆」
2月23日 高橋健三(34)、横浜港から出航、印刷機購入のためフランスに向かう。岡倉天心ら見送る。 『岡倉天心全集』別巻年譜
3月18日 巌谷小波(19)、江見水蔭(20)、江の島に遊び、金亀楼で昼食。夕方鎌倉に回り三橋に一泊。翌日帰京。 『明治文学全集』20「庚寅日録」
4月1日 長谷川伸(6)、横浜吉田小学校に入学。翌々年東京に移る。 『長谷川伸全集』16年譜
4月3日 尾崎紅葉(22)、巌谷小波(19)、江見水蔭(20)、石橋思案(22)、川上眉山(21)ら、江の島に遊び、金亀楼に四泊。7日に帰京。 『明治文学全集』20所収 小波「庚寅日録」
4月4日 ラフカディオ・ハーン(40=小泉八雲)、横浜に上陸。まもなく鎌倉、江の島、箱根を訪れる。「知られぬ日本の面影」。 『明治文学全集』48年譜
4月21日 西村茂樹(62)、小田原に行き、日本弘道会小田原支会で演説する。 『西村茂樹全集』3年譜略
5月15日 田口卯吉(35)、横浜港から天祐丸という91トンの小汽船で、南島商会の事業のため南洋に向かう。12月2日、横浜港に帰着する。『南島巡航記』 『鼎軒田口卯吉全集』8所収「南洋航海日誌」、『三代言論人集』所収嘉治隆一「田口卯吉」
5月26日 伊藤博文(48)、箱根に行き塔之沢の「鈴木」に泊り、「環翠楼」の三字を書いて与える。以来これが楼名となる。 大槻文彦『復軒旅日記』所収「箱根塔の沢入浴」
5月31日 幸田露伴(22)、関西からの帰途、箱根塔之沢に滞在中の饗庭篁村、宮崎三昧、和田篤太郎と合流し一泊する。翌日上京の途次、国府津に篁村と一泊。6月2日に帰京。 「まき筆日記」
6月12日 辻村太郎、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
6月17日 巌谷小波(19)、横浜に入港予定の父を迎えに行く。深夜になるというのでいったん帰京。翌日再び行き山崎屋に一泊して19日に帰京。 『明治文学全集』20「庚寅日録」
6月22日 福沢諭吉(55)、箱根湯本に家内一同で遊び、福住楼に滞在。 『福沢諭吉全集』18書簡
7月1日 島田三郎(37)、第一回衆議院議員総選挙に神奈川一区から立候補し、当選する。(以後大正14年まで連続十四回当選)。 『明治編年史』7
7月15日 郡虎彦、横浜花咲町の養家から出生届が出される。6月28日、東京の鈴木耕水の三男に生まれ、母の妹の嫁していた郡家の養子となる。養父は日本郵船の船長である。 『明治文学全集』76年譜
7月26日 三宅花圃(21)、大磯に遊び松林館に滞在する。8月16日から18日まで箱根に遊び、19日に帰京。「磯のふで草」。 「女學雑誌」
8月4日 国木田独歩(18)、暑中休暇中、箱根を訪れ、7日まで湯本福住楼に滞在。8日より小田原元板橋の本応寺に滞在。22日ごろ帰京。 『定本 国木田独歩全集』5書簡
8月5日 巌谷小波(20)、箱根に友人と遊ぶ。塔之沢環翠楼に一泊し、ついで底倉梅屋に泊まる。10日帰京する。 『明治文学全集』20「庚寅日録」
8月17日 北村透谷(22)、小田原早川に移る。翌日、江之浦まで歩く。20日、箱根宮ノ下に行って帰る。石垣山を越えて湯本におりる。 『透谷全集』3日記
8月中旬ヵ 夏目漱石(23)、箱根に二十日間ほど遊ぶ。漢詩「函山雑咏」八首、「送友到元函根」三首、「帰途口号」二首がある。 『漱石全集』12「漱石詩集」
8月22日 尾崎紅葉(22)、巌谷小波(20)、川上眉山(21)、江見水蔭(20)、藤沢片瀬に海水浴に行き、柏屋に三泊し、25日帰京する。 『明治文学全集』20所収 小波「庚寅日録」
8月 大西祝(=操山)(25)、小田原に海水浴に行く。短歌三首。 『大西博士全集』7「論文及歌集」
小島烏水(16)、箱根に父と遊び、初めて芦ノ湖を見る。 『小島烏水全集』1所収「湖論」
9月20日 依田学海(56)、江の島に遊び、巖本楼に一泊する。 『墨水別雑録』
9月 岡倉天心(27)、一家で藤田隆三郎の西下を送るため、江の島に遊び恵比寿屋に一泊する。 岡倉一雄『父岡倉天心』
10月19日 木村曙(18)、大磯に転地療養中に死去。 『明治編年史』7
10月21日 川上音二郎(26)、横浜に行き、蔦座で開かれた政談演説会で、「田中子爵に九寸五分を呈す」を演説し、中止を命じられる。 『横浜近代史総合年表』
11月5日 八代幸雄、横浜に生まれる。父は商家を営む。のち、横浜商業に学ぶ。 『日本近代文学大事典』
11月11日 依田学海(56)、杉浦梅潭(重剛)と箱根に紅葉狩りに行き、玉簾の滝を見る。湯本福住氏(萬翠楼福住)の金泉楼に泊まり、「珠簾滝の記」を草する。翌日、宮ノ下の奈良屋に移る。箱根をめぐり、15日、塔之沢の新玉の湯に移る。16日、帰京する。「此行は七円を費しき」。 『学海日録』8
12月3日 佐藤惣之助、橘樹郡川崎町砂子一七五に生まれる。代々川崎宿の本陣の家で、明治以後は父は雑貨商を営んでいた。 藤田三郎『佐藤惣之助―詩とその展開』年譜
12月10日 巌谷小波(20)、江の島に行き、金亀楼に四泊。『こがね丸』を書きあげ、14日に帰京。 『明治文学全集』20「庚寅日録」
12月13日 高垣松雄、横須賀に生まれる。 『日本近代文学大事典』
12月28日 西周(61)、療養のため横須賀に行き大津館に泊まる。30日に帰京。 森鴎外『西周伝』
12月29日 北村透谷(22)、箱根に遊び、塔之沢一の湯に滞在。越年して24年1月3日に帰京。 『透谷全集』3日記
明治24年(1891年)
1月1日 竹屋雅子(24)、藤沢鵠沼の知人の別荘に行き二泊する。江の島にも遊ぶ。 婦女雑誌 第1巻第3号「鵠沼村に遊ぶ記」
2月17日 川上音二郎(27)、横浜へ行き、真鍋方に泊まる。 「金泉丑太郎日記」―『明治劇壇五十年史』収載
2月中旬 川上音二郎(27)、横浜に行き、蔦座で興行中の市川団十郎を訪ねる。 白川宣力編著『川上音二郎・貞奴』
3月1日 川上音二郎(27)、横浜滞在中、伊勢崎町の蔦座で公演する。「経国美談」と大切の「オッペケペ」を上演する。6日、上演差止めになり、8日から「板垣退助君岐阜遭難実記」を15日まで上演する。 「金泉丑太郎日記」―『明治劇壇五十年史』収載
3月19日 川上音二郎(27)、横浜を立ち小田原に行く。21日より桐座で「板垣退助君岐阜遭難実記」ほかを上演する。25日、上演差止めになる。27日より30日まで「大井憲太郎氏国事犯顛末」などを上演する。4月2日より鶴座で「西郷隆盛誉勢力」ほかを上演する。7日、見物の壮士と乱闘になり中止、翌日、警察に拘留される。 「金泉丑太郎日記」―『明治劇壇五十年史』収載
3月 尾崎紅葉(23)、江の島に新婚旅行に行き、金亀楼に泊まる。 江見水蔭『硯友社と紅葉』
4月14日 幸田露伴(23)、箱根に遊び、塔之沢環翠楼に滞在する。 『露伴全集』書簡
4月 吉井勇(5)、鎌倉師範付属小学校に入学し、材木座の別荘から通う。半年ほどで東京に転校。 『相聞居随筆』
5月1日 福沢諭吉(56)、家族一同と箱根に湯治に行き、湯本に9日まで滞在。ついで小田原酒匂の松濤園に滞在し、15日に帰京する。 『福沢諭吉全集』18書簡
5月12日 加藤拓川(32)、療養のため大磯に行き、勝竜館に滞在し、甥の正岡子規に来泊をうながす。 『子規全集』
5月18日 川上音二郎(27)、横須賀の立花座で、21日まで興行する。  
5月 伊藤博文(49)、箱根に行き、塔之沢の環翠楼に滞在する。11日、大津事件の報を受けて直ちに上京する。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
5月12日 加藤拓川(32)、大磯に行き、勝竜館に滞在し、正岡子規に来遊をすすめる。「大磯ハナンダカ俗臭有之風景は曾聞に劣候得共流石ハ浜浜だけありて空気ハ至極よろしく覚候」。 『子規全集』別巻1
6月1日 北村透谷(23)、坪内逍遙(31)、横浜山手ゲーテ座で英国俳優による初のシェイクスピア劇「ハムレット」を観る。 『透谷全集』3年譜
6月16日 大井憲太郎(48)、横浜に行き、蔦座で開かれた自由党政談演説会で、「東洋政略」を演説、弁士中止となる。7月5日、勇座でも演説する。 『横浜近代史総合年表』
6月 島崎藤村(19)、横浜に行き、同郷の吉村忠道経営のマカラズヤをしばらく手伝う。 『島崎藤村全集』13年譜
7月26日 尾崎三良(49)、鎌倉に行き、材木座に家を借りて滞在、避暑する。8月7日、鎌倉の大工甚五郎を呼び、別荘建築のこと及び材木座の九品寺の地所およそ三百坪を借地することを委任する。11日に帰京する。 『尾崎三良自叙略伝』中
7月 鈴木大拙(20)、東京専門学校在学中、郷土の先輩の紹介で、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅する。(翌年1月に洪川は死去。あとをついだ釈宗演に引き続き師事。) 「私の履歴書」
7月 泉鏡花(17)、鎌倉みだれ橋妙長寺ですごす。由比ケ浜をさまよったのはこの頃か。 『文芸読本泉鏡花』年譜
8月9日 北村透谷(23)、小田原鴎鳴館で開催の函東会(小田原出身者の会)足柄部大会に出席し、戯曲を音読した。 『透谷全集』3年譜
8月上旬 馬場孤蝶(18)、小田原酒匂の松濤園に行く。滞在中の尾崎紅葉に初めて会い、話をする。翌日、箱根に行く。 『明治文壇の人々』
8月21日 安部磯雄(26)、横浜港からゲーリック号で出航、ハートフォード神学校に学ぶためアメリカに向かう。28年2月、ヨーロッパを回って帰国する。 高野善一『日本社会主義の父安部磯雄』年譜
9月 河竹黙阿弥(75)、箱根、江の島方面に、長女と弟子を伴い、一週間ほどの旅をする。ほとんど唯一の遊山行楽だったという。 『明治文学全集』9年譜
10月16日 江見水蔭(22)、箱根に行き塔之沢環翠楼に滞在し、「石橋山」を執筆する。滞在中、巌谷小波、石橋思案、尾崎紅葉らの来訪があった。 『自己中心明治文壇史』
10月24日 正岡子規(24)、文科大学遠足会で大山に行き、翌25日登る。藤井紫影、田岡嶺雲と初めて知り合う。句六句。紫影「正岡子規君」 『子規全集』別巻2、『子規全集』22年譜
11月10日 長沢別天(23)、横浜からチャイナ号で出航、アメリカ留学に向かう。26年春、ハワイを経て帰国する。 『明治文学全集』37年譜
11月27日 山田美妙(23)、佐佐木信綱らと鎌倉、江の島に遊び、夜、藤沢駅から帰京の徒につく。「鎌倉江島鴉の道行」。 「鎌倉江島鴉の道行」
12月30日 幸田露伴(24)、三崎に遊ぶ。翌日森鴎外らと合流する。越年して25年1月3日に帰京。「当世文反古」 『露伴全集』2
月日未詳 小泉信三(3)、父が横浜正金銀行の支配人となり、一家あげて横浜桜木町一丁目一番地に移る。28年、父の死去により東京に帰る。 今村武雄『小泉信三伝』
明治25年(1892年)
1月1日 内藤湖南(25)、前日の大晦日に友人と共に東京を立ち、鎌倉に至り、新年を迎える。2日、稲村ケ崎、七里ガ浜を経て片瀬に至り、引き潮の間に徒歩で江の島に渡り、島内を回って夷屋に泊まる。3日、鎌倉に戻り二泊して、5日、帰京する。 『内藤湖南全集』1所収「鎌倉紀行」
1月初旬 川上音二郎(28)、東京鳥越座での公演の前日に雲隠れし、箱根に行き湯本の福住楼(萬翠楼福住か?)に泊まる。長田秋涛と出会う。 松永伍一『川上音二郎』
1月21日 北村透谷(23)、一時帰米のコーサンドを横浜に見送る。 『透谷全集』3日記
2月19日 平野友輔(35)、大磯に海水温浴に行く。24日に帰宅する。  
2月 大橋乙羽(22)、横浜の杉田梅林に梅見に行き、金沢八景を回り、鎌倉に出て雪ノ下の丸屋に一泊する。 『続千山萬水』所収「江南村」、「金沢八景」
3月29日 中江兆民(44)、横浜港から出航し、北海道の小樽に向かう。 『中江兆民全集』別巻年譜
3月ヵ 小島烏水(18)、横浜商法学校(現、横浜市立商業高校)を第四期生として卒業。卒業後は鮫島法律事務所、アイザック商会などに勤務。 『明治文学全集』94年譜
4月26日 成瀬正一、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
4月 相馬黒光(15、当時は星良子)、横浜のフェリス女学校に入学(試験期間三カ月のち本入学)、寄宿舎に住む。 『黙移』
5月8日 小島烏水(18)、友人二人と鎌倉、江の島に遊ぶ。 『小島烏水全集』1所収「鎌倉江島紀行」
5月10日 室伏高信、湯河原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
5月22日 池辺三山(28)、横浜港からフランス船シドニー号で、パリ留学中の旧藩主世子の補導役をするため、パリに向かう。パリ滞在中鉄崑崙の筆名で新聞「日本」に「巴里通信」を寄せ、文名が上がる。28年11月、横浜に帰着する。 『三代言論人集』6所収・笠信太郎「池辺三山」
6月 村上浪六(26)、横浜金沢八景に滞在中、東京朝日新聞社の社長の使者として宮崎三昧が訪れ、破格の待遇で同社に迎えられた。 『明治文学全集』89年譜
初夏 尾崎三良(50)、鎌倉の材木座九品寺の地所を借りて建築中の別荘が落成する。「諸費を計算して、僅かに三百七,八十円、……甚だ廉なり」。7月9日から別荘に滞在して避暑する。以後、7月から9月初旬にかけての鎌倉での避暑が恒例となる。 『尾崎三良自叙略伝』中
7月2日 小島烏水(18)、逗子小坪に遊ぶ。滞在中、鎌倉、江の島など各所を歩く。21日、大山に向かい一泊し、翌日大山に登って、帰宅する。 『小島烏水全集』1所収「小壺日記」
7月2日 犬養木堂(37)、横浜に行き、民党政談演説会で、尾崎行雄らと共に演説する。 「毎日新聞」
7月7日 大橋乙羽(23)、横須賀に行き、軍艦秋津洲の進水式を観る。一泊して帰京。「横須賀の夏」 『千山萬水』所収「横須賀の夏」
7月16日 島崎藤村(20)、箱根で開催の第四回キリスト教夏期学校に出席。(~27日)。 『島崎藤村全集』13年譜
7月 有島武郎(14)、藤沢片瀬での学習院遊泳訓練に参加する。 『有島武郎全集』別巻年譜
7月 西周(63)、大磯に別荘を営み移る。歩行きわめて困難となる。 森鴎外『西周伝』
8月4日 江見水蔭(22)、箱根に転地し、塔之沢ついで芦之湯の吉田屋に滞在。9月25日帰京。 『自己中心明治文壇史』
8月11日 吉川英治、久良岐郡中村根岸で生まれる。父は当時は家塾を開いていた。 『忘れ残りの記』
8月21日 星野天知(30)、鎌倉建長寺に参禅し釈貫道管長に師事する。三週間座禅して卒業する。 『黙歩七十年』
8月中旬 大西祝(27)、鎌倉、逗子を経て千葉県方面に赴く。 『大西博士全集』7「論文及歌集」
8月27日 大橋乙羽(23)、茶山子と鎌倉に遊ぶ。一泊して翌日夜に帰京。「柳の都」。 『千山萬水』所収「柳の都」
8月 北村透谷(23)、鎌倉に二日間遊ぶ。 「秋窓雑記」
8月 島崎藤村(20)、鎌倉扇谷正宗跡に仮寓し、戸川秋骨らと一夏をすごす。 『島崎藤村全集』13年譜
大和田建樹(35)、一家で藤沢片瀬に遊ぶ。 『文藝倶楽部 臨時増刊』「汐なれごろも」
徳富蘇峰(29)、逗子の養神亭に一家で避暑。十二回も東京を往復する。 「国民新聞」7月11日
上田敏(17)、箱根に行き、基督教第四回夏期学校に参加。島崎藤村、戸川秋骨らの名前も名簿にある。 『定本上田敏全集』10年譜
9月 三遊亭円朝(53)、保養のため湯河原に行き、伊藤旅館に滞在。この間に「名人長二」の構想が成る。 『三遊亭円朝全集』別巻 年譜
10月3日 正岡子規(21)、大磯の松林館に行く。滞在して原稿執筆。その間に箱根にも遊び四泊。17日に帰京する。「大磯に引網を見る記」、「大磯の月見」、「旅の旅の旅」。 『子規全集』13、『子規全集』22年譜
10月15日 ヘボン(77)夫妻、帰国送別会が横浜尾上町の指路教会で行われた。夫妻は22日に横浜を出航。 『ヘボン書簡集』年表
11月27日 伊藤博文(51)、大磯に行き、事故による負傷療養にあたる。翌年1月下旬に上京する。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』中
12月11日 小島烏水(18)、横浜戸塚の田谷の洞窟を探検。 『小島烏水全集』1所収「大奇窟を探る」
12月30日 田口卯吉(37)、箱根に遊び、福住楼に泊まる。翌日、塔之沢に末広鉄腸を訪ねたのち、鎌倉に向かう。 『鼎軒田口卯吉全集』8所収「箱根」
月日未詳 岡本かの子(3)、両親と共に横浜野毛山の別邸に移る。 『岡本かの子全集』年譜
月日未詳 中里介山(7)、母方の祖父加藤藤三郎を頼って横須賀に住む。(27年故郷羽村に帰る。) 『中里介山全集』20年譜
明治26年(1893年)
1月30日 星野天知(30)、鎌倉雪ノ下の山荘で藤村らと語りかつ祈る。この月、天知を編集人として「文学界」が創刊された。 『黙歩七十年』
1月 落合直文(31)、小田原海岸で正月を迎える。 「この正月」
1月 三宅雪嶺(32)、花圃(24)夫妻、鎌倉を訪れて一泊、翌日江の島に遊んで帰る。三宅花圃「二日の旅」。 「女學雑誌」
1月 下田歌子(38)、小田原に行き、避寒中の皇女常宮、周宮に進講する。以後毎週二回、小田原に行く。 『明治文学全集』81年譜
2月16日 陸羯南(35)、由比ケ浜の海浜院隣の富田別荘に行き、4月上旬まで滞在する。『原政』『国際論』を執筆。 『陸羯南全集』10書簡
2月20日 福沢諭吉(58)、大磯松仙閣に避寒中、「大磯海水浴場の恩人」を書き、松本順を賛える。 「大磯海水浴場の恩人」
3月初 田口卯吉(37)、横浜杉田梅林に家族と共に遊ぶ。『鼎軒田口卯吉全集』所収「楽天録」のうち「杉田観梅記」>  
3月25日 正岡子規(25)、鎌倉に陸羯南を見舞う途中藤沢駅前に一泊。翌朝鎌倉に行き、羯南の寄宿先に二泊し鎌倉を歩く。28日に帰京する。「鎌倉一見の記」。 『子規全集』13、『子規全集』22年譜
3月26日 福田正夫、小田原町十字四丁目九四に生まれる。父は医師である。 『現代詩人全集』11年譜
3月26日 大橋乙羽(23)、横浜杉田の梅林に遊び、ついで横浜金沢、鎌倉を経て江の島に遊ぶ。「江之島祭礼の記」。 『風俗画報』
4月9日 高浜虚子(19)、春休みに上京して正岡子規宅を訪れ、京都に帰る途中鎌倉に立ちより一泊する。 『子規全集』子規あて書簡
4月10日 日高信太郎、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
5月6日 西村茂樹(65)、三浦に行き、日本弘道会三浦支会の開会式に出席する。 『西村茂樹全集』3年譜略
5月7日 依田学海(59)、大磯に遊び、油屋に泊まる。鴫立沢に行き漢詩一編を草する。8日、鎌倉に回り、大仏、八幡宮、建長寺、鎌倉宮を回り、横浜金沢に行き惣宜楼に泊まる。「金沢八景記」を作る。9日、鎌倉に戻り、帰京する。「此行費す所三円五十銭余」。 『学海日録』9
5月中旬 山路愛山(28)、鎌倉に、妻と友人を伴って遊び、ついで江の島に遊ぶ。 『民友社思想文学叢書』2「山路愛山集」所収「鎌倉及江の島」
5月 徳冨蘆花(24)、横浜のケルリー・ヲルシ書店に『アンナ・カレニナ』を求めに行く。 『冨士』
夏目漱石(26)、鎌倉の円覚寺で参禅し、釈宗演の教えをうける。「色気を去れよ(談話)」。 『漱石全集』16
福本日南(35)、鎌倉に行き、由比ケ浜海辺院隣りの富田別荘に保養中の陸羯南を訪ね、一緒に鎌倉散策などをする。短歌五首。 『日南集』所収「国風」第一
6月15日 ウエンセスラウ・ド・モラエス(38)、横浜に来航する。鋼銅砲購入の目的は果たせなかった。 『明治文学全集』49年譜
6月 有島生馬(10)、父の鎌倉幽居に伴われ鎌倉居住となる。9月から神奈川師範学校付属小学校に通う。 『思い出の我』
7月1日 獅子文六(岩田豊雄)、横浜弁天通三に生まれる。父は絹物貿易商である。 『獅子文六全集』1年譜
7月8日 徳富蘇峰(30)、一家で逗子に避暑に出かけ、村長の邸をかりて宿とし8月下旬まで滞在する。この間に鎌倉、神武寺、江の島、葉山などにも遊ぶ。 「国民新聞」7月11日
7月18日 内藤湖南(27)、鎌倉に友人と共に遊び、円覚寺前の宿に泊まる。19日、正伝院、雪頂庵、建長寺、鶴岡八幡宮懐古展を見て長谷に行き、三橋旅館に泊まる。三宅雪嶺、志賀重昴、長沢別天らが滞在中で合流する。20日、大仏、観音を回って帰京する。 『内藤湖南全集』1所収「鎌倉二夜の記」
7月24日 島崎藤村(21)、北村透谷(24)、平田禿木(20)、戸川秋骨(22)の四人は鈴川の宿高砂屋での会合ののち、この日沼津に出て、馬車で芦の湖畔に行き、元箱根の青木旅館に泊まった。透谷は翌日帰京した。藤村「春」。 平田禿木「蝉羽子を吊ふ」、『透谷全集』3年譜
7月 長沢別天(25)、鎌倉に行き、外遊から帰国後の保養をする。アメリカ論『ヤンキー』を書く。 『明治文学全集』37所収(『ヤンキー』)「引」
8月2日 依田学海(59)、箱根に遊び、塔之沢の福住(福住楼と推定される)に泊まる。藤屋の後園に露の滝を見、漢詩一編を草する。5日、湯本に玉簾の滝を見、漢詩一編を草する。6日、帰京する。「往来の車賃を合して五円余」。 『学海日録』9
8月4日 川尻宝岑(50)、箱根宮ノ下の奈良屋に滞在中、塔之沢の福住(福住楼)に滞在中の依田学海を訪ねる。 依田学海『学海日録』
8月初旬 福沢諭吉(58)、一家と木村介舟夫妻を伴い箱根に行き、湯本の福住に一カ月ほど滞在する。 『福沢諭吉全集』18書簡
8月13日 国木田独歩(21)、今井忠治と共に、逗子に徳富蘇峰を訪ね、養神亭に一泊し、翌日鎌倉を経て帰京。 『国木田独歩全集』5書簡、年譜
8月14日 星野天知(31)、鎌倉笹目ケ谷に山荘を新築し移転する。 『黙歩七十年』
8月15日 馬場孤蝶(23)、元箱根に滞在中の戸川秋骨、島崎藤村を訪ね、鈴木旅館に二泊する。 『明治文壇の人々』所収「孤蝶日記」
8月30日 北村透谷(24)、国府津在前川村の長泉寺に一室を借りて住む。「エマルソン」を執筆。「客居偶録」。12月に東京の父母の家に戻る。 『透谷全集』3日記
8月 岡本綺堂(20)、東京日日新聞社に勤務中、暑中休暇を得て、伊豆相模地方をめぐる。途中、歯痛に苦しむ。 『岡本綺堂日記』年譜
8月 志賀重昂(29)、箱根に滞在する。長沢別天の著『ヤンキー』のために漢詩一編を作る。 『明治文学全集』37所収(『ヤンキー』の)「引」
8月ヵ 島崎藤村(21)、鎌倉円覚寺内の帰源院にこもる。 『島崎藤村全集』13年譜
田岡嶺雲(22)、鎌倉円覚寺に滞在する。 『田岡嶺雲全集』2「神秘説管見」「芭蕉」
9月10日 北村透谷(24)、鎌倉笹目ケ谷の新邸に星野天知を訪ねる。ついで円覚寺に島崎藤村を訪ねる。 『藤村全集』2書簡
9月10日 下田歌子(39)、横浜港からフランス船メルギルン号で出航、英国皇室の皇女教養事情視察のためイギリスに向かう。28年8月20日に帰国する。 『下田歌子先生伝』
9月11日 中島湘烟(29)、信行とイタリアから帰国し、横浜西太田の山荘に安着する。 「湘烟選集」4年譜
9月20日 北村透谷(24)、鎌倉笹目ケ谷に星野天知を訪ねて一泊する。 『透谷全集』3日記
9月23日 平田禿木(20)、鎌倉笹目ケ谷に星野天知を訪ねて一泊する。 『黙歩七十年』
10月26日 落合直文(31)、鎌倉に行き、第一高等中学校教師として、秋期発火演習に参加する。 『落合直文著作集』Ⅲ年譜
10月 島崎藤村(21)、坊主姿で国府津在前川村の長泉寺に北村透谷を訪ねる。 「早稲田文学」明治41年7月掲載北村ミナ「『春』と透谷」
10月 三宅雪嶺(33)、鎌倉雪ノ下九十一に政教社を移し、10月10日号として「日本人」(第二次)を復刊する。12月18日号(第五号)より再び東京神田に戻る。 「日本人」掲載
相馬黒光(17)、フェリス女学院に在学中、鎌倉笹目ケ谷に星野天知を訪ねる。「広瀬川の畔」。 『相馬愛蔵・黒光著作集』5「広瀬川の畔」
11月12日 小島烏水(19)、鎌倉郡植木村竜宝寺の新井白石の墓に詣でる。 『小島烏水全集』1所収「新井白石先生の墓に詣づ」
11月14日 尾崎紅葉(25)、江見水蔭(24)、石橋思案(26)、江の島に遊び、金亀楼に泊まる。水蔭「観潮記」。 江見水蔭『硯友社と紅葉』
12月28日 相馬黒光(17)、フェリス女学院の友人達と横浜から鎌倉への徒歩旅行を試み、鶴岡八幡前の小さな宿屋に泊まる。翌日鎌倉を回ったのち江の島に行き、恵比寿屋に泊まる。30日に鎌倉に引返し逗子を回って横浜に帰る。「広瀬川の畔」。 『相馬愛蔵・黒光著作集』5「広瀬川の畔」
12月29日 田山花袋(21)、太田玉茗(22)、房総旅行を終えて館山から浦賀に渡り、横須賀、鎌倉、国府津、小田原の海岸から熱海に行く。 『田山花袋研究』年譜・索引篇
北村透谷(24)、大矢正夫と藤沢に至り、国分屋旅館で平野友輔に会う。 『透谷全集』3年譜
明治27年(1894年)
1月1日 江見水蔭(24)、箱根塔之沢の環翠楼で越年する。1月26日に帰京する。 『自己中心明治文壇史』
1月1日 田山花袋(22)、太田玉茗と熱海から箱根に向かい、雪の中を日金山に登って芦ノ湖に出、芦之湯の亀屋に泊まる。翌日、宮ノ下、塔之沢を通って帰京する。 『田山花袋研究』年譜・索引篇
1月27日 田口卯吉(38)、小田原酒匂の松濤園に行き滞在。2月3日に帰京する。短歌三首。 『鼎軒田口卯吉全集』8所収書簡、「楽天録」のうち「相模物がたり」
1月 落合直文(32)、逗子で正月を迎える。 「この正月」
1月 川田順(12)、東宮の供奉で葉山に滞在した父について行く。ある日、一人で横須賀軍港に行き、あこがれの軍艦「吉野」に乗船する。 「私の履歴書」
2月7日 川上音二郎(30)、小田原の桐座で、12日まで「意外」を興行する。 白川宣力編著『川上音二郎・貞奴』
4月1日 小泉信三(6)、横浜小学校に入学する。翌年東京に移る。 今村武雄『小泉信三伝』
4月4日 小泉苳三、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
岡本かの子(5)、病弱のため、川崎高津村二子の伯父の住む本邸に移る。 『岡本かの子全集』別巻2年譜
6月29日 福沢諭吉(59)、養生のため大磯に行き松林館に滞在する。 『福沢諭吉全集』18書簡
7月1日 高山樗牛(23)、逗子に行き、田越村の山岡別邸に滞在し、近松門左衛門の研究にうちこむ。この間に鎌倉、江の島などもめぐる。 『樗牛全集』7日記及消息
7月16日 内村鑑三(33)、箱根で開かれた第六回基督教青年会主催の夏期学校で「後世への最大遺物」を講演する。 『内村鑑三全集』40年譜
7月18日 大西祝(29)、箱根に遊ぶ。 『大西祝・幾子書簡集』
7月28日 大井憲太郎(51)、横浜に行き、港座で開かれた、日清事件政談演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
8月1日 大和田建樹(37)、鎌倉に一家で避暑に行き、8月30日まで滞在する。この間に浦賀(12日~16日)、逗子(25日~26日)、江の島などにも遊ぶ。 『文藝倶楽部 臨時増刊』「汐なれごろも」
8月14日 長与善郎(6)、鎌倉の海浜院側の別荘に滞在中、二番目の姉の溺死に遭う。 『明治文学全集』26「亡き姉に」
8月14日 大西祝(29)、藤沢鵠沼に遊ぶ。 『大西祝・幾子書簡集』
黒田清輝(28)、横浜の本牧、ついで鎌倉に滞在する。絵画「本牧海岸」など。 『黒田清輝日記』4年譜
9月10日 橋本徳寿、横浜南太田に生まれる。 『日本近代文学大事典』
9月1日 夏目漱石(27)、湘南海岸に遊ぶ。 『漱石全集』14書簡
9月 湯谷紫苑(29)、横浜の共立女学校の国語科教員となる。32年6月に辞任する。 『明治文学全集』32年譜
10月10日 川上音二郎(30)、横浜の港座で、21日まで「日清戦争」を興行する。以来しばしば港座で興行する。 白川宣力編著『川上音二郎・貞奴』
11月3日 高山樗牛(23)、文科大学の遠足で箱根に紅葉狩りに行く。翌日、雨の中を箱根をめぐり帰京する。 『樗牛全集』7日記及消息
11月3日 正岡子規(27)、川崎大師に詣で、池上の本門寺を経て帰る。「閑遊半日」。 『子規全集』13、『子規全集』22年譜
12月6日 福沢諭吉(59)、横浜に小泉信吉を見舞う。12月10日、横浜久保山での信吉の葬儀に列席する。 『福沢諭吉全集』18書簡
12月23日 夏目漱石(27)、鎌倉円覚寺の塔頭帰源院に行き、翌年1月7日まで滞在し、釈宗演に参禅する。 『漱石全集』27年譜
12月31日 尾崎三良(52)、逗子に行き、別荘で療養中の井上毅を見舞う。 『尾崎三良自叙略伝』下
12月 陸羯南(37)、葉山に井上毅を訪ね見舞う。 「悼二梧蔭先生一」
12月 姉崎嘲風(21)、三崎を経て葉山に至り、長者園に滞在し避寒する。 『わが生涯』
12月 丸岡九華(29)、横浜の高田商会出張所の所長となる。 『明治文学全集』98年譜
この頃 チェンバレン(44)、箱根宮ノ下の富士屋ホテルの北東にある熊野神社の傍らに書庫「王堂文庫」を建てる。 楠家重敏『ネズミはまだ生きている』
この頃 添田唖蝉坊(21)、横須賀で愉快節や欣舞節を歌いまくる。 『唖蝉坊流生記』
明治28年(1895年)
1月1日 田岡嶺雲(24)、神奈川高島山に住む長兄の家で新年を迎える。数日後山県五十雄からの連絡で帰京、「青年文」(二月十一日発行)発刊が決まる。 『数奇伝』
1月1日 福沢諭吉(59)、門下生五、六人と箱根に遊び湯本に一泊。翌日旧街道を三島に歩き沼津に一泊して3日に帰京する。 『福沢諭吉全集』18書簡
1月2日 大西祝(30)、鎌倉に行き、長谷寺に泊まる。7日帰京する。 『大西祝・幾子書簡集』
1月2日 川上音二郎(28)、横浜の港座で公演、「川上音二郎戦地見聞日記」を上演する。 『神奈川県史』別編3年表
2月6日 小野佐世男、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
3月 川田順(13)、大山に登り、帰りに江の島に遊ぶ。 「短歌」昭和41年4月(追悼号)年譜
4月4日 陶山篤太郎、川崎市砂子に生まれる。 『日本近代文学大事典』、『現代日本詩人全集』9
4月9日 伊藤武雄、横須賀に生まれる。 『日本近代文学大事典』
4月10日 川上澄生、横浜の南区平楽一番地に生まれる。父は「横浜貿易新報」主筆の川上英一郎である。幼児に東京に移る。 『川上澄生全集』14年譜
4月12日 大西祝(30)、鎌倉、逗子に遊び養神亭に一泊。翌日横浜金沢を回って帰京する。 『大西博士全集』7「論文及歌集」
4月26日 松永延造、横浜に生まれる。父は県下屈指の材木商であった。 『日本近代文学大事典』
4月 小島烏水(21)、友人の帰省に同行して大住郡堀斎藤に行き、西湘に遊ぶ。 『小島烏水全集』2所収「西湘山水」
4月 永井荷風(15)、流行性感冒に腎臓炎を併発し、小田原の足柄病院に転地療養する。7月初めに退院、帰京したが、すぐ家人と共に逗子の永井家別荘に静養する。 『荷風全集』29年譜
5月14日 増田五良、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
6月 杉村楚人冠(22)、鎌倉に行き、円覚寺の塔頭続燈庵の客となり参禅する。 『三代言論人集』8所収美土路昌一「杉村楚人冠」
7月下旬 大西祝(30)、鎌倉に行き、材木座光明寺山内の蓮乗院に滞在する。 『大西祝・幾子書簡集』
8月1日 尾崎三良(53)、鎌倉に避暑滞在中、大磯に行き、群鶴楼に結核療養中の外務大臣陸奥宗光を見舞う。 『尾崎三良自叙略伝』下
8月2日 田口卯吉(40)、7月下旬より横須賀で「史海」の編集に当たり、この日横浜金沢の一の瀬方に移る。 『鼎軒田口卯吉全集』8所収書簡
8月4日 国木田独歩(23)、弟収二、佐々城佑(信子の弟)を連れて横須賀に行き、鎮遠号を見学する。帰途逗子に徳富蘇峰を訪ねる。 『欺かざるの記』
8月15日 依田学海(61)、箱根に遊び、塔之沢の福住楼に泊まる。翌日、同宿の大橋佐平と歓談する。18日、宮ノ下五段の竜雲閣に移る。22日、帰京する。 『墨水別雑録』
8月20日 大西祝(30)、須走に行く途中、国府津に泊まる。21日、須走行きを止めて藤沢片瀬に行き泊まる。数日間滞在し、この間に鎌倉・逗子にも遊ぶ。 『大西博士全集』7
8月19日 中江兆民(48)、息子の丑吉がジフテリアに罹り、その予後保養のため箱根に行き滞在する。 『中江兆民全集』16書簡
8月中旬 福沢諭吉(60)、湯本に滞在し16日に帰京する。 『福沢諭吉全集』18書簡
8月 山路愛山(30)、箱根に行き、蛇骨川左岸の温泉宿魁春楼に三週間ほど滞在し、箱根を歩く。 『民友社思想文学叢書』2「山路愛山集」所収「函嶺所見」
8月 落合直文(33)、小中村義象と東京を出立、義象は京都に向かい、直文は国府津で下車し小田原に泊まる。15日、国府津に戻り御殿場に行き泊まる。16日、興津に行き戻って国府津の蔦屋に泊まる。17日、箱根に行き塔之沢に泊まり、翌日、箱根周遊ののち大磯に泊まる。ついで小中村も来て、同行して帰京する。 『落合直文著作集』Ⅱ所収「われても末に」
志賀直哉(12)、学習院初等科を終え、藤沢片瀬での水泳訓練に参加して、常立寺に泊まる。 『志賀直哉全集』1所収「母の死と新しい母」
武者小路実篤(10)、初めて三浦半島の金田に住む母方の叔父勘解由小路資承のもとに一家で行く。「或る男」 「或る男」
大橋乙羽(26)、逗子に避暑をする。 『千山萬水』所収「逗子の避暑」
川田順(13)、父と箱根に避暑をして、駕籠で七湯をめぐる。 「短歌」昭和41年4月(追悼号)年譜
10月4日 奥村博史、藤沢に生まれる。 『めぐりあい』
11月19日 国木田独歩(24)、新妻信子と共に逗子の柳屋に滞在して新婚生活を始める。翌日、鎌倉笹目ケ谷の星野天知方に逗留中の星良子(のちの相馬黒光)を訪ねる。以後翌29年3月28日に帰京するまでの記録は、「欺かざるの記」に詳しい。 同上、黒光『黙移』
12月19日 徳富蘇峰(32)、逗子に避寒し養神亭に滞在する。「逗子だより」。翌日国木田独歩が訪れる。 独歩『欺かざるの記』
12月31日 尾崎三良(53)、大磯に行き、伊藤博文、陸奥宗光を訪ね、松林館に泊る。29年元旦、後藤象二郎を訪ねたのち帰京する。 『尾崎三良自叙略伝』下
12月下旬 宮崎滔天(25)、横浜に行き、兄弥蔵の病気を見舞う。 『宮崎滔天全集』5年譜
12月 高山樗牛(24)、熱海に転地の途中国府津に一泊する。 改訂注釈『樗牛全集』6「わがそでの記」
12月 川田順(13)、葉山の御用邸に父が伺候するのに従って行き、越年する。 「短歌」昭和41年4月(追悼号)年譜
明治29年(1896年)
1月1日 宮崎湖処子(31)、逗子に国木田独歩を訪れて、一泊する。 独歩『欺かざるの記』
1月12日 国木田独歩(24)、逗子に滞在中、神武寺に遊ぶ。 『欺かざるの記』
1月25日 小島烏水(22)、友人と箱根に遊び、塔之沢の一の湯に一泊する。 『小島烏水全集』2所収「凾嶺紀行」
1月27日 武藤直治、横浜初音町に生まれる。 『日本近代文学大事典』
2月初旬 田山花袋(24)、三浦郡浦郷村に姪の神田あいを訪ねる。 小林一郎『田山花袋研究』
2月12日 尾崎三良(54)、大磯に行き、群鶴楼に伊藤博文を訪ね、政府と自由党との結托の委細を聞く。 『尾崎三良自叙略伝』下
2月下旬 高山樗牛(25)、興津からの帰途、大磯に滞在し、3月15日に帰京する。 『樗牛全集』7日記及消息
3月1日 大橋乙羽(26)、横浜杉田に梅見の会を催し、杉田、富岡、金沢を経て横須賀をまわり帰京する。同行者は川上眉山、広津柳浪、石橋思案、寺崎広業、坪谷水哉、巌谷小波、武内桂舟、幻堂、泉鏡花、韋舟、一舟の十一人であった。「晴好雨記」。 『千山萬水』所収「晴好雨記」
3月1日 国木田独歩(24)、逗子滞在中、弟収二らと横須賀に行き、鎮遠号とロシア艦アドミラル号、ナヒモフ号を見学する。 『欺かざるの記』
3月15日 山県有朋(57)、横浜港から出航、ロシア皇帝ニコライ二世の即位戴冠式に参列する。7月28日、横浜に帰着する。 徳富猪一郎『公爵山県有朋伝』下
3月中旬 江見水蔭(26)、生活の行きづまりから自殺も考えて江の島に至り、金亀楼に籠城中、興津帰りの高山樗牛を紹介され、小一時間語りあう。 『自己中心明治文壇史』
3月下旬 朝比奈知泉(33)、横浜港からカナダ太平洋汽船のエムプレス・オブ・ジャパン号で出航、「東京日日」主筆としてロシアのニコライ二世の戴冠式列席、世界新聞記者大会出席、欧米巡遊をして、31年1月に帰国する。 『老記者の思ひ出』
4月1日 岡本かの子(7)、川崎高津村二子の尋常第二高津小学校に入学する。翌年東京に移り、さらにその翌年二子にもどって再入学する。 『岡本かの子全集』別巻2年譜
4月8日 鈴木十郎、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
4月12日 江見水蔭(26)、藤沢片瀬の貸別荘を借りて、門下生と沙地浪宅を営む。31年2月まで滞在する。 『自己中心明治文壇史』
4月初 田口卯吉(40)、鎌倉に行く。 『鼎軒田口卯吉全集』8書簡
4月 徳富蘇峰(33)、逗子に保養滞在し、翌月に至る。 『蘇峰自伝』
5月4日 田山花袋(24)、藤沢片瀬に江見水蔭を訪ねて二泊する。 水蔭『自己中心明治文壇史』
5月10日 飛鳥田無公、愛甲郡に生まれる。 『増補現代俳句体系』1
5月10日 大西祝(31)、藤沢に行き片瀬の柏屋に滞在する。14日、鎌倉に行き、笹目ヶ谷の星野天知を訪ね、長谷寺に泊まる。17日、帰京する。 『大西祝・幾子書簡集』
5月13日 伊藤博文(54)、大磯に建築中の別荘が竣工、小田原の滄浪閣をここに移し、披露をかねて名士を招き文墨の雅会を催す。漢詩二首。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』下
5月13日 依田学海(62)、伊藤博文の招きで大磯に新築された滄浪閣に行く。杉浦梅潭(重剛)、前島密、森槐南、三島中洲らも招かれ、文人交換がおこなわれる。翌日帰京する。諸新聞はこれを報じて文人が宰相の幇間になったとそしる。学海大いに反発する。 『学海日録』10
5月19日 徳富蘇峰(33)、横浜に行き、翌日、横浜港から日本郵船の貨物船アバパンサス号で出航、深井英五を伴って世界漫遊に向かう。速力十哩以下のこの船を蘇峰は「鈍牛丸」と名づけた。30年6月末、横浜港に帰着する。 『蘇峰自伝』
5月24日 綱島梁川(23)、逗子で療養し6月26日まで滞在する。「書簡(母あて)」。 『明治文学全集』46年譜
6月初 片山潜(36)、葉山に避暑かたがた勉強に行き、九月半まで滞在する。日本ではこの夏が一生涯でいちばん愉快な夏であった。 『自傳』
6月18日 高山樗牛(25)、逗子に滞在する。30日に帰京する。 『樗牛全集』7日記及消息
6月 岡本綺堂(23)、修善寺への途次、小田原から箱根の旧道を歩いて三島に下る。その時激烈なリウマチスを発して以後持病となる。 『綺堂日記』
7月1日 尾崎紅葉(28)ら硯友社一行、藤沢片瀬の江見水蔭宅(沙地浪宅)に遊ぶ。11日に帰京する。同行者は、巌谷小波、石橋思案、広津柳浪、泉鏡花、小栗風葉、柳川春葉である。「沙地浪宅に遊ぶ記」・「沙地浪宅遊ばれの記」。 江見水蔭『硯友社と紅葉』
7月12日 藤島敏男、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
7月24日 島田三郎(43)、横浜に行き、港座で開かれた横浜停車場問題演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
7月25日 黒田清輝(30)、大磯に友人たちと遊び松林館に泊まる。翌日、鎌倉に行き、長谷の三橋に泊まる。27日帰京する。 『黒田清輝日記』2
7月31日 中江兆民(47)、箱根に行く。 『中江兆民全集』16書簡
8月3日 黒田清輝(30)、大磯に遊び、久米桂一郎ら友人たちも会して、松林館に滞在する。6日、箱根に行き滞在し、12日、再び大磯に戻る。海水浴に興じ、また写生などをする。28日帰京する。 『黒田清輝日記』2
8月20日 山室軍平(23)、横浜富岡の海岸に三日間滞在中のこの日、未明に「義の太陽」であるキリストの照らしにあい、聖潔の暮らしに入ることができた。 「私の青年時代」
8月20日 山田わか(16)、三浦郡横須賀町小川の荒木七治良と結婚する。 山崎朋子『からゆきさんの歌』
8月 杉村楚人冠(23)、鎌倉に行き、円覚寺の塔頭続燈庵に客となり参禅する。 『三代言論人集』8所収美土路昌一「杉村楚人冠」
9月2日 築地藤子、横浜に生まれる。のち、神奈川県立第一高等女学校(現、横浜平沼高校)に学び卒業する。 『日本近代文学大事典』
9月12日 河野与一、横浜住吉町に生まれる。 『日本近代文学大事典』
9月14日 巖本善治(33)、横浜本牧の多聞院に滞在する。 『近衛篤麿日記』
9月15日 村山槐多、横浜神奈川町に生まれる。父は中学校の教師であった。 『日本近代文学大事典』
9月16日 谷鼎、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
10月27日 飯田莫哀、高座郡海老名に生まれる。 『日本近代文学大事典』
10月 田口卯吉(41)、江の島に遊ぶ。短歌一首。 『鼎軒田口卯吉全集』8所収 短歌詞書
11月12日 牧野信一、小田原町緑町に生まれる。父はこの翌年に渡米した。大正3年に県立第二中学校(現、小田原高校)を卒業して早稲田大学高等予科に入学するまで同地で育った。 『牧野信一全集1』3年譜
11月 徳富蘇峰(33)、逗子の別荘が竣工し老龍庵と命名する。 『蘇峰自伝』
荻原井泉水(12)、東京の正則中学校一年生の遠足で、鎌倉をまわり江の島に行き、讃岐屋に一泊する。 「神奈川新聞」昭和47年9月1日掲載「湘南懐古」②
滝廉太郎(17)、横浜山手のゲ-テ座に友人と行き、オペラを見る。 山田野理夫『荒城の月』
12月31日 高浜虚子(22)、鎌倉に行き、雪ノ下の旅館で越年し、翌年1月3日に帰京する。  
12月31日 高山樗牛(24)、逗子で越年し、翌年1月8日ごろ仙台に帰る。 『樗牛全集』7日記及消息書簡
12月31日 内藤湖南(30)、鎌倉に新婚旅行に行く。途中東京駅で高浜虚子に会い、いったん別れたが、雪ノ下の旅館でまた偶然に顔を合わせる。「先づ女房の顔を見て年改まる」を贈られ、「我妹子と二人ぬる夜は草枕旅にしあれど寒けくもあらず」を返歌とする。 高浜虚子『俳諧馬の糞』所収「鎌倉山」
12月 田口卯吉(41)、箱根湯本に遊び、碓日嶺に登る。 『鼎軒田口卯吉全集』8所収{楽天録」のうち「碓日嶺に遊ぶ」
月日未詳 内藤千代子(4)、東京から藤沢鵠沼に移住する。父は象牙彫師であった。以後鵠沼で育ち、鵠沼を住居とする。「生ひ立ちの記」 「生ひ立ちの記」
月日未詳 小島烏水(22)、横浜正金銀行に就職する。昭和5年まで勤務する。 『明治文学全集』94年譜
月日未詳 吉川英治(4)、横浜山手町横浜植木商会の園内に移転する。 『忘れ残りの記』
明治30年(1897年)
1月1日 川上眉山(27)、東京から藤沢に来て一泊し、翌日片瀬の江見水蔭を訪ねる。3日午後出立して鎌倉から三浦半島周遊を始める。「ふところ日記」。眉山は三浦半島から片瀬にもどって以来7月まで水蔭宅に同居した。 『眉山全集』7
1月3日 徳冨蘆花(28)、逗子に転居して柳屋に滞在する。33年秋に東京にもどる。この間二度にわたって伊香保に遊び滞在する。 中野好夫『蘆花徳冨健次郎伝』
1月5日 片岡良一、藤沢に生まれる。父は小学校の教師であった。 『日本近代文学大事典』
1月27日 馬場孤蝶(28)、戸川秋骨と川上眉山を訪ねる。 水蔭『自己中心明治文壇史』所収「龍窟探検」
1月31日 西周(67)、大磯で死去する。 『西周全集』3略年譜
2月6日 鈴木大拙(26)、横浜港から中国船チャイナ号で出航、イリノイ州のオープン・コート出版社の編集部員となるため、アメリカに向かう。42年4月に帰国する。 『鈴木大拙全集』32年譜
2月 吉野左衛門(18)、横浜に行き、友人と杉田に梅見をする。ついで川崎の小向井の梅を訪ね、帰途、東京蒲田の梅林を見る。 『栗の花』所収「探梅行」
3月18日 島田三郎(44)、横浜に行き、横浜会館(後の開港記念会館)で開かれた免囚保護演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
4月1日 野尻抱影(11)、神奈川県立第一中学校に入学する。35年3月に卒業、早稲田大学に進み、単身上京する。 石田五郎『野尻抱影』
4月26日 依田学海(63)、逗子に行き養神亭に入るが気にいらず、大磯に足をのばし、松林館に滞在する。28日、館の開業式があり、余興のために招かれた「落話師」三遊亭円遊と部屋で語る。5月1日、妻が来遊、2日、共に帰京する。 『学海日録』10
4月初 福沢諭吉(62)、箱根に保養し、湯本福住九蔵方に滞在する。 『福沢諭吉全集』18書簡
福本日南(39)、小田原で療養中の高橋健三を見舞う。 川那邊貞太郎編『自恃言行録』
6月18日 高山樗牛(26)、逗子田越村で「わがそでの記」を書きあげる。 改訂注釈『樗牛全集』6「わがそでの記」
6月20日 井上康文、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
6月 与謝野寛(24=鉄幹)、鎌倉に遊ぶ。小半月滞在する。詩「鎌倉を去る時」 詩「鎌倉を去る時」
8月初ヵ 夏目漱石(30)、妻流産後の保養のため鎌倉材木座に滞在し、東京との往復を始める。 『漱石全集』27年譜
8月21日 大橋乙羽(28)、箱根に博文館編集局一行と共に遊び、塔之沢環翠楼に泊まる。22日大磯に寄り、佐佐木信綱に停車場に見送られて帰京する。 『千山萬水』所収「箱根の一夜」
吉野左衛門(18)、鎌倉に遊び、ついで江の島に行く。岩本楼別館で富士を見、金亀楼に上がって三浦岬を望む。 『栗の花』所収「鎌倉の朝と夜」、「江の島」
9月初 田山花袋(25)、太田玉茗兄弟と三人で東京から船で三浦半島松輪に至り、松輪館に六日間滞在して遊ぶ。「三浦半島の一角」。 「太陽」第4巻第3号
9月初旬 宮崎滔天(26)、横浜港に香港から帰着する。横浜の陳少白の家に行き、前月半ばに欧米から横浜に到着していた孫文に会う。 『宮崎滔天全集』1所収「三十三年之夢」、同5年譜
10月9日 大佛次郎、横浜英町で生まれる。父は日本郵船会社社員であった。37年4月に太田尋常小学校に入学するまで同地で育つが、翌月東京に転居する。 『大佛次郎時代小説全集』24年譜
10月 山崎紫紅(22)、郷土史「戸部史談」を著わし、小島烏水が序文を付す。 『小島烏水全集』2「『戸部史談』の後に書す」
広津柳浪(36)、藤沢鵠沼の東屋に滞在して「くされ縁」を書く。 江見水蔭『自己中心明治文壇史』
荻原井泉水(13)、東京の正則中学校二年生の遠足で横浜に行き、駅から磯子、杉田を経て金沢八景まで歩き、瀬戸の宿屋に泊まる。 「神奈川新聞」昭和47年9月8日掲載「湘南懐古」③
12月 徳富蘇峰(34)、歳晩を逗子で両親とすごす。 『蘇峰自伝』
志賀重昂(34)、箱根に家族と共に行き、塔之沢の環翠楼に滞在、越年する。 『志賀重昂全集』7所収「塔ノ沢」