神奈川文学年表 明治31年~45年

明治31年(1898年)
1月1日 徳冨蘆花(29)、逗子滞在中、「国民新聞」に「湘南歳除」を載せる。以来自然をスケッチした文を多く寄稿し、自然派詩人として目されるようになる。 中野好夫『蘆花徳冨健次郎伝』
1月19日 田島淳、横浜に生まれる。父は紡績工場をおこした実業家である。淳はのち県立第一中学校(現、希望ケ丘高校)を経て早稲田大学英文科に進む。 『日本近代文学大事典』
1月30日 高野房太郎(29)、横浜に行き、蔦座で開かれた労働問題学術演説会で、「日本に於ける労働運動の特色」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
2月5日 内藤湖南(31)、箱根に行き、塔之沢の環翠楼に泊まる。6日、小田原に出て、早雲寺などを回った後、同地で療養中の高橋健三を見舞う。 『内藤湖南全集』2所収「小田原の病臥龍を訪ふ」
2月6日 笹沢美明、横浜西戸部に生まれる。 『笹澤美明全詩集』著者詩歴
2月18日 大西祝(33)、横浜港から出港、文部省派遣留学生としてヨーロッパに向かう。 『大西祝・幾子書簡集』
早春 大町桂月(29)、塩井雨江と横浜杉田に遊び月夜の梅を観る。帰途川崎に立ち寄り小向井の梅を観る。「杉田の一夜」。 『桂月全集』2
3月13日 柳田国男(22)、海軍士官の弟静雄を横須賀に訪ねて一泊。翌日、葉山日蔭茶屋に桜井天風を訪ねる。  
3月16日 小島烏水(24)、多摩川を遡る。 『小島烏水全集』1所収「多摩川を溯る記」
3月26日 今東光、横浜伊勢佐木町に生まれる。父は日本郵船に勤務していた。 『現代日本文学大系』62年譜
4月1日 吉川英治(5)、横浜千歳町の私立山内尋常小学校に入学する。のち転居にともなって太田尋常高等小学校に転校し、高等科まで進むが36年に退学する。これが学歴のすべてである。 『忘れ残りの記』
4月17日 大隈重信(60)、横浜に行き、太田町の日盛楼で開かれた在浜商業学友会春季大会で講演する。 「横浜貿易新聞」
4月 湯谷紫苑(33)、横浜のフェリス女学校の国語科教員となる。翌年3月辞任する。 『明治文学全集』32年譜
大町桂月(29)、横浜金沢八景に遊ぶ。「金沢八景」。 『桂月全集』2
6月5日 津田梅子(33)、横浜港からオリンピア・ロンドン号で出航、デンヴァーで開かれる万国婦人連合大会に出席のため、アメリカに向かう。のちイギリス滞在を経て、32年7月末、横浜港に帰着する。 吉川利一『津田梅子伝』
6月26日 高田半峰(38)、横浜に行き、住吉町の千登世楼で開かれた東京専門学校校友会春期大会に、大隈重信とともに出席する。 「横浜貿易新聞」
6月 西園寺公望(48)、葉山に滞在し病後静養をする。伊藤内閣総辞職を知る。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』
6月 三宅克己(24)、横浜港からシティ・オブ・ペキン号で出航、絵画修行のため米欧に向かう。 『思ひ出つるまゝ』所収「愈々渡米決行」
7月8日 正宗白鳥(19)、鎌倉を経て葉山に至り、基督教青年会夏期学校の開会式に列す。以後連日、講話を聞き海水浴を楽しみ、15日に去る。「内村氏のは実にこの学校の講義中の最頂点にて、一人として刺激されざるものなし」と日記に記す。 『正宗白鳥全集』「二十歳の日記抄」
7月9日 島田三郎(45)、横浜に行き、伊勢佐木町の蔦座で開かれた報告演説会で演説する。江原素六、田口卯吉も弁士となる。 「横浜貿易新聞」
7月11日 内村鑑三(37)、葉山での基督教青年会夏期学校で、「今日の困難」を講演する。つづいて12日「今日に処する道」、13日「吾人の希望の土台」を講演する。講師としてほかに植村正久、松村介石らも訪れている。 『内村鑑三全集』6年譜
7月16日 尾崎三良(56)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。9月2日、帰京する。この間に江の島に遊び、また金沢に遊ぶ。 『尾崎三良自叙略伝』下
7月22日 高橋健三(42)、療養先の小田原で死去する。枕頭には陸羯南らがいた。 川那邊貞太郎編『自恃言行録』
7月 武田鶯塘(27=桜桃)、江の島に行き洞窟を探検する。 「少年世界」
7月 杉村楚人冠(25)、鎌倉に行き、円覚寺の塔頭続燈庵に滞在する。横浜や逗子に散歩にも出る。 『楚人冠全集』1所収「鹿山半夏」
8月4日 高橋俊人、藤沢に生まれる。 『日本近代文学大事典』
8月15日 依田学海(64)、箱根に遊び、塔之沢の環翠楼にはじめて泊まる。16日、湯本の早雲寺に行き、ついで玉簾の滝を見る。17日、塔ノ峯の中腹の萩の里に行く。18日、帰京する。 『学海日録』10
8月 中江兆民(50)、妻の喘息療養のため、子供も連れて鎌倉の友人の別荘ですごす。 『中江兆民全集』16書簡
徳冨蘆花(29)、逗子柳屋に滞在中、同宿の福家安子から大山信子の身の上話を聞いて、「不如帰」の基本構想が成った。11月末から「国民新聞」に連載を始めた。 中野好夫『蘆花徳冨健次郎伝』
9月11日 川上音二郎(34)、ボートでの海外旅行を思い立ち、東京を出航、横浜港に着く。翌日出航して、13日、横須賀軍港に漂着する。20日、さらに西に向かう。 白川宣力編著『川上音二郎・貞奴』
9月 熊田精華、横浜の祖父の医院を父が継ぐことになり、生後5カ月で横浜に移り住む。 『日本近代文学大事典』
10月23日 高野房太郎(30)、横浜に行き、蔦座で開かれた対工場法案演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
10月25日 岸田吟香(65)、横浜に行き、羽衣座で開かれた横浜売薬業者による売薬増税不可の政談演説会で、客員として「貢病論」を演説する。 「横浜貿易新聞」
11月24日 中島湘烟(34)、大磯町大磯三七番地王城山の別荘に移り、信行と合流する。 「湘烟選集」4年譜
12月29日 落合直文(37)、小田原に行き、幸町の小伊勢屋に滞在、養生にあたり、越年する。 『落合直文著作集』Ⅲ
12月末 尾上柴舟(22)、箱根に行き、32年元旦を芦之湯で迎え、二子山に上り、箱根神社に詣でる。 「読売新聞」明治32年1月28日掲載「短歌十首」
月日未詳 岩野泡鳴(25)、結核療養のため妻と茅ケ崎に転地する。 『明治文学全集』71年譜
明治32年(1899年)
1月5日 黒田清輝(32)、沼津からの帰途、逗子に行き、養神亭に泊まる。「なんだか我家に帰り着た様な心地す」。27日まで滞在して、帰京する。この間、数度にわたって鎌倉を訪ねる。 『黒田清輝日記』2
1月7日 島田三郎(46)、横浜に行き、横浜会館で開かれた横浜市有志者新年会で演説する。 「横浜貿易新聞」
1月初 大町桂月(30)、箱根塔之沢に行き、十二日間滞在して著述に従い、また山中を歩く。 『桂月全集』3「箱根山」
1月下旬 宮崎滔天(28)、大磯に行き、療養中の犬養毅(木堂)を訪ね、一週間あまり滞在する。箱根に行き、宝泉寺に泊まり、翌朝帰京する。 『宮崎滔天全集』1所収「三十三年之夢」、同5年譜
1月 落合直文(37)、小田原海岸に療養のため滞在する。 『明治文学全集』44年譜
1月 河東碧梧桐(25)、箱根・伊豆に遊ぶ。 『寒玉集』第1篇所収「伊豆山紀行」
2月10日 大槻文彦(51)、国府津まで汽車に乗り、鉄道馬車で小田原に行き、大久保神社、小峯、城趾をめぐり梅を見る。「わざわざ観に来る程の観にもあらず」。箱根に行き塔之沢の環翠楼に泊まる。翌日、石垣山の旧趾を訪ね、帰京の途中、鎌倉に寄り雪ノ下の「角正」に泊まる。12日、金沢文庫、杉田の梅を見て帰京する。 『復軒旅日記』所収「小田原杉田観梅」
2月27日 森岩雄、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
3月14日 石橋思案(31)、藤沢片瀬の父の別荘から「江の島の大祭」を「少年世界」に報ずる。 「少年世界」
3月16日 末松謙澄(43)、横浜に行き、戸塚の鎌倉倶楽部で開かれた政談演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
3月18日 犬養木堂(43)、横浜に行き、康有為門下の徐勤らが設立した大同学校の開校式に、大隈重信、尾崎行雄らと共に出席する。 『横浜近代史総合年表』
3月18日 宮崎滔天(28)、横浜の中国商人により前年に創設された大同学校の名誉校長に犬養毅(木堂)が推され、その就任式に列席する。大隈重信、高田半峰らも出席した。 『宮崎滔天全集』5所収「東京だより」
4月1日 岡本かの子(10)、川崎溝口の尋常高等第一高津小学校に入学する。 『岡本かの子全集』年譜
5月9日 犬養木堂(44)、横浜に行き、蔦座で開かれた憲政本党演説会で演説する。これに対して、星亨らによる憲政党演説会が26日に蔦座で、尾崎行雄らによる進歩派政談演説会が28日港座で開かれる。 『横浜近代史総合年表』
5月 綱島梁川(26)、小田原在早川口に転地療養し『白隠全集』を耽読する。 『明治文学全集』46年譜
5月 岡倉天心(36)、横浜で巡回展を開く。 『岡倉天心全集』別巻年譜
晩春 平田禿木(26)、鎌倉から江の島に遊び、金亀楼に泊まる。その際、落葉した欅の大樹をみて、「禿木」という号を得る。 『平田禿木選集』5所収「雅号の由来」
6月12日 伊沢修二(47)、横浜に行き、平沼学校の開校式に出席する。加納治五郎、星亨らも列席する。 「横浜貿易新聞」
6月20日 西園寺公望(49)、大磯に行き、招仙閣に滞在する。 「横浜貿易新聞」
6月25日 尾崎紅葉(31)、茅ケ崎の市川団十郎の別荘孤松庵でのパーティーに招かれて行く。  
6月25日 川崎紫山(35)、茅ケ崎館の開業式出席のため茅ケ崎に行き、帰途、片瀬に石橋思案を訪れる。「湘南の新夏」 「湘南の新夏」
初夏 徳富蘇峰(36)、逗子の老龍庵の上方の桜山に三千坪の山地を買う。 『蘇峰自伝』
佐佐木信綱(27)、大磯の地獄谷のほとりに家を借りて避暑する。「大磯百首」 「心の花」
川田順(17)、大磯に避暑中の佐佐木信綱を訪ねる。 信綱「大磯百首」
石榑千亦(30)、大磯に避暑中の佐佐木信綱を訪ねる。 『作歌八十二年』信綱「明治三十二年 大磯百首」
山室軍平(27)、横浜の根岸不動下に部屋を借りて新婚の妻と夏期休暇をすごす。その間に『平民之福音』を著述した。 「私の青年時代」
9月9日 大橋乙羽(30)、西下の途次、国府津に一泊する。 『続千山萬水』所収「国府津多魔」
9月 三宅雪嶺(39)、鎌倉長谷に滞在する。 『陸羯南全集』10書簡
9月 坪内逍遙(40)、大磯、国府津に妻子を連れて遊ぶ。 『坪内逍遙事典』年譜
10月12日 尾崎三良(57)、横浜港から日本郵船の八幡丸に乗り、神戸から京都に向かう。三条実万公四十年祭に列席する。過日の大風雨のため東海道線が不通になったことによる。 『尾崎三良自叙略伝』下
10月16日 津田左右吉(26)、千葉県の中学校の教師として生徒を引率し、鎌倉から横浜の金沢に行き東屋に泊まる。17日、鎌倉巡覧ののち三橋支店に泊まる。18日、横須賀に行き造船所を見学して泊まる。19日、再び鎌倉に出て江の島に至り岩本楼に泊まる。20日、藤沢で箱根に行った一隊と合流、帰京する。 『津田左右吉全集』25日記
10月23日 内藤鳴雪(52)、横浜太田赤門前の静修亭で開かれた俳句連合大会に出席する。 『横浜近代史総合年表』
10月24日 島田三郎(46)、横浜に行き、太田町の日盛楼で開かれた横浜経済会二十八回例会に出席する。渋沢栄一も出席した。 「横浜貿易新聞」
10月29日 大西祝(35)、横須賀に行き、豊嶋村中里に住む次兄岩田家に泊まる。30日、逗子より茅ヶ崎に行き中村楼に泊まる。31日、小田原に行き、療養のための家を探すが無く、再び横須賀に戻り、11月2日ごろ帰京する。 『大西祝・幾子書簡集』
11月2日 横瀬夜雨(21)、横浜に小島烏水を訪ねて一泊する。この時「やれだいこ」の着想を得る。 『小島烏水全集』2「松の落葉一ツ二ツ」
大西祝(35)、鎌倉で静養中に、逗子柳屋に徳冨蘆花を訪ねる。 蘆花『冨士』
12月10日 大西祝(35)、小田原に行き、小伊勢屋に滞在、療養する。 『大西祝・幾子書簡集』
12月27日 黒岩涙香(37)、横浜の住吉町六丁目七七番地に万朝報支局を設置する。 「万朝報」明治32年12月27日
12月29日 尾崎三良(57)、熱海へ避寒の途次、大磯に下車して伊藤博文を訪ね、百足屋に一泊する。 『尾崎三良自叙略伝』下
12月31日 小島烏水(26)、友人と箱根に向かう。 『小島烏水全集』2所収「函嶺春信」
12月31日 大西祝(35)、鎌倉に行き、松葉ヶ谷の妙法寺に滞在、療養にあたる。翌年3月、京都に移る。 『大西祝・幾子書簡集』
12月31日 大西祝(35)、鎌倉妙法寺に仮寓、越年する。 『大西祝・幾子書簡集』
月日未詳 松村介石(40)、星野天知の好意で横浜の豪商増田増蔵から鎌倉に二部屋の別荘を無償で借りて住み、著述生活に入る。(38年に再び東京に出る)。 『信仰五十年』
月日未詳 北田薄氷(23)、大磯に転地療養する。 『明治文学全集』81年譜
この頃 添田唖蝉坊(27)、大磯の実家が経済的に窮迫したため、「上の山の畑五六枚」を「別荘地」として売り出すことにして、東京・横浜での売りこみに奔走した。 『唖蝉坊流生記』
明治33年(1900年)
1月1日 小島烏水(26)、友人と前夜小田原より歩き、未明に箱根塔之沢に至り泊まる。ついで宮城野を経て仙石原に至り泊まる。翌日は塔之沢に泊まる。 『小島烏水全集』2所収「函嶺春信」
1月17日 和田伝、愛甲郡南毛利村恩名に生まれる。父は地主であった。 『日本近代文学大事典』
2月中旬 大西祝(35)、鎌倉の妙法寺に滞在中、箱根に行き、塔之沢環翠楼に泊まる。24日ごろ鎌倉に戻る。 『大西祝・幾子書簡集』
2月 永井荷風(20)、父永井禾原が日本郵船の横浜支店長となる。 『荷風全集』29年譜
3月2日 田山花袋(28)、小田原水力電気鉄道を見学し、湯本福住楼に泊まる。翌日須雲川の水源をたどった後帰京する。 「太陽」6巻4号「小田原水力電気鉄道を見るの記」
3月21日 饗庭篁村(44)、江の島での朝日新聞社員の大運動会に参加し、鎌倉に回り旅館三橋に一泊して翌日帰京する。 『饗庭篁村全集』「江島行」
3月31日 姉崎嘲風(26)、横浜から出航、文部省留学生としてドイツに向かう。高山樗牛が見送る。 『明治文学全集』40年譜、『花つみ日記』
3月31日 大橋乙羽(30)、横浜港から河内丸で出航、世界漫遊に向かう。フランスをはじめヨーロッパ各国を回り、アメリカを経て9月3日に帰国する。 『明治欧米見聞録集成』23附録『欧米小観』所収岸上操「大橋乙羽君」
3月31日 三田幸夫、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
4月中旬 田口卯吉(44)、鎌倉でチブス病後の療養をする。 『鼎軒田口卯吉全集』所収「病床漫録」
5月25日 黒田清輝(33)、横浜港からフランス船サラジー号で出航、美術に関する制度取り調べなどのため一年間のフランス留学に向かう。翌年5月中旬に帰国する。 『黒田清輝日記』2
5月 有島生馬(17)、肋膜炎をわずらい鎌倉に転地療養。 『明治文学全集』76年譜
6月9日 宮崎滔天(29)、横浜港からフランス船インダス号で出航、香港に向かう。中国へ帰国する孫文も同行する。 『宮崎滔天全集』5年譜
6月26日 湯地孝、横須賀に生まれる。 『日本近代文学大事典』
6月28日 大槻文彦(52)、箱根に行き、塔之沢の環翠楼に泊まり、国語調査会の報告書を執筆する。7月6日、帰京する。 『復軒旅日記』所収「箱根塔之沢入浴」
6月 伊良子清白(22)、横浜海港検疫所検疫医として赴任。翌月横浜市戸部町二丁目四の植手喜三郎方に転居する。 山路峯男『伊良子清白研究』年譜
7月25日 高山樗牛(29)、土井晩翠(28)、畔柳芥舟(29)、笹川臨風(29)、登張竹風(26)、そろって多摩川に遊ぶ。多摩川行ののちも健康に留意し、葉山に海水浴に出かけ、8月7日、葉山から帰京した。 工藤恆春『文豪高山樗牛』
7月28日 尾崎三良(58)、鎌倉に行き、別荘に滞在、避暑する。9月6日に帰京する。この間に、茅ヶ崎の別荘に土方伯爵を訪ねる。 『尾崎三良自叙略伝』下
7月 与謝野寛(27)、鎌倉に遊ぶ。 短歌二首
7月 岩波茂雄(18)、箱根に友人と保養に行く。途中、大磯海岸で遊泳する。 安部能成『岩波茂雄伝』
7月末 高山樗牛(29)、葉山に海水浴に行き滞在する。8月7日帰京、翌日大喀血し洋行を延期する。 『樗牛全集』7書簡
堺利彦(29)、鎌倉腰越に妻の美知を転地させる。 『堺利彦全集』1「三十歳記[日記]」
高崎正風(54)、大磯の観山亭に滞在して療養する。「大磯八勝」 「心の花」
9月 高崎正風、葉山の別荘に転地する。 『近代文学研究叢書』12
武者小路実篤(15)、藤沢片瀬での学習院水泳訓練に参加する。 『或る男』
9月3日 坪内逍遙(41)、大磯に妻子と行き滞在し、10日に帰京する。 『坪内逍遙事典』年譜
9月8日 金子筑水(30)、横浜港から日本郵船の河内丸で出航、東京専門学校第一回留学生として、ドイツに向かう。37年に帰国する。 『明治文学全集』50年譜
9月8日 夏目漱石(33)、横浜港からドイツ汽船プロイセン号で出航、文部省留学生として英語研究のためイギリスに向かう。芳賀矢一、藤代素人も同行であった。 『漱石文学全集』別巻『漱石研究年表』
9月11日 高山樗牛(29)、平塚に行き半月ほど滞在し療養する。 『樗牛全集』7書簡
9月15日 小島烏水(26)、伊良子清白(22)、山崎紫紅(25)、横瀬夜雨(22)、河井酔茗(26)、千葉亀雄(21)、滝沢秋暁(25)の「文庫」同人は、主催者山県悌三郎の招きで箱根に旅行し、この日は湯本鈴木旅館に、翌日は環翠楼に泊まる。 合著「寄木細工」
9月22日 巌谷小波(30)、横浜港からハンブルヒ号で出航、ベルリン大学付属東洋語学校講師としてドイツに向かう。尾崎紅葉、石橋思案、江見水蔭、武内桂舟、大橋乙羽、大橋新太郎らが備前丸に便乗して見送る。 巌谷大四『波の跫音』
9月28日 美川きよ、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
10月5日 津田左右吉(27)、独乙協会中学の生徒と共に箱根に行き、箱根神社でいったん別れ、湯本から国府津に行き、駅前の茶亭で酒を飲みながら生徒を待って帰京する。 『津田左右吉全集』26日記
10月14日 下田歌子(46)、横浜に行き、横浜会館で開かれた婦人教育講演会で、島田三郎と講演する。 「横浜貿易新聞」
10月23日 斎藤緑雨(32)、藤沢鵠沼に転地し東屋に滞在。女中頭金沢タケを知る。翌年4月中旬に小田原に移る。 『齋藤緑雨全集』8年譜
11月21日 榊山潤、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
11月23日 小宮良太郎、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
11月29日 高田半峰(40)、横浜に行き、住吉町の千登世楼で開かれた東京専門学校校友会秋季大会に、大隈重信とともに出席する。 「横浜貿易新聞」
12月13日 高山樗牛(29)、平塚杏雲堂に入院。十日ほどで退院し、大磯角半旅館に滞在する。 『樗牛全集』7書簡
12月13日 田口卯吉(45)、横浜に行き、太田町の日盛楼で開かれた横浜経済会三十五回例会で演説する。 「横浜貿易新聞」
12月23日 宮崎滔天(30)、横浜に行き山下町一二一番地に滞在中の孫文を訪問する。フィリピン独立軍のための武器調達費について協議する。 『宮崎滔天全集』5年譜
12月29日 尾崎三良(58)、熱海へ避暑の途次、大磯で下車、滄浪閣に伊藤博文を訪ね、京釜鉄道への援助を請う。一泊する。 『尾崎三良自叙略伝』下
月日未詳 久留島武彦(26)、横浜の貿易商セール商会に入社する。 『明治文学全集』95解題
明治34年(1901年)
1月1日 高山樗牛(29)、大磯で新年を迎える。 『樗牛全集』7書簡
1月1日 斎藤野の人(22)、新年を小田原在早川で迎える。この月、伊豆から興津に旅して帰途大磯に兄の高山樗牛を見舞う。 『明治文学全集』40年譜
1月2日 尾崎三良(58)、熱海で避寒中、日金山に上り、湯河原に下り、天野屋旅館に土方寧を訪ねる。午後、門川から熱海に戻る。 『尾崎三良自叙略伝』下
1月3日 与謝野寛(27)、鎌倉で新詩社小集を催し、前田林外、高須梅渓、高村光太郎(砕雨)ら八人が集う。 「明星」、高村光太郎「鴬籠」
1月14日 依田学海(67)、逗子に遊び、新装成った養神亭に泊まる。永井禾原(荷風の父)の逗子の別荘を訪ねるが、横浜に行き留守であった。二泊して16日に帰京する。 『学海日録』11
1月 伊良子清白(23)、日赤病院を辞し、横浜慈恵病院に兼務となる。 山路峯男『伊良子清白研究』年譜
1月 杉村楚人冠(28)、鎌倉円覚寺での友人の得度式に参列、正統院に一泊して帰る。 『楚人冠全集』1所収「皆仏日記」
2月13日 尾崎三良(59)、横浜グランドホテルに横浜の財界人などを招き、京釜鉄道への協力を求める。 『尾崎三良自叙略伝』下
2月23日 伊藤左千夫(36)、横浜杉田の梅林に遊ぶ。 『左千夫全集』8年譜
2月27日 川上音二郎(37)、横浜の羽衣座で、3月1日まで興行する。 白川宣力編著『川上音二郎・貞奴』
2月 徳冨蘆花(32)、連載中の「おもひでの記」のクライマックスを藤沢鵠沼に設定するため、初めて鵠沼を訪れ、東屋に滞在中の斎藤緑雨を訪問する。 『冨士』
3月8日 荒畑寒村(13)、横浜の海岸教会でジェイムス・バラーより洗礼をうける。この月吉田小学校高等科を卒業、ついで山下町のチャールズ・セールス商会のオフィス・ボーイになり月給五円を受ける。 『荒畑寒村著作集』10年譜
3月13日 荻原守衛(21)、横浜港から香港丸で出航、美術修行のためニューヨークまでの片道切符だけを手にしてアメリカに向かう。アメリカ、ヨーロッパに滞在し、41年3月11日に神戸に帰着する。 林文雄『荻原守衛』
4月6日 川上音二郎(37)、横浜港から日本郵船の讃岐丸で出航、ロンドン公演のためイギリスに向かう。 白川宣力編著『川上音二郎・貞奴』
4月6日 滝廉太郎(21)、横浜港からケーニヒ・アルベルト号で出航、音楽研究のためドイツ留学に向かう。35年10月17日、病を得て帰国、横浜に帰着する。 山田野理夫『荒城の月』
4月9日 高山樗牛(30)、大磯台町の別荘を借り、週一回帝国大学講師として東京に通勤することにする。翌月11日に妻子も大磯に呼びよせる。 『樗牛全集』7書簡
4月12日 斎藤緑雨(33)、金沢タケの出身地である小田原に転居し、緑新道五〇七番地に住まう。 『齋藤緑雨全集』8年譜
4月14日 島田三郎(48)、横浜に行き、横浜会館で開かれた愛国婦人会の演説会で「護国の責任」を演説する。 「横浜貿易新聞」
4月 堺利彦(30)、鎌倉長谷の大仏横丁に家を借りて、妻美知を療養させることにする。以後しばしば鎌倉を訪れる。 『堺利彦全集』1「三十歳記[日記]」
4月 大町桂月(33)、塩井雨江らと横浜の杉田梅林を経て金沢八景から鎌倉に行き、八幡宮前の旅館に一泊する。翌日、江の島に行き泊まる。 『新選大町桂月集』所収「春のひと夜」
与謝野寛(28)、藤沢鵠沼の東屋に斎藤緑雨を訪問する。 短歌
5月15日 松居松葉(32)、山県五十雄(32)ら万朝報社の「自転車連」六名が、鎌倉の堺利彦の寄宿先を訪れる。 『堺利彦全集』1「三十歳記[日記]」
5月16日 矢野文夫、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
5月19日 井上哲次郎(45)、横浜に行き、横浜小学校で開かれた横浜市教育会総会で、「宗教と道徳」を演説する。 「横浜貿易新聞」
5月25日 中島湘烟(37)、大磯で死去する。 「湘烟選集」4年譜
6月15日 土井晩翠(29)、横浜から常陸丸で出航、二高教授を辞任してヨーロッパへの自費留学に向かう。37年11月、帰国する。 『樗牛全集』7書簡、『明治文学全集』58年譜
6月16日 堺利彦(30)、鎌倉で療養中の妻とその友人を連れて江の島に遊ぶ。 『堺利彦全集』1「三十歳記[日記]」
6月17日 滝沢秋暁(26)、横浜山王台の小島烏水の家に行き、伊良子清白も交えて語り合う。 『滝沢秋暁著作集』所収「『銀河』小評」
6月26日 朝比奈知泉(39)、横浜港から加賀丸で出航、外遊に向かう。 「東京日日新聞」
初夏 山川均(21)、藤沢片瀬の龍口寺の近くに十日間ほど滞在する。 『山川均自伝』
7月14日 尾崎紅葉(34)、大磯に数人で行き、安田善之助氏の家に着き、夕方、安田邸前に開業したばかりの高砂楼に泊まる。翌日、大磯に住む高山樗牛を招いて玉突きをする。十六日午前、帰京する。 『十千万堂日録』
7月14日 田口卯吉(46)、横須賀に行き、久里浜に建てられたペルリ提督上陸記念碑の除幕式に参列する。徳富蘇峰も出席する。 「横浜貿易新聞」
7月18日 永井荷風(21)、友人の黒田湖山と、帰郷する赤木巴山を大船まで見送った後、逗子の別荘に赴き滞在する。 『荷風全集』25書簡
7月29日 田山花袋(29)、長谷川天溪と大磯台町に高山樗牛を訪ね、「美的生活を論ず」などについての話を聞く。 『田山花袋研究』年譜・索引篇
8月7日 黒田清輝(35)、箱根避暑旅行に出立、湯本の萬翠楼福住に泊まる。8日、玉簾の滝、早雲寺を訪ねる。9日、底倉の蔦屋に移る。以来、箱根各地を回り、元箱根の武蔵屋の貸席清風亭に滞在、9月1日、萬翠楼福住に戻る。2日、逗子に移り、養神亭に滞在、10日、帰京する。 『黒田清輝日記』2
8月末 国木田独歩(30)、佐久時三と湯河原に行き中西屋に滞在する。 『国木田独歩全集』5書簡
佐佐木信綱(29)、大磯神明町に家を借りて避暑する。「続大磯百首(上)」 「心の花」
石榑千亦(32)、大磯に避暑中の佐佐木信綱を訪ねる。 佐佐木信綱「続大磯百首(上)」
岡本かの子(12)、茅ケ崎海岸の親類の別荘に滞在し、片瀬までの泳ぎを楽しむ。 『岡本かの子全集』13「夏の海」
中勘助(16)、三浦半島の友人の家の別荘で過ごす。 『中勘助全集』17年譜
9月4日 有島武郎(23)、鎌倉丸で出帆する佐々城信子を横浜に見送る。 『有島武郎全集』別巻年譜
9月9日 那珂通世(50)、東京・九州間自転車旅行の帰途、横浜に立ち寄り、尾上町の自転車輸入商石川商店で開かれた、那珂通世東京・九州間自転車旅行歓迎会に出席する。  
9月28日 木下尚江(31)、幸徳秋水(29)ら、横浜雲井町の雲井座で開かれた普通選挙期成同盟横浜支部主催の演説会に出席する。 『横浜近代史総合年表』
10月5日 高浜樗牛(30)、大磯から鎌倉に移り長谷寺境内の慈眼院内に住む。 『樗牛全集』7書簡
10月15日 滝春一、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
10月18日 伊藤博文(60)、横浜港から加賀丸で出航、日露漁業協商の交渉のため、アメリカを経てヨーロッパに向かう。翌年2月25日、長崎に帰着する。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』下。
11月3日 秋元不死男、横浜元町に生まれる。父は輸出業を営む。 『日本近代文学大事典』
11月3日 有島武郎(23)、思い立つことがあって鎌倉に行き、秋をさまよう。7日までに詩数編を得る。 『有島武郎全集』別巻年譜
11月8日 尾崎三良(59)、横浜港から日本郵船の新造船春日丸で出航、神戸から高知に向かう。 『尾崎三良自叙略伝』下
11月26日 川崎長太郎、小田原町万年三丁目四七〇番地に生まれる。父は鮮魚商を営む。 『川崎長太郎自選全集』「自筆年譜」
11月 寺崎広業(35)、箱根に初めて遊び、その風光を愛して数カ月間滞在する。 「中央美術」大正8年4月掲載・鳥谷幡山「寺崎広業年譜」
12月2日 大井憲太郎(58)、西川光二郎(25)、横浜に行き、賑町の喜楽座で開かれた普通選挙期成同盟会横浜支部主催の演説会で、大井は「代議政体の真諦」を、西川は「吾人の最大武器」を演説する。「聴衆は案外に多かりし」。 『横浜近代史総合年表』
12月3日 高橋希人、藤沢に生まれる。 『日本近代文学大事典』
12月7日 山県有朋(63)、葉山に行き、桂太郎首相の別荘長雲閣で、西郷従道、大山巌、松方正義、井上馨の諸元老および山本権兵衛海相、小村寿太郎外相らと共に、日英同盟問題を議する。 徳富猪一郎『公爵山県有朋伝』下
12月25日 荒畑寒村(14)、勤務先の英国人羅紗商リチャード・ホーショ商会からクリスマスに賞与金五円をもらい、新刊の『透谷全集』と『藤村詩集』とを買う。 『寒村自伝』
12月30日 泉鏡花(28)、熱海への途次小田原酒匂松濤園に泊まる。翌日小田原見物ののち箱根塔之沢に行き泊まる。 『鏡花全集』27「熱海の春」
12月 三宅克己(27)、横浜港から出航、水彩画研究のためイギリスに向かう。二度目の外遊である。 『思ひ出つるまゝ』所収「私の再度の洋行」
佐佐木信綱(29)、大磯の鍋島家別邸に避寒中の皇孫に招かれて伺候する。 『作歌八十二年』
志賀重昂(38)、箱根に行き、塔之沢の環翠楼に滞在、越年する。 『志賀重昂全集』7所収「塔ノ沢」
月日未詳 村井弦斎(37)、大磯長林寺の後藤象二郎の別邸に住む。 『近代文学研究叢書』27
月日未詳 平野威馬雄(1)、横浜野毛に移り、老松町で幼年時代を過ごす。父はフランス系アメリカ人である。「ぼくは、ひとりぼっちになると、きまって野毛の不動様へあそびに行った。」 『混血人生記』
明治35年(1902年)
1月1日 馬場孤蝶(32)、小田原に斎藤緑雨を訪ねる。 『斎藤緑雨全集』8「小田原日記」
1月4日 大町桂月(32)、小田原に斎藤緑雨を訪ねる。 『齋藤緑雨全集』8「小田原日記」
1月上旬 泉鏡花(28)、伯父と箱根に行き、ついで三島・沼津に赴く。 荒川法勝『泉鏡花伝』
1月11日 加藤咄堂(31)、大内青巒(50)、村上専精(56)、横浜に行き、太田町の佐野茂楼で開かれた横浜仏教講話会総会で講演する。 「横浜貿易新聞」
1月19日 島田三郎(49)、横浜に行き、横浜会館で開かれた鉱毒地救済演説会で田中正造らと共に演説する。 「横浜貿易新聞」
1月29日 内村鑑三(40)、湘南の地に春を探ろうと、執筆や読書に倦きた身を三浦半島に運ぶ。久里浜のペリー上陸記念碑の前に立ち、海に向かって祈祷を捧げる。 「聖書の研究」明治35年3月掲載「海辺の祈祷」
2月初 片山潜(42)、葉山に行き、一カ月余り滞在、「日刊内外新報」失敗のあとの静養をする。 『わが回想』
2月7日 大槻文彦(54)、国府津に避寒し、富士見屋に泊まり、仙台騒動事件編集をする。16日、帰京する。 『復軒旅日記』所収「豆州伊東温泉行」
2月8日 馬場孤蝶(32)、小田原に斎藤緑雨を訪ねる。翌日共に小峯に行く。 『斎藤緑雨全集』8「小田原日記」
2月11日 内村鑑三(40)、黒岩涙香(39)、理想団の久良岐郡支部発会式に列席のため日下村坂下に赴き、鑑三は「理想団宣言書の詳解」を講演する。  
2月22日 黒田清輝(35)、久米桂一郎ら友人7人と共に自転車旅行を試み、東京から横浜を経て杉田に行き、月の出を眺めて金沢八景の東屋に泊まる。翌日、逗子に行き養神亭に休み、鎌倉を経て東京に向かう。戸塚近くで自転車がこわれ、汽車で帰京する。ちなみに、自転車に関しては翌年暮の日記に、「ハンバートト称スル自転車ヲ百八十円ニテ買フ筈ナリシガ久米等ノ忠告ニテ二百十六円ノモノヲ購フコトトセリ」とある。 『黒田清輝日記』2、3
2月24日 柳田国男(26)、藤沢鵠沼の鵠沼館に赴き実業学界の原稿を執筆し、28日まで滞在する。 後藤総一郎『柳田国男伝』
2月8日 国木田独歩(30)、斎藤弔花と鎌倉権五郎神社の神主の借家に住む。15日原田東風が来て同居する。 『定本 国木田独歩全集』10年譜
2月 永井荷風(22)、逗子に滞在。 『荷風全集』26所収「逗子より」
3月4日 鳥海青児、平塚に生まれる。大正5年、藤沢中学校に編入学、10年3月に同校を卒業する。 #タ 土方定一『大正・昭和期の画家たち』
3月8日 島村抱月(31)、都筑郡都田村字池辺の島村一方に妻子を寄寓させて、横浜港から讃岐丸で出航、東京専門学校第一回海外留学生としてイギリスに向かう。38年9月12日、横浜に帰着する。 「渡英滞英日記」、書簡
3月10日 井深梶之助(47)、横浜の海岸教会三十周年記念大講演会で講演をする。 『横浜近代史総合年表』
3月16日 木下尚江(32)、横浜会館で行われた鉱毒救済演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
3月16日 尾崎紅葉(35)、小栗風葉、泉鏡花ら十人と川崎に行き、小向井に行幸の梅を観る。「木振のわりには満樹の碧苔鱗の如く花は極めて疎にして香薄く梢頭にのみ点々せるのみ。何等の風情無し」。 『紅葉全集』11日記
4月1日 岩藤雪夫、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
4月13日 藪田義雄、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
4月 国木田独歩(30)、鎌倉長谷の村田久兵衛の別荘を借りて移る。 『定本 国木田独歩全集』10年譜
4月 山川菊栄(11)、東京府立第二高等女学校に入学、初めての遠足で逗子に行く。 『山川菊江集』9所収「おんな二代の記」
5月1日 黒沼健、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
5月 小杉天外(36)、小田原海岸に転居する。 『明治文学全集』65年譜
6月13日 人見一太郎(36)、横浜港から出航し、後藤新平と共に米欧に向かう。 『民友社思想文学叢書』5所収「民友社文学集」年譜
6月中旬 田山花袋(30)、鎌倉長谷に独歩を訪問し十日間滞在する。 小林一郎『田山花袋研究』
6月後半 大塚楠緒子(26)、藤沢鵠沼に十日間ほど滞在する。「鵠が沼たより」 『心の花』
6月末 前田夕暮(18)、大磯北本町の医院天野快三方に預けられる。やがて文学青年十人ほどと「湘南公同会」を結成する。 前田透『評伝前田夕暮』
7月6日 木下杢太郎(16)、友人と小旅行を試み、東京から国府津に至り、小田原から箱根畑宿、芦ノ湖をめぐり三島から沼津に行く。「満松山六日之記」。 「満松山六日之記」
7月7日 押川春浪(26)、鎌倉の寓居で6月2日着手の『武侠の日本』を書きあげる。 同書はしがき
7月上旬 斎藤野の人(24)、鎌倉長谷の高山樗牛宅を訪ね泊まる。 『明治文学全集』40年譜
7月10日 森鴎外(40)、横須賀に行く。翌日、再び行く。14日、三度行く。9月19日にも行く。 『鴎外全集』35所収「自紀材料」
7月12日 沢柳政太郎(37)、横浜港から出航、ハンブルグで開かれる第13回万国東洋学会に出席のため、ヨーロッパに向かう。翌年3月28日、横浜に帰着する。 沢柳礼次郎『吾父沢柳政太郎』
7月23日 志賀直哉(19)、逗子に遊び二日間滞在、葉山にも遊ぶ。 『志賀直哉全集』10書簡
7月 泉鏡花(28)、逗子田越村に保養。「胃腸を病めるなり」。9月上旬に東京に戻る。 『鏡花全集』1年譜
月日未詳 この間、尾崎紅葉の不意の訪問があり、また柳川春葉が二、三日逗留するなどのことがあった。 寺木定芳『人、泉鏡花』
7月 落合直文(39)、茅ヶ崎に行き、南湖院に入院、療養する。9月、帰京する。 『落合直文著作集』Ⅲ
8月上旬 宮崎滔天(31)、横浜に行き、長島町の田中亭で開かれた桃中軒雲右衛門一座の公演に、桃中軒牛右衛門として初出演する。ついで横須賀にも巡業する。 『宮崎滔天全集』5年譜
盛夏 佐佐木信綱(30)、大磯の滄浪閣に滞在中の末松謙澄を訪ね、伊藤博文とも会談する。 『明治文学の片影』
8月28日 柳田国男(27)、鎌倉長谷に国木田独歩を訪ねる。  
8月 加藤武雄(14)、小学校高等科卒業後准教員の免許を取り、横浜戸部尋常小学校に勤める。 『大衆文学大系』17年譜
8月 佐佐木信綱(30)、皇孫の養育主任河村伯に招かれ、箱根宮の下の富士屋ホテルに行き歌がたりをする。翌日チェンバレンに紹介される。 『作歌八十二年』
川田順(20)、鎌倉に避暑する。 「短歌」昭和41年4月(追悼号)年譜
夏以降 添田唖蝉坊(29)、横浜の義兄の下でハンカチ屋の仕事を覚えるため四十日間滞在。ついで茅ケ崎に移りハンカチ工場を始める。半年で工場を閉鎖し、茅ケ崎菱沼の妻の実家に移る。 『唖蝉坊流生記』
9月1日 寺田寅彦(23)、藤沢に行き、駅前の角若松に泊まる。翌日江の島に遊び金亀楼に二泊する。4日、鎌倉見物ののち逗子に行き、養神亭ついで蓑田別荘に滞在。8日に帰京する。 『寺田寅彦全集』18日記
9月14日 寺田寅彦(23)、逗子・葉山に遊び二泊する。 『寺田寅彦全集』18日記
9月18日 高山樗牛(31)、鎌倉の自宅から藤沢鵠沼に行き東屋に滞在する。 『樗牛全集』7日記及消息
9月中旬 佐佐木信綱(30)、箱根の王堂文庫にチェンバレンを訪ね、以来毎月訪問し、冬の間は横浜26番のゼネバホテルに訪問する。 『作歌八十二年』
9月21日 平野友輔(45)、横浜に行き、横浜新報社の社屋落成式で演説する。 「横浜貿易新聞」
9月21日 島田三郎(49)、茅ヶ崎に行き、海老原氏別荘で、平野友輔ら中立派代議士と第十七議会における態度を協議する。 「横浜貿易新聞」
9月28日 平福百穂(24)、田口掬汀と小田原地方の海嘯スケッチに行く。 小高根太郎『平福百穂』
10月3日ヵ 江見水蔭(33)、茅ケ崎の川上音二郎の別荘万松軒で「オセロ」の打ち合わせをしたのち、帰京する巌谷小波が乗っている列車を待ち合わせて共に帰る。 『自己中心明治文壇史』
10月15日 堺利彦(31)、鎌倉腰越の小児保育園に取材し、佐竹音次郎医師と語る。「相州腰越小児保育院」。 「萬朝報」
10月25日 高山樗牛(31)、平塚の杏雲堂に入院する。 『樗牛全集』7日記及消息書簡
10月25日 伊藤博文(61)、大磯の滄浪閣で還暦の寿宴を開く。皇太子より漢詩一首を□日□日贈られる。奉答の漢詩一首。山県有朋が祝詞を読む。 春畝公追頌会『伊藤博文伝』下
11月1日 江見水蔭(33)、茅ケ崎駅頭に川上音次郎、貞奴と行き、ヨーロッパから帰朝し上京する途中の巌谷小波を出迎え、万歳を歓呼する。 巌谷大四『波の跫音』
11月15日 赤羽巌穴(27)、横浜港からドーリック号でアメリカに向かう。在米中、片山潜らとサンフランシスコ社会主義協会を組織する。38年7月、帰国する。 『明治文学全集』84年譜
11月16日 江見水蔭(33)、箱根塔之沢の環翠楼に行き、川上音二郎から金を受けとってくる予定の谷活東を待つ。 『自己中心明治文壇史』
12月12日 高田半峰(41)、横浜に行き、住吉町の千登世楼で開かれた東京専門学校横浜校友会大会に、大隈重信とともに出席する。 「横浜貿易新聞」
12月24日 高山樗牛(31)、平塚の杏雲堂で死去。博文館の大橋新太郎と坪谷水哉がかけつけ、共に遺体を守って鎌倉長谷の自宅に向かう。26日長谷寺で葬儀が行われた。 工藤恆治『文豪高山樗牛』
12月26日 山崎紫紅(27)、片瀬の浜を逍遙して高山樗牛をしのぶ。詩「追憶」を翌年発表する。 「明星」
12月30日 坂本四方太(29)、湯河原に行き中西屋に泊まり、越年する。1月5日に帰京する。「湯河原日記」。 「ホトトギス」
12月30日 市川左団次(二世)(22)、横浜に行き、喜楽座での一座の公演をはじめる。 「横浜貿易新聞」
月日未詳 永井荷風の父永井禾原が逗子田越村に対君山楼という別荘を新築する。 『荷風全集』29年譜
月日未詳 伊藤左千夫(37)、鎌倉に遊ぶ。「短歌」 「短歌」
明治36年(1903年)
1月1日 馬場孤蝶(33)、箱根に遊び、湯本の姉の家に泊まる。 『小島烏水全集』3「山の声海の声」
1月1日 小島烏水(29)、箱根に遊び、塔之沢の環翠楼に泊まる。同行を約束していた久保天随と宿屋で会う。2日、共に湯本に馬場孤蝶を訪ね、三人で箱根を歩き、芦之湯の紀伊国屋遊仙閣に泊まる。 『小島烏水全集』3「山の声海の声」
1月2日 暁烏敏(25)、江の島に遊び一泊し、翌日早朝に詩「人生」を書きあげる。 『暁烏敏全集』日記
1月2日 高浜虚子(28)、河東碧梧桐(29)、湯河原に遊び、中西屋に越年中の坂本四方太と合流する。7日に帰京する。「湯河原日記」 「湯河原日記」
1月25日 江見水蔭(33)、茅ケ崎に行き、川上音二郎の別荘を訪問する。茅ケ崎館で、水蔭翻案の『オセロ』の本読みをする。 『自己中心明治文壇史』
1月 田口掬汀(28)、江の島に保養滞在する。 「新声」
1月 斎藤野の人(25)、鎌倉の故高山樗牛宅で遺骨と共にすごす。 『明治文学全集』40年譜
2月13日 島田三郎(50)、横浜に行き、喜楽座で開かれた衆議院議員立候補政見発表演説会で、「横浜市民諸君に告ぐ」を演説する。応援弁士として巖本善治は「嗚呼是れ一選挙区の事にあらず」を、田中正造が「亡国の第二期」を演説する。ついで16日、元街の万竹亭でも演説する。ちなみに島田は3月2日に抜群の最高点で当選する。 「横浜貿易新聞」
2月21日 下村観山(29)、横浜港から博多丸で出航、絵画研究のためロンドンに向かう。 横浜美術館編「大観と観山」展図録年譜
2月21日 平田禿木(30)、横浜港から博多丸で出航、文部省留学生としてイギリスに向かう。39年6月16日、帰国する。 『平田禿木選集』5所収「博多丸の思い出」、年譜
2月21日 山県有朋(64)、大磯に行き、伊藤博文を別荘滄浪閣に訪ねる。翌日、連れだって葉山に行き、桂太郎首相の別荘長雲閣で、山本権兵衛海相、曽禰荒助蔵相、平田東助農相も同席で会合する。28日にも再訪する。 徳富猪一郎『公爵山県有朋伝』下
2月26日 黒岩涙香(40)、横浜に行き、雲井座で開かれた、自由投票同志会主催の演説会で、「選挙の真趣」を演説する。幸徳秋水「自由投票と横浜市」、佐治実然「神聖なる一票」、木下尚江「横浜市と選挙を評す」、安部磯雄「紐育市と横浜市」などの演説もある。 『横浜近代史総合年表』
2月 木下尚江(33)、横浜から立候補した島田三郎応援のため、横浜を訪れる。 『明治文学全集』45年譜
3月26日 大槻文彦(55)、国府津まで汽車に乗り、駅前の茶店「まつ屋」に休む。前年滞在した富士見屋が秋の大津波で流されたと聞き訪れる。夕方、箱根に行き、塔之沢の環翠楼に滞在、『中等教育日本文典』(30年刊)の書き入れや、『復軒雑纂』の校正をする。4月4日、帰京する。十日間の費用は計二十三円八十七銭であった。 『復軒旅日記』所収「箱根塔之沢入浴」
3月 斎藤野の人(25)、小山鼎浦(東助)と竜華寺に詣でた帰途、小田原に立ちより、藤井宣正の未亡人瑞枝を知る。「野の人」という号は瑞枝の命名と言う。 『明治文学全集』40年譜
4月1日 北村初雄(6)、横浜市老松小学校に入学する。家は南太田町二一一八番地にあった。 安部宙之介『詩人北村初雄』
4月8日 尾崎三良(61)、横浜港から薩摩丸で出航、神戸で行われる観艦式参列に向かう。18日、日本郵船の土佐丸に乗り、翌日午後横浜港に帰着する。 『尾崎三良自叙略伝』下
4月23日 木下尚江(33)、堺利彦(32)、横浜に行き、羽衣町の若柳亭で開かれた理想団横浜支部発会式、つづいて相生座での演説会に出席する。 「万朝報」明治36年4月23日
4月24日 堺利彦(32)、木下尚江(33)、横浜に行き理想団横浜支部の発会式に出席する。 県史年表
4月 荒畑寒村(15)、横須賀造船工廠の木工部見習職に就く。日給は二五銭である。この頃「万朝報」を愛読し内村鑑三に傾倒する。やがて幸徳秋水、堺利彦らの社会主義的評論にひかれていくことになる。 『寒村自伝』
4月 前田夕暮(19)、大磯で「湘南公同会雑誌」を発行する。以来、「新声」や「中学文壇」に美文、短編、短歌、俳句などを投稿する。 前田透『評伝前田夕暮』
尾崎一雄(3)、母と妹と三人で祖父母のいる足柄下郡下曽我村に帰住する。39年1月に宇治山田に移る。 全集年譜、『あの日この日』
6月14日 森鴎外(41)、横浜に行く。 『鴎外全集』35所収「自紀材料」
6月15日 陸羯南(45)、横浜港から日本郵船の安芸丸で出航、アメリカ経由でヨーロッパ外遊に向かう。37年1月、帰国する。 『陸羯南全集』8所収「羯南の手翰」
6月24日 姉崎嘲風(29)、鎌倉長谷の故高山樗牛宅を帰国後初めて訪ねる。「清見潟の一夏」。 「太陽」
6月 高浜虚子(29)、風邪をこじらせて療養のため鎌倉長谷に転地し、約一カ月間滞在する。「ホトトギス」8月号に小品「由井ケ浜」と「鎌倉十句」を寄稿する。 『高浜虚子全集』6(昭和十年改造社版)年譜、「ホトトギス」
7月10日 小笠原文夫、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
7月15日 久留島武彦(29)、横浜蓬莱町のメソジスト教会で、初めての童話の会を開く。巌谷小波も出演する。 『明治文学全集』95解題
7月15日 川上音二郎(39)、貞奴(31)、横浜の喜楽座で開かれた一座公演で川上正劇を公演、「ヴェニスの商人」、「サッフォー」を上演する。11月28日にも公演する。 「横浜貿易新聞」
7月28日 有島武郎(25)、鎌倉に遊び滞在。8月3日帰京する。 『有島武郎全集』別巻年譜
7月31日 島田三郎(50)、横浜に行き、羽衣座で開かれた第十八議会報告演説会で演説する。 「横浜貿易新聞」
7月 高浜虚子(29)、鎌倉に行き、長谷の三橋方で、こじらせた風邪の静養をする。 『高浜虚子全集』6(昭和十年改造社版)年譜
8月9日 津田左右吉(29)、友人にすすめられて箱根に行き、二時過ぎに堂ケ島の近江屋の友人の部屋に入る。10日、宮ノ下、底倉、木賀のあたりを散歩する。11日、箱根駅から芦ノ湖に行く。15日、宮城野に行きソバを食べる。底倉の貸本屋で『金色夜叉』続編を借りて読む。17日、帰京する。 『津田左右吉全集』26日記
8月中旬 伊藤左千夫(39)、蕨真と箱根に遊ぶ。 『左千夫全集』9書簡
8月25日 有島武郎(25)、横浜港から伊予丸で出航、森本厚吉と共にアメリカ留学に向かう。40年4月 11日、ヨーロッパを回って帰国する。
8月 川田順(21)、藤沢鵠沼に避暑する。「旅中吟」中一首。 「旅中吟」
中勘助(18)、夏休みに城ヶ島に遊ぶ。 『中勘助全集』17年譜
長田秀雄(18)、藤沢の鵠沼に友達と避暑に行き、知人の別荘に滞在する。友人の1人が溺死し、のちのちまで夜の海にその思い出が残る。「鵠沼の砂丘」 「鵠沼の砂丘」
9月上旬 尾崎三良(61)、鎌倉の別荘に滞在中、恒例の金沢遊覧を試み、九覧亭、称名寺、竜華寺などを回る。前年までと異なり、疲労甚だしく、「已に老境に入りたるの歎慨を禁ずること能わず」。 『尾崎三良自叙略伝』下
9月13日 市川団十郎(九世、64)、茅ヶ崎の別荘孤松庵で死去する。 県史年表
9月20日 島田三郎(50)、横浜に行き、羽衣座で開かれた正義同志派県会議員応援の政談演説会で演説する。21日、平沼座、22日、千代崎亭でも演説会を開く。 「横浜貿易新聞」
9月22日 永井荷風(23)、横浜港から日本郵船の信濃丸で出航、実業のためのアメリカ留学に向かう。巌谷小波、押川春浪、生田葵山らが見送る。ヨーロッパ滞在を経て、41年7月に帰国する。 『荷風全集』29年譜
9月29日 河東碧梧桐(30)、鎌倉に遊び、翌日江の島に遊ぶ。 『寒玉集』第1篇所収「鎌倉江之島漫吟」
10月7日 津田左右吉(30)、横浜の平沼停車場に行き、ヨーロッパから帰朝の白鳥庫を迎え、同乗して帰京する。 『津田左右吉全集』26日記
10月 吉川英治(11)、家の没落で小学校高等科を退学させられて、横浜関内住吉町の川村印房店に小僧に出される。 『吉川英治全集』46年譜
11月12日 黒岩涙香(41)、島田三郎(50)、田口卯吉(48)ら横浜賑町の喜楽座で開かれた対露同志記者演説会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
11月 藤岡作太郎(33)、母と大磯に遊ぶ。12月、逗子に家族と共に転地し、翌年四月まで滞在する。 『明治文学全集』44年譜
12月20日 川上音二郎(39)、貞奴(31)、横浜に行き、喜楽座での公演で、お伽芝居「桃太郎」、「瘤取り」を上演する。 「横浜貿易新聞」
12月24日 坪内逍遙(44)、大磯に妻と行き静養する。30日に帰京する。 『坪内逍遙事典』年譜
12月31日 片山潜(43)、横浜港からバンクーバー通いの船で出航、アメリカに向かう。ついでオランダのアムステルダムで開かれた万国社会党大会に出席する。39年1月18日、横浜港に帰着する。 『わが回想』
月日未詳 村井弦斎(39)、小田原十字町に移住する。 『近代文学研究叢書』27
月日未詳 長谷川伸(19)、横浜のジャパンガゼット社に入社する。 『大衆文学大系』11年譜
明治37年(1904年)
1月2日 杉村楚人冠(31)、鎌倉に行き、円覚寺の塔頭を訪ねる。和尚と酒をくみ交わして半日を過ごす。 『楚人冠全集』1所収「禅庵半日」
1月2日 坪内逍遙(44)、国府津から箱根に妻子と遊ぶ。5日、妻と熱海に移る。 『坪内逍遙事典』年譜
1月9日 江見水蔭(34)、巌谷小波(33)、石橋思案(36)、武内桂舟(42)、広津柳浪(42)ら箱根塔之沢の環翠楼で硯友社の新年宴会を開き一泊する。 水蔭『自己中心明治文壇史』
1月末 広津柳浪(42)、小説の趣向を求めて大磯に行き、雨中の海岸を散歩する。 「新小説に掲げし自作」
1月 大倉桃郎(24)、除隊後、横須賀の両親宅で「大阪朝日」の懸賞小説に応募するために「琵琶歌」を執筆する。 『明治文学全集』89年譜
1月 前田夕暮(20)、「横浜新報」の小杉天外選懸賞小説に「山おろし」が二等に入選する。4月には「露探」が一等に入選するなど投稿活動が活発であった。 前田透『評伝前田夕暮』
2月10日 岡倉天心(41)、横浜港から日本郵船の伊予丸で出航(横山大観の記録では11日)、ボストン美術館の招きに応じ、門弟の横山大観、菱田春草を伴って、アメリカに向かう。38年3月26日に帰国する。 『岡倉天心全集』別巻年譜・「伊予丸船上にて」
2月10日 横山大観(35)、横浜港から伊予丸でアメリカに向かう(岡倉天心の記録では10日)。日露戦争勃発により最後の船便である。同乗の先客に政府の命でアメリカ経由でイギリスに向かう末松謙澄がおり、見送りに来た伊藤博文が船客一同を上甲板に集め、この船が無事にシアトルに着けるかどうか分からないが、倒れるまで国の為に尽くそうと演説する。 「中央美術」大正15年10月号掲載「自叙伝」(五)
2月13日 松岡荒村(24)、結核保養のため葉山に赴き日蔭茶屋に滞在する。その間、逗子、鎌倉などを歩く。「葉山日記」。 『荒村遺稿』
2月23日 西川光二郎(27)、横浜に行き、相生座で開かれた社会主義演説会で、「弱者勝つ」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
2月27日 寺田寅彦(25)、熱海から湯河原へ温泉の噴出を観測に行く。29日に再び行き天野屋に泊まる。 『寺田寅彦全集』18日記
2月 千家元麿(15)、友人と南洋の無人島に行く計画を立て、まず大島に渡ろうと横須賀に行く。そこで国府津から舟が出ると聞いて足をのばすが一足違いで出航した後だった。そのまま西に向かい小田原早川を経て吉浜に宿をとったが、そこで保護されて連れ戻された。 『千家元麿全集』下巻「昔の家」
早春 伊藤葦天(20)、横浜の北部の勝田、大棚(現港北区)に梅を訪ねて「観梅記」を書く。 句集『穂』
3月2日 柳田国男(28)、日露戦争勃発により、横須賀の捕獲審検所検察官となる。 後藤総一郎『柳田国男伝』年譜
3月3日 今井達夫、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
3月21日 巌谷小波(33)、横浜蓬莱町の美以教会で開かれた少年世界読書会で「お伽噺」を講演する。他に木村小舟の「昆虫談」。 『横浜近代史総合年表』
3月25日 大野林火、横浜市中区日ノ出町に生まれる。父は株式仲介人の番頭であった。 「俳句」年譜
4月1日 大佛次郎(7)、横浜市太田尋常小学校に入学するが、翌月一家が東京に移住し転校した。 『大佛次郎時代小説全集』24年譜
4月7日 志賀直哉(21)、有島生馬、松平春光らと三保からの帰りに箱根芦之湯の橋本屋に泊まる。翌日塔之沢に行き新国に泊まり、9日朝帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
4月19日 杉村楚人冠(31)、横浜に行き、来朝予定のマギー夫人一行を乗せたショーマット号を待つが、着かず、宿に泊まる。萬朝報の松居松葉も来る。20日も着かず、又泊まる。 『楚人冠全集』1所収「退屈の記」
4月 吉井勇(18)、攻玉社中学校を卒業後、肋膜炎にかかり平塚杏雲堂に入院する。退院後は鎌倉で療養する。 『定本吉井勇全集』9年譜,月報9
4月ヵ 星野天知(42)、鎌倉女学校の創設にかかわり、校主兼教頭となる。翌年辞任する。 『黙歩七十年』
5月27日 小栗風葉(29)、「横浜貿易新聞」に小説「女の心」の連載をはじめる。8月4日、六十五回で完結する。 「横浜貿易新聞」
杉浦重剛(49)、神奈川の大綱山の高島嘉衛門を訪ね、妻と共に神経衰弱療養のため滞在する。7月末に帰京する。 大町桂月、猪狩史山『杉浦重剛先生』
6月20日 島田三郎(51)、横浜に行き、尾上町の指路教会で開かれた婦人矯風会主催の時局問題大演説会で、「露西亜は果して基督教国たる乎」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
6月 松岡荒村(25)、徴兵検査のため帰郷する途中、大磯に途中下車をする。俳句六句。「帰郷旅の記」 『荒村遺稿』
7月23日 広津柳浪(43)、江見水蔭(34)と共に幹事となり、江の島の金亀楼で硯友会が催され、一泊する。 柳浪書簡
7月23日 西川光二郎(28)、横浜に山口孤剣らと行き、荒畑寒村らと落ちあい、野毛山に遊び、夜、羽衣町の若柳亭で開かれた社会主義演説会で演説する。 「平民新聞」明治37年7月31日
7月24日 平塚武二、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
7月11日 若山牧水(18)、脚気治療のため葉山に転地し、一色海岸の王蔵院に寄寓する。 『若山牧水全集』1書簡、『若山牧水全集』2日記
7月 登張竹風(30)、正岡芸陽と横浜に行き、松下軍治に会い、ついで三人で小田原に行く。 『人間修行』所収「明治時代の思ひ出」
8月1日 内村鑑三(43)、横須賀で「基督信徒処生の方針」を講演する。 「聖書之研究」
8月11日 志賀直哉(21)、箱根に遊び、塔之沢の福住楼に滞在し、21日に帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
8月11日 堺利彦(32)、小田原に行き、6月末から加藤病院に入院中の妻を見舞い、一泊する。14日、16日にも一泊する。妻は18日に死去する。 『堺利彦全集』3所収「平民日記」、同6年譜
8月15日 内村鑑三(43)、鎌倉に長男祐之と小山内薫を伴い数日間滞在する。 『内村鑑三全集』40年譜
8月18日 荒畑寒村(17)、横浜の海岸教会牧師館で横浜平民結社(7月25日結成)の茶話会を開く。 「平民新聞」
8月19日 幸徳秋水(32)、小田原に行き、加藤病院で死去した堺利彦夫人を弔う。20日、利彦は妻の遺骨を携えて帰京する。 『幸徳秋水全集』5所収「平民日記」
8月25日 尾崎三良(62)、茅ヶ崎に東久世伯爵と共に行き、土方伯爵をその別荘に訪ねる。海岸の割烹店中村楼で海水温浴をし、宴をはり、一泊する。 『尾崎三良自叙略伝』下
8月28日 西川光二郎(28)、東海道遊説で静岡県からの帰途、山北に至り一泊する。翌日の夜、小田原で社会主義演説会を開く。前日、加藤病院小田原分院に来ていた堺利彦も合流する。早川に泊まり、30日、石橋山古戦場などをみたあと山北に戻り、夜、演説会を開く。31日に帰京する。 「平民新聞」明治37年9月4日
8月 尾崎士郎(6)、横浜野毛の耳鼻咽喉科医師田島藤一郎の養子となり、石川小学校に転入学するが、まもなく養家になじまず帰郷する。 日本現代72年譜
8月 大橋新太郎(41)、三浦半島の秋谷の別荘に滞在する。  
9月2日 石川三四郎(28)、小田原海岸の加藤時次郎の病院に入院する。10日、箱根大平台林泉寺に内山愚堂を訪ね小集会を持つ。12日に帰京する。 『石川三四郎著作集』7年譜
9月5日 若山牧水(19)、市外玉川村瀬田の内田もよ方で静養中、多摩川を渡り二子に散髪に行く。10日、溝口で為替を受け取る。 『若山牧水全集』2日記
9月15日 川上音二郎(40)、茅ヶ崎に行き、南湖上町のアルボースメクル邸で時局に関する演説をする。 「貿易新報」
9月23日 堺利彦(32)、小田原に行き加藤病院に預けてある娘真柄に会う。 『幸徳秋水全集』5所収「平民日記」
10月 野口米次郎(28)、アメリカから帰朝して、郷里に赴く途中、藤沢に下車して、常光寺に兄を訪ねる。 『帰朝の記』
11月10日 古家榧夫、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
11月22日 幸徳秋水(33)、横浜伊勢佐木町の相生座で開かれた社会主義演説会に出席し、「家庭と社会主義」を講演する。 『幸徳秋水全集』別巻年譜
11月22日 堺利彦は「兵役と選挙」演説の途中で中止解散を命じられる。 『横浜近代史総合年表』
11月26日 巌谷小波(34)、横浜に行き、蓬莱町の美以教会で開かれた第一回お伽倶楽部に、磯萍水と共に出席する。 『横浜近代史総合年表』
11月 加藤武雄(16)、高座郡田名小学校に准訓導として転勤する。 『大衆文学大系』17年譜
左右田喜一郎(23)、横浜港から出航、経済学研究のためドイツに向かう。大正2年に帰国する。 岩井茂「左右田博士略伝」
村井弦斎(40)、平塚海岸に一万数千坪の土地を買う。 『近代文学研究叢書』27
12月3日 鶯亭金升(36)、小田原の柏又という料理屋から引札の礼に蒲鉾が送られてくる。4日、正午から横浜に行く。 『鶯亭金升日記』
12月10日 北林透馬、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
12月30日 得能文(38)、東京から汽車で国府津に行き、国府津港から伊豆通いの七十屯ほどの小汽船に乗りこむ。真鶴に寄港、熱海、網代を経て伊東に着く。 『随筆集』所収「伊豆遊記」
12月 陸羯南(47)、湯河原に療養、越年して翌年2月ごろ帰京する。 『陸羯南全集』10年譜
12月 村井弦斎(40)、平塚の所有地に対岳楼を作り移る。 『大衆文学大系 3』村井弦斎年譜
月日未詳 吉川英治(12)、時事新報社の雑誌「少年」に作文が当選し、投書熱が高まる。 『吉川英治全集』46年譜
月日未詳 前田普羅(20)、早稲田大学を中退してスタンダード石油会社に、ついで横浜裁判所に勤務する。 中西舗士『鑑賞前田普羅』年譜
月日未詳 中沢臨川(26)、川崎の京浜電気鉄道株式会社に入社する。大正3年夏、健康上の理由もあり技師長を以て辞任する。 『明治文学全集』50年譜
明治38年(1905年)
1月3日 杉村楚人冠(32)、鎌倉に行き、円覚寺の塔頭をいくつか回り、それぞれ和尚と歓談する。 『楚人冠全集』1所収「禅庵半日」
1月20日 伊藤秀五郎、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
1月21日 巌谷小波(34)、横浜蓬莱町の美似教会で開かれたお伽倶楽部で「西洋お伽噺」を講演する。他に磯萍水による「冒険談」など。 「貿易新報」
1月29日 川口浩、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
1月30日 与謝野寛(31)、馬場孤蝶(35)、山崎紫紅(29)、小島烏水(31)、磯萍水(27)、横浜蓬莱町の美以教会で開かれた紫会講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
1月 斎藤野の人(26)、小田原に新春を迎え、駿河の竜華寺に足をのばし、高山樗牛の墓参をする。 『明治文学全集』40年譜
2月1日 西川光二郎(28)、鎌倉あたりに保養に行く。箱根に行き、7日に帰京する。 「直言」明治38年2月5日、12日掲載堺利彦「平民社より」
2月26日 陸羯南(47)、鎌倉長谷に転地療養し、4月末に帰京する。 『陸羯南全集』10書簡
3月1日 吉田与志雄、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
3月1日 前田曙山(33)、横浜の新聞「貿易新報」に小説「うらおもて」の連載をはじめる。4月20日、五十一回で完結する。 「貿易新報」
3月上旬 幸田露伴(37)、箱根に遊び湯本に滞在する。 『露伴全集』39書簡
3月25日 壺田花子、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
3月25日 島田三郎(52)、横浜に行き、横浜座で開かれた議会報告演説会で演説する。聴衆二千余名であった。 「貿易新報」
4月22日 山岸荷葉(29)、横浜の新聞「貿易新報」に、小説「金波銀波」の連載をはじめる。6月3日、四十三回でひとまず打ち切る。 「貿易新報」
4月 堀口大學(13)、祖母に伴われ妹を連れて江の島、鎌倉を見物する。 『堀口大學全集』9年譜
5月以前 中野重治(3)、父が大蔵省煙草専売局秦野葉煙草収納所勤務となり、平塚町ついで秦野町に住む。翌年父が鹿児島転勤となり、重治は福井県の生家に移る。 『中野重治全集』28
5月13日 芥川龍之介(13)、府立三中一年生の遠足で、大森から池上本門寺を経て、川崎大師に至る。 『芥川龍之介全集』12「修学旅行の記」
5月13日 有島生馬(22)、横浜港からドイツ船ゲネラル・ローン号で出航、美術修行のためイタリアに向かう。船中で日本海海戦の報を聞く。 『思い出の我』
5月 野口米次郎(29)、鎌倉円覚寺蔵六庵に滞在し、Thepilgrimage(巡礼の旅)の稿をおこす。 『近代文学研究叢書』61
6月4日 前田曙山(33)、横浜の新聞「貿易新報」に、小説「錦の裏」の連載をはじめる。9月23日、百十一回で完結する。 「貿易新報」
6月10日 ベルツ(56)、横浜港から出航、帰国のためドイツに向かう。 『ベルツの「日記」』、『明治文学全集』49
6月11日 釈宗演(45)、横浜港からマンチュリア号で出航、アレキサンダー・ラッセルの招きでアメリカに向かう。在米中は鈴木大拙が通訳を務める。39年9月に帰国する。 『横浜近代史総合年表』、『鈴木大拙全集』32年譜、『明治文学全集』87
7月8日 小村寿太郎(50)、横浜港から出航、日露戦争講和会議の全権として、アメリカのポーツマスに向かう。 「貿易新報」
7月19日 高田半峰(45)、横浜に行き、太田町の日盛楼で開かれた在浜早稲田専門学校校友会で、「清国談」を講演する。 「貿易新報」
7月24日頃 斎藤茂吉(23)、茅ケ崎にてる子を連れて海水浴に行き、新町の湯屋増島佐二郎方に滞在する。8月1日大磯に徒歩で往復、4日足柄上郡山田村の渡辺幸造を訪ねて一泊するなどのことがあり、15日か16日に帰京する。 『齋藤茂吉全集』33書簡
7月 泉鏡花(31)、逗子田越村に転居する。42年2月まで滞在する。 『新編泉鏡花集』別巻年譜
7月 川田順(23)、鎌倉に遊び、また小田原の早川に遊ぶ。 「短歌」昭和41年4月(追悼号)年譜
7月 中勘助(20)、小田原に友人と行き、兄嫁末子の実家の別荘に滞在する。8月に帰京する。 『中勘助全集』17山田又吉書簡、年譜
8月6日 幸徳秋水(33)、小田原の医師加藤時次郎の別荘で出獄後の身を養う。24日に帰京する。 『幸徳秋水全集』別巻書簡
8月中旬 萩原朔太郎(18)、大磯に行き、母の実家八木家の人たちと海水浴のため、茶屋町の鍵屋に滞在する。 『萩原朔太郎全集』13・補巻書簡
8月 佐佐木信綱(33)、鎌倉に行き、円覚寺仏日庵から誠拙禅師の歌集、日記虚行実記を借覧する。 『作歌八十二年』
佐佐木信綱(33)、家族と逗子に避暑する。佐佐木雪子「逗子日記」。信綱「磯やかた」。 「心の花」明治38年8月、9月
夏~秋 松村介石(46)、鎌倉に滞在して「万国史」を執筆。その間夫妻で茅ケ崎南湖院に行き高田畊安の診察を受ける。ある日の暁に鎌倉の海浜で祈祷中、神の啓示に接し、宗教界に我が身をなげうつことを決意した。 『信仰五十年』
9月6日 川上音二郎(41)、大磯に行き、滄浪閣に伊藤博文を訪ねたが留守で会えなかった。ついで茅ヶ崎に行き、翌日、村長宅で時局演説をする。聴衆六十七名であった。ちなみに、川上は講和条約反対の世論には批判的で、そのため「御用演説」と報道された。 「貿易新報」
9月9日 島田三郎(52)、横浜に行き、横浜座で開かれた時局演説会で演説する。聴衆三千余名であった。 「貿易新報」
9月29日 平野友輔(48)、藤沢の稲毛屋で開かれた、講話反対の神奈川県下有志大会の座長となり、決議案と上奏案を可決する。 「貿易新報」
9月 尾崎放哉(20)、東京帝国大学法学部に入学、宗教に興味をもち鎌倉円覚寺の釈宗演の下で参禅する。 『尾崎放哉全集』年譜、書簡
9月 高浜虚子(31)、松根東洋城と四夜の月を賞ずるため、喜久井町から本門寺、蒲田、戸塚、遊行寺、片瀬まで歩く。「月下の紫苑四夜の月」 「月下の紫苑四夜の月」
10月6日 岡倉天心(42)、横浜港からミネソタ号で出航、ボストン美術館のアドバイザーを委嘱され、アメリカに向かう。39年4月6日に帰国する。 『岡倉天心全集』別巻年譜
10月22日 伊藤左千夫(40)、蕨真らと横浜沖の凱旋観艦式を見るために川崎に泊まる。翌日、渡田の海浜で観艦式を見る。 『左千夫全集』8年譜
11月5日 志賀重昂(41)、横須賀に行き、翌日軍艦松江丸に便乗し、沖縄方面の島々をめぐる。 『志賀重昂全集』6所収「大役小志」中「軍艦松江丸南航日記」
11月12日 河東碧梧桐(32)、大須賀乙字(24)、伊藤観魚(28)、金沢八景に遊び一泊する。翌日朝比奈峠を越えて鎌倉に入り見物し一泊する。さらにその翌日、江の島を通って帰京する。「二泊旅行」 「ホトトギス」明治38年12月掲載
11月14日 幸徳秋水(34)、横浜港から伊予丸で出航、アメリカに向かう。39年6月23日、香港丸で横浜港に帰着する。 『幸徳秋水全集』別巻年譜
11月 宮崎滔天(34)、横浜に行き、滞在中の孫文を訪ねる。ヴェトナムの志士潘佩珠と出会う。 『宮崎滔天全集』5年譜
大町桂月(36)、明治大学高等予科の修学旅行に加わり箱根に行き二泊し、帰途江の島、鎌倉を回る。「秋の箱根山」。 『桂月全集』3
松根東洋城(27)、箱根に行き、三日間滞在する。「相模灘見ゆるともいふ狭霧かな」。俳句四句。 『東洋城全句集』
12月1日 宮崎滔天(34)、横須賀に行き、伊藤痴遊、一心亭辰雄らと共に、高倉亭に大晦日まで出演する。 『宮崎滔天全集』5年譜
12月16日 伊藤左千夫(41)、篠原志都留と鎌倉に遊び、江の島に行き一泊する。 『伊藤左千夫全歌集』
大町桂月(36)、江の島から鎌倉、箱根に子供二人を連れて遊ぶ。「親馬鹿の旅」。 『桂月全集』2
月日未詳 吉川英治(13)、横浜西戸部蓮池の小住居に移り、南仲通り南仲舎の少年活版工となり、ついで横浜税務監督局の給仕(月給七円)となる。 『吉川英治全集』46年譜
月日未詳 福地桜痴(64)、生麦に開国動機記念碑を建てる運動に係わり、大隈重信の依頼で「趣意」を書く。 「明治文化」
月日未詳 斎藤昌三(18)、田舎の中学を飛び出し、横浜に出て、新聞広告により生糸商原合名会社の見習社員となる。 『斎藤昌三著作集』5所収「書痴の自伝」
明治39年(1906年)
1月4日 久保天随(30)、藤沢に行き大窪詩仏の墓をとむらう。「藤沢駅弔大窪詩仏丙午一月四日」 「藤沢駅弔大窪詩仏丙午一月四日」
1月18日 西園寺公望(56)、大磯に行き、伊藤博文の邸滄浪閣で、養子八郎の結婚式をおこなう。 「貿易新報」
1月 川田順(24)、鎌倉腰越の東はずれに一軒家を借りて避寒する。 『葵の女』
2月3日 三上参次(40)、横浜に行き、フェリス女学校のエキステンションで、「日本歴史の材料として古人の日記を読む」を講演する。 「貿易新報」
2月3日 高村光太郎(22)、横浜港から、カナダ太平洋鉄道の貨客船アゼニアン号で出航、自費留学生として美術研究のためアメリカに向かう。のちイギリス滞在などを経て、42年7月1日に帰国する。 中村稔編『高村光太郎』
2月20日 末松謙澄(50)、大磯に行き、多くの高官たちと招仙閣に泊まり、翌日、韓国統監として赴任する伊藤博文を大磯駅に見送る。千余名の見送りであった。 「貿易新報」
2月26日 幸徳秋水(34)ら、横浜雲井町の雲井座で開かれた自由投票同志演説会で演説する。秋水「自由投票と横浜市」、黒岩涙香「選挙の真趣」、木下尚江「横浜市と選挙を評す」、安部磯雄「紐育市と横浜市」など。 『横浜近代史総合年表』
安藤更生(6)、鎌倉の腰越郵便屋に父母に伴われて転地する。「片瀬腰越は蕭殺たる漁村なりき」。 『安藤更生年譜著作目録』
3月2日 前田曙山(34)、横浜の新聞「貿易新報」に、小説「浪まくら」の連載をはじめる。6月3日、九十四回で完結する。 「貿易新報」
3月9日 伊良子清白(28)、横浜の小島烏水宅を訪れる。山崎紫紅も来る。詩集発行の件を依頼する。題名は『孔雀船』と決まる。 『伊良子清白全集』2日記(抄)
3月30日 岩野泡鳴(33)、熱海への途次、国府津に下車し船を待ったが出ないので、小田原に行き泊まる。車中からひきつづいて島崎藤村著『破戒』を読む。31日、結局船は出ないので人車鉄道で熱海に向かう。 『泡鳴全集』11旅中日記
3月 大倉桃郎(26)、凱旋して横須賀に帰り、8月10日に『旧山河』を刊行する。 『明治文学全集』89年譜
4月1日 松村介石(46)、横浜尾上町の指路教会で開かれたヘボン博士夫人追悼会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
4月4日 徳冨蘆花(37)、横浜港から備後丸で出航、トルストイ訪問の旅に出る。8月4日に帰国する。 『蘆花全集』所収「順礼紀行」
4月6日 武者小路実篤(20)、兄と藤沢に行き、鵠沼に泊まる。8日、藤沢発9時15分の汽車で帰京する。 『武者小路実篤全集』1「彼の青年時代」
4月 魚住折蘆(23)、葉山に遊ぶ。『春のこ丶ろを思ふ』。 『春のこゝろを思ふ』
5月14日 石川三四郎(29)、箱根大平台の林泉寺に内山愚堂を訪ね、五日間座禅して「精神の窓」を開く。19日に帰京する。 『石川三四郎著作集』7書簡
5月23日 西条八十(14)、早稲田中学三年生の遠足で箱根に行き二泊する。この間に教師吉江孤雁(喬松)との親交が深まる。 『西条八十著作目録・年譜』
5月25日 角田喜久雄、横須賀中里に生まれる。父は海軍工廠印刷部創設要員であった。40年6月に東京に転居する。 #タ
5月末 平福百穂(28)、小田原に行き静養する。6月中旬に帰京する。 「アララギ」昭和9年4月(平福百穂追悼号)掲載桑田春風「交遊三十余年の回顧」
6月5日 中村吉蔵(29)、横浜港から亜米利加丸で出航、留学のためアメリカに向かう。滞在二年ののちイギリスからドイツに渡り、ベルリンで一年半をすごし、42年12月17日に帰国する。 『欧米印象記』
6月 藤岡作太郎(35)、小田原に家族と共に転地する。 『明治文学全集』44年譜
7月31日 矢田挿雲(24)、横浜の新聞「貿易新報」に、「鎌倉風景論」の連載をはじめる。8月7日に六回で完結する。 「貿易新報」
8月7日 薄田斬雲(29)、大磯に行くが、宿が満員で、箱根に足を延ばし、湯本の福住(塔之沢の福住楼か?)に泊まる。8日、旧道を歩き、宮の下に泊まる。9日、帰途再び大磯に行き、ようよう宿を見つける。10日、大磯の浜で遊ぶ。 「趣味」明治39年9月掲載「箱根と大磯」
8月初旬 佐佐木信綱(34)、逗子に避暑する。 「心の花」明治39年9月
8月31日 国木田独歩(34)、静養のため湯河原におもむき、中西屋に泊まる。9月初旬まで滞在する。 『定本 国木田独歩全集』10年譜
与謝野寛(33)、妻晶子と二子を伴い、早川海岸および箱根に遊ぶ。 『与謝野寛短歌全集』年譜
佐佐木信綱(34)、逗子に避暑する。「磯やかた」。妻・雪子「逗子日記」 同上
川田順(24)、小田原早川村の亀屋に友人たちと避暑する。 『葵の女』
9月6日 釈宗演(46)、横浜港に、ドイツ船ブリンツ・ハインリッヒ号で帰国し、横浜に一泊する。翌日、鎌倉の円覚寺に帰山する。 「貿易新報」
9月10日 戸川秋骨(35)、横浜港から出航、古画商の通訳としてアメリカに向かい、ヨーロッパ漫遊ののち、40年1月23日に横浜港に帰着する。 『欧米記遊二万三千哩』、『明治文学全集』32年譜
9月上旬 藤岡作太郎(36)、大磯の中村屋に滞在。 佐佐木信綱『明治文学の片影』
9月18日 島田三郎(53)、伊勢原に行き、大福寺で開かれた神奈川県同志倶楽部の政談演説会で「自治の精神」を演説する。平野友輔も「憲政と国民」を演説する。聴衆七百余名であった。 「貿易新報」
9月25日 前田曙山(34)、横浜の新聞「貿易新報」に、小説「浜いばら」の連載をはじめる。 「貿易新報」
10月4日 市川左団次(二世)(25)、横浜の喜楽座で開かれた横浜孤児院慈善演芸会に出演する。7日まで続け、以後は通常興行に入る。 「貿易新報」
10月13日 平福百穂(28)、国府犀東や報徳会の会員たちと小田原に行き、柏山村の二宮尊徳遺跡を見学する。 小高根太郎『平福百穂』
10月20日 津田左右吉(33)、東京の独乙協会中学の遠足で生徒を引率して、鎌倉から江の島をまわる。「興もあらず、くたびれて帰りぬ」。 『津田左右吉全集』26日記
11月5日 内ヶ崎作三郎(29)、横浜に行き、伊勢町の横浜組合教会で開かれた特別演説会で、海老名弾正らと共に演説する。 『横浜近代史総合年表』
11月8日 小山鼎浦(26)、横浜に行き、伊勢町の横浜組合教会で開かれた組合教会特別演説会婦人大会で講演する。 「貿易新報」
11月19日 島崎藤村(34)、鎌倉、国府津に取材旅行に出る。25日に帰京する。 『島崎藤村全集』13年譜
11月24日 久留島武彦(32)、横浜に行き、伊勢町の赤十字支部で開かれた帝国婦人協会常集会で、「小供の立場から見た朝鮮」を講演する。他に下田歌子が「秩序」の講演をする。 「貿易新報」
12月2日 巌谷小波(36)、横浜に行き、横浜小学校で開かれた横浜教育会附設商工子弟講談会で、「幸福を得させる道」を講演する。同じく講師の内ヶ崎作三郎は「学問の興味」を講演する。 「貿易新報」
12月3日 植村正久(48)、横浜尾上町の指路教会で開かれた演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
12月7日 志賀直哉(23)、武者小路実篤と箱根に遊び元箱根の橋本屋に泊まる。ついで修善寺から伊東に遊び、10日に熱海から船で国府津に戻り昼食の後、汽車で帰京する。 『志賀直哉全集』15書簡
12月12日 市川左団次(二世)(26)、横浜港から鎌倉丸で出航、ヨーロッパに向かう。 「貿易新報」
12月25日 登張竹風(33)、逗子に泉鏡花を訪ねる。 巌谷大四『かまくら文壇史』
12月 川田順(24)、鎌倉腰越に避寒して越年する。 『葵の女』
12月 清沢洌(16)、横浜港から出航、アメリカ留学に向かう。大正2年1月27日、横浜港に帰着するが、まもなくアメリカに帰る。 『暗黒日記』年譜
月日未詳 佐藤惣之助(16)、東京の奉公先から川崎の実家に逃げ帰り、以後家業を手伝うこととなる。 藤田三郎『佐藤惣之助-詩とその展開-』年譜
月日未詳 芥川龍之介(14)、箱根に遊ぶ。 『芥川龍之介全集』10書簡、年次推定
月日未詳 阪井久良伎(37)、横浜に行き、友人の中村町弘誓院の住職安藤幻怪坊のもとに滞在する。川柳二句。 『川柳久良伎全集』3所収「川柳久良伎句集」
明治40年(1907年)
1月10日 陸羯南(49)、鎌倉極楽寺村に新築した別荘(浦苫屋と命名)に移る。 『陸羯南全集』10書簡
1月29日 志賀直哉(23)、箱根に行き湯本新玉に泊まる。翌日、帰途に国府津海岸を散歩して、夜新橋に着く。 『志賀直哉全集』日記
1月 阿部次郎(23)、鎌倉由比ヶ浜一の鳥居近くに住む上野直昭の家に行く。4月まで滞在して卒業論文「スピノザの本体論」を執筆する。 『阿部次郎全集』17年譜
1月 川田順(25)、鎌倉腰越に避寒中、大磯に「B嬢」(徳川慶喜の第五女)を訪ねる。 『葵の女』
1月 津田梅子(42)、横浜港から出航、妹を伴い欧米漫遊の旅に向かう。41年1月25日、横浜港に帰着する。 吉川利一『津田梅子伝』
2月28日 北原武夫、小田原幸町で生まれる。父は医者であった。大正13年3月に県立小田原中学校を卒業するまで小田原ですごす。 『日本近代文学大事典』
2月下旬 平福百穂(29)、箱根に行き湯本に静養する。黒板勝美の「雲助の話」を読み、非常に面白く思う。 「アララギ」昭和9年4月(平福百穂追悼号)掲載桑田春風「交遊三十余年の回顧」
2月頃カ 阪井久良伎(37)、川崎に妻と行き久地梅林を訪ねる。以来、折にふれて久地梅林を宣伝する。 『川柳久良伎全集』1所収「久地の梅」
3月4日 宮崎滔天(36)、横浜港に行き、ドイツ船プリンス・アリス号で出航の孫文を見送る。汪兆銘らも同行する。 『宮崎滔天全集』5年譜
3月15日 片山潜(47)、横浜に行き、羽衣座で開かれた、対米同志会主催の対米問題大演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
3月中旬 宮崎滔天(36)、横浜に黄興らを連れて行き、ニコライ・ラッセルを訪ね、爆弾製造法を教授される。 『宮崎滔天全集』5年譜
4月4日 阿部次郎(23)、鎌倉滞在中、逗子に遊ぶ。 『阿部次郎全集』16書簡
4月7日 木下利玄(21)、箱根への途次、早川に泊まる。8日、箱根に行き底倉の蔦屋に、9日、塔之沢に泊まり、10日に帰京する。 『志賀直哉全集』別巻書簡
4月8日 幸徳秋水(35)、「日刊平民新聞」に11日まで「鎌倉より」を連載する。 『幸徳秋水全集』6
4月26日 志賀直哉(24)、鎌倉の叔父直方の新居に祖母を連れて行き、午前八幡宮に行き、午後、海岸から長谷の大仏にまわる。 『志賀直哉全集』10日記
4月27日 徳冨蘆花(38)、鹿子木の洋行見送りのため横浜に行くが、出航が翌日に延期となったので逗子に行き一泊、翌日見送って帰る。 『蘆花全集』書簡
4月28日 幸徳秋水(35)、湯河原に行き、天野屋に滞在し、5月9日に帰京する。保養のかたわら、ArnoldRoller’s“SocialGeneralStrike”というパンフレットを翻訳する。 『幸徳秋水全集』書簡
5月4日 平福百穂(29)、箱根雲助会を黒板勝美の主唱で行うことになり、湯本に行き、環翠楼に泊まる。翌日、三枚橋から長持、山駕籠十三挺をそろえて道中をする。 「アララギ」昭和9年4月(平福百穂追悼号)掲載桑田春風「交遊三十余年の回顧」
5月18日 小山内薫(25)、横浜山手のパブリックホールでバンドマン劇団による「あっぱれクライトン」を観る。 升本匡彦『横浜ゲーテ座』
5月30日 小林鐘吉(30)、雨の中、友人二人と鎌倉に行き、八幡宮、長谷観音を回って極楽寺駅から江ノ電で片瀬に行く。江の島に渡り、稚児が淵から岩屋に向かうが、波が荒く引きかえす。途中スケッチをする。 「趣味」名辞40年7月号掲載「雨の江之島」
6月2日 志賀直哉(24)、鎌倉に祖母を連れて行き、一泊する。 『志賀直哉全集』10日記
6月2日 岸上質軒(46)、小田原で死去する。 『日本近代文学大事典』
6月4日 島崎藤村(35)、箱根塔之沢から元箱根、三島、沼津にかけて、『春』の取材旅行に出る。 『島崎藤村全集』13年譜
6月20日 国木田独歩(34)、湯河原に保養に行き7月まで中西屋に滞在する。7月17日から「日本」に「湯ケ原ゆき」を連載する。 『定本 国木田独歩全集』10年譜
6月21日 田山花袋(35)、箱根に行き姥子に一泊する。22日、湯河原に行き、中西屋に国木田独歩を見舞い、一泊する。「湯河原の一日」を書く。 『田山花袋研究』年譜・索引篇
6月下旬 姉崎嘲風(33)、箱根に遊ぶ。「函根日記」。 「太陽」
初夏 大町桂月(38)、多摩川に行き、二子街道、登戸街道を歩く。 『新選大町桂月集』所収「二子紀行」
7月2日 志賀直哉(24)、柳宗悦、田村寛貞、松平春光と、三崎に船で行き、油壷から葉山まで歩き、長者園に一泊する。翌日、逗子に回って帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
7月13日 葛西善蔵(20)、鎌倉に行き建長寺前の竜王館に泊まり、滞在して9月8日に帰京する。 『葛西善蔵全集』5書簡
7月18日 大塚楠緒子(31)、鎌倉に転居し長谷に住む。「鎌倉だより」。 『心の花』
7月 川田順(25)、小田原の早川に避暑する。 「短歌」昭和41年4月(追悼号)年譜
8月1日 柳田国男(32)、小田原に報徳会講習会の講師として行く。3日まで滞在する。 後藤総一郎『柳田国男伝』年譜
8月4日 志賀直哉(24)、箱根芦之湯の紀の国屋別荘の奥座敷二間を借りて、同行六人で滞在。20日に帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
8月5日 柳田国男(32)、箱根湯本に家族および平福百穂と行き、11日まで滞在する。 後藤総一郎『柳田国男伝』年譜
8月上旬 柳宗悦(18)、鎌倉に、学習院高等科一年生の友人たちと滞在する。 『柳宗悦全集』21書簡
8月16日 田村俊子(23)、横浜に行き、羽衣座での毎日新聞の文士劇に出演し、初舞台となる。高安月郊「吉田寅次郎」ほかが数日間興行される。 『田村俊子作品集』所収「昔ばなし」、瀬戸内晴美『田村俊子』年譜、『神奈川県史年表』
8月 恒川陽一郎(19=石村)、鎌倉に避暑する。「鎌倉日記」 「鎌倉日記」
夢野久作(18)、鎌倉の父(杉山茂丸)の家ですごす。 『夢野久作の日記』年譜
武者小路実篤(22)、三浦半島の金田唐池に滞在する。 全集書簡
9月2日 飯塚朗、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
9月2日 陸羯南(49)、鎌倉極楽寺村の別荘で死去する。 『陸羯南全集』10年譜
9月4日 姉崎嘲風、横浜港から、信濃丸で出航、カーン資金による世界周遊に向かう。41年10月帰国する。 『停雲集』所収「太平洋の航海」
9月23日 鶯亭金升(39)、箱根に、やまと新聞社員一同と遊び、塔の沢環翠楼に泊まる。 『鶯亭金升日記』
9月28日 志賀直哉(24)、鎌倉に武者小路実篤(22)と行き、四泊して10月2日に帰京する。この間、建長寺に通う。 『志賀直哉全集』10日記
10月2日 和辻哲郎(18)、第一高等学校の友人二人と、国府津から箱根に行く。富士の裾野の八湖廻りをはじめる。 『和辻哲郎全集』25書簡
10月初 平野万里(22)、妻(玉野花子)と二子玉川のあたりに秋を探る。「前後の記」 「前後の記」
10月18日 志賀直哉(24)、藤沢鵠沼に武者小路実篤(22)と行き、東屋に泊まる。実篤は23日に帰京する。直哉は26日に帰京する。この間にエマルソン、ジョンソン、ユーゴーなどの伝記を読む。 『志賀直哉全集』10日記
10月 加藤武雄(19)、津久井郡の根小屋小学校准訓導となる。 『大衆文学大系』17年譜
10月 伊藤葦天(23)、藤沢の片瀬に行き「ある懊悩のために」滞在する。「時雨るるや起しにも来ぬ宿のもの」。 句集『穂』
11月上旬 内藤湖南(41)、逗子に行き、避寒中の父を見舞う。15日、父を連れて京都に向かう。 『内藤湖南全集』14書簡
11月16日 岡倉天心(44)、横浜港から出航、第三回目のボストン美術館勤務のため、アメリカに向かう。41年7月、ヨーロッパからシベリア鉄道経由で、中国の北京を回って帰国する。 『岡倉天心全集』別巻年譜
11月27日 上田敏(33)、横浜港からサイベリア丸で出航、アメリカを経てヨーロッパ留学に向かう。41年10月22日に帰国する。 『定本上田敏全集』10年譜
中里介山(22)、箱根湯本に行き、著書『二宮尊徳言行録』の件について、福住九蔵に謝罪する。 『中里介山全集 月報1~20』月報13中里幸作「思い出(1)-良寛堂雑記13」
12月1日 荒畑寒村(20)、横須賀海兵団に入営する。奇策を用いて兵役免除となり帰宅する。 『寒村自伝』
12月20日頃 日夏耿之介(17)、逗子の養神亭に行き、滞在中にイプセンの戯曲の英訳の翻訳を清書する。30日に帰京する。「養神亭の浴室」。 『日夏耿之介全集』8
12月中旬(時期特定できず―要調査) 林原耒井(=耕三)(20)、小田原に行き、早川の清光館で病いを養う。翌年にかけて、約半年間滞在する。同宿に野村胡堂が居た。 林原耕三『漱石山房の人々』所収「漱石先生の手紙」「私の歩んだ道」
12月24日 大町桂月(38)、小田原酒匂の伊沢末五郎(修二の弟)の楽石社に、長男と次男を吃音矯正のため預けに行く。翌年1月18日に迎えに行く。 『桂月全集』12「同病同憐」
12月下旬 有島武郎(29)、横浜にアーサー・クロウエルを案内して行く。 『有島武郎全集』別巻年譜
12月 後藤宙外(42)、鎌倉雪ノ下置石三七三番地に転居する。42年1月末に東京に転ずる。 『明治文学全集』65年譜
12月 山県有朋(69)、小田原城山に別荘古稀庵が竣工する。「うちわたす相模の海を池にしてあふく箱根は庭の築山」。以来、しばしば古稀庵に日を送る。 徳富猪一郎『公爵山県有朋伝』下
羽仁説子(4)、虚弱なため鎌倉に転居、長谷と材木座の間の畑の中の家に住む。教会付属のハリス幼稚園に入園する。43年に東京に引き上げる。 『羽仁もと子著作集』14所収「半生を語る」、『羽仁説子の本』年譜
月日未詳 杉浦重剛(52)、茅ケ崎の南湖院に入院する。 大町桂月、猪狩史山『杉浦重剛先生』年譜
月日未詳 吉川英治(15)、横浜戸部町の裏長屋に一家が移る。日ノ出町の海軍御用雑貨商続木商店の住みこみ店員となる。 『吉川英治全集』46年譜
月日未詳 松村英一(17)、横浜の貿易商に務める。約半年間勤務する。 『松村英一全歌集』年譜
明治41年(1908年)
1月1日 小島烏水(34)、箱根木賀に冬ごもりかたがた出かける。その夜から発熱、歯痛も加わり、翌日帰京する。 『小島烏水全集』3所収「山王台より」
1月 吉川英治(15)、続木商店の横須賀支店に転勤する。11月に退職する。「横須賀新聞」の俳壇の秋季俳句大会に入選する。 『吉川英治全集』46年譜
1月31日 横山源之助(36)、平塚に友人を訪ね、海岸の旭館に泊まる。2月3日、友人と会う。4月、馬入川口の須賀の寺に入り滞在する。 「趣味」明治41年4月掲載「須賀日記」
初春 中村武羅夫(21)、葉山で恋人と共にすごす。 『文壇随筆』「身辺雑記」
2月4日 国木田独歩(35)、茅ケ崎の南湖院に入院する。14日に家族も茅ケ崎に移り住む。 『定本 国木田独歩全集』10年譜
2月13日 川崎紫山(43)、逗子から平塚に行き、須賀の寺に滞在中の横山源之助を訪ねる。 横山源之助「須賀日記」
2月16日 吉江孤雁(27)、前田木城(29=晁)、茅ケ崎南湖院に独歩を見舞う。以来、3月30日(孤雁)、4月26日(二人)、5月初め(孤雁)、5月23日(花袋もふくめて三人)に見舞う。5月23日は国府津館に一泊し、翌日独歩を中心に十一人で写真をとる。 『国木田独歩全集』10「茅ケ崎時代」
2月25日 小栗風葉(33)、田山花袋と茅ケ崎南湖院に国木田独歩を見舞う。小杉未醒と三人で茅ケ崎館に泊まる。 小林一郎『田山花袋研究』
3月17日 内藤湖南(41)、逗子に行き、小浜の鈴木方で療養中の父を訪ねる。19日、葉山の日影茶屋に移る。21日、父を鎌倉長谷の鎌倉院治療所に入院させ、三橋旅館に宿を移す。22日、父は死去する。 『内藤湖南全集』14書簡
3月18日 杉村楚人冠(35)、横浜港からモンゴリア号で出航、朝日新聞社主催の世界一周会の会員を率いて、アメリカに向かう。6月21日に帰国する。 『楚人冠全集』2所収「半球周遊」
3月 中村武羅夫(21)、茅ケ崎南湖院にはじめて国木田独歩を見舞う。 『定本国木田独歩全集』年譜
4月14日 田山花袋(36)、茅ケ崎南湖院に国木田独歩を見舞う。この時『二十八人集』を贈るか。 小林一郎『田山花袋研究』
4月16日 魚住折蘆(25)、鎌倉、江の島に遊ぶ。 『折蘆書簡集』
4月25日 山下三郎、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
4月25日 志賀直哉(25)、祖母と弟妹を連れて鎌倉に蓮華の花を摘みに行く。翌日午後、自転車の競争を見て、七時ごろ帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
4月27日 石川啄木(22)、北海道函館から海路上京の途次に横浜に上陸する。28日、横浜正金銀行に小島烏水を訪ね、洋食店で会食をする。 『石川啄木全集』7書簡
4月 沢柳政太郎(42)、小田原に行き、酒匂の松涛園に腸チフスの予後を養う。6月に帰京する。 沢柳礼次郎『吾父沢柳政太郎』
4月 八木重吉(10)、津久井の川尻村尋常小学校に、隣村の東京府南多摩郡堺村相厚の自宅から通いはじめる。 『八木重吉全集』3年譜
5月1日 武者小路実篤(23)、三浦半島金田唐池の叔父の家に行く。二泊して3日、葉山を経て鎌倉まで歩き、帰京する。 『武者小路実篤全集』1「彼の青年時代」
5月1日 片山潜(48)、横須賀の浦賀に行き、浦賀ドックでメーデー記念の講演をする。 『わが回想』
5月2日 真山青果(29)、田山花袋と茅ケ崎南湖院に国木田独歩を見舞う。3日、4日、8日にも見舞い、以後枕頭に侍して話し相手となる。11日より、「読売新聞」に「国木田独歩氏の病状を報ずる書」を連載し始める。 『眞山青果全集』補巻5同上、『眞山青果全集』補巻2「初対面」
5月19日 植村正久(50)、茅ケ崎南湖院に国木田独歩を見舞い、生死の煩悶を訴えられる。 『定本国木田独歩全集』10
5月23日 江見水蔭(38)、川上眉山(39)、石橋思案(40)、巌谷小波(37)、広津柳浪(46)ら藤沢鵠沼の東屋で硯友会を催す。翌日、水蔭と眉山は片瀬の旧居沙地浪宅跡を訪れ、帰京の途次神奈川で別れる。これが水蔭にとって眉山との永遠の別れとなった。 『自己中心明治文壇史』
5月24日 国木田独歩(35)、見舞いに来た正宗白鳥、中村星湖、小栗風葉、相馬御風、前田木城、田山花袋、小杉未醒、岩野泡鳴、真山青果、吉江孤雁の十人と共に記念写真をとる。 『定本 国木田独歩全集』10年譜
この日 花袋、白鳥ら国府津館に泊まる。 小林一郎『田山花袋研究』
5月26日 志賀直哉(25)、横浜に本を買いに行き、ついでに山下公園で西洋人の運動会を見る。 『志賀直哉全集』15書簡
5月下旬 林原耒井(=耕三)(20)、小田原の早川清光館から、小峰公園内の大久保神社の社務所の離れ家に移る。 『漱石山房の人々』所収「漱石先生の手紙」「私の歩んだ道」
6月23日 国木田独歩(35)、茅ケ崎南湖院で死去する。翌日、茅ケ崎六本松火葬場で荼毘に付する。 『定本 国木田独歩全集』10年譜
7月8日 東山魁夷、横浜で生まれる。三歳の時、神戸に移る。 『日本近代文学大事典』
7月上旬 沢柳政太郎(43)、藤沢に行き、片瀬海岸に近い山本別荘(山本慎次郎の貸別荘)を借りて、静養とあわせて、著述に従う。 沢柳礼次郎『吾父沢柳政太郎』
7月 大貫晶川(21)、川崎溝口の実家に帰省する。 「明星」
7月 三宅雪嶺(48)、鎌倉師範学校、小田原中学校、大磯小学校で講演をする。 <『明治文学全集』33年譜>
8月12日 幸徳秋水(36)、郷里から帰京の途次、箱根大平台林泉寺に内山愚童を訪ねる。14日に帰京する。 『幸徳秋水全集』別巻年譜
8月24日 森鴎外(46)、ロベルト・コッホを送って横浜に行く。 『鴎外全集』35日記
8月31日 近松秋江(32)、箱根に行き堂ケ島に滞在する。9月15日、塔之沢に滞在中の前田木城と田山花袋が宿を訪れる。 『近松秋江全集』9所収「文壇無駄話」26~30
8月 富田砕花(17)、国府津に避暑する。 「明星」8月号
真山青果(29)、箱根に遊ぶ。 『眞山青果全集』補巻5「南北二百里」
平塚らいてう(22=雷鳥)、茅ケ崎海岸で母の転地に付きそう。 井手文子『平塚らいてう』
9月13日 田山花袋(36)、前田木城(29)、箱根湯本に静養に行く。二泊する。 小林一郎『田山花袋研究』
9月15日 真山青果(30)、徳田秋声(36)、国府津館に行き一泊する。ついで湯河原に行き滞在する。(~19日)秋声、青果「湯河原日記」。 「新潮」
10月7日 土屋文明(18)、高崎中学校の修学旅行で箱根に向かう。東京を経て国府津、早雲寺、底倉(泊)、芦ノ湖、塔之沢(泊)、小田原と回り、東京を経て10日に帰着する。文明は記録係であった。短歌「箱根」。 『高崎高校八十年史』
11月2日 内田魯庵(40)、逗子に子供を連れて遊ぶ。一泊して翌日泉鏡花の家を訪ねたが分からず、夕方帰京する。 「趣味」明治42年1月掲載「忙中一閑録」、『内田魯庵全集』6
11月 内藤千代子(14)、藤沢鵠沼から応募した「田舎住の処女日記」が当選して「女学世界」に載る。 「女学世界」
11月 臼田亜浪(29)、「横浜貿易新報」の編集長となる。 『定本亜浪句集』
12月26日 斎藤野の人(30)、高山樗牛七回忌で姉崎嘲風、登張竹風、笹川臨風らと竜華寺に詣でた帰途、鎌倉に立ち寄り越年する。 『明治文学全集』40年譜
12月 志賀直哉(25)、湯河原の中西屋に滞在中、27日柳宗悦(29)が行き、さらに29日木下利玄(22)が合流して越年する。「湯ケ原より」。 『志賀直哉全集』1、『志賀直哉全集』12書簡
12月 藤岡作太郎(38)、大磯で越年する。 『明治文学全集』44年譜
月日未詳 荻原守衛(28)、鎌倉の成就院に相馬黒光と連れだって文覚像を見に行く。 林文雄『荻原守衛』
明治42年(1909年)
1月3日 鶯亭金升(40)、川崎に行き、川崎大師に厄除けのお参りをする。 『鶯亭金升日記』
1月4日 黒田清輝(42)、箱根伊豆旅行を思い立ち、まず箱根湯本に行き福住楼(萬翠楼福住か?)に泊まる。5日、小田原に出て伊豆山に赴く。伊豆山滞在中、8日、軽便鉄道で湯河原見物に行き中西屋で昼食をとり、海岸に出て真鶴ヶ崎(真鶴岬か?)の景を写生する。9日に帰京する。
2月中旬 管野スガ(27)、逗子に行き、幸徳秋水の配慮で正覚寺に転地療養をする。 『管野須賀子全集』3年譜
2月21日 森鴎外(47)、小田原に行き、山県有朋の別荘古稀庵で催された歌会常磐会に参加する。山県から古稀庵の記を作るよう頼まれる。 『鴎外全集』26「古稀庵記」、『鴎外全集』35日記
2月26日 伊藤左千夫(44)、蕨真(32)、横浜杉田の梅林に遊ぶ。 『左千夫全集』8年譜
2月 安田靫彦(25)、鎌倉に行き、材木座の中島館で療養する。 『岡倉天心全集』6岡倉天心書簡
2月 片山潜(49)、葉山に行き、七年前にも借りた農家の一室を借りて、過労による神経衰弱の療養にあたる。 『わが回想』
2月 ささき・ふさ(11)、大橋家に嫁いだ次姉に子がなく、養女となり横浜常盤町八二番地に移る。養父は横浜裁判所判事であった。 『ささきふさ作品集』
3月4日 武者小路実篤(23)、藤沢鵠沼に行き、東屋に滞在する。 『お目出たき人』
3月14日 柳田国男(30)、高座郡下鶴間から愛甲郡愛川村、田代村に講演旅行をする。 後藤総一郎『柳田国男伝』年譜
3月20日 渋川玄耳(36)、横浜港から出航、朝日新聞社の特派員として、トーマス・クック旅行社主催の「世界一周旅行会」に加わり、世界一周に向かう。 『藪野椋十日本と世界見物』、『明治文学全集』97
4月16日 島田三郎(56)、横浜に行き、太田町の中央伝道会で開かれた、創立一周年記念祝賀演説会に出席する。 『横浜近代史総合年表』
4月中旬 平野万里(20)、横浜根岸の横浜硝子製造株式会社に就職し、根岸に居を構える。翌年7月大連に移る。 「スバル」明治42年6月号
4月25日 牧野英二、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
4月 真山青果(30)、国府津の海浜に二人の青年と十日ばかり滞在し、その間に小田原にも行く。 『眞山青果全集』補巻5「南北二百里」
4月 加藤武雄(20)、津久井郡川尻小学校准訓導に転勤する。翌年9月退職し10月に上京する。 『大衆文学大系』17年譜
5月17日 小崎弘道(53)、横浜に行き、尾上町の指路教会で開かれた基督教伝道演説会に、島田三郎と共に出席する。 『横浜近代史総合年表』
6月3日 中村星湖(25)、小田原に亡き伯父の地所の件でG叔父を訪ね、二泊する。たまたま訪ねてきた父とも会う。 「文章世界」明治42年8月掲載「日記八日分」
6月初旬 藤岡作太郎(38)、大磯に7月末まで滞在する。 『明治文学全集』44年譜
6月25日 長谷川銀作(15)、横浜に行き、永楽町で貸座敷金宝楼を営む父方の伯母の家に寄寓する。翌年4月上京する。 『長谷川銀作全歌集』年譜
7月1日 森鴎外(47)、横浜で催された開港五十年祭式典に市歌の作詞者として参列する。徳富蘇峰、黒岩涙香(周六)らも来賓のなかに見える。 「読売新聞」
7月1日カ 佐藤惣之助(20)、横浜に行き、開港50年祭の仮装行列に、友人らと共に参加する。 『蠅と蛍』所収「横浜懐古」
7月3日 鶯亭金升(41)、横浜に行き、開港五十年祭の賑わいを見る。町人の接待休憩所の多いこと、仮装して歩く道戯化の多いことが珍しかった。 『鶯亭金升日記』
7月18日 近松秋江(33)、箱根に行き滞在、執筆にあたる。 『近松秋江全集』9所収「山から」1~3、「湖上の月」
7月 志賀直哉(26)、箱根芦之湯の紀の国屋に滞在する。 『志賀直哉全集』16書簡―柳宗悦より
7月 里見弴(21)、友人と藤沢鵠沼の宿屋に二カ月ほど滞在する。『潮風』。 『里見弴全集』あとがき
7月 大塚楠緒子(33)、鎌倉から大磯に転地する。 『近代文学研究叢書』11
7月 馬場恒吾(34)、横浜港から頭本元貞に従って、日本郵船の信濃丸でアメリカに向かう。頭本がニューヨークで「オリエンタル・レビュー」を発刊することになったので、その編集に従事するためであった。 『三代言論人集』所収岩淵辰雄「馬場恒吾」
8月13日 高浜虚子(35)、箱根を越えて修善寺に向かう。「箱根越」 「箱根越」
8月15日 森鴎外(47)、小田原に行き、古稀庵での歌会常磐会に参加する。 『鴎外全集』35日記
8月18日 木下利玄(23)、元箱根の橋本屋に滞在する。 『志賀直哉全集』別巻書簡
8月半 杉村楚人冠(36)、鎌倉に行き、警策を二本誂え、ついでに円覚寺の塔頭続燈庵、寿徳庵を訪ねる。 『楚人冠全集』1所収「雲水行住」
8月25日 西田幾多郎(39)、金沢からの上京の途次、横浜に立ちより、この夜埠頭を散歩する。 『西田幾多郎全集』
8月 佐藤義亮(31)、小田原に行き、漁師の家を借りて避暑する。中根日駒十郎が訪問する。平福百穂も訪れる。 「図書新聞」昭和35年9月17日掲載中根駒十郎「駒十郎随聞」
9月26日 岩越昌三、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
10月19日 妹尾義郎(19)、国府津に行き、酒匂川畔での第一高等学校屋外軍事演習に参加する。清光館に泊まる。20日、自由散歩に元箱根に行き、宮城野、宮ノ下、塔之沢から湯本にもどり、生まれてはじめて温泉に入る。21日、再び演習をして午後帰京する。「あゝ思出多い哉、あゝ楽しかりし三日の旅」と日記に記す。 『妹尾義郎日記』
10月21日 植村正久(51)、横浜に行き、尾上町の指路教会で開かれたヘボン博士来朝記念演説会で、「智者の夢」を講演する。同じく島田三郎も「ヘボン博士に就て」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
10月27日 坪内士行(22)、横浜港から出航、演劇研究のためアメリカに向かう。ハーバード大学に学び、イギリスに渡り、大正4年帰国する。坪内逍遙、島村抱月、金子馬治、高田半峰らが見送る。 『坪内逍遙事典』年譜
11月22日 帆田春樹、小田原在早川に生まれる。 『日本近代文学大事典』
永井荷風(29)、逗子の別荘で、夏目漱石から「朝日新聞」連載を依頼された「冷笑」の執筆にはげむ。 『永井荷風全集』29年譜
12月23日 中里恒子、藤沢に生まれる。家は呉服太物問屋であった。 『中里恒子全集』18年譜
12月 真山青果(31)、国府津海岸(下足柄郡小八幡村)の材木店の別荘に、下女と書生二人の四人暮らしを始める。翌年春から母も同居した。(~44年2月)。 『眞山青果全集別巻1 真山青果研究』
12月 白柳秀湖(25)、妻と川崎大師に詣でる。 「文章世界」明治43年2月掲載「大師詣での記」
12月末 藤岡作太郎(39)、大磯に行き滞在、越年する。(~43年1月14日)。 『明治文学全集』44年譜
月日未詳 長谷川伸(25)、横浜毎朝新聞社に入社する。 『長谷川伸全集』16年譜
月日未詳 吉川英治(17)、横浜ドック会社の船具工となる。「鉄ノ橋」際の吉田町二丁目に移転する。 『吉川英治全集』46年譜
月日未詳 添田唖蝉坊(37)、茅ケ崎から妻子を連れて上京の途次、横浜平沼の義兄の家に逗留。長女が生まれる。 『唖蝉坊流生記』
月日未詳 舟橋聖一(5)、父のドイツ留学にともない、母の実家が鎌倉腰越に持つ別荘に移住する。のち腰越小学校に入学する。45年夏に東京に転居する。 『新潮現代文学』11年譜
月日未詳 大野洒竹(37)、鎌倉に行き、肺炎の予後を養う。 『明治文学全集』32年譜
月日未詳 平出修(31)、鎌倉の光明寺事件の弁護士として、幾回か鎌倉を訪ねる。 平出彬『平出修伝』
月日未詳 馬淵美意子(13)、鎌倉女学校に入学する。 『馬淵美意子のすべて』
明治43年(1910年)
1月1日 西田幾多郎(39)、大磯中村屋に滞在中の藤岡作太郎を訪ね二泊する。3日、鎌倉に回り、長谷の前田公別邸に一泊して、翌日帰京する。 『西田幾多郎全集』
1月2日 志賀直哉(26)、箱根滞在中の父の招きで、妹を連れて強羅に行く。「自家の土地といふのを見る」。三泊して、5日に帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
1月2日 鶯亭金升(41)、川崎に行き、川崎大師に参詣する。 『鶯亭金升日記』
1月5日 茶木滋、横須賀の汐入に生まれる。 横須賀市『よこすかの文学碑』
1月12日 添田唖蝉坊(37)、横浜の義兄の家に滞在中、妻が産後の肥立ちが悪く死去する。 『唖蝉坊流生記』
1月29日 志賀直哉(26)、叔父直方の招きで片瀬に行き、鎌倉に泊まり、翌日帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
1月 夢野久作(21)、鎌倉の父杉山茂丸の家で新年を迎える。4日に上京する。 英文日記
1月カ 小山鼎浦(30)、小田原早川に妻と行き滞在する。8月頃、七里ガ浜に移る。 『鼎浦全集』3所収「海よりの書翰」
2月5日 鳥見迅彦、横浜の戸部に生まれる。 『日本近代文学大事典』
2月25日 志賀直哉(27)、里見弴と国府津に行き、洋行から帰国して上京中の有島生馬を迎える。 『志賀直哉全集』10日記
2月 島村抱月(39)、小田原早川口の美好屋に、肋膜炎のため転地療養する。初夏に帰京する。 「早稲田文学」3月号
早春 真山青果(31)、国府津滞在中、徳冨蘆花から横浜の貿易商の娘伊藤京子との縁談をすすめられる。翌年初夏に結婚する。 『眞山青果全集別巻1 真山青果研究』
3月1日 坪内逍遙(50)、小田原に行き、療養中の島村抱月を見舞う。 『坪内逍遙事典』年譜
3月7日 石榑千亦(40)、藤沢鵠沼に竹柏園の野遊会を催し、同人十一人で鵠沼相陽館に行き、江の島見物もする。「三月七日」 「三月七日」
3月22日 幸徳秋水(39)、湯河原の天野屋に管野スガ(須賀子)と行く。執筆計画をもって滞在し、5月5日に一旦帰京する。 『幸徳秋水全集』別巻年譜
4月1日 片岡良一(13)、藤沢小学校を卒業し神奈川県立第一中学校(現・希望ケ丘高校)に入学する。45年4月に東京府立第一中学校に転学する。 『片岡良一著作集』11
4月26日 志賀直哉(27)、鎌倉に行き、有島生馬と夜更けまで話し、叔父宅に一泊する。翌日、帰途横浜に立ち寄り日盛楼で食事をする。 『志賀直哉全集』10日記
4月 八木重吉(12)、津久井の川尻尋常小学校の高等科に進む。再従兄の加藤武雄は同校の訓導として9月まで在職していた。 『八木重吉全集』3年譜
5月5日 北原白秋(25)、三浦三崎を初めて訪れ、歌舞島を中心に清遊する。「短歌七首」、詩「岬」。 『白秋全集』別巻年譜
5月8日 荒畑寒村(22)、幸徳秋水を詰問するため湯河原に赴く途中、国府津館に泊まる。9日、湯河原天野屋に到るが、秋水は5日に帰京したことを知り引きかえして、国府津駅に泊まる。10日、横浜の兄の家に帰り着く。 『寒村自伝』
5月11日 幸徳秋水(39)、湯河原に再び行き、天野屋に滞在する。20日、寒村へ言いわけと決闘受諾の長い手紙を書く。 『幸徳秋水全集』9書簡
5月15日 森鴎外(48)、小田原に行き、古稀庵での歌会常磐会に参加する。ついで益田孝の別荘に寄る。 『鴎外全集』35日記
5月 田岡嶺雲(39)、湯河原に行き、中西屋ついで天野屋に泊まり、幸徳秋水と同宿となる。 西田勝『田岡嶺雲選集』略年譜
5月 赤羽巌穴(35)、湯河原に行き、滞在中の幸徳秋水を訪ねる。 『明治文学全集』84年譜
6月1日 幸徳秋水(39)、湯河原で大逆事件の主謀者として逮捕される。田岡嶺雲がそれを見送る。 嶺雲『数奇伝』
6月9日 葛西善蔵(23)、鎌倉円覚寺松嶺院に居を移し、本格的に創作に専念する覚悟をきめる。 『葛西善蔵全集』5書簡
6月 巌谷小波(39)、横浜羽衣町の羽衣座で開かれた横浜子供倶楽部の発会式で顧問に就任する。 『横浜近代史総合年表』
6月 磯萍水(30)、横浜に行き、羽衣座で開かれた横浜子供倶楽部の発会式に幹事として出席する。 『横浜近代史総合年表』
7月13日 有島生馬(27)、箱根に行き「モンマルトルの友」を書き継ぐ。18日に帰京する。 「白樺」
7月14日 志賀直哉(27)、松平春光に招かれて箱根に行き湯本に泊まる。16日、夜、小田原海岸で迎え火を見る。17日、酒匂松濤園に岩倉を訪問して一泊する。翌日帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
7月19日 葛西善蔵(23)、鎌倉山ノ内の釜石米店前に移る。9月下旬帰京する。 『葛西善蔵全集』5書簡
8月1日 片上伸(26)、茅ヶ崎に行き、南湖の青木家に滞在する。海水浴に興じ、読書に親しむなど避暑生活を送る。27日、藤沢から片瀬、江の島に行き、さらに稲村ヶ崎で泳ぎ、長谷から鎌倉をまわり、大船に出て、汽車で茅ヶ崎に戻る。31日帰京する。 「ホトトギス」明治43年10月掲載「茅ヶ崎日記」
8月3日 西田幾多郎(40)、横浜に行き、岸方に泊まる。翌日、京都帝国大学に教授として赴任する。 『西田幾多郎全集』17日記
8月7日 芥川龍之介(18)、藤沢鵠沼に行き、親戚の別荘に滞在中の友人を訪ね、滞在する。 『芥川龍之介全集』10書簡
8月初旬 木下利玄(24)、逗子に遊び、新宿の高橋兼吉方に滞在する。 『志賀直哉全集』別巻書簡
8月中旬 平塚らいてう(24)、茅ケ崎南湖院に姉を見舞う。  
8月27日 片上伸(26)、茅ヶ崎滞在中、江の島から鎌倉に遊ぶ。 「ホトトギス」明治43年10月掲載「茅ヶ崎日記」
8月28日 川島彷徨子、厚木に生まれる。 『日本近代文学大事典』
8月 川尻宝岑(67)、箱根塔之沢の福住楼に避暑のため滞在する。10日、大雨のため河川が溢れ居室もろとも押し流されて死去する。 『明治文学全集』85年譜
中勘助(25)、病後の保養その他の事情のため小田原の義姉の実家の別荘に滞在する。 『中勘助全集』2「綱ひき」
黒田清輝(45)、鎌倉に滞在、9月5日に鎌倉から鹿児島旅行に出る。 『黒田清輝日記』3
沢木四方吉(23)、湯河原に行き、中西屋に滞在する。 「三田文学」明治44年4月掲載「夏より秋へ」
9月14日 岡倉天心(47)、横浜港から佐渡丸で出航、ボストンに向かう。44年8月28日、鎌倉丸で横浜港に帰着する。 『岡倉天心全集』別巻
10月13日 鈴木三重吉(28)、箱根に行き、芦の湯に一泊する。翌日、三島に下る。 『鈴木三重吉全集』別巻書簡
10月17日 和辻哲郎(21)、横浜に泊まりがけで、この日まで四晩つづけて山手のゲーテ座に通い、ウォリック・メイジャー一座の芝居を見る。 「新思潮」(第二次)
10月25日 吉井勇(24)、鎌倉に行き、扇ケ谷の養気園に滞在する。 『木下杢太郎宛知友書簡集』上
11月3日 佐佐木信綱(38)、箱根に行き、帰途大磯に寄り、療養中の大塚楠緒子を見舞う。「大塚楠緒子ぬしを憶ふ」。 「心の花」
11月9日 大塚楠緒子(35)、大磯の大内館で死去する。翌日、大磯で荼毘に付する。 『近代文学研究叢書』11
11月13日 小山鼎浦(30)、茅ヶ崎に行き、南湖院第二病室に入院する。44年7月、退院して南湖院そばの別荘を借りて静養する。「茅ヶ崎雑詠の中より」。 『鼎浦全集』3年譜
11月 吉川英治(18)、横浜第一ドックの足場から落ち、横浜十全医院に入院する。翌月退院して、上京する。 『吉川英治全集』46年譜
11月 大野洒竹(38)、藤沢鵠沼に静養する。 『明治文学全集』32年譜
長田幹彦(23)、鎌倉、江の島、横須賀に行く。「鎌倉より」 「鎌倉より」
五島美代子(12)、藤沢の片瀬に行く。神経衰弱気味で桜井女子英学塾を退塾した後の保養に、吉田屋秋元家に二室を借りて、冬にかけて折々出掛ける。 『定本五島美代子全歌集』年譜
12月2日 高浜虚子(36)、鎌倉由比ガ浜(小林米華氏抱家)に住居を移す。 「ホトトギス」
12月8日 志賀重昴(47)、横浜の公園内の社交倶楽部で開かれた横浜経済会常集会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
12月末 白鳥省吾(20)、横須賀軍港に叔父を訪ねて滞在、越年する。詩「軍港の一部」、「煙と生命と」。 『憧憬の丘』
月日未詳 山本周五郎(7)、横浜市中区久保町に、東京から一家をあげて転居する。西戸部小学校一年に転校する。 『山本周五郎全集』30年譜
明治44年(1911年)
1月4日 水上滝太郎(23)、湯河原中西屋に滞在して「火事」二十枚(第一習作)を執筆する。のち「浴泉記」とともに破棄された。 『水上瀧太郎全集』2略年譜
1月 山崎紫紅(35)、横浜市議会議員となる。 『近代文学研究叢書』45
1月 大野洒竹(38)、鎌倉長谷に移り住む。 『明治文学全集』32年譜
2月8日 萩原朔太郎(24)、「何となく東京を逃げ出して見たい気がして」大磯の海岸に行き、一濱(旗ヵ)亭に泊まる。翌日歩いて平塚の杏雲堂を訪ねる。「二月の海」。 『ソライロノハナ』
2月16日 細入藤太郎、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
3月24日 石川三四郎(34)、渡辺政太郎と共に横浜根岸に同志大和田忠太郎を訪ねる。 『石川三四郎著作集』7年譜
3月 富安風生(25)、病を得て以後数年湘南各地に療養する。 『春時雨』年譜
3月 佐佐木信綱(38)、上田万年と共に横浜に行き、帰京するチェンバレンと三渓園で語りあう。 『作歌八十二年』
4月1日 井上円了(53)、横浜に行き、日本郵船日光丸で出港、南半球五万哩の旅に出る。翌年1月22日、横浜に帰港する。 平野威馬雄『伝円了』
4月11日 永井荷風(31)、逗子の別荘に滞在する。 『永井荷風全集』25書簡
4月 山本周五郎(7)、学区編成替えによって、西前小学校二年に転学する。 『山本周五郎全集』30年譜
4月 水上滝太郎(23)、湯河原中西屋に沢木四方吉と行き、処女作「山の手の子」を書く。 『水上瀧太郎全集』9「『その春の頃』の序」
4月 高浜虚子(37)、「由井ケ浜」を「ホトトギス」に発表する。以後、8月に「鎌倉生活」(「国民新聞」)、「笹目」(「ホトトギス」)などを発表する。 「ホトトギス」
4月 飛鳥田無公(14)、農学校を二年で中退して、厚木にある県立蚕業取締所に勤務する。 『現代俳句大系』1年譜
5月2日頃 石川三四郎(34)、横浜根岸町字芝生二一九四番地に移り、持病の気管支炎の治療にあたり、かたがた著述、翻訳に従事する。 『自叙伝』
5月 幸田露伴(43)、箱根に遊ぶ。「短歌四首」 「短歌四首」
5月 三木露風(23)、湯河原に遊ぶ。  
菊池寛(22)、三浦半島に一高の友人たちと旅行する。翌日、三崎から鎌倉に歩く。鶴岡八幡宮の社頭に腰かけて、「茫然たる八百年の昔を回想し感慨無量」であった。 『半自叙伝』
6月24日 島田三郎(58)、横浜に行き、尾上町の指路教会で開かれた、横浜基督教青年会主催の演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
7月1日 島崎藤村(39)、鎌倉に神津猛と行き円覚寺に釈宗演を訪ねる。 『島崎藤村全集』13年譜
7月2日 半田義之、横浜保土ヶ谷に生まれる。 『日本近代文学大事典』
7月21日 夏目漱石(44)、鎌倉長谷の光則寺入口の右手高台にある中村是公の別荘に行く。翌日、人力車で小坪に行き、タコを突く。夕方帰京する。 『漱石全集』13日記
7月 堀口大學(19)、横浜港から東洋汽船の香港丸で出航、慶応大学を中退して父の任地メキシコに向かう。大正2年4月、帰国する。 『堀口大學全集』9年譜
8月20日 伊藤左千夫(46)、鎌倉の虚子庵での文章会に出席し、泊まる。 『左千夫全集』3「三ケ月湖遊記」
8月31日 新渡戸稲造(48)、横浜港から新造船の春洋丸で出航、アメリカに向かう。在米日本人会に招かれ、島田三郎も同じ船に乗る。 『横浜近代史総合年表』
後藤末雄(24)、大磯に遊ぶ。 「文章倶楽部」大正6年8月号掲載「避暑地の一挿話」
土方与志(13)、茅ヶ崎に行き、祖父の建てた別荘で夏休みをすごす。近くの別荘に滞在中の友田恭助と海岸で知りあいになり、芝居の一座南湖座を結成し、別荘を利用した舞台で公演する。多い時は二百人ほども付近の年寄りが見物に来た。 尾崎宏次・茨木憲『土方与志』
正岡容(6)、江の島に家族に連れられて行く。「まるで広重の江戸画そのまゝな、花やかさに織込まれてかへった江の島」とのちに回想する。 『東海道宿場しぐれ』所収「銀砂子扇江之島」
水上滝太郎(23)、鎌倉に避暑する。戯曲「嵐」を構想する。 『水上滝太郎全集』9所収「『その春の頃』序文」
9月中旬 若山牧水(26)、相模地方に数日間遊ぶ。 全集年譜
9月27日頃 北原白秋(26)、小田原に行き御幸ノ浜の養生館に滞在する。10月7日ごろに帰京する。 『白秋全集』書簡
9月 三富朽葉(22)、箱根に滞在し、松葉から依頼されたモドマン・ギュロー脚色『アンナ・カレニナ』の脚本を翻訳する。10月12日か13日に帰京する。 『三富朽葉全集』2書簡
10月 秋田雨雀(28)、箱根に行き塔之沢の新玉の湯で静養する。12月初めに帰京する。 『秋田雨雀日記』5年譜
10月 尾山篤二郎(21)、大和の鶴間に行き、「詩歌」同人・古木青葉の家に滞在する。10日ほど経って若山牧水が顔を見せる。二週間ほどの滞在の後、横浜に行き、牧水が泊まっている友人の下宿を探しあてる。「武蔵野か、あらず相模か霧ながるわれはたなにを茲におもへる」。 歌集『さすらひ』所収「相模の国高座郡に遊べる歌十一首」、滝沢博夫『評伝尾山篤次郎』、「詩歌」明治44年11、12月
10月 川田順(29)、小田原の早川に妻と義弟を伴って行き、赤痢の病後を養う。 「短歌」昭和41年4月(追悼号)年譜
10月 竹越三叉(46)、湯ヶ原に滞在し、松本君平の文章を読む。 『三叉文存』所収「湯ヶ原にて」
11月8日 与謝野寛(38)、横浜港から出航、ヨーロッパに向かう。大正2年1月帰国する。 山本千恵『山の動く日きたる』
11月1日 若山牧水(26)、横浜市不老町の村岡方に、28日まで滞在する。 『若山牧水全集』2書簡
11月26日 田村俊子(27)、茅ケ崎に長沼智恵子と行き、南湖院に「青鞜」の保持研子を見舞う。 『田村俊子作品集』三所収「二三日
11月27日 並木秋人(18)、福島の実家から家出して逗子に行き、八幡前に住む叔父の家に行く。翌月から葉山下山の岩田牧場の牛乳配達をする。横須賀の「武相新報」に歌や文を投稿、採用される。 中畑信雄『歌人並木秋人』
11月 和辻哲郎(22)、藤沢鵠沼に行き、高瀬邸に滞在し卒業論文を執筆、45年3月に帰京する。 和照『和辻哲郎とともに』
11月 真山青果(33)、横浜本牧村に転居し、大正4年5月まで住む。 『眞山青果全集別巻1 真山青果研究』
福田英子(47)、横浜根岸の石川三四郎宅に移転する。 石川三四郎『自叙伝』
12月5日 杉村楚人冠(39)、横浜のサムライ商会主人の野村洋三に誘われて鎌倉に行き、釈宗演らと海浜院で歓談する。 『楚人冠全集』14所収「海浜院の一夕」
12月20日 柳宗悦(22)、横浜に行き、ロダンがフランスから白樺同人達に贈ってくれたが彫刻三点を税関に受けとりに行ったが果たせず、22日に再び行って受けとり、東京に運ぶ。 「白樺」明治45年2月
12月26日 中里介山(26)、湯河原に行き、幸徳秋水のことを土地の人達に尋ねる。皆「幸徳さん」とさん付けで呼び、「逆賊」といった意識を全く持っていないことに一驚する。 松本健一『中里介山辺境を旅する人』所収秋元巳太郎宛て書簡
12月31日 三宅克己(37)、三浦三崎に行き、岬陽館に泊まる。同宿の岩村透と夜を徹して語り合う。 「美術」大正6年9月掲載「嗚呼岩村さんは逝かれた」、清見陸郎『岩村透と近代美術』
12月 谷崎潤一郎(25)、藤沢鵠沼の東屋に滞在して「悪魔」を執筆する。24日に帰京する。 『谷崎潤一郎全集』26年譜
12月 尾形亀之助(11)、鎌倉に喘息療養のため転地し、乱橋材木座に住まう。翌年4月から尋常高等鎌倉小学校に転校する。 秋元潔『評伝尾形亀之助』
12月 今村紫紅(31)、小田原十字町に、原三渓の援助で転居する。大正2年12月に東京に移る。 『神奈川県美術風土記』
12月下旬 大町桂月(42)、箱根に行く。下村観山と入れ違いになる。箱根山荘に滞在する。滞在中、早川に行き、清光館で病を養う巌谷小波、東儀鉄笛を見舞う。 「読売新聞」明治45年1月2日掲載「箱根より」
明治45年/大正01年(1912年)
1月3日 伊藤左千夫(48)、鎌倉に高浜虚子を訪問する。 『左千夫全集』8年譜
1月3日 島崎藤村(39)、中沢臨川、小山内薫と箱根塔之沢に保養する。7日、小山内と杏雲堂側の扇松海岸に神津猛を訪ねる。9日に帰京する。 『島崎藤村全集』13年譜
1月27日 寺田寅彦(33)、三崎の研究所に、器械修理のために出張する。29日夜の船で帰京する。 『寺田寅彦全集』19日記
2月10日 寺田寅彦(33)、小田原に大敷網を見分のために行き、小伊勢屋に泊まる。翌日、早川をまわって帰京する。 『寺田寅彦全集』19日記
2月10日 志賀直哉(28)、酒匂松濤園の岩倉のもとに行き三泊する。この間、11日に大磯に自動車で行き、12日午後小田原に行き、梅本で芸者を呼んで食事をする。13日に帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
2月21日 志賀直哉(29)、鎌倉に行き四泊する。この間に23日は海岸から電車で藤沢に行く。25日に帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
2月 巌谷小波(41)、箱根に行き、塔之沢の環翠楼で病後の保養をし、二ヵ月をすごす。 『明治文学全集』20年譜
3月7日 志賀直哉(29)、鎌倉に行き四泊する。この間、10日に逗子に岩下母堂を訪問する。11日の夕方の汽車で帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
3月24日 寺田寅彦(33)、三崎の研究所に、器械のとりかえに出張する。 『寺田寅彦全集』19日記
3月25日 渾大坊小平(21)、横浜に行き、中区北仲通りに住む父の友人を訪ね、将来のことを相談し、七月に上京するまでの日を過ごす。「短歌」八首。 『渾大坊小平遺稿集』年譜
4月1日 北村初雄(15)、県立第一中学校に入学する。同級に熊田精華がいたが親交を結ぶのは五年生になってのことであった。 『現代日本詩人全集』5小伝
4月10日 扇谷義男、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
5月29日 若山牧水(26)、三崎に遊ぶ、初声館に泊まる。6月1日に帰京する。 『若山牧水全集』書簡
5月 三木露風(22)、湯河原に遊ぶ。 『三木露風全集』2書簡
窪田空穂(34)、鎌倉に遊ぶ。「短歌八首」。前田晁(木城)と逗子に遊ぶ。「短歌五首」。 『濁れる川』
6月1日 武者小路実篤(27)、藤沢鵠沼に竹尾房子と遊び結ばれる。 『武者小路実篤全集』1「世間知らず」
6月2日 石川三四郎(36)、小路をひとつ隔てただけの横浜根岸町字芝生二一九一番地に移転する。 『自叙伝』
6月24日 志賀直哉(29)、箱根に行き強羅に滞在し、「大津順吉」の執筆にあたる。7月3日午後に帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
6月29日 夏目漱石(45)、鎌倉と江の島に遊ぶ。(~7月1日)。 『漱石全集』13日記
7月13日 平塚らいてう(26)、尾竹紅吉が南湖院に入院のため茅ケ崎に行く。翌日、入院に付きそう。  
7月21日 志賀直哉(29)、箱根に行き、芦之湯に滞在する。29日に「大津順吉」を脱稿し、30日に帰京する。 『志賀直哉全集』10日記
7月21日 夏目漱石(45)、鎌倉に避暑し、材木座の田山別荘に滞在する。 『漱石全集』13日記
8月3日 小宮豊隆(28)、鎌倉に行き、滞在中の夏目漱石を訪ねて一泊、翌日漱石と共に帰京する。 『漱石全集』20日記
8月上旬 前田夕暮(29)、箱根に妻と行き芦ノ湖畔に滞在し、歌集『陰影』の原稿を作る。 前田透『評伝前田夕暮』
8月17日 斎藤茂吉(30)、逗子に海水浴に行き、新宿の高橋方に滞在する。(~28日)。 『齋藤茂吉全集』33書簡
8月中旬 平塚らいてう(26)、茅ケ崎に行き、南湖下町の漁師良助の家に間借りする。この夏、同人たちが集って「青鞜」一周年記念号を編集する。そこで東雲堂の西村陽吉と共に来た奥村博史とはじめて会う。  
8月18日 堺利彦(41)、横浜に行き、根岸の石川三四郎を訪ね、ベルギー副領事を紹介する。 石川三四郎『自叙伝』
8月 舟木重雄(27)、藤沢鵠沼に避暑する。9月初旬に帰京する。 「奇蹟」
9月11日 夏目漱石(45)、鎌倉に行き、中村是公と東慶寺に釈宗演を訪ね、満洲巡錫を依頼する。 『漱石全集』13日記
9月 坪田譲治(22)、肺尖カタルにて茅ケ崎の南湖院に入院する。翌年8月に退院する。 『坪田譲治全集』12年譜
10月15日 石川三四郎(36)、横浜根岸町字西竹の丸三一七八番地に転居する。 『自叙伝』
10月20日 志賀直哉(29)、藤沢鵠沼に家族を連れて遊ぶ。「鵠沼行」。 『志賀直哉全集』10日記
10月20日 山田今次、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
吉野秀雄(10)、父に連れられて鎌倉から江の島に行き、恵比寿屋に一泊する。 『吉野秀雄全集』9「鎌倉の思い出」
今井達夫(11)、一家が藤沢鵠沼に移住する(~大正12年)。「鵠沼にゐた文人」 「報知新聞」[昭和10.2.14~(5回)]
11月12日 岩野泡鳴(39)、横浜へ行き、神奈川丸に乗りこんで観艦式を観る。初めて飛行機を見る。 『岩野泡鳴全集』日記
11月21日 大槻文彦(64)、横須賀に行き、按針塚を訪れ、ついで巡洋戦艦比叡の進水式に列する。「横須賀比叡進水式行」。 同上
11月 並木秋人(19)、逗子から三浦三崎に歩く。「楢の並木の道の落葉の飄飜寂寞たるに堪えかね、アナーキストの語音と、ヴエルレエヌの『落葉』の詩と、九曜本命の土星から『あきひと』並樹秋人とした」。昭和3年5月以降「並木」と変える。 中畑信雄『歌人並木秋人』
11月 前田青邨(27)、平塚に転地療養する。 『神奈川県史』年表
12月20日 竹越三叉(47)、横浜に行き、羽衣座で開かれた、政友派県政支部主催の政談演説会で演説する。尾崎行雄(咢堂)らも演説する。 『横浜近代史総合年表』
12月下旬 永井荷風(36)、箱根に行き、八重次を呼びよせ、塔之沢に泊まる。29日に八重次宅に帰る。翌日夜、父急病の報をうける。 『断腸亭日乗』大正15年1月2日の項
12月 三宅克己(38)、岩村透、黒田清輝、藤島武二、岡田三郎助、和田英作らと箱根に行き、旧白馬会の交際機関である牛丼会を新玉の湯で催す。 「文章世界」口絵写真
12月 下村観山(39)、横浜に原三渓の招きで行き、本牧十二天の海岸に住む。 『横浜近代史総合年表』
月日未詳 富安風生(27)、平塚の杏雲堂に入院する。ついで平塚の松原の中の別荘を借り、母の看護のもとに結核の療養をする。翌年帰京する。 『現代俳句の世界』5年譜、『私の履歴書』
月日未詳 松永延造(17)、横浜商業(現横浜商業高校)補修科(夜間)に入学する。のち専修科に進む。 『松永延造全集』年譜
月日未詳 荻原井泉水(28)、箱根に遊び、堂ケ島に泊まる。 『涼味俳味旅の印象』所収「箱根より」