神奈川と文学

昭和31年~40年

※ +付きの月は閏月をあらわす

昭和31年(1956年)
3月 立原正秋(30)、鎌倉市乱橋材木座(現・材木座)に移る。 当館『立原正秋展』図録年譜
5月 立原正秋(30)、初めて逗子の本多秋五を訪ねる。 当館『立原正秋展』図録年譜
9月9日 大岡昇平(47)、相模カンツリークラブでの獅子文六らの呼びかけで結成された「吹きだまり会」の第1回ゴルフコンペに参加。34年9月まで毎年1回開催。 『大岡昇平全集』23巻年譜
10月 尾崎一雄(56)、小田原市教育委員を委嘱される。 『尾崎一雄全集』15巻年譜
昭和32年(1957年)
3月13日 川端康成(57)、北鎌倉・東慶寺で行われた神西清(3月11日死去)の通夜に列席、横須賀線で三島由紀夫と会う。 『川端康成 詳細年譜』
5月19日 大岡昇平(48)、下曽我の尾崎一雄宅で碁を打つ、1勝5敗。 『大岡昇平全集』23巻年譜
6月 立原正秋(31)、鎌倉市小町に戻る。 当館『立原正秋展』図録年譜
8月26日 庄野潤三(36)、ロックフェラー財団の招きで1年間アメリカに留学、千寿子夫人と横浜港を出港。 『庄野潤三全集』10巻年譜
11月16日 大岡昇平(48)、県立大磯高校で柳田国男『桃太郎の誕生』について講演。 『大岡昇平全集』23巻年譜
昭和33年(1958年)
3月9日 三島由紀夫(33)、北鎌倉・東慶寺での神西清一周忌法要に出席。大磯・福田恆存宅での鉢の木会に参加。 『決定版 三島由紀夫全集』42巻年譜
3月9日 大岡昇平(49)、北鎌倉・東慶寺での神西清一周忌法要に春枝夫人と出席。 『大岡昇平全集』23巻年譜
3月 立原正秋(32)、鎌倉市大町(現在は由比ガ浜)に移る。5月2日小町に戻る。 当館『立原正秋展』図録年譜
5月中旬 大岡昇平(49)、「花影」執筆のため奥湯河原・加満田に滞在。 『大岡昇平全集』23巻年譜
6月1日 三島由紀夫(33)、杉山瑤子と結婚(媒酌人・川端康成)、新婚旅行に箱根に行き、宮ノ下・富士屋ホテルに宿泊。 『決定版 三島由紀夫全集』42巻年譜
6月 立原正秋(32)、鎌倉市打越馬場ガ谷(現・笛田)に移る。 当館『立原正秋展』図録年譜
8月12日 三島由紀夫(33)、大磯・福田恆存宅での鉢の木会に夫妻で参加、散会後、大磯ホテルに宿泊。 『決定版 三島由紀夫全集』42巻年譜
昭和34年(1959年)
1月 高浜虚子(84)、鎌倉・虚子庵の改築が終了。 『定本 高浜虚子全集』別巻研究年表
2月18日 三島由紀夫(34)、鎌倉・吉田健一宅での鉢の木会に参加。 『決定版 三島由紀夫全集』42巻年譜
4月8日 高浜虚子(85)、午後4時、鎌倉・虚子庵で死去。4月11日、鎌倉・寿福寺で密葬。戒名は「虚子庵高吟椿寿居士」。 『定本 高浜虚子全集』別巻研究年表
5月14日 三島由紀夫(34)、大磯・福田恆存宅での鉢の木会に参加。 『決定版 三島由紀夫全集』42巻年譜
11月 尾崎一雄(59)、神奈川文化賞受賞。 『尾崎一雄全集』15巻年譜
昭和35年(1960年)
7月 立原正秋(32)、鎌倉市扇ガ谷に移る。 当館『立原正秋展』図録年譜
9月 阿部昭(26)、小野玉枝と結婚、10ヵ月ほど藤沢市鵠沼松が岡の実家近くの借家に住む。 『阿部昭全集』14巻年譜
10月6日 大佛次郎(62)、横浜ペンクラブ有志と共に横浜市金沢区富岡の直木三十五旧居に記念碑を建てる。 『大佛次郎時代小説全集』24巻年譜
月日未詳 和田伝(60)、厚木市立小鮎小学校校歌を作詞。 『和田伝全集』10巻年譜
昭和36年(1961年)
4月 尾崎一雄(61)、神奈川県公明選挙推進協議会委員を委嘱される。 『尾崎一雄全集』15巻年譜
4月 庄野潤三(40)、川崎市生田に転居。 『庄野潤三全集』10巻年譜
6月末 阿部昭(26)、藤沢市鵠沼松が岡の実家に増築した新居に移る。 『阿部昭全集』14巻年譜
6月 中里恒子(51)、台風6号の余波による集中豪雨のため、自宅前の田越川が氾濫、床上浸水の被害を受ける。 『中里恒子全集』18巻年譜
6月 川端康成(61)、日本ペンクラブ創立25周年の園遊会が鎌倉山・扇湖荘で開かれ、挨拶。 『川端康成 詳細年譜』
9月 立原正秋(35)、鎌倉市笛田に移る。 当館『立原正秋展』図録年譜
11月 大佛次郎(64)、神奈川文化賞受賞。 『大佛次郎時代小説全集』24巻年譜
昭和37年(1962年)
6月20日 大岡昇平(53)、ソヴィエト作家同盟との文学者交換の日本側代表として芹沢光治良と訪ソのため横浜港を出港。 『大岡昇平全集』23巻年譜
9月 三島由紀夫(37)、「午後の曳航」執筆のため横浜港を取材。 『決定版 三島由紀夫全集』42巻年譜
月日未詳 川崎長太郎(61)、東千代子と結婚し、小田原市中里の旅館「つるや」の別棟を間借りする。 『川崎長太郎書誌』
昭和38年(1963年)
2月15日 三島由紀夫(38)、「午後の曳航」執筆のため横浜港を取材。3月10日、18日にも横浜取材。 『決定版 三島由紀夫全集』42巻年譜
11月10日 尾崎一雄(63)、中谷博、舟木重信が小田原市下曽我の自宅を訪問。 『尾崎一雄全集』15巻年譜
11月 川端康成(64)、巴金を団長とする中国作家代表団一行を自宅に迎える。 『川端康成 詳細年譜』
昭和39年(1964年)
1月2日 渋沢龍彦(35)、三島由紀夫が鎌倉在住の川端康成、林房雄への年始の帰りに来宅。41年まで続く。 『渋沢龍彦全集』別巻2年譜
1月6日 高見順(57)、七里ヶ浜・恵風園に入院。(18日退院) 『高見順全集』別巻年譜
7月 谷崎潤一郎(78)、足柄下郡湯河原町吉浜蓬ヶ平に新築中の邸が完成、「湘碧山房」と名付ける。 『谷崎潤一郎全集』26巻年譜
8月27日 安部公房(40)、ソビエト作家同盟の招きで石川淳、江川卓、木村浩らと訪ソ、横浜港からナホトカへ向かう。 『安部公房評伝年譜』
中里恒子(54)、自宅改修のため、逗子なぎさホテルに逗留。 『中里恒子全集』18巻年譜
12月 山本周五郎(61)、横浜市中区間門町の旅館「間門園」の仕事場で転倒、その後健康が衰える。 当館『没後50年 山本周五郎展』図録年譜
月日未詳 和田伝(64)、母校・厚木市立南毛利小学校校歌を作詞。 『和田伝全集』10巻年譜
昭和40年(1965年)
3月1日 開高健(34)、南ベトナム戦地取材から帰国後、箱根にこもり『ベトナム戦記』を執筆。7日まで滞在。 『開高健全集』22巻年譜
7月30日 谷崎潤一郎(79)、7月24日、の誕生祝いの翌日から体調を崩し、30日午前7時35分、腎不全から心不全を併発し、湘碧山房で死去。31日、小田原の火葬場で密葬、荼毘に付す。 『谷崎潤一郎全集』26巻年譜
7月30日 志賀直哉(82)、谷崎潤一郎死去にあたり、湯河原の湘碧山房に弔問。 『志賀直哉全集』22巻年譜
9月 立原正秋(39)、鎌倉市腰越に移る。 当館『立原正秋展』図録年譜
10月9日 西脇順三郎(71)、川崎詩話会に出席。 『西脇順三郎全集』12巻年譜
月日未詳 島田雅彦(4)、川崎市の郊外に転居。 当館『常設展ガイドブック』
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