神奈川文学年表 大正元年~15年

明治45年/大正01年(1912年)
1月1日 黒田清輝(45)、前日の大晦日の夜に鎌倉に行き、乱橋の貸別荘昔人庵で新年を迎え、滞在する。6日逗子の小坪に行く。8日、再び小坪に行き、山路の夕景を写生する。本年の試筆である。翌日さらに小坪に行き、図を修正する。17日、一旦帰京する。 『黒田清輝日記』
1月3日 伊藤左千夫(47)、鎌倉に高浜虚子を訪問する。 「読売新聞」
1月3日 島崎藤村(39)、中沢臨川、小山内薫と平塚海岸に保養する。7日、薫と杏雲堂側の扇松海岸に神津猛を訪ねる。箱根塔之沢にも行き9日に帰京する。 『島崎藤村全集』書簡
1月27日 寺田寅彦(33)、三浦三崎の研究所に、器械修理のために出張する。29日夜の船で帰京する。 『寺田寅彦全集』日記
1月末 岡倉天心(49)、小田原に行き、富士館に滞在する。小田原で病気療養中の安田靫彦を見舞う。 『岡倉天心全集』書簡、年譜
1月 並木秋人(18)、横須賀の武相新聞社に入社する。8月に辞職、清潔業(廃品回収業)に従う。 中畑信雄『歌人並木秋人』
1月 安田靫彦(27)、小田原十字四丁目字天神山に滞在し、療養する。 岡倉天心書簡
2月2日 巌谷小波(41)、小田原十字の早川に近い海岸に行き、藤波館ついで清光館に滞在する。松居松葉、東儀鉄笛と同宿となる。ある日、正宗白鳥が鉄笛を見舞いに来て、三人で石橋山に上る。二、三日後、大町桂月が見舞いに来る。 巌谷大四『波の跫音』
2月9日 鈴木英夫、神奈川県に生まれる。 『日本近代文学大事典』
2月10日 寺田寅彦(33)、小田原に大敷網を見分のために行き、小伊勢屋に泊まる。翌日、早川をまわって帰京する。 『寺田寅彦全集』日記
2月10日 志賀直哉(28)、酒匂松濤園の岩倉のもとに行き、三泊する。この間、11日に大磯に自動車で行き、12日午後小田原に行き、梅本で芸者を呼んで食事をする。13日に帰京する。 『志賀直哉全集』日記
2月21日 志賀直哉(29)、鎌倉に行き、四泊する。この間に23日は海岸から電車で藤沢に行く。25日に帰京する。 『志賀直哉全集』日記
2月 巌谷小波(41)、箱根に行き、塔之沢の環翠楼で病気の保養をし、二ヶ月をすごす。 『明治文学全集』20年譜
3月1日 加藤時次郎(54)、横浜の若葉町の後藤医院内に、実費診療所横浜支部を開く。市医師会の反対にあい、9月1日、境町に移る。 『横浜近代史総合年表』
3月3日 黒田清輝(45)、鎌倉に行き、家屋代三百五十円を支払う。7日、借入地の工事着工を見る。9日、帰京する。 『黒田清輝日記』
3月初旬 巌谷小波(41)、小田原から箱根に移り、塔之沢の環翠楼に滞在する。翌日、久留島武彦nアメリカからの帰朝祝いを兼ねて、木曜会のメンバーを見舞う。 巌谷大四『波の跫音』
3月7日 志賀直哉(29)、鎌倉に行き、四泊する。この間、10日に逗子に岩下母堂を訪問する。11日の夕方の汽車で帰京する。 『志賀直哉全集』日記
3月24日 寺田寅彦(33)、三浦三崎の研究所に、器械のとりかえに出張する。 『寺田寅彦全集』日記
3月25日 渾大防小平(21)、横浜北仲通りに住む父の友人を訪ね、将来のことについて相談し、半年間ほど滞在する。短歌八首。 『渾大防小平遺稿集』年譜
3月 江見水蔭(42)、箱根に行き、塔之沢環翠楼に滞在中の小波のところで開かれた硯友社の旧交会に出席する。石橋思案も来会する。 巌谷大四『波の跫音』
窪田空穂(34)、鎌倉に遊ぶ。短歌八首。前田晁晁晁(木城)と逗子に遊ぶ。短歌五首。 「濁れる川」
4月1日 北村初雄(15)、横浜の県立第一中学校(現希望ケ丘高校)に入学する。同級に熊田精華がいたが親交を結ぶのは五年生になってのことであった。 『現代日本詩人全集』5小伝
4月1日 八木重吉(14)、鎌倉の神奈川県師範学校予科(現横浜国立大学教育学部)に入学し、寄宿舎に入る。 『八木重吉全集』年譜
4月7日 田波御白(26)、平塚に行き、杏雲堂に入院する。短歌「平塚より」。 「帝国文学」
4月9日 寒川鼠骨(37)、鎌倉に遊び、高浜虚子が決めておいてくれた長谷の宿に入る。11日、長谷観音、13日、大仏と権五郎神社などを回る。 「鎌倉雑記」
4月10日 扇谷義男、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
5月24日 会津八一(30)、鎌倉、江の島に、早稲田中学校の修学旅行に付きそって行く。 『会津八一全集』年譜
5月29日 若山牧水(26)、三浦三崎に遊ぶ。初声館に泊まる。6月1日に帰京する。 『若山牧水全集』書簡
5月 三木露風(22)、湯河原に遊ぶ。 『三木露風全集』書簡
5月 志賀重昻(48)、横浜港からナイル号で出航しアメリカに向かう。帰途ハワイ滞在を経て、7月横浜港に帰着する。 「東京英語会議演」
6月1日 武者小路実篤(27)、藤沢の鵠沼に竹尾房子と遊び結ばれる。 「世間知らず」
6月2日 石川三四郎(36)、小路をひとつ隔てただけの横浜根岸村字芝生二一九一番地に移転する。 『自敍伝』
6月6日 黒田清輝(45)、鎌倉に行き、夕方箱根に向かい、湯本の福住楼に一泊する。支払い十九円余。 『黒田清輝日記』
6月10日 暁烏敏(34)、鎌倉に行き、虚子を訪ねる。 『暁烏敏全集』日記
6月20日 大町桂月(43)、箱根に行き、湯本の岩崎男爵の別荘で後藤象二郎の伝記執筆にとりかかる。滞在中、天皇重態の報に村人と箱根神社に祈願に行く。「箱根神社祈願の記」。滞在中、9月に病み衰えた押川春浪に出会い、芦ノ湖でボート遊びなどする。「押川春浪を弔う」。 「箱根神社祈願の記」。『桂月全集』日記
6月24日 志賀直哉(29)、箱根に行き、強羅に滞在し、「大津順吉」の執筆にあたる。7月3日午後に帰京する。 『志賀直哉全集』日記
6月29日 夏目漱石(45)、鎌倉と江の島に遊ぶ。(~7月1日)。 『漱石全集』日記
6月 荻原井泉水(28)、箱根に遊び、堂ケ島に泊まる。 「箱根より」
7月13日 平塚らいてう(26)、尾竹紅吉が南湖院に入院のため茅ケ崎に行く。翌日、入院に付きそう。 『平塚らいてう著作集』年譜
7月中旬 林原耕三(耒井)(24)、鎌倉に行き、材木座紅ケ谷田山別荘地内の夏目漱石の別荘に行き、翌月にかけて滞在する。 「漱石先生の手紙」、「夏目鏡子夫人の手紙」
7月20日 尾崎三良(70)、鎌倉の別荘に滞在中、宮中に参内、天皇重態を知る。29日、前日参内の命をうけ、早朝鎌倉から上京する。30日、午前零時四十三分、天皇崩御。 『自叙略伝』
7月21日 志賀直哉(29)、箱根に行き、芦之湯に滞在する。29日に「大津順吉」を脱稿し、30日に帰京する。 『志賀直哉全集』日記
7月21日 夏目漱石(45)、鎌倉に避暑し、材木座の田山別荘に滞在する。 『漱石全集』日記
7月 中戸川吉二(16)、逗子開成中学をやめて、9月東京京北中学に転校する。 『日本近代文学大事典』
8月初旬 長与善郎(24)、箱根に行き、塔之沢に滞在する。10日帰京する。8月末からは鎌倉腰越に滞在する。 書簡
8月上旬 前田夕暮(29)、箱根に妻と行き、芦ノ湖湖畔に滞在し、歌集『陰影』の原稿を作る。 『陰影』
8月14日 岡倉天心(50)、横浜港から三島丸で出航し、インドに向かう。10月ヨーロッパついでアメリカに行く。翌年4月11日、因幡丸で横浜に帰着する。 『岡倉天心全集』年譜
8月17日 斎藤茂吉(30)、逗子に海水浴に行き、新宿の高橋方に滞在する。(~28日)。 『斎藤茂吉全集』書簡
8月中旬 平塚らいてう(26)、茅ヶ崎に行き、南湖下町の漁師良助の家に間借りする。この夏、同人たちが集まって「青鞜」一周年記念号を編集する。そこで東雲堂の西村陽吉と共に来た奥村博史とはじめて会う。 『平塚らいてう著作集』年譜
8月18日 堺利彦(41)、横浜に行き、根岸の石川三四郎を訪ね、ベルギー副領事を紹介する。 石川三四郎『自叙伝』
8月 舟木重雄(27)、藤沢の鵠沼に避暑する。9月初旬に帰京する。 「奇蹟」
8月 生田長江(30)、茅ケ崎に行き、家族と共に避暑する。 「青鞜」
9月1日 奥村博史(22)、三浦三崎の城ケ島に行き、滞在して画を描く。17日に藤沢の家にもどる。この間平塚らいてうとの書簡の往復がしきりである。 『めぐりあい』
9月11日 夏目漱石(45)、鎌倉に行き、中村是公と東慶寺に釈宗演を訪ね、満州巡錫を依頼する。 『漱石全集』日記
9月28日 水上滝太郎(24)、横浜港から静岡丸で出航、アメリカ留学に向かう。5年10月18日、神戸に帰着する。 『水上滝太郎全集』年譜
9月 坪田譲治(22)、早稲田大学英文科在学中、肺尖カタルに罹り、茅ケ崎の南湖院に入院する。翌年8月に退院する。 『坪田譲治全集』年譜
9月 田波御白(26)、結核療養のため、鎌倉七里ガ浜の鈴木療養所に入院する。「七里ケ浜より」。 「七里ケ浜より」
10月20日 山田今次、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
10月20日 志賀直哉(29)、藤沢の鵠沼に家族を宰領して行き、遊ぶ。「鵠沼行」。 『志賀直哉全集』日記
10月28日 長谷川天溪(35)、博文館の社名による渡英の仕事を終えて横浜に帰国する。 『明治文学全集』43年譜
今井達夫(8)、父の病気療養のため、一家で横浜から藤沢の鵠沼に移転する。12年まで住む。 「鵠沼物語序説」
吉野秀雄(10)、父に連れられて鎌倉から江ノ島に行き、恵比寿屋に一泊する。 「鎌倉の思い出」
11月12日 岩野泡鳴(39)、横浜へ行き、神奈川丸に乗りこんで観艦式を観る。初めて飛行機を見る。 『岩野泡鳴全集』日記
11月21日 大槻文彦(64)、横須賀に行き、按針塚を訪れ、ついで巡洋戦艦比叡の進水式に列する。「横須賀比叡進水式行」。 「横須賀比叡進水式行」
11月 並木秋人(19)、逗子から三浦三崎に歩く。「楢の並木の道の落葉の飄飜寂寞たるに堪えかね、アナーキストの語音と、ヴエルレエヌの『落葉』の詩と、九曜本命の土星から『あきひと』並樹秋人とした」。昭和3年5月以降「並木」と変える。 中畑信雄『歌人並木秋人』
11月 前田青邨(27)、平塚に転地療養する。 『神奈川県史』年表
12月20日 竹越三叉(47)、横浜に行き、羽衣座で開かれた、政友派県政支部主催の政談演説会で演説する。尾崎行雄(咢堂)らも演説する。 『横浜近代史総合年表』
12月下旬 永井荷風(33)、箱根に行き、八重次を呼びよせ、塔之沢に泊まる。29日に八重次宅に帰る。翌日夜、父急病の報をうける。 『断腸亭日乗』大正15年1月2日の項
12月 三宅克己(38)、岩村透、黒田清輝、藤島武二、岡田三郎助、和田英作らと箱根に行き、旧白馬会の交際機関である牛丼会を新玉の湯で催す。 「文章世界」口絵写真
12月 下村観山(39)、横浜に原三渓の招きで行き、本牧十二天の海岸に住む。 『横浜近代史総合年表』
月日未詳 富安風生(27)、平塚の杏雲堂に入院する。ついで平塚の松原の中の別荘を借り、母の看護のもとに結核の療養をする。翌年帰京する。 『現代俳句の世界』5年譜、『私の履歴書』
月日未詳 松永延造(17)、横浜商業(現横浜商業高校)補修科(夜間)に入学する。のち専修科に進む。 『松永延造全集』年譜
大正02年(1913年)
1月2日 北原白秋(27)、自殺を思い、船で三浦三崎に行く。真福寺に滞在中の公田蓮太郎を訪ねる。近くの商人宿に14日まで滞在する。 『白秋全集』年譜
1月4日 島村抱月(41)、小田原に行き、早川口みよし屋に保養する。 安部宙之介『白鳥その他の手紙』所収書簡
1月12日 大杉栄(27)、堺利彦、荒畑寒村らと横浜磯子偕楽園で開かれた社会主義社の新年宴会に出席する。 『横浜近代史総合年表』
1月15日 黒田清輝(46)、京都からの帰途、鎌倉に行き、別荘に滞在、鎌倉と東京を往復する。19日、妻と逗子の小坪まで散歩し、翌日、小坪の崖道から富士を望む風景を描く。21日、妻と横浜見物に行く。2月5日、逗子の御猿畠から小坪の浜を歩く。中旬に帰京する。 『黒田清輝日記』
1月26日 森鴎外(51)、小田原に行き、山縣有朋を別荘古稀庵に訪ねる。午後十一時に帰宅する。 『鴎外全集』日記
2月22日 矢内原忠雄(20)、湯河原に友人たちと遊び、湯屋旅館に泊まる。翌日、伊豆山に行き相模屋に泊まる。24日、小田原まで歩いて、帰京する。 『矢内原忠雄全集』日記
2月 前田夕暮(29)、妻と浦賀から三浦三崎に遊ぶ。短歌「三浦三崎の歌」。 前田透『評伝前田夕暮』年譜
3月1日 石川三四郎(36)、横浜港からフランス船ポウル・ルカ号で出航、日本脱出を志してヨーロッパに向かう。9年10月30日に神戸に帰着する。 『自叙伝』
3月13日 大町桂月(44)、箱根に行き、湯本の岩崎男爵の別荘に泊まり、15日に帰京する。初夏にも滞在する。 日記。「倒さ富士」
3月25日 田山花袋(40)、渡欧のため神戸に向かう島崎藤村を見送るため同行して、鎌倉に神津猛を訪ね、三人で箱根塔之沢新玉ノ湯に一泊する。「春雨の日に箱根まで」。 「春雨の日に箱根まで」
3月末 森田たま(当時村岡、18)、川崎の都館で催された「少女世界」愛読者会の余興に出演し、好評で女優にならないかとすすめられたが、やはり文筆の道を選び、5月初め、森田草平の門に入る。 「わがはたち」
4月1日 福田正夫(20)、鎌倉の神奈川師範学校を卒業し、足柄下郡の根府川小学校に赴任する。 『追想福田正夫』年譜
5月2日 矢内原忠雄(20)、箱根に友人たちと遊び、元箱根の橋本屋に泊まる。翌日、駒ケ岳に登り、帰途、平塚に下車して、田村屋に泊まる。4日、伊勢原から大山を歩き、平塚に人力車で戻って、帰京する。 『矢内原忠雄全集』日記
5月3日 津田梅子(48)、横浜港から出航、万国キリスト教学生大会に参加のため、アメリカに向かう。11月16日、春洋丸で帰国する。 吉川利一『津田梅子伝』
5月20日 柏木義円(53)、茅ケ崎の南湖院に軽い結核で入院する。8月17日、小山鼎浦らと馬入川に舟を浮べる。「明月やチンチクリンや浪の音」。19日、院長の請で、「療病と宗教信仰」を講演する。20日、退院する。 管井吉郎『柏木義円伝』、堀川實一『顕信録』
5月 谷崎潤一郎(26)、小田原に行き、早川のかめやに滞在する。11月ごろ帰京する。 『谷崎潤一郎全集』年譜、書簡
5月 北原白秋(28)、同居中の福島俊子と両親弟妹と共に、三浦三崎に移り、向ケ崎の通称異人館に住む。 『白秋全集』年譜
初夏 岩村透(43)、三浦三崎二町谷に別荘隣松庵を新築する。 清見陸郎『岩村透と近代美術』
6月18日 坪内逍遙(54)、妻と鎌倉、逗子に行く。実朝舞台面の実地調査をする。 『坪内逍遙事典』─以下『事典』と略記─、年譜
7月 荻原井泉水(29)、鎌倉に行き、円覚寺に参禅する。 『大江』年譜
8月4日 武者小路実篤(28)、平塚に行き、海岸の石山別荘に滞在する。「罪と罰」を読み感動する。17日に帰京する。 『武者小路実篤全集』書簡
8月6日 黒田清輝(47)、鎌倉に行き、別荘に滞在、避暑する。別荘建築を計画し建築図案を練り、見積書をとる。「海兵逍遙図」下絵、「洗濯図」、「飯島図」などを描く。9月25日、帰京する。 『黒田清輝日記』
8月10日ごろ 斎藤茂吉(31)、逗子に保養に行き、新宿に24日まで滞在する。 藤岡武雄『年譜斎藤茂吉伝』
8月16日 香取秀真(39)、三浦三崎二町谷に行き、岩村透の新築の別荘隣松庵における観月会に参加する。黒田鵬心ら一行八人であった。 清見陸郎『岩村透と近代美術』
8月25日 田波御白(27)、鎌倉七里ガ浜の鈴木療養所で死去する。 『日本近代文学大事典』
8月 田村俊子(29)、鎌倉に行き、由比ガ浜に住む姪を訪ねたが留守で、長谷寺、大仏を見、由比ガ浜の海月楼で食事し、八幡宮をまわって帰京する。「夏のかまくら」。 「夏のかまくら」
8月 竹内勝太郎(18)、横須賀公正新聞の記者となる。12月辞職し、三木露風の下宿に移る。 『現代日本詩人全集』9小伝
8月 柳宗悦(24)、平塚に婚約者の中島兼子と行き、武者小路実篤を訪ねる。 書簡、年譜
菊池寛(24)、成瀬正一の家に寄食中、逗子の成瀬家の別荘に滞在する。 「半自叙伝」
大町桂月(44)、家族を連れて藤沢の鵠沼に避暑する。前年は沼津、前々年は藤沢の鵠沼であった。 「海辺漫筆」
9月6日 正宗白鳥(37)、小田原に行き、早川口の宿に滞在する。箱根に行き、二、三日滞在して、15日に帰京する。「日記より」。 「日記より」、『正宗白鳥全集』書簡
9月15日 森鴎外(51)、葉山に行き、御用邸に伺候し、ついで水源地に行く。 『鴎外全集』日記
9月18日 内村鑑三(52)、箱根芦ノ湖畔に行き数日間滞在、静養する。明治27年に箱根で「後世への最大遺物」を講演した時のことを思い出し感きわまる。 『内村鑑三全集』書簡
9月 高浜虚子(39)、鎌倉の内で由比ガ浜から大町へ転居する。 『高浜虚子全集』研究年表
10月12日 大野洒竹(40)、鎌倉長谷の自宅で死去する。 『明治文学全集』72年譜
10月25日 柳田国男(38)、郷土会(郷土研究会、明治43年12月4日新渡戸稲造宅で創立)の遠足で、翌日にかけて、二宮、秦野、松田を歩く。 『定本柳田国男集』年譜
10月 北原白秋(28)、俊子と三浦三崎の二町谷の見桃寺(桃の御所あと)に移り仮寓する。この月27日に「城ケ島の雨」を書きあげる。 『白秋全集』年譜
11月16日 芥川龍之介(21)、鎌倉由比ガ浜海岸通りに一高教授菅虎雄を訪ね一泊する。 『芥川龍之介全集』書簡
11月27日 黒田清輝(47)、鎌倉に行き、別荘新築工事の進捗状況を見、小町園で夕食をとり、帰京する。12月7日にも訪れ、8日、9日と建築現場で指示する。 『黒田清輝日記』
11月 中村憲吉(24)、鎌倉に行き二夜をすごす。短歌「鎌倉にて、十一月」。 「鎌倉にて、十一月」
12月13日 黒田清輝(47)、牛丼会の旅行で、久米桂一郎、岡田三郎助、岩村透ら九人と共に箱根に行き、塔之沢の玉ノ湯に泊まる。翌日帰京する。 『黒田清輝日記』
12月21日 森鴎外(51)、小田原に行き、古稀庵に山縣有朋を訪ねる。 『鴎外全集』日記
12月23日 黒田清輝(47)、鎌倉に行き、翌日、建築現場を見て帰京する。28日にも行く。 『黒田清輝日記』
12月 平出修(35)、鎌倉長谷一四三一番地に転地療養する。翌年2月12日に帰京する。「病床より」。 「病床より」
12月 下村観山(40)、横浜本牧の和田山に、原三渓の世話で移り住む。 『横浜近代史総合年表』
月日未詳 葉山嘉樹(19)、早稲田大学を学費滞納で除籍され、横浜の花咲町の海員下宿にころがりこみ、やがて日本郵船の讃岐丸の水夫見習いとなり、横浜港から出航、インドのカルカッタに向かう。 「文学的自伝」
大正03年(1914年)
1月1日 黒田清輝(47)、前日の大晦日の晩に鎌倉に行き、乱橋の別荘で新年を迎える。7日、鎌倉から鹿児島旅行に立つ。 『黒田清輝日記』
1月4日 芥川龍之介(21)、藤沢の鵠沼に山本喜誉司と行き、山本家の別荘に三日間臥ころんでいた。 『芥川龍之介全集』書簡
1月上旬 大杉栄(28)、病後、葉山に四、五日間遊び暮らす。 大沢正道『大杉栄研究』
1月 井上円了(55)、湯河原に遊ぶ。 平野威馬雄『伝円了』年譜
2月6日 大杉栄(29)、鎌倉坂ノ下二二に妻と転地し療養する。五月末東京に戻る。 大沢正道『大杉栄研究』
2月18日 黒田清輝(47)、鎌倉に行き、2月初めに落成した新築の別荘に入る。3月10日、帰京する。 『黒田清輝日記』
2月 内村鑑三(52)、三浦半島に遊ぶ。 『内村鑑三全集』年譜
2月ごろ 北原白秋(29)、三浦三崎の六合海外の漁師の家に二週間ほど仮寓する。6月末に東京に引きあげる。 『白秋全集』年譜
早春 窪田空穂(36)、前田晃(35)、横浜金沢に遊ぶ。窪田空穂短歌十四首。
3月5日 武者小路実篤(28)、湯河原に行き、中西屋に滞在する。11日に帰京する。 『武者小路実篤全集』書簡
上旬 芥川龍之介(22)、三浦半島に遊ぶ。 『芥川龍之介全集』書簡
3月28日 黒田清輝(47)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。4月4日、帰京する。 『黒田清輝日記』
3月 牧野信一(17)、県立小田原中学校を卒業する。4月、早稲田大学高等予科に入学し、東京小石川に下宿する。 『牧野信一全集』年譜
3月 上司小剣(39)、葉山の日蔭茶屋に滞在する。 正宗白鳥書簡
3月 中村憲吉(25)、軽い肺尖カタルとなり、二、三週間ほど、九十九里浜、鎌倉、葉山と転地する。 「アララギ」追悼号年譜
窪田空穂(36)、谷江風らと箱根に遊ぶ。短歌四十五首。
窪田空穂(36)、鎌倉に遊ぶ。短歌八首。
4月8日 中村憲吉(25)、逗子に行き、軽い肺尖カタルのための転地療養の家を探して養神亭に泊まる。9日、葉山から秋谷に、ついで鎌倉の稲村ガ崎に、さらに藤沢の鵠沼に行き泊まる。10日、小田原に行き、翌日帰京する。 『中村憲吉全集』日記
4月10日 尾形亀之助(13)、私立逗子開成中学校に入学する。5年中退して私立明治学院中学校に移る。 『尾形亀之助全集』年譜
4月中旬 佐佐木信綱(41)、油壺から三浦三崎に遊ぶ。短歌九首。 『作歌八十二年』
4月18日 寺田寅彦(35)、三浦三崎に器械の取片付けに行く。20日午後帰京する。 『寺田寅彦全集』日記
4月21日 中村憲吉(25)、鎌倉に行き、海月楼に泊まる。22日、長谷観音、大仏を見る。23日、八幡宮、建長寺、円覚寺を見て、扇ケ谷の香風園に行く。24日、稲村ガ崎から江の島まで歩く。27日、帰京する。 『中村憲吉全集』日記、書簡
4月30日 阿部次郎(30)、藤沢の鵠沼に行き、高瀬邸内を借りて一人こもる。5月27日ごろ一旦帰京する。6月17日再び鵠沼に行き、以来断続的に滞在をくりかえす。この年から翌年にかけて「鵠沼にかへる」という表現を手紙に多く見る。 『阿部次郎全集』書簡
4月 幸田露伴(46)、三浦三崎に遊ぶ。「剣崎沖の風」。 「剣崎沖の風」
5月1日 中村憲吉(25)、鎌倉に行き、転地の宿を求めて逗子から葉山に行き、戻って坂ノ下海月楼に泊まる。2日、扇ケ谷の養生園に移る。5日、転宿の宿を求めて田浦から横須賀に行き、吾妻館に泊まる。翌日、浦賀に出、汽船で三浦三崎に行き、長井、横須賀と歩いて鎌倉に戻る。短歌「眉間の光」十首。「蒼き渚」七首。 『中村憲吉全集』日記、歌集
5月2日 黒田清輝(47)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。島津公の肖像画製作にあたる。「別荘生活陽気也」。15日、帰京する。 『黒田清輝日記』
5月11日 森田たま(19)、茅ケ崎の南湖院に入院する。この年、南湖院で自殺をはかる。「愛情について」。 書簡、『森田たま随筆全集』年譜
5月13日 中村憲吉(25)、鎌倉に行き、坂ノ下の海月楼に入るが、転宿を思い立ち葉山に行き、堀内の鍵屋に泊まる。「森戸明神の林(海につき出し)に蝉なく。浜のこほろぎと蛙めづらし」。17日、宿の主人に連れられてイカ釣りに行く。翌日も行く。6月2日、帰京する。短歌「新緑の海岸」十四首。「梅雨渚」二十二首。 『中村憲吉全集』日記、歌集
5月27日 土田杏村(23)、東京高等師範学校生物科に在学中、海草の研究のため三浦三崎に行き、31日まで滞在する。「三崎日記」。 「三崎日記」
5月 吉井勇(27)、鎌倉坂ノ下の権五郎神社に近いところに仮寓し、湘南詩社をおこす。 『吉井勇全集』年譜
5月 折口信夫(27)、三浦三崎に遊ぶ。5年に三浦三崎の歌「森の二時間」を発表する。 『折口信夫全集』年譜、「森の二時間」
6月 福田正夫(21)、東京高等師範学校在学中、横浜の生麦に中村星湖を訪ねる。 『追想福田正夫』年譜
6月 徳田秋声(42)、多摩川に遊び、六、七年前に小栗風葉、柳川春葉らと鮎料理をたべた「あい屋」で食事をする。尾崎紅葉のことなども思い出される。「一隅より」。 「一隅より」
7月15日 黒田清輝(48)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。26日、帰京する。 『黒田清輝日記』
7月26日 高浜虚子(40)、鎌倉能舞台を完成し、28日まで舞台開きを行う。「鎌倉能舞台の記」。 『高浜虚子全集』研究年表
7月30日 内村鑑三(53)、横須賀大津でのキリスト教青年団第二十四回夏期学校で、この日「過去二十年」を、翌日「キリスト教とは何ぞや」を、翌々日「約翰伝は何を教ゆるや」を講演する。 石川鉄雄「夏期学校に於ける内村先生」
7月 荻原井泉水(30)、三浦半島の小網代に避暑のため滞在する。 『此の道六十年』年譜
7月 平福百穂(36)、鎌倉の能舞台の鏡板を揮毫する。高浜虚子の依頼による。 小高根太郎『平福百穂』
7月 R・ケーベル(66)、帰国準備中、第一次大戦が勃発し、横浜に行き、親友のロシア総領事ウイルムの官邸に寄寓することとなる。 『明治文学全集』49年譜
7月 小山鼎浦(34)、鎌倉の鎌倉山の麓、宝戒寺の東隣りの茅屋に移り住む。「鎌倉山の麓より」。 「鎌倉山の麓より」
8月1日 葉山嘉樹(20)、横浜の模範タイピスト養成所に入所する。11月30日に退所する。 『人物書誌大系』16年譜
8月3日 黒田清輝(48)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。その間に、島津公の肖像のほか、「草取女ヲ井戸脇ニ立セテ姿勢ノスケッチ」、「水汲ノ女」を描き、「農婦」の習作を試みる。9月16日、父より別荘に「奏笙軒」の雅号を贈られる。杜詩の「疎松隔水奏笙簧」による。10月6日、文展出品画を完成、7日、帰京する。 『黒田清輝日記』
8月19日 斎藤茂吉(32)、三浦郡長井の田中屋に4月結婚した妻輝子と行く。結婚直後からの不和を解決する目的という。 藤岡武雄『年譜斎藤茂吉伝』
8月28日 寺田寅彦(35)、国府津に行き小八幡海岸で試験のつもりが波高く、小田原に行くが、ここも波高く、見合わして松月亭に一泊する。29日、暴風雨で電車不通となり、歩いて国府津に行き、夕方帰京する。 『寺田寅彦全集』日記
8月 太田水穂(37)、静岡の興津よりの帰途、乙女峠を越えて元箱根塔之沢に入浴する。 『太田水穂全歌集』年譜
8月 黒田鵬心(29)、茅ケ崎に行き、12月13日の「読売新聞」に「茅ヶ崎の一日」を寄稿する。 「読売新聞」
9月9日 片山潜(54)、横浜港から佐渡丸で出航、アメリカに向かう。のち革命後のソビエトに行き、昭和8年同地で没した。 『片山潜自伝』
9月 渾大防小平(24)、大磯に病を養う。短歌四首。 『渾大防小平遺稿集』年譜
10月10日 寺田寅彦(35)、小田原に波の調査に行き、夜帰京する。 『寺田寅彦全集』日記
10月中旬 佐佐木信綱(42)、箱根に滞在する。短歌三首。 『作歌八十二年』
10月17日 大町桂月(45)、横浜鶴見に行き、花月園で好文会を催す。池辺義象、久保天随、武島羽衣、金子元臣らが参会する。 『桂月全集』日記
10月26日 大町桂月(45)、箱根に遊び湯本に一泊する。翌日底倉の梅屋に一泊し、28日に帰京する。 『桂月全集』「日記」
10月 南部修太郎(22)、湯河原に喘息療養のため転地し、中西屋に滞在する。以後、毎年のように秋に転地する。 大正10年「新潮」、「文壇諸家年譜」
飯田蛇笏(29)、芦ノ湖で溺死した従弟萍生を箱根で荼毘に付す。句二句。 『山廬集』
11月2日 小泉鉄(27)、藤沢の鵠沼の字納屋に移転する。5年11月に東京にもどる。この間、鵠沼で「白樺」の編集にあたり、また「三つの勝利」ほかを書く。 「白樺」
11月6日 坪内逍遙(55)、横浜港に市島春城、島田三郎らと行き、欧米から帰朝の高田半峰を出迎える。 『坪内逍遙事典』年譜、京口元吉『高田早苗伝』
11月13日 芥川龍之介(22)、逗子海岸に遊びに行っており、この日に帰京する。短歌三首。 『芥川龍之介全集』書簡
11月28日 有島武郎(36)、妻安子が結核のため、鎌倉海岸通りに転地させる。 『有島武郎全集』書簡
久米正雄(23)、仮寓先の逗子から鎌倉に行き、長谷の坂ノ下に住む吉井勇を訪ねる。「あの頃の話」。 「あの頃の話」
12月1日 中沢弘光(40)、箱根に行き、一週間ほど滞在する。 「よみうり抄」
12月中旬 正宗白鳥(38)、小田原に行き、数年前島村抱月を見舞って泊まったことのある早川口の宿を訪ねる。夏の洪水で半分流され普請中で浴室もなかった。「早川口より」。 「早川口より」
12月30日 武者小路実篤(29)、藤沢の鵠沼に行き、東屋に泊まり越年する。「その妹」を書きはじめる。 『武者小路実篤全集』書簡
12月 荻原井泉水(30)、鎌倉に行き、円覚寺で広田天真の下に参禅、仏日庵に泊まる。 『大江』年譜
月日未詳 子母沢寛(22)、横須賀の地方紙編集に従う。翌年故郷北海道に戻る。 『日本近代文学大事典』
月日未詳 安田靱彦(30)、大磯に転居する。 『神奈川県史』年表
月日未詳 森田たま(19)、南湖院で自殺をはかる。「愛情について」。 『森田たま随筆全集』年譜
大正04年(1915年)
1月12日 武者小路実篤(29)、藤沢の鵠沼の内で、東屋からその側の佐藤別荘に移る。「その妹」を書きあげる。 『武者小路実篤全集』書簡、『或る男』
1月15日 黒田清輝(48)、鎌倉に行き、別荘奏笙軒に滞在する。滞在中、「六地蔵案」にとりかかり、「原翁」の肖像画を仕上げ、「国分八幡宮奉納額」の下図を練る。16日、横浜港に行き地洋丸を見送る。3月3日、鎌倉の日蓮雨乞の旧跡を見、片瀬竜口寺公園を見る。3月17日、父の供で葉山に行き、行在所で天機を奉伺する。4月9日、帰京する。 『黒田清輝日記』
1月23日 安部磯雄(49)、横浜に行き、松ケ枝町の角力常設館で開かれた、議会報告会をかねた政談演説会で、島田三郎と共に演説する。 『横浜近代史総合年表』
1月 梶田半古(44)、肺を病み、藤沢の片瀬に転地療養する。翌年6月、湘南の自然が体質に合わないと感じて東京に戻る。 「中央美術」
2月初旬 小山鼎浦(35)、「横浜貿易新報」の主筆になる。 『鼎浦全集』年譜
2月上旬 有島武郎(36)、妻安子を杏雲堂平塚病院に入院させる。以来、しばしば見舞うと共に、一年間かかさず慰問の「絵ハガキ」を送りつづける。 『有島武郎全集』年譜
2月13日 松根東洋城(36)、横須賀の不入斗一四六番地(のち楠ケ浦三二三番地)の大塚柳吾を編集兼発行人として、俳誌「渋柿」を創刊する。大正6年より発行所は東京に移る。 「渋柿」
2月中旬 若山牧水(29)、三浦半島に、妻の転地療養の地を求めて行く。 『若山牧水全集』書簡
2月17日 志賀重昂(51)、横浜に行き、横浜銀行倶楽部で、「最近旅行中の見聞」を講演する。
2月21日 森鴎外(53)、小田原に行き、古稀庵に山県有朋を訪ね、共に小峯の梅を観る。 『鴎外全集』日記
2月下旬 萩原朔太郎(28)、小田原に行き、さらに伊藤をめぐって、大島に遊ぶ。 『萩原朔太郎全集』書簡
2月 佐藤惣之助(24)、川崎砂子の生家に戻る。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜
3月中旬 大杉栄(30)、葉山の日蔭茶屋に滞在して『種の起源』の翻訳にあたる。 福富菁児「優しかった大杉栄」
3月16日 寺田透、横浜の南太田町二一八八番地に生まれる。四歳の春、西戸部町大松久保八二九番地に引越す。10年4月、一本松小学校に入学する。 『現代日本文学全集』96、自筆年譜
3月19日 若山牧水(29)、三浦半島の北下浦村長沢に、妻の療養のため、転居する。翌年暮に東京に引きあげる。 『若山牧水全集』書簡
3月22日 阿部次郎(31)、藤沢の鵠沼に行き、高瀬邸内での断続的な滞在を再び始める。 『阿部次郎全集』書簡
3月 ささきふさ(当時大橋房子、17)、横浜の高等女学校(現平沼高校)を卒業する。4月、青山学院英文科に入学する。 『ささきふさ作品集』年譜
3月 長谷川銀作(21)、横浜の永楽町に貸座敷金宝楼を営む伯母のもとに戻り、帳場を手伝う。 『長谷川銀作全歌集』年譜
4月2日 寺田寅彦(36)、小田原に波の観測に行き、養生館に泊まる。5日、箱根に行く。6日正午帰京する。 『寺田寅彦全集』日記
4月13日 有島武郎(37)、横須賀の分家の父子を連れて軍艦を見、追浜に飛行機を見る。 『有島武郎全集』書簡
4月中旬 武者小路実篤(29)、藤沢の鵠沼海岸の内で、佐藤別荘から川本たつ別邸に移る。9月5日に帰京する。 『武者小路実篤全集』書簡
4月22日 坪内逍遙(55)、逗子に行き、杉谷代水の葬儀に列し、弔辞を述べる。 『坪内逍遙事典』年譜
4月25日 有島武郎(37)、鎌倉から藤沢の鵠沼に行き、武者小路実篤を東屋に訪ねる。 『有島武郎全集』書簡
4月30日 黒田清輝(48)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。5月7日、帰京する。 『黒田清輝日記』
4月 松井須磨子(29)、横浜に行き、横浜演舞場で「サロメ」を上演する。 『横浜近代史総合年表』
4月 広津和郎(23)、逗子に宇野浩二を誘って行き、一週間ほど滞在して仕事をする。宇野浩二との交友の始まりとなる。 『私の履歴書』
中村星湖(31)、横浜鶴見の生麦字岸二九〇番地に、健康のため移り住む。のち「生麦聖人」などと言われる。 『日本近代文学大事典』、「文章世界」
晩春 若山牧水(29)、三浦半島の北下浦の寓居に訪ねてきた友人と横須賀に遊び、帰途浦賀を通り、昼食をとる。「不思議な家」を見つける。 「浦賀港」
5月下旬 会津八一(33)、鎌倉、江の島に、早稲田中学校の修学旅行に付きそって行く。 『会津八一全集』年譜
5月 志賀直哉(32)、鎌倉に行き、雪ノ下千度小路に一週間滞在する。 『志賀直哉全集』年譜
6月4日 熊田精華(17)、横浜の南太田の家に、北村初雄を初めて訪ねる。 『北村初雄詩集』跋
6月13日 柳宗悦(26)、藤沢の鵠沼に遊ぶ。 『柳宗悦全集』年譜
6月14日 黒田清輝(48)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。21日、帰京する。 『黒田清輝日記』
6月16日 大町桂月(46)、妻と三浦半島に海水浴の下見に行き、南下浦村松輪の鈴木善蔵方に泊まる。「三浦半島」。 「三浦半島」、日記
6月 志賀直哉(32)、箱根に行き強羅の別荘に滞在する。 『志賀直哉全集』書簡
6月 福田正夫(22)、川崎上平間の玉川小学校に赴任する。 『追想福田正夫』年譜
7月10日 海老名弾正(58)、横浜港から妻と共に出航、アメリカに向かう。船中で英語の説教をする。 大下あや『父・海老名弾正』
7月21日 寺田寅彦(36)、逗子に遊び養神亭に泊まる。26日一旦帰京し、27日再び逗子に行く。老人、子供を連れての避暑である。8月2日に帰京する。 『寺田寅彦全集』書簡
7月25日 大町桂月(46)、家族を連れて三浦半島の南下浦村松輪に海水浴に行く。8月10日に帰京する。「月下の望洋台」。 「月下の望洋台」、日記
7月 小山鼎浦(35)、横浜の根岸療養院に入院する。 『鼎浦全集』書簡
7月 星野水裏(34)、実業之日本社の編集部の団体旅行で、有本芳水、松山思水、川端龍子らと箱根に旅行する。仙石原の仙郷楼、強羅にそれぞれ一泊して帰京する。 渋沢青花「大正の『日本少年』と『少女の友』」
8月15日 木下利玄(29)、箱根からの帰り途に藤沢の鵠沼の武者小路実篤のもとに寄る。長与善郎、小泉鉄、岸田劉生らにも会う。 『木下利玄全集』書簡
8月15日 森鴎外(53)、小田原に行き、山県有朋の別荘古稀庵で開かれた歌会常磐会に列する。短歌「静けさはかはらさりけりをりをりは憂世の風におとろかせとも」。 『鴎外全集』日記
8月30日 黒田清輝(49)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。9月3日、帰京する。 『黒田清輝日記』
8月31日 土岐善麿(30)、当時北下浦に住んでいた若山牧水と土岐善麿一家が小学校前で写真を撮る。 『牧水写真帖』
8月 伊藤銀月(43)、三浦三崎に行き、大乗寺坂上の貸別荘に、妻と娘と共に住む。5年3月に帰京する。「海岸の夜の町」。 「海岸の夜の町」
8月 土岐善麿(30)、三浦三崎に妻子を転地させる。 『人物書誌大系』5年譜
木下利玄(29)、箱根仙石原にひとり遊ぶ。「道」。短歌「萱山」。 「萱山」
芥川龍之介(23)、横浜の三渓園に矢代幸雄と行く。 『芥川龍之介全集』書簡
9月4日 五姓田義松(60)、横浜の中村町打越の自宅で死去する。昭和11年3月、横浜の日野墓地にも墓が建てられる。 『神奈川県美術風土記』
9月8日 芥川龍之介(23)、逗子に成瀬正一と居り、この前後成瀬家の別荘に泊まる。 『芥川龍之介全集』書簡
9月 佐佐木信綱(43)、箱根に遊ぶ。短歌七首。 『作歌八十二年』
9月 平福百穂(37)、富士山麓の写生旅行の帰途、丹沢の山北に行き、「アララギ」の歌友を訪ね、ついで箱根に行き、塔之沢に遊ぶ。 小高根太郎『平福百穂』
9月 和辻哲郎(26)、藤沢の鵠沼中藤ケ谷の高瀬邸の一寓に妻と転居する。6月7日、東京に移る。 和辻照『和辻哲郎とともに』
9月 奥村博史(25)、茅ケ崎の南湖院に入院する。5年晩夏、自宅療養となる。 『めぐりあい』
10月10日 吉野作造(37)、横浜に行き、横浜小学校で開かれた横浜基督教青年会秋季講演会で、「国運の興隆に及ぼす宗教の影響」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
10月27日 井上円了(57)、箱根に遊ぶ。 平野威馬雄『伝円了』
10月 南部修太郎(23)、湯河原に転地療養し中西屋に滞在する。 「文壇諸家年譜」
10月 小山鼎浦(35)、横浜の根岸療養院を退院して鎌倉に行き、長谷海月楼に滞在する。11月、泉ケ谷の寓居に移り静養をつづける。6年2月、東京に移る。 『鼎浦全集』年譜
10月 坪田譲治(25)、早稲田大学卒業後、三浦三崎に仮寓し、時に上京して就職口を探す。その間、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読み、ゾシマ僧正の日記に感激する。 『坪田譲治全集』年譜
11月9日 夏目漱石(48)、中村是公らと湯河原に行き、岫雲楼天野屋旅館に滞在する。17日、箱根を回って帰京する。 『漱石全集』日記、書簡
11月 松岡譲(24)、逗子に行き、成瀬正一の父の別荘に滞在する。百枚もの原稿用紙を持っていく。 関口安義『評伝松岡譲』所収久米正雄書簡
11月 舟木重信(22)、東京帝国大学在学中、肺浸潤のため葉山に転地療養する。 『舟木重信書簡集、人間この愛しき者』。以下『書簡集』と略記
晩秋 三木清(18)、鎌倉に行き、円覚寺での接心に一週間参加する。つづいて仏日庵に一週間滞在して読書と思索にふける。 「友情」
この頃 高田半峰(55)、国府津前川に別荘香雪荘を作る。「村社近戸神社の高い石段の下の横を一寸入つた処」である。 薄田斬雲「高田半峰片影」
12月5日 木下利玄(29)、二男二郎が逗子の寓居で一歳九カ月で死去する。短歌「二郎に」。 「二郎に」
12月17日 小酒井不木(25)、藤沢の片瀬海岸の相陽館に肺尖の療養のため転地する。翌年春に一旦引き上げ、再び片瀬に来て秋には東京に戻る。 「私の病歴」、『小酒井不木全集』書簡
12月 大杉栄(30)、逗子桜山に滞在し、日曜日ごとに上京する。5年3月東京に戻る。 「近代思想」
太田水穂(38)、妻・四賀光子(30)、三浦三崎に若山牧水夫妻を訪ね、三浦半島に遊ぶ。藤沢遊行寺、大磯にも遊ぶ。太田水穂「相模景情」六首、四賀光子「三崎旅泊」九首。
月日不詳 高橋誠一郎(31)、大磯の王城山に父が建ててくれた山荘に移り住む。 『王城山随筆』
大正05年(1916年)
1月8日 折口信夫(28)、小田原に武田祐吉を訪ね三泊する。飯泉、鴨宮、酒匂などを歩いて道祖神の祭りを見る。 『折口信夫全集』年譜、日記
1月11日 小寺健吉(29)、湯河原に、滞在五日間ぐらいの予定で、スケッチに出かける。 「時事新報」
1月28日 夏目漱石(49)、湯河原に行き、天野屋旅館に滞在する。2月16日、帰京の途次、鎌倉に釈宗演を見舞う。会えなかった。 『漱石全集』日記
1月 長谷川時雨(39)、横浜の鶴見に移り、料理店花香苑を開店する。 「時事新報」
2月中旬 平塚らいてう(29)、夫の入院している茅ケ崎南湖院近くに、子供と共に移り住む。晩夏、夫が自宅療養となったので、南湖院近くの人参湯の離れに移る。6年春に帰京する。 『平塚らいてう著作集』年譜
2月22日 岸田劉生(24)、藤沢の鵠沼に滞在して絵を画く。 『岸田劉生全集』書簡
2月 佐佐木信綱(43)、湯河原に遊ぶ。短歌三首。 『作歌八十二年』
3月11日 秋田雨雀(33)、横浜に行き、エスペラント大会で「文学と国際性」を講演する。 『秋田雨雀日記』
3月13日 黒田清輝(49)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。連日のように出京する。26日、帰京する。 『黒田清輝日記』
3月20日 阿部次郎(32)、藤沢の鵠沼に遊びに行き、和辻哲郎宅に一泊する。 『阿部次郎全集』日記
3月24日 芥川龍之介(24)、この日まで三日ばかり逗子の養神亭に滞在する。夏目漱石が「鼻」を賞めたことを井川恭(のち恒藤恭)に伝える。 『芥川龍之介全集』書簡
3月 福田正夫(23)、小田原の新玉三丁目五〇八番地に新築された養家に移る。4月、足柄下郡片浦村の石橋分教場に赴任する。 『追想福田正夫』年譜
3月 安倍能成(32)、藤沢の鵠沼に住む和辻哲郎の世話で、高瀬邸内に転居する。二年間の鵠沼生活が始まる。 「我が生ひ立ち」
3月 花岡謙二(29)、逗子に行き、伏島方に滞在する。 『山村暮鳥全集』書簡
山田葩夕(29)、鎌倉に遊ぶ。「極楽寺の坂をのぼりて息つけば椿のかげの春の海かな」。短歌「春の鎌倉」十一首。 「春の鎌倉」
4月1日 山本周五郎(12)、横浜の西前小学校から、県立第一横浜中学校に入学する。一学期で中退し、東京の質店に住みこむ。 『山本周五郎全集』年譜
4月1日 大野林火(12)、県立第一横浜中学校に入学する。 「俳句」31巻12号年譜
4月1日 星野立子(12)、鎌倉女学校(現鎌倉女学院高校)に入学する。9年3月に卒業する。 『現代俳句の世界』10年譜
4月5日 有島武郎(38)、平塚杏雲堂に妻安子を見舞い、大磯に弟有島生馬を訪ねて一泊する。 「観想録」
4月6日 黒田清輝(49)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。「鎌倉ハ桃花満開ノ季節ナリ」。22日、妙本寺の海棠を見、「天下一品ナランカ」と感嘆する。26日、帰京する。 『黒田清輝日記』
4月6日 島田三郎(63)、横浜に行き、尾上町の指路教会で開かれた基督教婦人矯風会第二十四回公開演説会で、「国家根本の観念」を演説する。 『横浜近代史総合年表』
4月13日 姉崎嘲風(42)、横浜山手のゲーテー座での英米人中心のヨコハマ文芸・音楽協会例会に出席、「日本の美術」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
4月25日 岩村透(46)、三浦三崎二町谷の別荘に行く。 「時事新報」
4月30日 黒田清輝(49)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。5月8日、一旦帰京、12日、再訪、27日、帰京する。 『黒田清輝日記』
4月 中里恒子(6)、この頃横浜の根岸に移り住み、日枝小学校に入学する。 『中里恒子全集』年譜
4月 秋元不死男(15)、横浜火災海上保険会社に給仕として採用される。7年に正社員となり、昭和16年まで勤務した。 『日本近代文学大事典』
4月 花岡謙二(29)、横浜の太田町二ノ三五に住む。 『山村暮鳥全集』書簡
5月2日 阿部次郎(32)、藤沢の鵠沼に仕事をもって行き、和辻哲郎宅に滞在する。20日に小宮豊隆、安倍能成も来る。小宮豊隆と共に夜帰京する。 『阿部次郎全集』日記
5月3日 有島武郎(38)、妻安子を平塚杏雲堂から近くの借家に移す。 「観想録」
5月13日 坪内逍遙(56)、箱根に、妻の湿疹治療に行き滞在し、24日に帰る。6月6日から18日まで芦之湯に滞在する。 『坪内逍遙事典』年譜
5月28日 有島武郎(38)、母と子供たちを連れて約束の鎌倉、江の島への遠足をする。 『有島武郎全集』書簡
5月28日 佐藤春夫(24)、横浜の市ケ尾の朝光寺に、妻と愛犬二頭、愛猫二匹と共に移り住む。7月9日、同村内の中鉄に引越す。12月、東京に移る。 『佐藤春夫全集』年譜、「詩文半世紀」
5月 佐藤義亮(38)、「文章倶楽部」の創刊を記念して、加藤武雄、中村武羅夫、金子薫園、中根駒十郎らと鎌倉に遊び、長谷大仏の前で記念写真を撮る。 天野雅司編『佐藤義亮伝』
5月 松根東洋城(38)、鎌倉に行き、「渋柿」の同人たちと吟行する。海岸を歩き、腰越えから竜口寺に至る。俳句「湘南吟行」十八句。 「渋柿」
5月 福永挽歌(30)、三浦半島の北下浦に、若山牧水の世話で移り住む。「北下浦より」。 「北下浦より」
5月 金子薫園(39)、鎌倉に遊ぶ。短歌「青葉の鎌倉」十一首。 「青葉の鎌倉」
初夏 広津和郎(24)、三浦半島の南下浦に行き、滞在中の友人相馬泰三、秋庭俊彦らを訪ね、生活と創作の息苦しさからの脱出をはかる。 『広津和郎全集』年譜
6月19日 佐佐木信綱(44)、横浜の三渓園に行き、滞在していたタゴールに日本の一歌人として面会する。 「タゴオル翁の印象」
6月25日 素木しづ(21)、茅ケ崎南湖下町の青木別荘に転地療養する。 「読売新聞」
6月27日 東儀鉄笛(46)、横浜に行き、横浜座における無名会の公演に出演する。 『神奈川県史』年表
6月 相馬泰三(30)、三浦半島の南下浦字菊名三二番地に、秋庭俊彦と移り住む。「消息」。 「読売新聞」
6月 中勘助(31)、藤沢の鵠沼に住む安倍能成のもとに行き、離れで一カ月ほどをすごす。「亮ちゃんの思ひ出」。 『中勘助全集』年譜、書簡
7月1日 井上正夫(35)、横浜に行き、喜楽座で横浜初公演をし、「生さぬ仲」、「胡蝶蘭」を上演する。 『神奈川県史』年表
7月11日 秋田雨雀(33)、横浜本牧の三渓園に行き、来日中のタゴールを訪ねる。吉田絃二郎らも同行した。 『秋田雨雀日記』
7月15日 市川左団次(35)、横浜に行き、横浜座で初代左団次の追善興行をする。 『横浜近代史総合年表』
7月16日 福永挽歌(30)、横須賀の北下浦海岸に居住中、「東京のM君へ」を「読売新聞」に寄稿する。 「読売新聞」
7月21日 有島武郎(38)、鎌倉へ書きものに行き「潮霧」を書く。 『有島武郎全集』書簡
7月23日 黒田清輝(50)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。10月9日、帰京する。 『黒田清輝日記』
7月25日 阿部次郎(32)、箱根に行き、強羅の別荘に岩波茂雄を訪ね一泊する。26日、帰京の途次、藤沢の鵠沼に和辻哲郎を訪ね一泊する。 『阿部次郎全集』日記
7月 芳賀矢一(49)、横浜港を出航、欧米各国出張のため、まずアメリカに向かう。6年5月、帰国する。 『明治文学全集』44年譜
7月 水野広徳(41)、横浜港から出航、第一次世界大戦の実地見聞のため、私費留学でヨーロッパに向かう。6年8月、アメリカを回って帰国する。 『明治文学全集』97年譜
8月1日 有島武郎(38)、平塚に行き、妻安子の容態急変を知り、親族に知らせる。2日、安子は武郎一人にみとられて死去する。 『有島武郎全集』書簡
8月3日 成瀬正一(24)、横浜港から出航、留学のためアメリカに向かう。芥川龍之介ら見送る。芥川龍之介「出帆」。 関口安義『評伝松岡譲』
8月14日 阿部次郎(32)、藤沢の鵠沼に和辻哲郎を訪ねる。夕食は小宮豊隆も共に安倍能成方でとり、帰京。 『阿部次郎全集』日記
8月中旬 角田喜久雄(10)、三浦三崎に滞在する。翌年、翌々年も夏は滞在する。 中島河太郎ほか編『華甲記念文集』年譜
8月末 平井晩村(32)、逗子の大字池子田甫の亀田子爵別邸跡に移転する。翌年1月、妻が鎌倉の吾妻病院に入院、4月死去。まもなく故郷の前橋に移る。 平井芳夫『平井晩村の作品と生涯』
8月 速水御舟(22)、茅ケ崎に転居する。翌年4月まで住み、「農村の秋」などを制作する。 『神奈川県史』年表
8月 岡本綺堂(43)、帝国劇場の伊坂梅雪と房州、横須賀、葉山、鎌倉、伊豆山などを回る。湯河原で頼朝の伏木がくれの杉山を訪ねたが炎暑に苦しむ。 『岡本綺堂日記』年譜
8月 舟木重雄(31)、三浦三崎に滞在する。 「隠棲時代の葛西善蔵君の書翰」
安藤更正(16)、藤沢の片瀬の別荘に滞在、隣家の別荘の年上の少女中西鈴子と恋愛し、「交渉年余に及ぶ」。 『安藤更正年譜著作目録』
青山二郎(15)、三浦三崎に一人で行き夏をすごす。大正12年まで八年間つづけられる。 「我が河童記」
五島美代子(18)、藤沢の片瀬に保養する。 『五島美代子全歌集』年譜
9月 花岡謙二(29)、中郡旭村会所の吉野梅五郎方に滞在する。 『山村暮鳥全集』書簡
10月4日 花岡謙二(29)、逗子に行き、養神亭に滞在中の山村暮鳥を訪ねる。 『山村暮鳥全集』書簡
10月5日 和田三造(33)、鎌倉に行き、別荘に滞在中の黒田清輝を訪ねる。インド旅行談などして帰る。 『黒田清輝日記』
10月上旬 山村暮鳥(32)、逗子に行き、修養会に出席、一週間ほど滞在する。 『山村暮鳥全集』書簡
岸田国士(25)、横浜の鶴見の花月園に住む。 『岸田国士全集』書簡
小泉信三(28)、阿部とみ(水上滝太郎の妹)と結婚、鎌倉小町三三一に住む。12年9月関東大震災に遭い東京に移転する。 今村武雄『小泉信三伝』
11月3日 広津和郎(24)、藤沢の片瀬に行き、竜口寺近くの家を借り、神山ふくを伴って転居し、まもなく両親の広津柳浪夫婦も迎える。12月31日に鎌倉坂ノ下の星の井の前の家に移る。 『広津和郎全集』年譜、『年月のあしおと』
11月5日 芥川龍之介(24)、就職の件で横須賀に行く。 『芥川龍之介全集』書簡
11月8日 大杉栄(31)、葉山の日蔭茶屋に滞在中、訪ねてきた神近市子に左頸部を刺され、逗子の千葉病院に入院する。 大沢正道『大杉栄研究』
11月9日 荒畑寒村(29)、葉山の日蔭茶屋での大杉栄・神近市子事件を聞き、馬場孤蝶と共に急行して逗子の病院に大杉栄を見舞う。 『寒村自伝』
11月中旬 水上滝太郎(28)、湯河原に行き、中西屋に滞在し外国留学から帰朝後の静養をする。 「はじめて泉鏡花先生に見ゆるの記」
11月中旬 南部修太郎(24)、湯河原に転地療養し中西屋に滞在する。同宿の水上滝太郎と初めて会う。 水上滝太郎「修文院釈楽邦信士」
11月 花岡謙二(29)、茅ケ崎の南湖下町に滞在する。 『山村暮鳥全集』書簡
11月 素木しづ(21)、茅ケ崎に居住中、5日、8日、9日、10日の四回にわたり「読売新聞」に「茅ケ崎より」を寄稿する。 「読売新聞」
12月1日 芥川龍之介(24)、横須賀の海軍機関学校に嘱託教官として赴任する。鎌倉由比ガ浜海岸通りの野間西洋洗濯店の裏座敷二間を借りて下宿する。菅虎雄の世話による。 『芥川龍之介全集』書簡
12月1日 岡本綺堂(44)、国府津海岸に行く。神経衰弱不眠のため三週間ほど滞在静養する。 『岡本綺堂日記』年譜
12月5日 宮崎滔天(45)、箱根に行き、滞在する。 『宮崎滔天全集』書簡
12月初旬 萩原朔太郎(30)、鎌倉に行き、長谷海月楼に病気療養のため滞在する。12日から20日まで帰郷し、再び鎌倉に行き越年する。翌年2月下旬に帰京する。 『萩原朔太郎全集』書簡
12月16日 芥川龍之介(24)、菅虎雄と連れだって鎌倉円覚寺に釈宗演を訪ね、また故夏目漱石ゆかりの帰源院を訪ねる。 『芥川龍之介全集』書簡
12月21日 秋田雨雀(33)、横浜の根岸監獄に、葉山日蔭茶屋事件で収監されている神近市子を訪ねる。 『秋田雨雀日記』
12月31日 近松秋江(40)、徳田秋声らと四人で晩から江の島に行き、泊まる。6年元旦、鎌倉に回り、高浜虚子の家に寄り、帰京する。「湘南の春」。 「湘南の春」
12月 日夏耿之介(26)、鎌倉で長谷海月楼に滞在中の萩原朔太郎と初めて知りあい、親交を結ぶ。 『萩原朔太郎全集』年譜
12月 佐藤惣之助(26)、川崎から一里ほど西方の山に引きこもる。翌年2月、川崎に戻る。 「月夜の梅」
12月 山川菊栄(26)、山川均と結婚まもなく、肺結核のため鎌倉に行き、稲村ガ崎のミス・ハーツホンの別宅に転地療養する。 『山川菊栄集』年譜
月日未詳 前田青邨(31)、横浜の鶴見に転居する。 県史年表
月日未詳 日夏耿之介(26)、鎌倉の坂ノ下に住む。翌年、東京に戻る。 『湘南の文学と美術展』図録
月日未詳 長谷川如是閑(41)、肺尖カタルを再発し、湯河原などで療養する。 『人・時代・思想と著作目録』年譜
大正06年(1917年)
1月5日 黒田清輝(50)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。12日、帰京する。 『黒田清輝日記』
1月9日 山本実彦(32)、鎌倉に行き、別荘に滞在する黒田清輝を訪ねる。 『黒田清輝日記』
1月10日 阿部次郎(33)、藤沢の鵠沼に仕事をもって行き、和辻哲郎宅に七日間滞在する。17日に帰京する。 『阿部次郎全集』日記
1月22日 阿部次郎(33)、藤沢の鵠沼に行き安倍能成宅での「例の会」に出席する。小宮豊隆、和辻哲郎、森田草平が顔をそろえる。和辻哲郎宅に一泊して翌日帰京する。 『阿部次郎全集』日記
1月26日 三田村鳶魚(46)、逗子に行き、執筆のため神武寺に滞在する。2月12日に帰京する。 『三田村鳶魚全集』日記
1月28日 芥川龍之介(24)、横浜三渓園に行き、瑞魔天を見て深い感動をうける。 『芥川龍之介全集』書簡
1月30日 黒田清輝(50)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。2月10日、帰京する。2月21日、再び行き滞在、3月23日、帰京する。 『黒田清輝日記』
1月 水上滝太郎(29)、鎌倉長谷稲瀬川一四六番地の水上家の別荘で祖母が死去する。 『水上滝太郎全集』年譜
2月7日 三田村鳶魚(46)、逗子の神武寺に滞在中、横須賀の田浦に行く。 『三田村鳶魚全集』日記
2月11日 阿部次郎(33)、横浜に行き、三渓園の原家で絵を観る。原富太郎・善一郎父子と初めて会う。矢代幸雄とも初対面。和辻哲郎も来る。 『阿部次郎全集』日記
2月11日 三田村鳶魚(46)、逗子の神武寺に滞在中、横浜の金沢に行き、称名寺を訪ねる。 『三田村鳶魚全集』日記
2月12日 田村俊子(32)、「ある人に連れられて」、自動車で鎌倉に行き、由比ガ浜の海浜院に泊まる。翌日、箱根に行き湯本の福住楼に、その翌日は宮ノ下の富士屋ホテルに泊まる。 書簡
2月19日 神近市子(28)、横浜地方裁判所での日蔭茶屋事件第一回公判に出廷する。 『秋田雨雀日記』
2月19日 秋田雨雀(34)、前日横浜に泊まり、この日横浜地方裁判所で開かれた神近市子の第一回公判を傍聴する。3月2日第二回公判も傍聴する。 『秋田雨雀日記』
2月22日 岸田劉生(25)、藤沢の鵠沼の佐藤別荘に転居する。6月23日か24日ごろ同じ鵠沼の松本別荘に移る。大正12年9月1日の関東大震災後に鵠沼を離れる。 『岸田劉生全集』書簡
2月 岩村透(47)、三浦三崎二町谷の別荘隣松庵にひきこもる。 清見陸郎『岩村透と近代美術』
3月10日 阿部次郎(33)、横浜に行き、三渓園で絵を観る。 『阿部次郎全集』日記
3月18日 森鴎外(55)、小田原に行き、古稀庵に山県有朋を訪ねる。 『鴎外全集』日記
3月 八木重吉(19)、鎌倉の神奈川県師範学校本科第一部を卒業する。4月、東京高等師範学校文科第三部に入学し、寄宿舎に入る。 『八木重吉全集』年譜
3月 尾崎一雄(17)、県立小田原中学校を卒業する。 『尾崎一雄全集』年譜
3月 黒岩涙香(54)、鎌倉長谷に転居する。 『明治文学全集』47年譜
3月 柳沢健(27)、横浜郵便局外信課長に任じられる。翌月、横浜郵便局長事務取扱となる。横浜西戸部池ノ坂の官舎に住む。8年4月19日に依願退職し、翌日、大阪朝日新聞社に入る。 『印度洋の黄昏』年譜
川合仁(16)、小田原に住む叔母の駒井家に郷里山梨県から家出してくる。 『私の知っている人達』年譜
窪田空穂(39)、前田晃、松村英一、中村白葉、鎌倉に遊ぶ。短歌「由比ケ浜」ほか。 「由比ケ浜」
4月2日 内村鑑三(56)、箱根堂ケ島で開かれた朝鮮基督教青年修養会で「相互の了解」を講演する。 「聖書之研究」
4月21日 阿部次郎(33)、箱根に行き、和辻哲郎宅での「例の会」に出席する。小宮豊隆、安倍能成も来る。一泊し、22日は和辻哲郎夫妻と共に横浜の三渓園に絵を見に行く。 『阿部次郎全集』日記
4月22日 大町桂月(48)、友人たちと三浦三崎に遊び、夜の船で帰る。「三崎の一日」。 「三崎の一日」、日記
4月26日 阿部次郎(33)、箱根に行き、芦之湯に二泊する。 『阿部次郎全集』日記
4月 山川菊栄(26)、横浜の生麦に転居する。8月19日、東京に移る。 『山川菊栄集』年譜
5月26日 素木しづ(22)、小田原に行き、早川のかめや旅館に病気療養に行く。越年する。 「読売新聞」、「文章倶楽部」
5月31日 芥川龍之介(25)、藤沢の鵠沼に和辻哲郎を訪ね、静かな家庭が羨ましかったと婚約者の塚本文に書く。 『芥川龍之介全集』書簡
5月 久保田万太郎(27)、藤沢の鵠沼に祖母と行き、東屋で「末枯」を書き始める。一旦東京に戻るがまた鵠沼に行く。「『末枯』を書くまで」など。6月1日にも行き、泊まる。「六月一日」。 「妹におくる」、「六月一日」
6月末 生田長江(35)、鎌倉の長谷観音の裏山に求めた墓地に、亡妻の遺骨を葬る。 改造社版『現代日本文学全集』28年譜
6月 岩波茂雄(35)、長男の肺炎の予後のため、妻子を鎌倉坂ノ下に住まわせる。 安倍能成『岩波茂雄伝』
6月 大須賀乙字(35)、箱根に、東京音楽学校教授・生徒監として生徒を伴って行く。 村山古郷編『大須賀乙字伝』
6月 古木鉄太郎(17)、横浜の兄醇の家に寄宿する。 「兄の死」
7月1日 阿部次郎(33)、藤沢の鵠沼に行き和辻哲郎を訪ね、一泊。翌日安倍能成宅に寄る。岩波茂雄も来る。夕方帰京する。 『阿部次郎全集』日記
7月 広津和郎(25)、鎌倉の内で名越の別願寺の一室に転居する。まもなく東京に出る。 『広津和郎全集』年譜
7月 津田梅子(52)、鎌倉の稲村ガ崎に近い音無川に沿う丘の中腹にある別荘(明治40年ごろ建築)に移り、病後の療養にあたる。10月、再入院する。 吉川利一『津田梅子伝』
7月 滝井孝作(23)、箱根に遊ぶ。 『折柴句集』
8月2日 有島武郎(39)、安子の一周忌で平塚杏雲堂に行き、旭館に一泊、翌日患者全員に花束を贈る。 『有島武郎全集』日記
8月2日 小島政二郎(23)、藤沢の片瀬に避暑する。 「読売新聞」
8月4日 黒田清輝(51)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。20日、逗子から自動車を呼び、三浦三崎二町谷の岩村透邸に行く。20日、本瑞寺での故岩村透の葬儀に列する。10月6日、帰京する。 『黒田清輝日記』
8月初旬 長谷川天溪(40)、横浜の金沢八景に遊ぶ。 「読売新聞」
8月17日 岩村透(47)、三浦三崎二町谷の別荘隣松庵で死去する。20日、桜の御所本瑞寺で葬儀が営まれる。のち昭和5年8月に、朝倉文夫製作の胸像が本瑞寺に立てられる。 清見陸郎『岩村透と近代美術』
8月18日 加藤一夫(30)、小田原に行き、福田正夫主宰の文芸愛好家の集まりで、二晩つづけて講演をする。 「科学と文芸」
8月26日 三田村鳶魚(47)、川崎に行き、宗三寺を訪ねる。かねて佐々木大明神の祠を山王社に訪ねる。 『三田村鳶魚全集』日記
中川一政(24)、藤沢の鵠沼の岸田劉生もとに行き、一カ月ほど滞在する。 「岸田劉生氏の事共」
中村吉蔵(40)、茅ケ崎に行き、海岸の新別荘を借りて、夏中病後静養をする。「茅ケ崎の眺望」。 「茅ケ崎の眺望」
9月2日 有島武郎(39)、有島生馬と箱根に行き、塔之沢に三泊する。 『有島武郎全集』日記
9月14日 芥川龍之介(25)、鎌倉から横須賀市汐入五八〇の尾鷲梅吉方の二階の八畳に下宿を移す。 『芥川龍之介全集』書簡
9月26日 森鴎外(55)、小田原に行き、古稀庵に山県有朋を訪ねる。 『鴎外全集』日記
9月 高浜虚子(43)、鎌倉の内で大町から原ノ台に転居する。 『高浜虚子全集』研究年表
10月8日 斎藤茂吉(35)、箱根に行き、宮ノ下五段栄舟館に保養する。26日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』書簡
10月19日 半田良平(30)、修学旅行の中学生を引率して箱根山に登る。堂ケ島に泊まる。その夜近くの宿屋に滞在中の斎藤茂吉を訪ねる。短歌「箱根山」十二首。 「箱根山」
10月26日 富田砕花(26)、鎌倉に芥川龍之介を訪ねて一泊する。薄田泣菫論に興じる。 『芥川龍之介全集』書簡
10月 尾崎放哉(32)、横須賀に滞在する。 書簡
11月11日 阿部次郎(34)、藤沢の鵠沼に行き、和辻哲郎宅での「例の会」に出席する。一泊して帰京する 『阿部次郎全集』日記
11月15日 内村鑑三(56)、秦野で開かれた「聖書之研究」読書会で「信仰の階段」を講演する。 「聖書之研究」
11月23日 阿部次郎(34)、横浜に行き、三渓園に桃山時代の建築が出来たのを見る。原善一郎の結婚披露がある。和辻哲郎、安倍能成、芥川龍之介、矢代幸雄等も出席した。 『阿部次郎全集』日記
11月 佐佐木信綱(45)、鎌倉に行き、光明寺で万葉集の古写本を探すが発見できなかった。ついで妙本寺を訪れ、その時の印象をもとに「権律師仙覚」を書く。 『作歌八十二年』
12月7日 足助素一(39)、茅ケ崎の南湖院に有島武郎に付きそわれて入院する。誤診と分かり、翌月に退院する。 有島武郎「ポケット日記」、『足助素一集』
12月15日 有島武郎(39)、熱海からの帰途、茅ケ崎に足助素一を見舞い、鎌倉に行き、扇ケ谷に一軒家を借りる。以後しばしば鎌倉の家に行く。 『有島武郎全集』日記
12月31日 広津和郎(26)、東京から再び鎌倉にもどり、別願寺隣りの安養院に移っていた両親のもとに行き、越年する。「鎌倉日記」。 「鎌倉日記」
12月 小酒井不木(27)、横浜から出航、東北帝大医学部の助教授として欧米留学に向かう。 『小酒井不木全集』年譜、書簡
12月 村山槐多(21)、友人と歩いて三浦三崎に行く。途中、鶴見で父の知人の家に、横浜で親戚の家に寄って、三崎では木賃宿に泊まる。翌日葉山まで歩いて、警察署の牢屋に泊めてもらい、その翌日、保土ケ谷の交番で電車賃を借りて帰る。 山崎正三「槐多の三崎旅行」
月日未詳 前田青邨(32)、横浜の渡辺山に転居する。 『神奈川県史』年表
大正07年(1918年)
1月4日 有島武郎(39)、三児を連れて鎌倉に行き10日に帰京する。この間8日には江の島に子供たちを連れていく。 『有島武郎全集』日記
1月7日 武者小路実篤(32)、鎌倉に行き、バーナード・リーチ、園池公致、柳宗悦らと共に有島武郎を訪ねる。 有島武郎「ポケット日記」
1月25日 芥川龍之介(25)、藤沢の鵠沼に行き、谷崎潤一郎のもとに泊まる。 『芥川龍之介全集』書簡
1月26日 阿部次郎(34)、藤沢の鵠沼に行き、安倍能成宅で和辻哲郎、小宮豊隆らと共に夕食をとり、和辻哲郎方に泊まる。翌日、四人で横浜の三渓園へ行く。 『阿部次郎全集』日記
1月 福田正夫(24)、小田原で詩誌「民衆」を創刊する。6月、小田原同胞協会牧師の娘と結婚する。 『追想福田正夫』年譜
1月 有島生馬(35)、鎌倉泉ケ谷に、兄有島武郎一家と共に滞在する。 「有島生馬」展(1977)図録年譜
1月 折口信夫(30)、足柄下郡史編纂を嘱託され、小田原早川海岸の旅館に下宿する。6月に東京にもどる。 『折口信夫全集』年譜
2月3日 松根東洋城(39)、横浜に行き、横浜公園喜良久亭で開かれた「渋柿」横浜句会に出席する。 「渋柿」
2月初旬 長与善郎(29)、鎌倉長谷の海月別荘に、子供の病後保養に行き、3月中滞在する。 「白樺」
2月10日 吉井勇(31)、湯河原に在り、旧作「昨日まで」の中から、懐旧の年に堪えない七首を抜き、「湯河原にて」を書き、「読売新聞」に寄稿する。 「読売新聞」
2月20日 森鴎外(56)、小田原に行き、古稀庵に山県有朋を訪ねる。 『鴎外全集』日記
2月 三ケ島葭子(31)、横浜生麦に行き、中村星湖を初めて訪ねる。 「短歌」特集号年譜
2月 荻原井泉水(33)、伊豆山に滞在中、二日間を湯河原に遊ぶ。俳句「光に浸りて」。 「光に浸りて」
2月 若山牧水(32)、横浜に行き、「創作」横浜支社結成の会に出席する。長谷川銀作がはじめて若山牧水に会う。4月、支社総会に出席する。同行の妻の妹桐子を銀作が知る。のち銀作は桐子と結婚する。 『長谷川銀作全歌集』年譜
3月3日 鈴木貫介、小田原の早川に生まれる。家は祖父の代から柑橘類栽培を業とする。 『鈴木貫介全歌集』年譜
3月5日 北原白秋(33)、妻章子の肋膜炎療養のため小田原の養生館に行く。中旬には小田原町十字四丁目九一〇番地、通称お花畑に移る。 『白秋全集』年譜
3月17日 森鴎外(56)、小田原に行き、古稀庵に山県有朋を訪ねる。 『鴎外全集』日記
3月17日 小山鼎浦(38)、鎌倉の扇ケ谷に移り住む。 『鼎浦全集』年譜
3月21日 若山牧水(32)、横浜に行き、掃部山の柳桜亭で開かれた創作社横浜支社発会の第一回短歌会に出席する。 『横浜近代史総合年表』
3月28日 阿部次郎(34)、藤沢の鵠沼の和辻哲郎方に息ぬきに遊びに行く。夜帰京する。 『阿部次郎全集』日記
3月29日 芥川龍之介(26)、2月2日に結婚し、この日鎌倉大町字辻の小山別邸内に引越す。 『芥川龍之介全集』書簡
3月30日 黒田清輝(51)、久米桂一郎ら友人五人と横浜の金沢八景行を試みる。東京から逗子まで汽車に乗り、逗子から乗合馬車で金沢に行き、千代本亭に入り一泊する。翌日、称名寺を訪れ、杉田に行き、八幡橋まで歩き、電車で桜木町に出て、汽車で帰京する。夕食とも経費は八円であった。 『黒田清輝日記』
3月 和田伝(18)、県立厚木中学校(現厚木高校)を卒業する。ついで早稲田大学高等予科に入学する。 『和田伝全集』年譜
3月 谷崎潤一郎(31)、藤沢の鵠沼に行き、東屋の別館に滞在する。9月初旬に帰京する。 『谷崎潤一郎全集』年譜
3月 豊島与志雄(27)、横須賀の海軍機関学校の嘱託教官となる。同僚に芥川龍之介、内田百閒が居た。12年に辞任する。 『豊島与志雄著作集』年譜
3月 岸田劉生(26)、長与善郎、園池公致、椿貞雄らと横浜の金沢から横須賀に遊ぶ。 「白樺」
4月6日 橋田東声(31)、三浦半島に土陽美術会の人々と行き、翌日にかけて半島を周遊する。短歌c二十四首。 「半島の春」
4月7日 尾山篤二郎(28)、横浜に行き、横浜公園喜良久亭で開かれた「短歌雑誌」第一回詩友会に出席する。 滝沢博夫『評伝尾山篤二郎』
4月14日 阿部次郎(34)、横浜に行き、三渓園で絵を観る。史学会の連中と一緒になる。 『阿部次郎全集』日記
4月 内田百閒(28)、横須賀海軍機関学校のドイツ語学兼務教務官となる。芥川龍之介の推輓による。 『内田百閒全集』年譜
5月3日 妹尾義郎(28)、横浜の友人に案内されて横浜見物に行き、その下宿屋に泊まる。翌日、蓬莱町三丁目に原栄太郎を訪ね、知人の企業計画運動を相談する。6日に知人を連れて原を再訪する。翌日掃部山に上り、横浜港を見て帰京する。 『妹尾義郎日記』
5月26日 内村鑑三(57)、横浜の基督教青年会館で「世界戦争と基督教」を講演する。 「聖書之研究」
5月30日 田村俊子(34)、横浜港に行き、カナダに旅立つ恋人鈴木悦を見送り、「私は上州屋で暫く泣いてゐました」。 書簡
5月 前田夕暮(34)、丹沢玄倉山付近の酒匂川水源地帯を跋渉する。 前田透『評伝前田夕暮』年譜
5月 広津和郎(26)、鎌倉山ノ内に移転するが、鎌倉ですごすのは月に三日か四日であった。 『広津和郎全集』年譜
6月3日 徳富蘇峰(55)、逗子の別荘内の観瀾亭で「近世日本国民史」を書きはじめる。8月11日、前編を書き終える。 「修史述懐」、「篇外剰筆」
6月 前田夕暮(34)、長男前田透を連れて郷里大根村の生家に行く。前田透は初めての訪問であった。 前田透『評伝前田夕暮』
7月13日 志賀直哉(35)、箱根に行き強羅の別荘に滞在する。 『志賀直哉全集』書簡
7月17日 小泉鉄(31)、逗子の新宿二一〇八番地に転地する。9月下旬までの予定であった。 「白樺」
7月30日 内村鑑三(57)、箱根に行き、基督教徒修養会で、この日と翌日「再臨と聖書研究」「再臨宣伝の注意」「再来の時期」を講演する。 『内村鑑三全集』年譜
7月31日 黒田清輝(52)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。9月26日、横浜港に行き、伏見丸で渡米する友人を見送る。10月7日、帰京する。 『黒田清輝日記』
7月 池谷信三郎(17)、一高の入学試験のある日、鎌倉長谷の大仏前の病院で暮らす。 『池谷信三郎全集』(一巻本)年譜
7月 三好達治(17)、東京陸軍中央幼年学校在学中、暑中休暇で大阪の実家に帰省の途次、同行四人が国府津で汽車を降り、箱根の旧道を通って芦ノ湖に出、仙石原、長尾峠を経て御殿場に泊まり、翌日富士登山をする。 「春雪」
8月初旬 江口渙(31)、菊池寛(29)、鎌倉に住む芥川龍之介を訪ね、鎌倉に滞在中の久米正雄もまじえて由比ガ浜で海水浴をする。久米正雄の宿屋に泊まる。 「その頃の芥川龍之介」
8月15日 柳田国男(43)、津久井郡内郷村の調査に赴く。25日まで調査する。「津久井の山村より」。 「郷土誌論」
8月中旬 三木露風(29)、鎌倉円覚寺の夏期接心会に、窪田空穂に誘われて参会し、一週間滞在する。 『三木露風全集』書簡
8月中旬 清沢洌(28)、横浜港に、コレア丸でアメリカから帰国する。横浜の旅館和田彦(のち福井屋)に泊まり、米騒動の最中で足止めをくらう。旅館の娘と知りあい、のち結婚する。 『暗黒日記』年譜
8月21日 寺田寅彦(39)、逗子に子供を連れて日帰りの海水浴をする。 『寺田寅彦全集』日記
8月30日 河合栄治郎(27)、横浜港からコレア丸で出航、農商務省の命をうけ工場法研究のため、アメリカに向かう。8年5月13日、横浜港に帰着する。 江上照彦『河合栄治郎伝』
8月下旬 小島政二郎(24)、菊池寛、久米正雄、江口渙、菅忠雄らと、鎌倉の芥川龍之介に招かれて行き、俳句の運座を開く。 『芥川龍之介全集』書簡
8月 鈴木三重吉(35)、藤沢の片瀬の「小島」のところに一泊する。「海ばたへいつたらノドが大変いいです」と告げる。 『鈴木三重吉全集』書簡
高田博厚(18)、藤沢の鵠沼に行き、高村光太郎の紹介で岸田劉生に会い、自作の画をみせる。その後数度訪れる。 「岸田劉生」
安藤更正(18)、箱根に行き、底倉に滞在し脚気治療にあたる。その病床で米騒動の報を聞く。 『安藤更正年譜著作目録』
久米正雄(26)、鎌倉ですごす。「螢草」の成功でかなり華やかであった。 菊池寛「世相雑感」
今和次郎(24)、津久井郡内郷村に郷土会の研究旅行をする。「神奈川県津久井郡内郷村」。 「神奈川県津久井郡内郷村」
9月初旬 阪井久良伎(49)、川柳の友今井卯木夫人の死を悼み、横浜の原合名会社に卯木を訪ね、帰路青木町の友人を訪ねる。 「九月日記抄」
9月12日 高浜年尾(17)、藤沢の片瀬に行き、竜口寺の日蓮上人法難会を見る。俳句一句。
9月中旬 橋本徳寿(24)、小田原に行き松月に泊まる。宿帳で小寺健吉、近藤浩一路が少し前に泊まったことを知る。まもなく近くの素人屋の二階に移り、十月末まですごす。 「小田原の秋」
9月18日 森鴎外(56)、小田原に行き、山県有朋の別荘古稀庵で開かれた歌会常磐会に列する。 『鴎外全集』日記
9月24日 斎藤空華、横浜に生まれる。 『空華句集』略歴
9月 佐藤義亮(40)、藤沢の鵠沼海岸に胃腸病静養のため転地する。 天野雅司編『佐藤義亮伝』年譜
10月7日 北原白秋(33)、小田原の内で十字二丁目三三五番地、通称天神山の伝肇寺に移る。 『白秋全集』年譜
10月11日 田村俊子(34)、横浜港からメキシコ丸で出航、恋人悦を追ってカナダに向かう。以後十八年間アメリカ、カナダに滞在し、昭和11年3月31日に帰国する。 『田村俊子作品集』年譜
10月29日 阿部次郎(33)、箱根に和辻哲郎と行き、原家の別荘である芦之湯の去来山房に二泊する。 『阿部次郎全集』日記
10月 西東三鬼(18)、母の死により、藤沢の鵠沼松が岡の長兄のもとに引きとられる。12月、青山学院中等部に編入学する。 『西東三鬼全句集』年譜
金子薫園(42)、藤沢の鵠沼に友人を見舞う。短歌「海岸の雨」。 「海岸の雨」
大岡昇平(9)、二子玉川に、渋谷第一尋常高等小学校四年生の遠足で、行く。 『大岡昇平全集』年譜
原三郎(21)、春に友と歩いた三浦半島に独り行く。汽船房洋丸で三浦三崎に着き、葉山に歩く。短歌「東京湾・三浦半島」二十四首。 「東京湾・三浦半島」
11月3日 大須賀乙字(37)、横浜の金沢に、俳友らと吟行する。曾遊の地であった。 村山古郷編『大須賀乙字伝』
11月22日 恒藤恭(29)、鎌倉に行き、芥川龍之介をその新居に訪ねる。 『芥川龍之介全集』日記
11月29日 秋田雨雀(35)、横浜に行き、12月1日の横浜座での芸術座公演に立ちあう。12月12日には横須賀公演に同行する。 『秋田雨雀日記』
11月 平野威馬雄(18)、東京麹町のミッションスクールを諭旨退学となり、逗子の開成中学に一年下がって編入し、葉山の堀内海岸の別荘から通うことになる。 『混血人生記』
11月 南部修太郎(26)、流行性感冒に罹り、九死に一生を得て、予後を湯河原の中西屋に養う。 「文壇諸家年譜」
12月6日 吉野作造(40)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた横須賀貿易新報主催の時局学術講演会で「戦捷の道徳的意義」を講演する。姉崎嘲風は「軍国主義の心理」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
12月11日 黒岩涙香(56)、横浜港から東洋汽船の天洋丸で出航、第一次世界大戦の講和使節一行と共に、アメリカからヨーロッパに向かう。翌年7月1日に帰国する。 伊藤秀雄『黒岩涙香』
12月12日 内村鑑三(57)、横須賀伝導義会に行き泊まる。翌日、ペルリ上陸記念碑などを見て夕方帰京する。 『内村鑑三全集』日記
12月14日 松根東洋城(40)、横浜に行き、渋柿社横浜支会の発会に臨む。俳句九句。以来、例会にしばしば出席する。 「渋柿」
12月27日 木村荘八(25)、弟と友人の横堀と三人で三浦三崎に行き、友人の宮崎を訪ねる。本瑞寺に一泊、翌日夜の船で立ち、29日早朝に東京に戻る。「愉快な小旅行」。 「愉快な小旅行」
12月末 荻原井泉水(34)、大磯に移り南下町に仮寓、翌年5月北本町に移る。「大磯に移りて」、俳句「崖の家より」。 「大磯に移りて」、「崖の家より」
12月 中谷徳太郎(32)、小田原に病人を見舞い、ふと思い立って箱根に行き、湯本から塔之沢まで夜道を歩き、昔馴染の宿に滞在する。「初冬の箱根より」。 「初冬の箱根より」
月日未詳 川崎長太郎(17)、県立小田原中学校を放校となる。親戚の世話で、横浜の金物問屋釘文の丁稚となる。三カ月で脚気となり小田原に戻り、実家の魚屋を手伝う。 『川崎長太郎自選全集』年譜
月日未詳 羽仁説子(15)、平塚の波多野貞夫宅に預けられ、肺結核の療養をする。11年に帰京する。 『羽仁説子の本』年譜
大正08年(1919年)
1月2日 鈴木三重吉(36)、小田原に北原白秋を訪ね、「赤い鳥」編集のことを打ち合わせる。海岸の宿屋に一泊して帰京する。 『鈴木三重吉全集』書簡
1月3日 内村鑑三(57)、甥を案内しがてら「野外運動」を江の島、鎌倉に試みる。 『内村鑑三全集』日記
1月初旬 大須賀乙字(37)、箱根の強羅日本園の別荘に滞在する。「空林に草踏んで小鳥追ひ散らす」。俳句「箱根の冬」十三句。 『乙字書簡集』
1月16日 井上円了(60)、葉山に転地する。 平野威馬雄『伝円了』
1月18日 左右田喜一郎(37)、横浜の黎明会第一回講演会で、「文化主義の論理」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
1月24日 木下利玄(33)、鎌倉大町の八雲神社の三久別荘に引越す。広津柳浪と隣りあわせであった。 『木下利玄全集』日記、年譜
1月27日 徳冨蘆花(50)、横浜港から大阪商船のぼるねお丸で出航、妻と世界一周の旅に出る。この年を自ら新紀元第一年と宣言する。翌年3月8日、春洋丸で横浜に帰着する。「日本から日本へ」。 「日本から日本へ」
1月 宮崎丈二(22)、三浦三崎の本瑞寺に滞在する。 武者小路実篤書簡
1月 嶋中雄作(31)、湯河原に行き「A旅館」(天野屋ヵ)に滞在し、「婦人公論」編集長で編集員の半沢成二を旅館に呼ぶ。 半沢成二『大正の雑誌記者』
2月8日 吉野作造(41)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた基督教会連合主催の覚醒運動講演会で、「国際連盟論」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
2月25日 岡本綺堂(46)、横浜港から東洋汽船の天洋丸で出航。帝国劇場の嘱託をうけ、伊坂梅雪と大戦後の欧米劇場視察の途につく。8月23日神戸に帰国。上京の途次25日に国府津に一泊する。 『岡本綺堂日記』年譜
2月 飛鳥田孋無公(れいむこう)(22)、神奈川県内務部会計課に転勤となり、厚木から横浜伊勢町の官舎に移る。 上田都史『近代俳人列伝』
2月 海老名弾正(62)、横浜港から妻と共に出港、第一次世界大戦後の欧米視察に向かう。9年1日に帰国する。 大下あや『父・海老名弾正』
3月2日 葛西善蔵(32)、弟と鎌倉に行き、建長寺前の竜王館に滞在する。「三月の日記」。 「三月の日記」
3月14日 万鉄五郎(33)、茅ケ崎に、神経衰弱療養のために行き、弟の家に身を寄せる。9月、茅ケ崎の天王山に家を借りて家族と住む。 『神奈川県美術風土記』
3月17日 尾崎行雄(60)、横浜港から出航し欧米巡遊の旅に上る。12月31日に諏訪丸で横浜に帰着する。 『咢堂自伝』
3月31日 大佛次郎(21)、鎌倉に行く。途中円覚寺塔頭にこもりに行く有島武郎と汽車で乗りあわせる。 『私の履歴書』
3月31日 有島武郎(41)、鎌倉円覚寺の塔頭松嶺院にこもる。「或る女」の続編を書きつぐ。仕上げることは出来ず4月22日に帰京する。 『有島武郎全集』日記
3月 水野広徳(43)、横浜港から出航、第一次世界大戦後の視察のため、私費留学生としてヨーロッパに向かう。9年5月に帰国する。 『明治文学全集』97年譜
3月 生田葵山(42)、伊藤松雄と足柄下郡石橋分教場に福田正夫を訪ねる。 『追想福田正夫』年譜
4月1日 北原武夫(12)、県立小田原中学校(現小田原高校)に入学する。13年3月に卒業し、新潟高校理科に進むことになる。 『北原武夫文学全集』年譜
4月3日 高野岩三郎(47)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた、第一回社会事項講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
4月7日 萩原朔太郎(32)、大磯に行き、鍵屋旅館に滞在する。20日に帰京する。 『萩原朔太郎全集』書簡
4月12日 森鴎外(57)、横浜に妻と行き鶴見の花月園で遊ぶ。 『鴎外全集』日記
4月12日 窪田空穂(41)、前田晃、片上伸、生方敏郎、白石実三と熱海に坪内逍遙を訪れる途中、小田原に一泊する。「歌集について思い出す事ども」。短歌「小田原城址」ほか。 「小田原城址」
4月16日 富田砕花(28)、鎌倉の松嶺院に滞在中の有島武郎を訪ね、『草の葉』の翻訳に文章を寄せてもらうよう依頼する。 『有島武郎全集』日記
4月24日 徳富蘇峰(56)、湯河原に行き、旅館「岫雲楼」天野屋に病後を養う。5月7日亡き母を称え、「故淇水先生夫人」を書く。6月10日、帰京する。 「故淇水先生夫人」、「湯磧雑信」
4月28日 芥川龍之介(27)、3月に横須賀の海軍機関学校を辞め、この日鎌倉を引き払って東京田端の自宅に戻る。 『芥川龍之介全集』書簡
4月 佐佐木信綱(46)、橋本進吉、武田祐吉と共に横浜金沢の称名寺を訪ねる。 「六浦の入江」
4月 半田良平(31)、三浦半島に松村英一らと遊び、浦賀、下浦、三崎、小網代、油壺、葉山などに行く。短歌「三浦半島」十八首。 「三浦半島」
4月 長与善郎(30)、鎌倉大町辻に移り住む。 書簡
5月1日 阿部次郎(35)、横浜鶴見の花月園に行き、斯華会慰労会に出る。総持寺を見て夜帰宅する。 『阿部次郎全集』日記
5月3日 秋田雨雀(36)、横浜のエスペラント大会に出席し、「エスペラント魂のなき人は文芸家たる能わず」を講演する。夜帰京し、翌4日には鶴見に行き、椿の茶屋で「平和会議」を観る。 『秋田雨雀日記』
5月14日 内村鑑三(58)、警醒社主人の招待で妻と箱根小湧谷に行き二泊する。 『内村鑑三全集』日記
5月24日 宮崎滔天(48)、湯河原に行く。帰途、天野屋に滞在していた徳富蘇峰を訪ね、「国民新聞」の買収を申し出たが、断わられる。 『宮崎滔天全集』年譜
5月26日 大杉栄(34)、横浜に行き、戸部での集会で「労働と社会主義」「資本家と労働」について討論をする。 『横浜近代史総合年表』
5月30日 阿部次郎(35)、横浜に和辻哲郎と行き、本牧に久保勉を訪ね、ついで三渓園に行き、再び久保勉を訪ね、共にロシア領事館にケーベルを訪ねる。 『阿部次郎全集』日記
5月 蒲原有明(43)、鎌倉雪ノ下に転居する。 『明治文学全集』58年譜
5月 平福百穂(41)、湯河原に行き、滞在中の徳富蘇峰を訪ね、城願寺に遊ぶ。 徳富蘇峰「湯碩雑信」
5月 荻原井泉水(34)、大磯のうちで南下町から北本町大円寺上の或る家の離れに移る。 『此の道六十年』
6月16日 荻原井泉水(35)、箱根に行き、堂ケ島に二泊する。俳句「箱根にて」。 「箱根にて」
6月17日 有島武郎(41)、箱根への途次国府津に一泊。18日朝、箱根小涌谷三河屋ホテルに着く。疲労回復を計る。20日か21日に帰京する。 『有島武郎全集』書簡
6月21日 三木清(22)、鎌倉に行き、友人の家に26日まで滞在する。短歌十首。
6月28日 小山鼎浦(39)、鎌倉の浄妙寺境内に新宅が落成し、扇ケ谷から転居する。 『鼎浦全集』年譜
6月 鈴木三重吉(36)、葉山に滞在して喘息の療養をする。7月5日に一度帰京し、9日に再訪、一色の上田別荘に住む。9月30日、増田別荘に移る。9年10月初めに東京に転居する。 『鈴木三重吉全集』書簡
6月 古泉千樫(32)、伊東への途次、小田原に寄り、北原白秋を訪ねる。 『古泉千樫全歌集』年譜
7月8日 志賀重昂(55)、横浜に行き、横浜社交倶楽部で、「大正八年の世界地図」を講演する。
7月8日 暁烏敏(41)、西帰の途次、平塚西海岸の小山礼次郎邸に寄る。9月21日にも逗子に病人を見舞ったのち平塚に寄る。 『暁烏敏全集』日記
7月20日 北原白秋(34)、小田原天神山の伝肇寺寺内に「木兎の家」が落成した記念の会を開き、夕方から箱根塔之沢環翠楼で詩話会を開く。福田正夫、川路柳虹、佐藤惣之助、日夏耿之介ら三十名ほどが集まる。翌日、柳沢健、富田砕花も訪れる。 『白秋全集』年譜
7月26日 吉野作造(41)、横浜に行き、基督教青年会主催の講演会で、「対外政策の人道主義的転回」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
7月末 高野岩三郎(47)、小田原の浜辺に家を借り、家族と共に移り住む。小田原と東京を往復する。 大島清『高野岩三郎伝』
8月5日 長与善郎(30)、妻と藤沢の鵠沼に岸田劉生を訪ねる。 『長与善郎全集』日記
8月7日 岸田劉生(28)、鎌倉に住む長与善郎を訪ねる。以来往来しきりであった。 『劉生日記』
8月8日 黒田清輝(53)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。9月7日、横浜港に行き、ペルシャ丸でパリに向かう友人を見送る。9月25日、帰京する。 『黒田清輝日記』
8月9日 芥川龍之介(27)、三浦半島の方へ出かける。半ばごろ横浜の金沢八景に、また鎌倉に滞在する。下旬、横浜金沢に入院する。 『芥川龍之介全集』書簡
8月初旬 金子薫園(42)、国府津に妻子を連れて遊ぶ。短歌「国府津へ」。 「国府津へ」
8月20日 寺田寅彦(40)、逗子に一家で日帰りの海水浴をする。 『寺田寅彦全集』日記
8月21日 有島武郎(41)、横浜に行き、諏訪丸で渡米する弟たちを埠頭に見送る。 有島武郎全集』日記
8月25日 小山鼎浦(39)、鎌倉の浄妙寺境内の自宅で死去する。翌日自宅で告別式が行われ、逗子の火葬場で荼毘に付される。 『鼎浦全集』年譜
8月31日 大杉栄(34)、横浜に行き、吉田宅で開かれた出獄慰安会に出る。 『神奈川県史』年表
8月31日 木下利玄(33)、妻と箱根に遊ぶ。底倉の仙石屋に二泊、仙石原に一泊して9月3日に鎌倉に帰る。 『木下利玄全集』日記
8月 水木京太(25)、葉山に行き、長者園で開かれた三田文学同人会に出席する。鈴木三重吉、久保田万太郎、井汲清治、小島政二郎らも来て、清遊する。 『近代文学研究叢書』64
8月 佐藤義亮(41)、藤沢の鵠沼海岸に避暑する。 天野雅司編『佐藤義亮伝』
8月 田山花袋(46)、箱根強羅に遊ぶ。 小林一郎『田山花袋研究』
8月 徳富蘇峰(56)、手術後、逗子に移り、病後を養い、また修史に専念して、12年9月まで滞在する。 『自伝』
8月 河井酔茗(45)、津久井の与瀬に行き、舟で相模川下りをする。三時間あまりで道志川の支流が注ぎこむところに出、やがて中沢に着き、舟を乗りかえて厚木に下る。「相模川の渓流を下る」。 「相模川の渓流を下る」
8月 林達夫(22)、永らく藤沢の片瀬の友人の別荘に滞在し、この月引き上げる。 『林達夫著作集』書簡
神西清(15)、鎌倉に遊ぶ。短歌五首。 「歌稿」
9月14日 小泉鉄(32)、逗子の新宿に転地する。11月半ばに帰京する。 「白樺」
9月14日 石橋湛山(34)、鎌倉の海岸通りに一家転居する。 『石橋湛山全集』年譜
9月14日 中村武羅夫(32)、藤沢の鵠沼海岸に移り住む。 加藤武雄「九月の日記」
9月24日 木下利玄(33)、姉と横浜山手のゲーテー座に行き、オペラ「リゴレット」を鑑賞する。 『木下利玄全集』日記
9月下旬 小泉鉄(32)、逗子に行き、子供の転地静養のため、11月までの予定で滞在する。 「よみうり抄」
9月 藤沢古実(22)、藤沢に移り住み、藤沢中学校に編入学する。9年3月、卒業し東京に戻る。短歌「相模海」、「藤沢にて」、「むくろ」。 歌集『国原』
9月 松根東洋城(41)、「渋柿」の同人と東京から横浜、鎌倉の七里ガ浜、腰越そして藤沢の片瀬、鵠沼と仲秋三夜の月を求め、鵠沼の東屋に泊まる。翌日、鎌倉に行き、円覚寺の塔頭黄梅院に泊まる。翌日、門前の萬屋で作句する。俳句「仲秋三夜」四十一句。 「仲秋三夜」、「渋柿」
9月 長谷川銀作(25)、横浜の内で本牧町箕輪下四〇〇番地に移る。短歌「本牧より」。11月15日、若山牧水の妻喜志子の妹と結婚する。 『長谷川銀作全歌集』年譜
初秋 生田蝶介(30)、三浦三崎を旅する。短歌「三崎の旅」。 「三崎の旅」
10月9日 安部磯雄(54)、横浜に行き、YMCA講演会で、「宗教上より見たる宗教運動」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
10月9日 臼田亜浪(40)、孋無公(れいむこう)らと伊勢原に行き、大山に遊ぶ。 『臼田亜浪全句集』年譜
10月10日 木下利玄(33)、妻と逗子の小坪の漁村を散歩する。 『木下利玄全集』日記
10月12日 河東碧梧桐(46)、横浜に行き、神奈川台の田中屋で開かれた送別会に出席する。 『横浜近代史総合年表』
10月中旬 正岡容(14)、小学校に入った年に行ったことのある江の島がなつかしくて行く。稚児ガ淵で案内人から白菊・自休の伝説を聞く。「銀砂子扇江之島」。 「銀砂子扇江之島」、「東海道宿場しぐれ」。大正8年は推定
10月17日 滝田樗陰(37)、中央公論社の秋の旅行で箱根に行き、小湧谷の三河屋ホテルに泊まる。嶋中雄作、木佐木勝、高野敬録、半沢成二らの編集員などが同行する。翌日、元箱根から船で湖尻に渡り、地獄谷をまわって帰京する。 半沢成二『大正の雑誌記者』
10月23日 松根東洋城(41)、鎌倉に行き、小袋谷の成福寺で開かれた渋柿社湘南支社の発会に臨む。以来、原則として毎月第四日曜日に開かれる例会にしばしば出席する。 「渋柿」
10月31日 大須賀乙字(38)、横浜港に洋行する友人の見送りに行き、「人生と表現」社同人からの「素行文集」を餞とする。 『大須賀乙字伝』
前田木城(40)、村松梢風と箱根に行き、仕事をもって一カ月ほど旧本陣に滞在する。 「中村星湖氏の印象」
11月5日 内村鑑三(58)、横須賀に行き星田光代を見舞う。 『内村鑑三全集』日記
11月13日 山崎安治、小田原に生まれる。のち県立横浜第二中学校(現横浜翠嵐高校)に学ぶ。 『日本近代文学大事典』
11月16日 中島可一郎、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
11月下旬 荻原井泉水(35)、大磯から横浜市根岸町西芝生に移転する。「市中とは云へども商賈に遠く、畑中に建てる新しき家の二階なり」。俳句「樹を伐る音」。 「樹を伐る音」
11月 南部修太郎(27)、小田原に行き、中戸川吉二が泊まっている藤館へ行って泊まる。翌日、湯河原へ行く途中、真鶴から帰ってくる吉井勇と言葉を交わす。中西屋に滞在し、「一兵卒と銃」を書き上げる。「十一月の日記」。 「十一月の日記」
11月 北大路魯山人(36)、鎌倉の円覚寺前のもと寺侍の邸を借り、移住する。 「魯山人」展図録年譜
12月17日 黒岩涙香(57)、大磯長生館に転地療養する。翌年4月東京の帝大病院に移る。 伊藤秀雄『黒岩涙香』
12月20日 妹尾義郎(30)、大磯に行き、安川別邸に御隠居を訪ね、太平洋をながめながら半日を語る。「真に極楽世界の観あり」。 『妹尾義郎日記』
12月 柳田国男(44)、茅ケ崎に行き、歳末を長男と別荘ですごす。 柳田為正「父を語る」
12月 角田喜久雄(13)、逗子に行き、翌年三月まで病気療養をする。東京府立三中一年生であった。 中島河太郎ほか編『華甲記念文集』年譜
12月 葛西善蔵(32)、鎌倉建長寺内で宝珠院に転居する。断続するが12年9月1日まで滞在する。 『葛西善蔵全集』書簡
12月 渋沢青花(30)、星野水裏ら「少年の友」編集仲間と、川崎大師から横浜鶴見の花月園に遊ぶ。 「大正の『日本少年』と『少女の友』」
年末 谷崎潤一郎(33)、長女鮎子が病弱のためもあって、小田原の十字三丁目七〇六に転居する。10年9月に横浜本牧に移る。 『谷崎潤一郎全集』年譜
網野菊(19)、藤沢に日本女子大の同級生と行き、卒業論文書きの名目で鵠沼海岸の浄土宗尼僧庵で越年する。東京女子大の河崎なつ子も同宿であった。 『網野菊全集』年譜
月日未詳 広津和郎(28)、鎌倉の内で、山ノ内から巨福呂坂、小町、大町と引越し、大町の八雲神社前で越年する。 『広津和郎全集』年譜、「文章世界」
月日未詳 小野美智子(29)、三浦三崎の二町谷に住む。 「文章倶楽部」(現代文士録)
大正09年(1920年)
1月3日 河井酔茗(45)、箱根旅行の途次、小田原「木菟の家」に北原白秋を訪ねる。 『酔茗詩集』年譜
1月6日 犬飼健(23)、鎌倉に住む長与善郎を訪ねる。来訪の岸田劉生と会う。 『劉生日記』
1月7日 秋田雨雀(36)、大磯に行き三島章道を訪ねる。土方与志らと一緒になる。 『秋田雨雀日記』
1月14日 岸田劉生(28)、鎌倉に住む園池公致を訪ねる。以来長与善郎と共に往来しきりであった。 『劉生日記』
1月21日 中沢臨川(41)、喉頭結核療養のため、小田原、早川の養生館に転地する。「湘南養痾録」を書く。 よみうり抄
1月27日 鶯亭金升(51)、箱根に行き塔之沢環翠楼に滞在する。2月1日、其角堂らと俳画会を開く。3日に帰京する。 『鶯亭金升日記』
1月28日 徳富蘇峰(57)、湯河原に行き、天野屋に滞在して病後を養う。「大戦後の世界と日本」百六十回分を書く。3月19日に逗子に帰る。「湯碩雑信」。 「湯碩雑信」
1月 吉井勇(33)、前年より逗子桜山二三七九番地に住む。 「文章世界」文士録
1月 窪田空穂(42)、鎌倉に住む木下利玄に招かれ、植松寿樹の案内で松村英一と共に行く。 『窪田空穂全集』年譜
1月 渋沢青花(30)、星野水裏ら「少女の友」の編集仲間と横浜に行き、本牧の三渓園に遊ぶ。 「大正の『日本少年』と『少女の友』」
2月21日 滝田樗陰(37)、小田原に行き早川で療養中の中沢臨川を見舞う。 『木佐木日記』
2月24日 中川一政(27)、藤沢の鵠沼に住む岸田劉生を訪ねる。 『岸田劉生全集』日記
2月末 竹林無想庵(40)、藤沢の鵠沼に行き、東屋九番室に滞在する。中平文子、内藤千代子が訪れる。4月、中平文子と東京で結婚する。『性慾の触手』。「放浪第二信」。 「放浪第二信」
3月13日 羽仁もと子(46)、横浜に行き、尾上町の指路協会で開かれた、日本基督教会婦人伝導会社主催の基督教婦人大講演会で、「十字架を負う者は誰」を講演する。植村正久も「十字架周辺の婦人」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
3月 足助素一(42)、藤沢の鵠沼に住む岸田劉生のもとに「人間的生活」の表紙をもって行く。 『岸田劉生全集』日記
3月 蒲原有明(44)、鎌倉の内で二階堂に家を新築して移る。12年関東大震災におそわれ静岡県に移る。 『明治文学全集』58年譜
3月 岡本綺堂(47)、石丸常治郎が上京してきたので、内ち連れて国府津、小田原に行く。 『岡本綺堂日記』年譜
田中英光(7)、鎌倉姥ケ谷に前年に建てた別荘に一家をあげて転居する。家は七里ガ浜にそう山の中腹にあり、相模湾を望む景勝の地である。鎌倉小学校二年生に転入学する。 『田中英光全集』年譜
4月9日 妹尾義郎(30)、鎌倉に、女子医専生四人に誘われて行き、「聖所」をめぐる。八幡宮、大塔宮、辻説法跡、妙本寺、ばたもち寺、本国寺から由比ガ浜を歩き、光則寺にまわる。電車で竜口寺に行き、江の島に遊び、再び鎌倉に出て帰京する。「まのあたり巡拝して一層信仰の教をましたるを実感せり」。 『妹尾義郎日記』
4月13日 東儀鉄笛(50)、横浜に行き、横浜座における新文芸協会の公演に出演する。 『神奈川県史』年表
4月下旬 伊藤松雄(25)、藤沢に行き、鵠沼海岸中野三号に仮寓する。 「よみうり抄」
4月 松根東洋城(42)、横須賀に行き、「渋柿」同人と三浦半島に吟行を始める。駅から衣笠を経て武山で柴舟庵に泊まる。翌日、海岸を行き、小網代から舟で三浦三崎へ、ついで長井に出て横須賀駅に戻る。「吟行三浦半島」(同行諸氏)。 「吟行三浦半島」、「渋柿」
4月 大杉栄(35)、出獄後、鎌倉の小町瀬戸小路に家族と村木源次郎を連れて住む。 「鎌倉から」
4月 柳沢健(30)、箱根芦ノ湖畔で行われた「詩王」同人有志による渡欧送別旅行会に出席する。西条八十夫妻、山口宇多子夫妻、霜田史光らが参集する。「芦の湖畔に詩人車座の記」。 「文章倶楽部」
5月2日 北原白秋(35)、小田原天神山の「木兎の家」の隣に洋館を建てることになり地鎮祭を行う。そのあとの宴会で妻章子と弟たちとの対立があらわになり、章子は家出をする。のち離婚する。 『白秋全集』年譜
5月5日 滝田樗陰(37)、中央公論社編集部の旅行で、社員の木佐木勝らを連れて箱根に行き、環翠楼で三日三晩の豪遊をする。 『木佐木日記』
5月8日 武者小路実篤(34)、藤沢の鵠沼に住む岸田劉生を訪ね、ついで一緒に鎌倉の長与善郎のもとに行く。 『岸田劉生全集』日記
5月中旬 三島章道(23)、大磯に行き病後の保養をする。6月1日、箱根に行き強羅館に泊まる。翌日、底倉に行き蔦屋に泊まる。3日、大磯に戻り、4日帰京する。 「六月の日記」
5月31日 桝本清(38)、横浜港から静洋丸で俳優の井上正夫と共に出航、活動写真事業視察のためアメリカに向かう。 『横浜近代史総合年表』
5月 古木鉄太郎(20)、上京の途次、横浜に住む兄二人に会う。以後東京住まいして折々横浜を訪ねる。 「兄の死」
5月 尾崎一雄(20)、小田原に戻り徴兵検査をうける。第二乙種合格となる。 『尾崎一雄全集』年譜
5月 佐藤惣之助(29)、画家鈴木保徳と、横浜の川和、折本の真照寺を訪ね、住職で画家の雲井麟静と相知る。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜
5月 木蘇穀(26)、藤沢の鵠沼海岸の中村武羅夫の隣に引越す。翌年3月ごろ東京に引きあげる。 「中村武羅夫氏素描」
5月 谷崎潤一郎(33)、横浜に創立された大正活映写真株式会社の脚本部顧問となる翌年11月に辞任する。 『谷崎潤一郎全集』年譜
6月14日 近松秋江(44)、藤沢の鵠沼東屋に徳田秋声(48)と滞在後、この日二人で箱根に行き、底倉の梅屋に泊まる。「函嶺浴泉記」。 「函嶺浴泉記」
6月27日 久米正雄(28)、田中純(30)、長田秀雄(35)が連れだって箱根に行き、塔之沢環翠楼に滞在する。29日箱根底倉に滞在中の近松秋江、徳田秋声が訪ねる。30日、中村武羅夫、柴田勝衛、谷崎潤一郎、里見弴も来て、九人で底倉の梅屋に一泊する。 近松秋江「函嶺浴泉記」
6月 窪田空穂(43)、横浜の三渓園に「朝の光」同人たちと行き、競詠する。短歌「横浜三渓園」。 『窪田空穂全集』年譜
7月5日 中戸川吉二(24)、田中純、久米正雄ら人間社同人たちと箱根に行き、塔之沢の環翠楼に泊まる。ついで小田原に出て藤館に滞在する。 「箱根山にて秋江、久米正雄を諫む」
7月上旬 谷崎潤一郎(33)、箱根に行き、宮ノ下五段紅葉館に滞在し、戯曲「蘇東坡」を執筆する。 『谷崎潤一郎全集』書簡
7月22日 内村鑑三(59)、箱根で開かれる全国協同伝導信徒修養会に出席のため強羅に行き、翌日「新約聖書大観(其一)四福音書」を、翌々日「信徒行伝と書翰」を、第三日は「黙示録に就て」を講演し、26日下山。帰途鎌倉大町の蒲池信の家に一泊して27日に帰京する。23日夜には森戸辰男も講演をした。 『内村鑑三全集』日記
7月26日 小泉鉄(33)、逗子新宿の藤田方に転地する。9月中旬に帰京する。 「白樺」
7月30日 中島健蔵(17)、諸井三郎と鎌倉に友人をその別荘に訪ねる。 『回想の文学』
7月 林不忘(20)、横浜から香取丸で出航、アメリカに向かう。13年に帰国する。 室謙二『踊る地平線』
8月7日 堺利彦(48)、横浜に行き、羽衣町の金松館で開かれた婦人問題講習会で、山川均・山川菊栄と共に講演する。 『横浜近代史総合年表』
8月10日 内ケ崎作三郎(43)、横浜港からコレア丸で出航、岸本能武太と共に万国宗教大会出席のため、ロンドンに向かう。 『横浜近代史総合年表』
8月23日 阿部次郎(36)、箱根に和辻哲郎を誘って行き、芦之湯の原家の別荘に三泊して26日に帰京する。 『阿部次郎全集』日記
8月26日 黒田清輝(54)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。9月29日、帰京する。 『黒田清輝日記』
8月末 葛西善蔵(33)、横浜の鶴見に行く。一カ月余り滞在する。 『葛西善蔵全集』年譜
8月末 長与善郎(32)、箱根に行き一週間ほど滞在する。 『劉生日記』
8月 武林無想庵(40)、妻文子と横浜港から出航、新婚旅行でヨーロッパに向かう。 『むさうあん物語』別冊
8月 鈴木三重吉(37)、葉山滞在中、逗子の徳富蘇峰邸に行く。帰途、高浜虚子と一緒になり、鎌倉の高浜虚子邸で大いに飲む。 『鈴木三重吉全集』書簡
8月 佐佐木信綱(48)、鎌倉の大町に村荘が成る。森鴎外により溯川草堂と名付けられる。短歌三首。 『作歌八十二年』
8月 大岡昇平(11)、夏休みのはじめ、一家で箱根に行く。 『大岡昇平全集』年譜
木下利玄(34)、鎌倉の大町釈迦堂口一三三七番地、通称名越に家を新築して引越す。 『木下利玄全集』年譜
9月1日 島田清次郎(21)、藤沢の鵠沼に行き、中屋に滞在する。「地上」第三部の推敲にあたる。 杉森久英『天才と狂人の間』
9月5日 北川千代(26)、鎌倉の材木座の蓮乗院で結核療養中の妹の世話をしていたが、この日東京に戻る。 『北川千代児童文学全集』年譜
9月8日 志賀直哉(37)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在する。23日に我孫子に帰る。 『志賀直哉全集』書簡
9月23日 若山牧水(35)、沼津から上京の途次、横浜で義弟長谷川銀作と会い、一緒に印刷屋に行く。「創作」は11月号から発行所を横浜本牧町箕輪下四〇〇番地の長谷川銀作方に移す。11年7月号から沼津の若山牧水のもとに再び移る。 「創作」
9月29日 武者小路実篤(35)、藤沢の鵠沼に住む岸田劉生を妻と訪ねる。中根駒十郎も来る。 『劉生日記』
9月 川崎長太郎(19)、福田正夫による小田原の詩誌「民衆」の同人となり詩四編を発表する。 「民衆」
9月 佐佐木信綱(48)、横浜金沢の称名寺に古書を訪ね、旅館東屋で昼食をとる。 「六浦の入江」
9月 山川均(39)、茅ケ崎に転地療養する。 『山川菊栄集』年譜
10月3日 秋田雨雀(37)、鎌倉にエスペラント遠足会で行く。 『秋田雨雀日記』
10月11日 近松秋江(44)、箱根底倉に滞在し、小説についての感想「箱根から」をこの日から四日間、「読売新聞」に寄稿する。まもなく帰京する。 「読売新聞」
10月12日 黒岩涙香(58)、6日死去し、この日横浜鶴見の総持寺の墓地に納骨される。 『明治文学全集』47年譜
10月中旬 正宗白鳥(44)、大磯の台町に転居する。中央公論社の麻田駒之助の世話による。統監道に面した古めかしい藁葺きの家である。 「文壇的自叙伝」、「大磯にて」ほか
10月24日 原阿佐緒(32)、石原純と逗子に旅行わする。26日、共に仙台に戻る。 「短歌」特集号年譜
10月下旬 南部修太郎(28)、湯河原に保養に行き中西屋に滞在する。12月中旬に帰京する。 「三田文学」追悼号
10月 大野林火(16)、横浜公園喜良久亭で開かれた前田普羅の加比丹吟社の句会に初めて出席する。「焚火踏まへて杣夕闇に消え去んぬ」が前田普羅選に入る。翌年臼田亜浪門に入り、前句の焚を二字に分けて林火と亜浪が命名する。 「俳句」31巻12号年譜
10月 平福百穂(42)、徳富蘇峰、大谷光瑞と共に三浦半島を周遊する。 小高根太郎『平福百穂』
10月 大岡昇平(11)、鎌倉・江の島に、東京渋谷の大向小学校六年生の遠足で行く。 『大岡昇平全集』年譜
10月 原三郎(23)、横浜港から出航、ヨーロッパ留学に向かう。13年、アメリカを回って帰国する。 『原三郎全歌集』年譜
田中純(30)、鎌倉の長谷大仏前に移り住む。 「鎌倉日記」
古木鉄太郎(21)、小田原に住む佐藤春夫を訪ねる。 「佐藤春夫」
11月15日 内村鑑三(59)、湯河原に行き、静養する。「湯河原や賽の河原の赤ん坊寝るより外に為る事はなし」。20日に帰京する。 『内村鑑三全集』日記
11月19日 有島武郎(42)、子供の病後と母の看病疲れを癒すため湯河原に行き、伊藤屋に滞在する。23日に帰京する。 『有島武郎全集』書簡
11月26日 岸田劉生(29)、横浜三渓園の原家を訪ねる。和辻哲郎も来る。 『劉生日記』
11月28日 邦枝完二(27)、横浜に行き、基督教青年会館で開かれた、「完成へ」会主催の横浜演劇講演会で講演する。吉井勇(34)、生田蝶介(28)、山崎紫紅(45)、伊東深水(22)も講演する。 『横浜近代史総合年表』
11月30日 正宗白鳥(44)、大磯の内で南本町に転居する。昭和8年まで住む。 『正宗白鳥全集』書簡
11月 有島生馬(38)、鎌倉の稲村ガ崎の新渡戸別荘に、肺炎の療養かたがた移住する。12月、極楽寺に「松の屋敷」を購入して引越す。 『思い出の我』あとがき(有島暁子)
田中純(30)、箱根の芦之湯に行き、創作にうちこむ。「平太郎の親」ほかを書く。 久米正雄「御慶」
古木鉄太郎(21)、11月改造社入社早々に、鎌倉建長寺内の宝珠院に住む葛西善蔵に原稿を頼みに行く。 「葛西善蔵」
12月1日 山川菊栄(30)、山川均の転地先の茅ケ崎に長男と共に移る。年末に帰京する。 『山川菊栄集』年譜
12月1日 若山牧水(35)、箱根に遊び、翌日、乙女峠に富士山の大観を賞する。 『若山牧水全集』書簡
12月4日 石川三四郎(44)、横浜の常盤町在住の同志の入営送別会に、大杉栄、伊藤野枝らと共に出席する。 『横浜近代史総合年表』
12月9日 北原白秋(35)、与謝野寛、与謝野晶子、西村伊作と藤沢の鵠沼に遊び一泊する。 『白秋全集』書簡
12月 佐藤春夫(28)、小田原に行き、谷崎潤一郎宅に寄宿する。27日に帰京する。 『佐藤春夫全集』年譜
酒井真人(22)、箱根に行き、芦之湯のきのくにやに滞在し、処女作「羊番と一頭曳」を大晦日に書きあげ、10年元旦に帰京する。「芦の湯の雪」。 「芦の湯の雪」
月日未詳 小倉遊亀(25)、横浜の捜真女学校に奉職する。 『朝日人物事典』
月日未詳 寒川鼠骨(46)、鎌倉で病気療養中の次男をしばしば見舞う。 『正岡子規の世界』年譜
大正10年(1921年)
1月1日 黒田清輝(54)、鎌倉の別荘で新年を迎える。6日、帰京する。 『黒田清輝日記』
1月5日 加藤一夫(33)、小田原の網一色の海岸に近い二階屋に、福田正夫の紹介で転居する。10月5日、小田原のうちで十字四丁目に、ついで新玉四丁目に移る。 加藤不二子「父加藤一夫と川崎長太郎さんのこと」
1月16日 島田清次郎(21)、藤沢の鵠沼に転居する。2月26日、鵠沼の中村武羅夫の家を訪れ、久米正雄、佐佐木茂索と会い、一緒に東屋に行き、食事をしながら話す。 杉森久英『天才と狂人の間』
1月 尾崎一雄(21)、肋膜炎に罹り小田原の下曽我に帰郷する。4月より一年間、早稲田高等学院を休学する。 『尾崎一雄全集』年譜
1月 近松秋江(44)、湯河原に長田幹彦と行き、滞在する。 「よみうり抄」
2月上旬 足助素一(43)、湯河原に養生に行く。3月中は滞在。 有島武郎書簡
2月13日 小池(当時は野沢)富美子、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
2月中旬 山崎剛平(19)、下曽我に早稲田大学の友人三人と行き、病気療養中の友人尾崎一雄を見舞う。 尾崎一雄『あの日この日』
2月 中戸川吉二(24)、藤沢の鵠沼で島田清次郎と会い激論する。 「新潮」
3月4日 武者小路実篤(35)、横浜に行き、常盤町青年会館で開かれた「新しき村」横浜支部の講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
3月11日 内村鑑三(60)、横浜に行き、ドイツから引渡された汽船カツプ・フイニステル号を見る。野毛山の山つづきに新築された関東学院の校舎も見て帰京する。 『内村鑑三全集』日記
3月中旬 舟木重信(27)、鎌倉に遊び、材木座能蔵寺二四番地に滞在する。4月20日ごろ帰京する。 『書簡集』
3月21日 松根東洋城(43)、横浜の金沢に徒歩句会を、同人二十余名と行う。逗子駅に集まり、金沢まで歩き、小学校で句会を開く。逗子の神武寺に一泊する。俳句十二句。「金沢徒歩句会」。 「金沢徒歩句会」、「渋柿」
3月26日 吉江喬松(40)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた、横浜文学研究会主催の第一回文芸講演会で講演する。他に、金子筑水、片上伸、吉田絃二郎、本間久雄が講演する。 『横浜近代史総合年表』
3月27日 今東光(23)、肺と心臓の疾患のため藤沢の片瀬に療養に行き滞在する。川端康成に「日記とも感想ともつかで、『湘南護命録』を書き綴り居り…」と書き送る。 川端日記
3月28日 尾崎行雄(62)、横浜に行き、横浜劇場で開かれた軍縮制限講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
3月29日 有島武郎(43)、横浜港から鹿島丸で出航、母と三児を連れて神戸に行く。大阪から京都に入る。 『有島武郎全集』書簡
3月30日 犬養木堂(毅、65)、横浜に行き、松ケ枝町の角力常設館で開かれた、国民党議会批判演説会で、総裁として演説する。 『横浜近代史総合年表』
3月 荻原井泉水(36)、平塚に行き、神奈川県下俳句大会に出席する。 『大江』年譜
大熊長次郎(19)、茅ケ崎に行き、南湖院に療養中の友を見舞う。短歌「南湖院」八首。 『大熊長次郎全歌集』
吉田一穂(22)、小田原に行き、「木兎の家」に北原白秋を訪ねる。 井尻正二編『詩人吉田一穂の世界』年譜
金子薫園(44)、横浜の鶴見の総持寺、花月園に妻子を連れて遊ぶ。短歌「春日を浴びつつ」。 「春日を浴びつつ」
4月4日 吉野作造(43)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた文化生活研究会主催の講演会で、「ユダヤ人の世界顛覆の陰謀の説に就き」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
4月5日 島田三郎(68)、横浜に行き、自治倶楽部で、憲政党脱党報告会を開き演説する。 『横浜近代史総合年表』
4月28日 北原白秋(36)、小田原天神山の新築の家で佐藤キクと結婚式をあげる。 『白秋全集』書簡
4月 山川均(40)、山川菊栄(30)、長男の病後保養のため藤沢の鵠沼海岸に転地する。5月1日ごろ帰京する。 『山川菊栄集』年譜
5月1日 岡本一平(34)、中央美術協会主催の東海道五十三次漫画行に加わり、近藤浩一路らと総勢十八人で自動車で東京を出発、藤沢で遊行寺を見、小田原の花菱旅館に泊まる。翌日、箱根を越える。 「今の東海道五十三次」
5月2日 浅原六朗(26)、横浜に行き、ロシア領事館を訪ねる。ケーベルの姿を見かける。「旧ロシア領事館」。 「旧ロシア領事館」
5月2日 芳賀矢一(53)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた、横浜社会学会発会大講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
5月4日 妹尾義郎(31)、小田原に益満大尉と行き、新名女学校(現旭丘高校)で信仰について講演する。帰途、大磯で下車し樺山資紀海軍大将をその別荘に訪ねる。 『妹尾義郎日記』
5月9日 和田英作(46)、横浜港から春洋丸で出航、万国美術学会出席のため、アメリカ経由でブリュッセルに向かう。 『横浜近代史総合年表』
5月14日 島田三郎(68)、横浜に行き、蓬莱町のメソジスト教会で開かれた市民教育講習会で、「社会共存の道」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
5月14日 秋田雨雀(38)、横浜に行き、横浜劇場の「埋れた春」などの公演の初日に参加する。 『秋田雨雀日記』
5月15日 木下利玄(35)、妻と姉と、東神奈川から八王子街道を歩き、朝日農園(坂田氏)に行く。帰途、横浜の伊勢佐木町で中華料理を食べて帰る。 『木下利玄全集』日記
5月21日 妹尾義郎(31)、横須賀に行き、米ガ浜の竜本寺で講演する。「竜本寺の眺望真に佳絶なり」。 『妹尾義郎日記』
5月26日 木下杢太郎(35)、欧米への自費留学準備のため横浜に行きフランス領事館などを回る。27日、横浜港から諏訪丸で出航する。 『木下杢太郎日記』
5月下旬 岡本綺堂(48)、箱根に行き、堂ケ島温泉に滞在する。6月18日に帰京する。7月、岐阜からの帰途、箱根に一泊する。 『岡本綺堂日記』年譜
5月 吉井勇(34)、藤沢の片瀬西ノ原二一八〇番地に、新婚の新居を定める。11年2月、東京の父の家に戻る。 「人間」消息
5月 津田青楓(40)、二科会員と箱根に行き、箱根、小田原に泊まる。同行は、石井伯亭、山下新太郎、坂本繁二郎、安井曾太郎、熊谷守一、正宗得三郎、藤川勇造、湯浅一郎である。 『自撰年譜』
初夏 半田良平(33)、鎌倉に行き、大塔宮に護良親王を偲ぶ。短歌「土牢」十一首。 「土牢」
初夏か 吉屋信子(25)、藤沢の鵠沼に行き、東屋に滞在して「海の極みまで」を書きつぐ。 中村武羅夫「前衛に立つ人々のクロオズ・アップ」
6月13日 左右田喜一郎(40)、横浜の表高島町の横浜社会館の館長となり、開館式を挙行する。 『横浜近代史総合年表』
6月18日 島田三郎(68)、横浜に行き、尾上町の指路教会で開かれた、横浜文化学会主催第一回講演会で、「内外の形勢とその政治策」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
6月25日 本間久雄(34)、横浜に行き、基督教青年会館で開かれた、横浜文学研究会の第二回文芸講座で、「近代文学に現われたる結婚革命問題」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
6月 大佛次郎(23)、東京帝国大学卒業と共に鎌倉に移り住み、菅忠雄の紹介で鎌倉女学校の国語、歴史の教師となる。翌年辞任する。 『大佛次郎時代小説全集』年譜
7月1日 沢田正二郎(29)、横浜に行き、横浜劇場で、新国劇の横浜初公演をする。「国定忠治」ほかを上演する。 『神奈川県史』年表
7月8日 前田普羅(37)、横浜で俳誌「加比丹」を創刊する。 『横浜近代史総合年表』
7月12日 志賀直哉(38)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在する。16日に帰る。9月10日から27日ごろまで再び滞在する。 『志賀直哉全集』書簡
7月20日 吉江喬松(40)、横浜に行き、蓬莱町のメソジスト教会で開かれた、聖書文学会横浜支部主催の夏期文化講習会で、「平和主義の文学」を講演する。他に経済学者野村兼太郎「生存権と生存価値」などの講演がある。 『横浜近代史総合年表』
7月22日 宇野浩二(30)、加納作次郎(36)、里見弴(33)、久米正雄(29)、直木三十五(30)、佐佐木茂索(26)、横浜港から大洋丸で出航、長崎への旅に出る。「人間雑話 西海旅日記」。 「人間」九月号
7月 石川淳(22)、横須賀の海軍砲術学校のフランス語講師となる。11月まで勤める。 森安、本田編『石川淳研究』年譜
7月 松村英一(31)、鎌倉に遊ぶ。短歌「鎌倉雑詠」十一首。 『松村英一全歌集』
8月3日 沢柳政太郎(56)、横浜港からクライスト丸で出航、教育事情視察のためヨーロッパに向かう。ついでアメリカを回り、6月30日、横浜に帰着する。以来、昭和2年に至るまでしばしば外遊する。 沢柳礼次郎『吾父沢柳政太郎』
8月10日 黒田清輝(55)、鎌倉に行き、別荘に滞在する。25日、小田原に行き、迎えの自動車に乗って箱根宮ノ下の奈良屋に「頼倫侯」を訪ねる。帰途、大磯に青木周蔵を訪ねる。9月11日、腰越に行く。23日、鎌倉雨潤会に出る。26日、帰京する。 『黒田清輝日記』
8月17日 林達夫(24)、藤沢の鵠沼に行き、31日まで滞在する。この間、21日に横浜に行く。 『林達夫著作集』書簡
8月26日 加藤一夫(34)、小田原の酒匂に在り、「酒匂に来てからもう八ケ月になる」という書き出しで、「湘南雑筆」をこの日から三回「読売新聞」に寄稿する。「自分は思想と芸術とを捨てる事の出来ない人間だ」と思う。 「読売新聞」
8月28日 徳富蘇峰(58)、平福百穂らと鎌倉に行き、建長寺寺宝の虫干しを見る。ついで小町園で老師らと清談する。「鎌倉小集」。 「鎌倉小集」
8月 松本泰(34)、伊勢原に夫人と行き、七沢温泉玉川館に滞在する。 「よみうり抄」
8月 里見弴(33)、小田原に行き、谷崎潤一郎の家が空くというので借りる気で見せてもらいに行ったが留守であった。 「遠方から見た谷崎君」
窪田空穂(44)、箱根に行き、一月余りこもって執筆する。短歌「前田君に」。 「前田君に」
9月1日 芥川龍之介(29)、鎌倉に行き、高浜虚子を訪ね、「井月の句集」への題句を依頼する。 『芥川龍之介全集』書簡
9月3日 森鴎外(59)、横浜に行き、皇太子を出迎え、艦内で拝謁する。 『鴎外全集』日記
9月3日 木下利玄(35)、横浜に行き、東宮帰朝の港を見物し、夜の花火を見て帰る。 『木下利玄全集』日記
9月13日 永井荷風(44)、横浜鶴見の旅亭華山荘に田村百合子を訪ねるが不在であった。 「断腸亭日乗」
9月20日 暁烏敏(44)、西帰の途次、平塚に数日滞在する。 『暁烏敏全集』日記
9月23日 賀川豊彦(33)、横浜の開港記念会館で演説会を行い「人間建築論」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
9月26日 生田蝶介(32)、箱根に遊び底倉に泊まる。東宮が欧米漫遊から帰朝して箱根に来遊、花火があがり提灯行列がある。この年春、夏にも箱根に遊ぶ。短歌「箱根百首」。 「箱根百首」
9月26日 徳富蘇峰(58)、横浜に行き、本牧三渓園に豊臣秀吉建築の遺物を見る。「三渓園に於ける豊公の遺物」。 「三渓園に於ける豊公の遺物」
9月下旬 山川菊栄(30)、小田原に母と長男と共に行き、養生館に10月末まで滞在する。 『山川菊栄集』年譜
9月 里見弴(33)、逗子新宿の某富豪の別荘の別棟を借りて住む。 「敗荷図」あとがき、修生
9月 谷崎潤一郎(35)、小田原から横浜の本牧宮原八八三番地に転居する。翌年10月に横浜の山手に移る。 『谷崎潤一郎全集』年譜
9月 大杉栄(36)、藤沢の鵠沼の東屋に滞在して自叙伝の執筆にあたる。 「一網打尽説」
10月1日 内村鑑三(60)、横浜のユダヤ人の集会(シナゴグ)に列席するため雨を冒して行くが、当分休会とのことで失望し帰京する。 『内村鑑三全集』日記
10月1日 芥川龍之介(29)、湯河原に南部修太郎と行き、中西屋に20日間ほど滞在する。「神経衰弱癒らず」としきりに訴える。 『芥川龍之介全集』書簡
10月4日 小穴隆一(26)、小沢碧童と湯河原に行き、中西屋に滞在中の芥川龍之介、南部修太郎と合流する。5日、風呂場で体重を計る。南部修太郎十四貫、小穴隆一十三貫五百、小沢碧童十三貫二百、芥川龍之介十二貫五百(本人脳味噌一貫五百、体重十一貫と称す)。小沢碧童の指導で作句に興じる。7日、伊豆山に移り、8日、帰京する。「遊心帳」。 「遊心帳」
10月11日 川端茅舎(24)、藤沢の鵠沼に友人と行き、岸田劉生を訪ね一泊する。 『劉生日記』
10月24日 岡本綺堂(49)、箱根に兼子伴雨と共に行き、二泊する。帰途、徒歩で旧道を下り風雨に悩まされる。 『岡本綺堂日記』年譜
10月27日 武者小路実篤(36)、横浜に行き、蓬莱町のメソジスト教会で開かれた「新しき村」横浜支部の講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
10月28日 斎藤茂吉(39)、横浜港から日本郵船熱田丸で出航、文部省海外留学生として欧米に向かう。14年1月5日、神戸に帰着する。7日、上京の途次、平福百穂が国府津に出迎える。 『斎藤茂吉全集』書簡、日記
10月28日 平福百穂(44)、横浜港に行き、渡欧する斎藤茂吉を見送る。 「アララギ」
10月28日 土屋文明(31)、横浜港に行き、渡欧する斎藤茂吉を見送る。 未来短歌会編『土屋文明論考』年譜─以下『論考』と略記
10月30日 長田秀雄(36)、夜、小田原に行く。翌日テントを張り、11月1日の解禁日に雉子猟をしながら帰る。「天幕の一夜」。 「天幕の一夜」
10月 山口茂吉(19)、各務幸一郎の書生として、はじめて藤沢の鵠沼の各務別荘に行き、数日間滞在する。 加藤淑子『山口茂吉』
10月 荻原井泉水(37)、三浦三崎に、層雲社同人三十名と吟行し、岬陽館に一泊する。 『大江』年譜
10月 宇野浩二(30)、藤沢の鵠沼に行き、東屋に十日ほど滞在する。久米正雄、芥川龍之介、佐佐木茂索、大杉栄等と一緒になる。中旬、佐佐木茂索と逗子に里見弴を訪ねる。 『文学の三十年』
10月 小沢碧童(39)、湯河原に遊ぶ。俳句「藤木川」一句。 「藤木川」
芹田鳳車(36)、三浦三崎に遊ぶ。俳句「三崎雑詠」七句。 「三崎雑詠」
辻潤(37)、川崎に住む佐藤惣之助の世話で、川崎町砂子一八七番地に転居する。 『辻潤全集』年譜
松根東洋城(43)、川崎の柿生に行き、柿を見つつ王禅寺に至る。「柿の頃の柿生街道行きにけり」、「寺の名も柿の名も同じ王禅寺」。俳句「柿見行」十九句。 「柿見」(守野断腸花)、「渋柿」
中川与一(24)、結婚一年目の妻幹子と、小田原に北原白秋を訪ね、一泊して連吟などを試みた。 『天の夕顔前後』年譜
11月4日 足助素一(43)、藤沢の鵠沼に岸田劉生を訪ね、絵を買うことにする。 『劉生日記』
11月12日 与謝野晶子(42)、与謝野寛(48)、文化学院の遠足に加わり石井柏亭、荻野綾子らと、横浜の保土ケ谷在都岡村の久保田氏の庭園に遊ぶ。短歌「錦木」中十六首(与謝野晶子)。 「明星」第二次
11月18日 近衛秀麿(23)、横浜に行き、海岸通りのオリエンタル・ホテルで開かれた、関鑑子独唱会に出演する。 『横浜近代史総合年表』
11月 倉田百三(30)、神経衰弱のため、冬に備える目的で鎌倉の額田病院に入院する。翌年4月に退院する。 『倉田百三選集』別巻年譜
11月 佐藤春夫(29)、藤沢の鵠沼に行き東屋に滞在する。大杉栄も同宿であった。原敬が暗殺された(11月4日)にとの報を聞く。 『佐藤春夫全集』年譜
12月26日 江口渙(34)、那須温泉での百日余の滞在を切りあげて藤沢の鵠沼に引越す。11年11月17日に東京に移る。 「大杉栄を逗子にたずねて」
12月26日 阿部次郎(38)、横浜に行き、三渓園での原善一郎洋行送別会に出る。和辻哲郎らと一緒になる。 『阿部次郎全集』日記
12月 鈴木大拙(51)、鎌倉に行き、パラチフスの予後を養う。翌年2月ごろまで滞在する。 『鈴木大拙全集』年譜
月日未詳 田畑修一郎(18)、茅ケ崎の療養所(南湖院ヵ)に入院する。文学書を読み耽り、芥川とニーチェをことに愛読する。 『日本現代文学全集』82年譜
月日未詳 牧野信一(25)、時事新報社を辞めて小田原の実家に帰り、鈴木せつと結婚、文筆稼業に入る。 『牧野信一全集』年譜
月日未詳 岡本かの子(32)、岡本一平とともに横浜鶴見総持寺管長の講話を聞く。鎌倉建長寺の原田祖岳師に観音庵で「正法眼蔵」の教えを受ける。建長寺の禅道場雨安居に五日間こもる。 『岡本かの子全集』年譜
月日未詳 ささきふさ(24)、横浜本牧元町に転居する。 『ささきふさ作品集』年譜
月日未詳 大木惇夫(26)、妻の結核療養のこともあって小田原谷津に転居する。1年後、小田原在住の北原白秋の知遇を得る。 『大木惇夫詩全集』略歴
月日未詳 川崎長太郎(20)、小田原で処女詩集『民情』五十部を作る。北原武夫と詩誌「夕暮」を出すが一年で終わる。 『川崎長太郎自選全集』年譜
大正11年(1922年)
1月1日 黒田清輝(55)、前日大晦日の晩に箱根に行き、湯本の福住楼に泊まり、新年を迎える。2日、初めて酒匂の松濤園に泊まる。4日、帰京する。松濤園の払いは八十円ばかり、「設備ニハ多少時代錯誤ノ点アレドモ勘定ハ全然現代式ナリト云フ可シ」。 『黒田清輝日記』
1月7日 八木重吉(23)、横浜本牧に住む東京高等師範学校の先輩内藤卯三郎の仲立ちで、島田とみと本牧神社で婚約式をおこなう。そのあととみと鎌倉に遊ぶ。 『八木重吉全集』年譜、書簡
1月10日 久米桂一郎(55)、横浜港から三島丸で出航、日仏交換美術展覧会への出品作を携えて、パリに向かう。 『横浜近代史総合年表』
1月13日 古泉千樫(35)、藤沢の片瀬に行き、泊まる。翌日、原阿佐緒に手紙を書き、短歌を添える。短歌二首。「あたたかき片瀬の浜にひと夜寝て今日もひねもす寝てくらしたり」。
1月上旬 与謝野晶子(43)、与謝野寛(48)、石井伯亭、平野万里、茅野蕭々らと伊豆ですごした帰途、石井伯亭、平野万里と四人で湯河原に行き二泊する。短歌「山泉海景」中三十首(与謝野晶子)、二十三首(与謝野寛)。 「明星」第二次
1月31日 森鴎外(60)、小田原に行き、古稀庵に危篤の山県有朋を見舞う。翌2月1日、山県有朋は死去する。 『鴎外全集』日記
1月 深尾須磨子(33)、藤沢の鵠沼に遊ぶ。短歌「氷雨の谷─鵠沼にて」。 「明星」第二次
2月1日 山県有朋(83)、小田原の別荘古稀庵で死去する。遺骸は東京に送られ、麹町の新椿山荘に移る。 徳富猪一郎編『公爵山県有朋伝』
2月29日 賀川豊彦(34)、横浜の尾上町指路教会に行き、31日まで聖書講演会を催す。 『横浜近代史総合年表』
2月下旬 芥川龍之介(29)、藤沢の鵠沼に二、三日静養する。 『芥川龍之介全集』書簡
2月 佐藤惣之助(31)、厚木の七沢鉱泉に行き「荒野の娘」を校正する。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜
2月 久米正雄(30)、藤沢の鵠沼の東屋に滞在する。 「人間」消息
3月1日 伊藤痴遊(46)、横浜賑町の新寿亭で独演会を開く。 横浜近代史総合年表』
3月2日 鈴木三重吉(39)、湯河原に行き泊まる。「温泉は塩分なのでノドには好適」と告げる。翌日早朝出立して、小田原に北原白秋を訪ね、帰京の予定をたてる。 『鈴木三重吉全集』書簡
3月9日 永井柳太郎(40)、横浜に行き、扇町の青物市場で開かれた、ワシントン会議軍縮問責同盟会主催の演説会で演説する。 『横浜近代史総合年表』
3月13日 内村鑑三(61)、横浜の鶴見に郊外散歩し、総持寺の黒岩涙香の墓に詣でる。 『内村鑑三全集』日記
3月中旬 山川菊栄(31)、小田原の酒匂村小八幡(国府津)の海岸に、長男を連れて転地療養する。 『山川菊栄集』年譜
3月18日 川路柳虹(33)、横浜に行き、蓬莱町のメソジスト教会で開かれた、詩話会主催の日本詩人講演会に、佐藤惣之助、白鳥省吾、百田宗治、福田正夫らと共に出席する。 『横浜近代史総合年表』
3月19日 井上哲次郎(66)、横浜港から春洋丸で出航、帝国学士院代表として、万国学士院連合会議出席のため、ブリュッセルに向かう。 『横浜近代史総合年表』
3月25日 大町桂月(53)、箱根に好文会を催し、底倉に泊まる。久保天随、武島羽衣、池辺義象ら同行する。「雪の箱根山」。 「雪の箱根山」、日記
3月29日 津田青楓(41)、妻敏子が洋裁手芸研究のためフランスに旅立つのを横浜港に見送る。 『自撰年譜』
3月 福本和夫(27)、横浜港から春洋丸で出航、ドイツ留学に向かう。13年秋に帰国する。 しまね・きよし、清水多吉『評伝福本和夫』
3月 八木重吉(24)、学年末休みを利用して、勤務先(兵庫県御影師範学校教諭兼訓導)から上京、横浜本牧の内藤卯三郎方で婚約者の島田とみと休暇を楽しむ。 『八木重吉全集』年譜、書簡
3月 大杉栄(37)、逗子に移る。11月東京に戻る。 大沢正道『大杉栄研究』
臼田亜浪(43)、横浜に行き、三渓園に遊ぶ。俳句二句。
古木鉄太郎(22)、横浜本牧に住む谷崎潤一郎を訪ね、原稿を催促する。この時谷崎潤一郎の妻千代の妹小林すゑをしる。のち結婚する。 『古木鉄太郎全集』年譜
4月1日 松根東洋城(44)、鎌倉に行き、5日まで滞在、円覚寺塔頭黄梅院で俳諧道場を開く。俳句四十四句。「山寺に草餅の一日なかりけり」、「都出て五日の春の長けしかな」。 「鎌倉俳諧道場」(参加同人諸氏)、「渋柿」
4月5日 北原白秋(37)、母と江の島に行く。翌日鎌倉の大仏に詣でる。詩「江の島」。 「陽春逆年譜」
4月6日 河合栄治郎(31)、京都からの帰途、大磯で下車して、高橋誠一郎を訪ねる。 『河合栄治郎全集』日記
4月9日 木佐木勝(27)、「中央公論」の編集者として、鎌倉の腰越に療養中の佐藤功一を訪ね、原稿「腰越雑感」(5月号掲載)をうけとる。 『木佐木日記』
4月中旬 江口渙(34)、逗子に滞在中の大杉栄を訪れる。「大杉栄を逗子にたずねて」。 「大杉栄を逗子にたずねて」
4月16日 志賀直哉(39)、箱根に一家で行き、強羅の別荘に滞在する。5月19日に帰る。帰途、藤沢の鵠沼に岸田劉生を訪ねる。さらに鎌倉に有島生馬を訪ね、直方宅に泊まる。5月20日、木下利玄を見舞い、長与善郎宅で梅原龍三郎、園池公致らと話し、直方宅に泊まる。21日に帰京する。 『志賀直哉全集』日記
4月16日 阿部次郎(38)、箱根に行き、芦之湯の原家の別荘に滞在し、「ファウストのイデー」を書く。23日、小宮豊隆、和辻哲郎、安倍能成、岩波茂雄らの一行が訪れる。24日、帰京の途次、横浜でビザなど外遊のための用たしをする。 『阿部次郎全集』日記
4月17日 山川均(41)、山川菊栄(31)、鎌倉極楽寺砂子坂に借家して住む。東京大森の家と往き来する。 『山川菊栄集』年譜
4月28日 柳田国男(46)、茅ケ崎に行く。汽車の中で黒板勝美に会う。 『定本柳田国男集』日記
4月 中里恒子(12)、横浜山手の紅蘭女学校(現横浜雙葉学園)に入学する。 『中里恒子全集』年譜
4月 武林無想庵(42)、文子(33)、フランスから帰り、二宮の中平家(文子の実家)に住む。翌年9月1日、関東大震災に遭う。 『現代日本文学大系』32年譜
5月13日 小山内薫(40)、横浜の開港記念会館に行き、芸術協会主催の演劇講演会で「演劇と映画劇」を講演する。他に山崎紫紅「能楽化したる芝居」などの講演もある。 『横浜近代史総合年表』
5月14日 若山牧水(36)、箱根にほととぎすの声を聞きに行き、一泊する。翌日、帰途小田原に北原白秋を訪ねたが留守であった。 『若山牧水全集』書簡
5月21日 林達夫(25)、藤沢の鵠沼海岸に移り住む。 『林達夫著作集』書簡
5月30日 芥川龍之介(30)、長崎よりの帰途か、この日鎌倉に居る。 『芥川龍之介全集』書簡
5月 松根東洋城(44)、鎌倉に行き、句座に出席のついでに、前月俳諧道場を開いた円覚寺塔頭の黄梅院を訪ねる。 「渋柿」
5月 吉植庄亮(38)、湯河原に滞在中の父のもとを訪ね閑談する。「政界多事、くつろぎ語る折乏しかりし父子には稀有の事なり」。短歌「湯が原」四首。 「湯が原」
5月 大佛次郎(25)、鎌倉の大町に妻と住む。翌年9月1日その地で大震災に遭う。 北村初雄あて書簡
6月1日 秋田雨雀(39)、横浜公会堂に行き、横浜新婦人協会でエスペラントの講演をする。 『秋田雨雀日記』
6月21日 左右田喜一郎(41)、横浜社会会館内に、社会問題研究所を開く。 『横浜近代史総合年表』
6月26日 妹尾義郎(32)、鎌倉に行き、日蓮主義青年団幹部の上田邸に滞在、「夏の楽園」の行事に参加し海岸布教をする。7月7日、月下の逍遙をして逗子の小坪まで歩く。8月17日、由比ガ浜で、同人たちによる朗読「佐渡」、野外劇「不軽菩薩」を上演する。9月11日に帰京する。 『妹尾義郎日記』
6月 岩越昌三(12)、東京の暁星中学校から小田原中学校に転校する。昭和2年に卒業して第二早稲田高等学院英文科に進む。 作品集『神童斎霊狐師伝』年譜
6月 太田青丘(12)、武蔵高等学校尋常科に入学したが、肺門淋巴腺となり横浜の鶴見生麦に転地する。 『太田青丘全歌集』年譜
7月中旬 萩原朔太郎(35)、湯河原に行き、箱根屋旅館別館に滞在する。8月上旬に帰京する。 『萩原朔太郎全集』書簡
7月 石橋湛山(37)、鎌倉の内で、大町蔵屋敷に新築して転居する。 『石橋湛山全集』年譜
8月2日 室生犀星(33)、湯河原に行き、箱根屋旅館に滞在中の萩原朔太郎を訪ね、数日をすごす。帰路、萩原朔太郎と共に小田原の「木兎の家」に北原白秋を訪ねる。 「白秋山房訪問記」、全集書簡
8月10日 寺田寅彦(43)、横須賀に行き、追浜の飛行船焼失現場を視察し、当時の状況を査問する。 『寺田寅彦全集』日記
8月19日 内村鑑三(61)、箱根で開かれた基督教平信徒夏期修養会に出席し、20日、「罪の贖主としてのイエスキリスト」を講演する。 『内村鑑三全集』日記
8月20日 徳富蘇峰(59)、鎌倉円覚寺で開かれた国民史学会で講演する。 『明治文学全集』34年譜
8月20日 若山牧水(36)、若山喜志子(34)、横浜の鶴見に行き、花月園内藤見茶屋で開かれた長谷川銀作夫妻の慰労短歌会に出席する。「慰労短歌会」(斎藤生記)。 「創作」
寺田寅彦(43)、横浜鶴見の総持寺にスケッチに行くが、絵は一枚も描かずに帰る。「日比谷から鶴見へ」。 「雑記」(Ⅰ)
菊池寛 (33)、葉山に滞在して黒鯛釣りに興じる。 「釣」
網野菊(22)、藤沢の鵠沼に行き、義祖母、弟妹たちと農家に間借りしてすごす。 『網野菊全集』年譜
三島章道(25)、大磯に行き滞在する。「海辺の笛」。 「海辺の笛」
9月初旬 岩谷莫哀(34)、平塚海岸の木藤病院に入院する。10月21日に帰京する。短歌六首。
9月9日 尾上菊五郎(37)、横浜の鶴見に行き、4日に来日したアンナ・パーヴロヴァの歓迎会を開く。 『横浜近代史総合年表』
9月15日 谷崎潤一郎(36)、箱根に遊び、芦ノ湖畔の箱根ホテルに泊まる。 『谷崎潤一郎全集』書簡
9月18日 河井酔茗(48)、平塚に居を定める。 『酔茗詩集』年譜
9月 久保栄(21)、鎌倉の建長寺山門横の塔頭妙高院に間借りする。翌月伴僧坊道の正統院に移る。翌年3月東京に戻る。 「伝記おぼえ書」
10月初旬 佐藤惣之助(31)、相模野の鶴間の林で仲秋の名月を待ちつつ二週間をすごし、『琉球諸島風物詩集』を完成する。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜
10月12日 松尾邦之助(22)、横浜港から諏訪丸で出航、逓信省無給嘱託としてフランスに向かう。二等船客で船賃は六百七十円であった。昭和3年に帰国する。 『青春の反逆』
10月中旬 与謝野晶子(43)、与謝野寛(49)、箱根に遊び、仙石原温泉に泊まる。短歌「靄の塔」中五十首(与謝野晶子)。 「明星」第二次
10月24日 石原純(41)、横浜に行き、県立第一中学校(現希望ケ丘高校)で開かれた、五日会主催の相対性原理講話会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
10月28日 武者小路実篤(37)、箱根の湯本に行き、滞在中の木下利玄を訪ねる。園池公致も来る。 『武者小路実篤全集』書簡、木下利玄日記
10月 荻原井泉水(38)、川崎に層雲社の吟行句会を催す。「月明の海に舟を浮べて遊ぶ。蘇東坡が赤壁の賦を作りしより八百四十年目に当るといふ壬戌の秋なり」。 『泉を掘る』年譜
10月 谷崎潤一郎(36)、横浜の本牧の家が台風の被害をうけたため、横浜山手二六七番地のAに転居する。翌年9月、神戸に移る。 『谷崎潤一郎全集』年譜
和辻哲郎(33)、安倍能成、小宮豊隆、太田水穂らが、幸田露伴を誘って、連句を巻きあげるために箱根を歩き、宮ノ下の奈良屋に一泊する。翌日(翌々日ヵ)、湯河原に移り連句をつづけ、さらに熱海に移る。「俳諧修行の思い出」。 「俳諧修行の思い出」、塩谷賛『幸田露伴』
松永延造(27)、持病の脊椎カリエス療養のため、横浜関東病院に入院する。看護婦相沢けいと知りあう。昭和6年に結婚する。 『松永延造全集』年譜
11月4日 千家元麿(34)、鎌倉に転居し、名越の木下利玄邸に間借りし、のち大町に移る。「まるで花籠の中にゐるやうです」と、自然にあふれた環境を喜ぶ。 武者小路実篤あて葉書
11月6日 北村初雄(25)、藤沢の鵠沼の東屋に転地療養する。12月2日、死去する。横浜鶴見の総持寺に葬られる。 『現代日本詩人全集』5
11月7日 千家元麿(34)、長与善郎と藤沢の鵠沼に岸田劉生を訪ねる。鵠沼の家は初めてである。泊まる。 『劉生日記』
11月23日 岸田劉生(31)、和辻哲郎らとおちあい横浜三渓園に行き、絵を見せてもらう。 『岸田劉生全集』日記
11月 窪田空穂(45)、箱根から乙女峠を「朝の光」同人たちと越える。短歌「箱根に遊ぶ」。 『窪田空穂全集』年譜
11月 小牧近江(28)、前田福子と結婚して、横浜の沢渡に住む。 「小牧近江」展図録年譜
12月4日 三枝博音(30)、鎌倉名越に新婚の居を定める。 『三枝博音著作集』年譜
12月8日 千家元麿(34)、長与善郎と子の宏を連れて藤沢の鵠沼に岸田劉生を訪ねる。近くの椿貞雄の家に行き、園池公致夫妻とも会う。 『劉生日記』
月日未詳 中村武羅夫(36)、藤沢の内で鵠沼海岸から辻堂海岸に転居する。 『大衆文学大系』17年譜
月日未詳 橋本夢道(19)、三浦半島を巡遊し、そこで得た句「野菊咲きつづく日あたりはある山路」を「層雲」に投句し、初めて掲載される。 『橋本夢道全句集』年譜
大正12年(1923年)
1月1日 黒田清輝(56)、前日の大晦日に箱根に行き、湯本の福住楼に泊まり新年を迎える。 『黒田清輝日記』
1月2日 今東光(24)、横浜の山手に住む谷崎潤一郎を訪ねて泊まる。 川端康成の日記
1月7日 谷崎精二(32)、来訪の舟木重雄と一緒に鎌倉の舟木重雄の家に行き泊まる。翌日、鎌倉在の広津和郎を誘い、七里ガ浜に間借りして転地療養中の光用穆を三人で訪ねる。旧「奇蹟」の同人が落ちあったということである。同夜広津和郎と共に帰京する。「鎌倉行き」。 「鎌倉行き」
1月 里見弴(34)、横浜に家族連れで行き、山手に住む谷崎潤一郎を訪ね、聘珍楼で夕食を共にし、大船で箱根に行く谷崎潤一郎と別れる。 「遠方からみた谷崎君」
2月上旬 前田夕暮(39)、小田原の北原白秋山荘を訪れ三泊する。 前田透『評伝前田夕暮』年譜
2月1日 北原白秋(38)、小田原駅からアルスの牧野律太と汽車に乗り、偶然前田夕暮と会い、思いたって共に三浦三崎に行き、臨江閣、城ケ島、長井の磯宿にそれぞれ一泊し、4日に小田原に帰る。短歌「三崎吟行」、「早春の行楽」。 『白秋全集』年譜、前田夕暮「半島の早春」
2月3日 妹尾義郎(33)、鎌倉に行き、中村邸に泊まり、翌朝帰京する。 『妹尾義郎日記』
2月4日 西川文子(40)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた婦人協和会(横浜女子青年会改称)の発会式に出席する。 『横浜近代史総合年表』
2月9日 宮本百合子(23)、鎌倉に行き、4月初めまで滞在する。 『宮本百合子全集』日記
2月9日 矢内原忠雄(30)、欧米留学を終えて帰国し、横浜港に着く。上陸後直ちに東京慶応病院に行き、入院中の妻を見舞う。妻は26日に死去する。 『矢内原忠雄全集』年譜
2月11日 松根東洋城(44)、大磯に「渋柿」同人と行き、鴫立庵、小余呂岐の磯、化粧坂、観瀾亭を吟行する。俳句十六句。「この庵や西行と虎と春の宵」。 「大磯吟行」(同行諸氏)、「渋柿」
2月13日 佐藤惣之助(32)、大木惇夫(27)、小田原に北原白秋を訪ね、裏の丘で歓談する。北原白秋短歌「早春の朝餐」。 「詩と音楽」
2月15日 志賀直哉(39)、小田原から久里四郎が来訪し、一緒に藤沢の鵠沼に行き岸田劉生を訪ねる。ついで鎌倉に有島生馬を訪問、直方宅に泊まる。翌日、園池公致を誘って木下利玄を見舞う。17日に我孫子に帰る。 『志賀直哉全集』日記
2月17日 北原白秋(38)、前田夕暮と妻と箱根の堂ケ島に遊ぶ。翌日前田夕暮と小田原の家の裏山で歓談する。短歌「続 堂ヶ島行」、「丘の昼餐」。 「詩と音楽」
2月25日 岡倉由三郎(55)、横浜の県立第一横浜中学校で「英語教授の基礎」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
2月 間宮茂輔(24)、鎌倉の建長寺宝珠院に住む葛西善蔵を訪ねる。途中、大船駅のプラットホームで川崎備寛に出会う。 「葛西善蔵小論」
2月 生田春月(30)、大磯に遊び二泊し、小田原、真鶴を経て熱海に行く。「大磯と熱海」。 「大磯と熱海」
2月 島崎藤村(50)、小田原の海浜に行き、正月の軽い脳溢血の病後を療養する。「をさなものがたり」を書く。 『島崎藤村全集』書簡、年譜
早春 沢木四方吉(36)、藤沢の鵠沼に、結核療養のため転地する。 「三田文学」
早春 秋山清(17)、鎌倉に遊び雪ノ下の木賃宿に二泊する。江の島にも行く。 『目の記憶』
3月4日 前田夕暮(39)、横浜に行き、桜木町駅からイギリス波止場、フランス波止場、横浜公園などを回り、ついで本牧の三渓園に行く。短歌「横浜の一日」二十五首。 「横浜の一日」
3月10日 吉田絃二郎(36)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた、市主催の第三回文化講演会で、「近代芸術と生の価値問題」を講演する。他に小山内薫が「劇について」を、有島武郎が「文化について」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
3月14日 舟木重信(29)、鎌倉の材木座中島六九四番地に転居する。 『書簡集』
3月16日 芥川龍之介(31)、湯河原に行き中西屋に一カ月間滞在し、4月15日に帰京する。 『芥川龍之介全集』書簡
3月23日 大橋房子(ささき・ふさ、25)、横浜港からイギリスP&O汽船のドンゴラ号で出航、国際婦人参政権大会に参加し、講演するために、ロンドンに向かう。翌年5月に帰国する。 『横浜近代史総合年表』
3月24日 吉野作造(45)、横浜に行き、基督教青年会館で開かれた、文化研究会主催の第一民衆大学講座で、「政治学」を講演する。他に姉崎嘲風が「文学」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
3月 荻原井泉水(38)、鎌倉─江の島に吟行、由比ガ浜、大仏、長谷寺、切通し、七里ガ浜、稚児が淵、江の島の漁村、片瀬をめぐる。「海を恋うて(俳句五十章)」。 「海を恋うて」、『大江』年譜
4月8日 島田清次郎(24)、逗子に舟木家令嬢を伴って行き、二泊する。10日、逗子駅で挙動不審者として葉山署に引致される。のち強姦誘拐などの罪で訴えられるが、結局は示談となる。 杉森久英『天才と狂人の間』
4月 佐佐木茂索(28)、湯河原に行き、中西屋に滞在中の芥川龍之介を訪ね、二、三泊して「水いらず」を書く。正宗白鳥、上司小剣が同宿で顔をあわせる。 「心覚えなど」
4月 松根東洋城(45)、横浜の綱島に「渋柿」同人と行き、吟行する。俳句十二句。「鶴見川渡りしことも桃見かな」。 「桃見」(同行諸氏)、「渋柿」
5月11日 菊池寛(34)、箱根の環翆楼で開かれた「新潮」創作合評会に出席する。他に徳田秋声、久米正雄、久保田万太郎、田中純、中村武羅夫、水守亀之助が出席した。 『文芸春秋三十五年史稿』
5月16日 内村鑑三(62)、横須賀軍港へ戦艦長門を見に行く。「益々平和の必要を感じた」。帰途鎌倉の友人宅二軒を訪ね帰京する。 『内村鑑三全集』日記
5月28日 妹尾義郎(33)、横浜に行き、住吉町の福井屋旅館で、洋行する友人と語る。翌日、横浜港からアメリカ丸でアメリカに向けて出航する友人を見送る。 『妹尾義郎日記』
5月 渾大防小平(32)、横浜の県立商工実習学校(現県立商工高校)の嘱託となる。 『渾大防小平遺稿集』年譜
6月1日 菊池寛(34)、酒匂川に中村武羅夫と鮎つりに行く。「釣」。 「釣」
6月4日 久米正雄(31)、湯河原の中西屋に滞在中、この日「病後浴泉記」を書く。 「病後浴泉記」
6月14日 R・ケーベル(75)、横浜で死去する。 『明治文学全集』49年譜
6月 佐佐木信綱(51)、横浜の三渓園に行く。先客の安田靫彦とも会う。原三渓が最近購入した自動車で鎌倉海浜ホテルまでドライブをする。 『作歌八十二年』
6月 川崎長太郎(21)、東京での下宿代が滞り小田原に逃げ帰る。やがて9月1日の関東大震災に遭う。 『川崎長太郎自選全集』年譜
6月 川口松太郎(23)、喜多村緑郎、花柳章太郎と横浜の山手に谷崎潤一郎を訪ねる。初対面であった。「自分の意志を貫いて生きる」谷崎潤一郎に深い感銘をうけた。「初対面」。 「初対面」
7月8日 石坂洋次郎(22)、鎌倉建長寺の宝珠院に住む同郷の作家葛西善蔵を初めて訪ねる。 「葛西善蔵氏の覚え書」
7月15日 妹尾義郎(33)、鎌倉に行き、宗教活動「夏の楽園」に参加し、滞在して海岸布教をはじめる。8月15日、布教の満了日で、由比ガ浜の海岸で、同人たちが野外劇「心の華」、「由比ヶ浜の別れ」を演じる。19日、自動車で鎌倉の聖跡を回り、竜口寺に行き、帰途七里ガ浜の茶屋で昼食をとる。帰途、横浜に一泊して帰京する。 『妹尾義郎日記』
7月末 岡本かの子(34)、鎌倉駅前の平野屋に滞在。滞在中、同宿になった芥川龍之介を知る。9月1日の関東大震災に遭う。 『岡本かの子全集』年譜
7月末 大杉栄(38)、妻の野枝(伊藤)、子の魔子を連れて茅ケ崎に行き、南湖院に入院中の横関愛造を見舞う。 横関愛造『思い出の作家たち』
7月 久米正雄(32)、鎌倉に避暑し、長谷通りと大仏道との交叉点に近い鶴見貝細工屋の裏の離れに滞在する。9月1日、関東大震災に遭う。「鎌倉震災日記」ほか。 「鎌倉震災日記」
7月 花柳章太郎(29)、横浜に行き、横浜座で新劇座の横浜初公演をおこなう。 『神奈川県史』年表
8月初旬 谷崎潤一郎(37)、箱根小湧谷に避暑する。仙石原に滞在中の市川左団次の来訪をうけたりする。29日に横浜に帰る。30日夜再訪、翌日、新築の箱根ホテルに移る。「東京をおもふ」。 「東京をおもふ」
8月上旬 芥川龍之介(31)、鎌倉に行き、駅前平野屋に静養中の小穴隆一と同宿する。隣りの離れに岡本一平、岡本かの子、岡本太郎が滞在する。25日に帰京する。 「大震雑記」
8月10日 岩波茂雄(41)、鎌倉名越二四一四番地に妻子を住まわせる。以後妻と代わりあって鎌倉に住む。13年稲村ガ崎、14年小町三二七番地などに移る。 小林勇『惜櫟荘主人』
8月19日 津田青楓(42)、西村一草亭(青楓の兄)と、子供たちも連れて鎌倉に有島生馬を訪ね、海水浴をして帰る。 「妻の留守中日記」
8月20日 岩谷莫哀(35)、茅ケ崎の南湖院に入院する。同院で関東大震災に遭う。短歌九首。13年8月、第二歌集『仰望』を同院で編む。14年1月発行。 『仰望』詞書き、巻末記
8月21日 津田青楓(42)、西村一草亭と、子供たちも連れて鎌倉の有島生馬宅へ行く。午後、子供たちを置いて有島生馬と箱根に行き福住楼に泊まる。男女性欲の比較論、人生論、あるいは世間話などに時をすごす。23日、鎌倉に戻り、25日に帰京、28日に子供たちを迎えに再び鎌倉に行く。 「妻の留守中日記」
8月22日 木佐木勝(28)、逗子に行き、駅近くに住む田中王堂を訪ね、「中央公論」翌月号の巻頭論文の進捗情況を聞く。 『木佐木日記』
8月26日 千家元麿(35)、鎌倉から横浜に移り住む。一週間目に9月1日の関東大震災に遭い、家は半壊したが、親子四人無事で、歩いて川崎に行き佐藤惣之助を訪ねる。 『千家元麿全集』年譜、書簡
8月末 大岡昇平(14)、逗子に家族と海水浴に行き、養神亭に泊まる。 『大岡昇平全集』年譜
8月 吉田健一(11)、箱根富士屋ホテルに家族と9月にかけて滞在する。そのため9月1日の関東大震災の難を免れた。 『吉田健一著作集』年譜
8月 佐藤惣之助(32)、愛川村半原に三日間滞在する。「相模の半原」。 「相模の半原」
8月 佐佐木茂索(28)、鎌倉に滞在中、駅前平野屋旅館に滞在していた芥川龍之介を訪ねる。「藤の花軒端の苔も老いにけり」の句を示され、古くさいとけなす。 「僕の澄江堂」
8月 山川菊栄(32)、兄と姉が訪ねてきて、一緒に江の島に行く。 『山川菊栄集』年譜
8月 水上滝太郎(35)、鎌倉の別荘に妻と行く。9月1日、その地で関東大震災に遭う。「所感」。 「所感」、『水上滝太郎全集』年譜
8月 戸川秋骨(53)、葉山に行き、下山口の沼田権蔵方に避暑、8月中滞在する。 「三田文学」
逸見猶吉(15)、暁星中学校四年生の夏休み、鎌倉に行き、北鎌倉の明月谷にある日本橋の料亭の別荘「仁兵衛」の別荘番をしていた友人のもとで一週間ほどをすごす。二人でランボーの詩集にとりくみ、‘Voyelles’(母音)という詩を訳す。ランボーとの出会いであった。 菊地康雄『逸見猶吉ノオト』
9月1日 小牧近江(29)、結婚して横浜に住んでいて関東大震災に遭う。翌日歩いて東京の両親の下に行く。 『ある現代史』
9月1日 姉崎嘲風(50)、鎌倉で関東大震災に遭う。 「わが人生」
9月1日 小杉天外(57)、葉山に避暑中、関東大震災に遭う。 『明治文学全集』65年譜
9月1日 葛西善蔵(36)、鎌倉建長寺内宝珠院で関東大震災に遭い、身ひとつで上京する。 『葛西善蔵全集』書簡
9月1日 星野天知(61)、鎌倉の自宅で関東大震災に遭う。近くに住む高浜虚子一家と共に西下する。 『黙歩七十年』
9月1日 牧野信一(26)、熱海で関東大震災に遭い、一旦小田原の実家に帰る。翌月、再び上京する。 『牧野信一全集』年譜
9月1日 徳富蘇峰(60)、逗子の老龍庵に居住していて関東大震災に遭う。 『蘇峰自伝』
9月1日 中里恒子(13)、横浜で関東大震災に遭う。弘明寺の近くに避難し、ついで川崎に家を借りて移り、川崎実科高等女学校(現市立川崎高校)に編入学する。14年卒業する。 『中里恒子全集』年譜
9月1日 鈴木大拙(52)、鎌倉円覚寺の正伝庵が関東大震災で倒壊し、修復のため、以後京都の自宅と鎌倉をしばしば往復する。 『鈴木大拙全集』年譜
9月1日 田中英光(10)、鎌倉小学校の始業式を終えて姥ケ谷の自宅に帰り、関東大震災に遭う。家は半壊となる。 『田中英光全集』年譜
9月1日 石橋湛山(38)、鎌倉大町で関東大震災に遭う。14日、鎌倉臨時復興委員となる。 『石橋湛山全集』年譜
9月1日 寺田透(8)、横浜の自宅で関東大震災に遭う。「四十四年前のこと」。「大震災の記録」。 「大震災の記録」
9月1日 木下利玄(37)、鎌倉の自宅で関東大震災に遭う。「日記」。短歌「地震」。 「地震」
9月1日 岸田劉生(32)、藤沢の鵠沼の家で関東大震災に遭う。 『岸田劉生全集』日記
9月1日 福田正夫(30)、前日、小田原の自宅に戻り、この日、関東大震災に遭う。 『追想福田正夫』年譜
9月1日 広津柳浪(62)、鎌倉で関東大震災に遭う。真夜中に広津和郎が駈けつける。同じ小町通りで被害を受けなかった田中純の家に寄宿する。 広津和郎『年月のあしおと』
9月1日 沢木四方吉(36)、藤沢の鵠沼に転地療養中、関東大震災に遭う。 日記
9月1日 中村武羅夫(36)、辻堂海岸の自宅で関東大震災に遭う。「その刹那」。 「その刹那」
9月1日 高浜虚子(49)、鎌倉で関東大震災に遭い、近くに住む星野天知一家と共に西下し、京都に家族を移す。 『高浜虚子全集』研究年表
9月1日 谷崎潤一郎(37)、箱根に滞在中、芦ノ湖畔の箱根ホテルからバスで小湧谷に向かう途中、芦之湯をすぎて程なく関東大震災に遭う。「東京をおもふ」。 「東京をおもふ」
9月1日 橋本夢道(20)、葉山に在り、関東大震災に遭遇する。 『橋本夢道全句集』
9月1日 清沢洌(33)、関東大震災のため、横浜の妻の実家福井屋(旧和田彦)に居た妻と娘を失う。 『暗黒日記』年譜
9月1日 渋沢青花(34)、鎌倉の腰越津に居住中、関東大震災に遭う。出社のため片瀬から電車に乗って少し行くと激しい動揺におそわれ、急いで引き返した。 「大正の『日本少年』と『少女の友』」
9月1日 青柳菁々(22)、横浜の茂木合名会社本店にこの年就職し、横浜の幸ケ谷で関東大震災に遭う。「崩れた瀬戸物問屋の倉庫から傷のない皿を拾い集め、売って糊口をしのいだ」。 『句集雪のワルツ』
9月1日 寒川鼠骨(48)、車中に在り、汽車が横浜駅にさしかかった時、関東大地震に遭い、傾いて停車した列車から脱出、鎌倉まで歩く。10日に上京する。 『正岡子規の世界』年譜
9月2日 斎藤昌三(36)、1日、東京神田の事務所で関東大震災に遭い、横浜の自宅に戻るが、家屋は焼失、家族は無事であった。 「書痴の自伝」
9月2日 厨川白村(42)、鎌倉の別荘白日村舎に滞在中、前日の関東大震災に遭い、大津波にさらわれたのがもとで死去する。 『日本近代文学大事典』
9月3日 小林勇(20)、鎌倉に住む岩波茂雄の家族の関東大震災後の安否を訪ねることを社主岩波茂雄に命じられ、小山久二郎と鎌倉に行く。5日、鎌倉から横須賀に行き、軍艦で東京芝浦に着く。 『一本の道』
9月上旬 高田敏子(8)、関東大震災で東京の家を焼かれ、伯母の実家の川崎小田中の農家に預けられる。二カ月ほどで東京の焼跡のバラックに戻る。 『高田敏子全詩集』年譜
9月11日 浅原六朗(28)、横浜にトラックで訪れ、震災の跡を見る。 「旧ロシア領事館」
9月20日 寺田寅彦(44)、川崎、横浜の震災被害の状況を視察する。 『寺田寅彦全集』日記
10月14日 寺田寅彦(44)、地震加速度判定の材料探しに行く田丸教授に同行して鎌倉に行く。自動車で市内を回る。 『寺田寅彦全集』日記
10月15日 寺田寅彦(44)、小田原に地震調査に行き、国府津蔦屋別荘に泊まる。 『寺田寅彦全集』日記
小林勇(20)、岩波書店の後片付けで怪我をして、鎌倉の岩波茂雄宅で二十日間ほどすごす。長与善郎宅に毎日遊びに行く。 『一本の道』
11月20日 内村鑑三(62)、横須賀に行き、星田光代を訪ねる。関東大震災の破壊の甚だしさに驚く。 『内村鑑三全集』日記
11月27日 中戸川吉二(27)、横浜港に行き、二年ぶりで帰朝した兄を出迎える。 「随筆」
12月23日 小沢碧童(42)、川崎の在に母と行き、縁辺の三家を訪ね、関東大震災に際しての援助に礼をする。俳句十四句。
野尻抱影(38)、鎌倉に住む弟の大佛次郎を訪ね、共に滑川の海岸橋で、関東大震災の際津波にさらわれた厨川白村を思う。 石田五郎『野尻抱影』
月日未詳 松本雲舟(41)、真鶴の柑橘園に移り住む。関東大震災で叔父母が死去し家督を相続したことによる。 『近代文学研究叢書』65
大正13年(1924年)
1月2日 水原秋桜子(31)、鎌倉の高浜虚子のもとに、池内たけし、鈴木花蓑、高野素十、増田手古奈と、年始に行く。ついで逗子から横浜金沢をまわり、再び逗子にもどってから帰京する。 『高浜虚子』
1月31日 妹尾義郎(34)、逗子に行き、療養中の友人を見舞う。翌日、安江姉と御猿畠の法性寺をお参りする。 『妹尾義郎日記』
1月 沢木四方吉(37)、鎌倉に移り、極楽寺村四七一番地に住む。 「三田文学」
2月19日 長崎源之助、横浜の井土ケ谷で生まれる。父は左官業である。昭和5年、南太田尋常小学校に入学、9年、新設の井土ケ谷小学校に移る。 『長崎源之助全集』年譜
2月 茅野蕭々(40)、横浜港から伏見丸で出航、慶応義塾留学生として、ドイツ語及びドイツ文学研究のため、ヨーロッパに向かう。14年2月、妻の茅野雅子も渡欧し、共に11月榛名丸で帰国する。 『近代文学研究叢書』58
2月 斎藤昌三(36)、茅ケ崎の海岸の松林の中の「チッポケな家」に転居する。のち農村の方に移り、ついで昭和2年初めには小学校裏の二階家に移る。 「書痴の自伝」
3月1日 妹尾義郎(34)、鎌倉に行き、日曜日を一日遊ぶ。 『妹尾義郎日記』
3月9日 小沢碧童(42)、川崎に行き、久地梅園に遊ぶ。俳句七句。
3月21日 小沢碧童(42)、川崎の矢向に行き、縁家の墓参をする。俳句三句。
3月27日 尾山篤二郎(34)、名古屋から上京の途次、小田原に行き、北原白秋を訪ね三泊する。短歌七首。 『歌集草籠』
3月 田中冬二(29)、箱根湯本に行く。 和田利夫『郷愁の詩人田中冬二』年譜
3月 松永延造(28)、鎌倉に転地療養する。 『松永延造全集』年譜
笹川臨風(53)、「神奈川県震災誌」編纂のため県の嘱託を委嘱される。 『明治文学全集』41年譜
尾上柴舟(47)、江の島に遊ぶ。短歌「江の島にて」八首。 「江の島にて」
4月12日 田島淳(26)、横浜に行き、住吉町のみやこで開かれた、劇友会の第三十回研究会で、「作劇について」を講演する。山崎紫紅も講演する。 『横浜近代史総合年表』
4月13日 秋田雨雀(41)、横須賀のエスペラント講演会に行く。 『秋田雨雀日記』
4月20日 北原白秋(39)、箱根湯本に両親やアルスの社員と行く。二泊する。 『白秋全集』年譜
4月22日 萩原蘿月(39)、小田原の北原白秋を訪ねる。約束してあったのだが、急用で北原白秋が断りの電報を打ったつもりで打たず、萩原蘿月は留守に来て怒り、安宿に一泊して帰る。 白秋書簡
4月24日 田山花袋(51)、随筆社の催しである玉川遊びに参加し、二子玉川の亀屋に遊ぶ。同行十五人。近松秋江、里見弴、加能作次郎、岡本一平、中戸川吉二、久米正雄、佐佐木茂索、田中純、宇野浩二、中村武羅夫、吉井勇、葛西善蔵、久保田万太郎、牧野信一、水守亀之助。「玉川遊記」。 「玉川遊記」
4月27日 古泉千樫(37)、萩原蘿月(39)、鎌田敬止(31)、小田原に北原白秋を訪ね、連句に興じる。北原白秋「小田原興行」。 「日光」
4月28日 湯浅芳子(27)、宮本百合子(25)、鎌倉に遊ぶ。 『百合子の手紙』
4月 里見弴(35)、鎌倉の大町蔵屋敷に移り住む。 『里見弴全集』年譜
5月6日 舟木重信(30)、妻重体の報に洋行先から急いで帰国し、横浜に上陸したその足で茅ケ崎南湖院に入院中の妻を訪ねるが、すでにその朝死去していた。 『書簡集』
5月中旬 今井邦子(33)、夫が千葉県二区から衆議院議員に立候補し、開票の前日に一家で箱根塔之沢に遊ぶ。短歌七首。 『今井邦子短歌全集』年譜
5月30日 有島生馬(41)、横浜に行き、高島町の社会館で開催された県図画教育会主催の展覧会で、石井柏亭と共に講演する。 『横浜近代史総合年表』
5月下旬 矢代東村(35)、小田原に行き、日光社の社用で北原白秋を訪ね、連句に興じる。「小田原興行」其三。 「日光」
5月 今井邦子(33)、江の島、三浦三崎に家族そろって遊ぶ。短歌三首。 短歌全集年譜
6月中旬 中勘助(39)、平塚に行き、西海岸の親戚の家に泊まる。平塚に家を建てる計画をすすめる。 『中勘助全集』書簡
7月18日 草柳大蔵、横浜に生まれる。 『現代日本人名録』
7月29日 木佐木勝(29)、横浜に住む松永延造を訪ね、「職工と微笑」掲載を伝え、「中央公論」への次作を依頼する。 『木佐木日記』
7月下旬 和辻哲郎(35)、藤沢の鵠沼の高瀬家に子供たちを連れて行き、二泊する。 『和辻哲郎全集』書簡
8月14日 宮本百合子(25)、夫の荒木茂が茅ケ崎の南湖院に入院する。宮本百合子は東京駅まで見送る。事実上の離婚となる。 『宮本百合子全集』年譜
盛夏 正岡容(19)、箱根に行き、強羅で滞在中の岡本綺堂と偶然出会う。岡本綺堂の帰京を見送る。これが今生の別れとなる。 「岡本綺堂先生回顧」
今和次郎(30)、藤沢の六会村亀井野に、地震でつぶれた農家を見て歩く。「地震でつぶれた農家」。 「地震でつぶれた農家」
土方与志(26)、箱根に行き、神経衰弱気味のため静養する。 尾崎宏次、茨木憲『土方与志』
中島健蔵(21)、横須賀の久里浜に行き、ペルリ提督記念碑の隣りに母が建てた小別荘に滞在。ポーの「テイルズ(物語)」を読みふける。 『回想の文学』
9月3日 前田夕暮(41)、小田原に北原白秋を見舞いがてら行き、「日光」編集上の相談をする。詩七編。 「日光」
9月10日 石橋湛山(39)、鎌倉町の町会議員に当選する。昭和3年8月13日、任期満了で辞任する。 『石橋湛山全集』年譜
9月 生田蝶介(35)、国府津に一夜をすごす。短歌「国府津の一夜」。 「国府津の一夜」
10月8日 妹尾義郎(34)、横浜に行き、県立横浜第二中学校で講演する。「校長は滝沢又市先生といふ、よい先生ではあつたが、可惜、まだ宗教を味はず、倫理的観法にとどまれるの観があつた」。 『妹尾義郎日記』
10月10日 若山牧水(39)、小田原に妻と子を連れて行き、北原白秋を訪ねる。 「日光」
10月16日 中勘助(39)、平塚の親戚の家に行き、泊まる。 『中勘助全集』書簡
10月中旬 吉植庄亮(40)、小田原に北原白秋を訪ね二泊し、北原白秋の子と遊んだりする。 「日光」
10月25日 石井柏亭(42)、横浜に行き、関東学院で開かれた教員美術講習会で、「美術の本領」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
10月26日 木下利玄(38)、横須賀に家族を連れて軍艦見物に行き、「榛名」を見る。 『木下利玄全集』日記
10月28日 内村鑑三(63)、横浜に行き、知人の案内で港内を回り、碇泊中の巴洋丸に船長を訪ねる。 『内村鑑三全集』日記
10月 田山花袋(51)、横浜の鶴見の花香苑で開かれたプラトン社の第三回談話会に出席する。久米正雄、徳田秋声、里見弴、伊原青々園、長田幹彦も出席した。 小林一郎『田山花袋研究』
10月 岸田国士(33)、喀血し茅ケ崎三松園で療養する。 古山高麗雄『岸田国士と私』年譜
11月1日 大熊信行(31)、茅ケ崎の南湖院に入院する。短歌「南湖院にて」。 「南湖院にて」
11月5日 妹尾義郎(34)、鎌倉に行き、前年の大震災で倒れた「夏の楽園」の名残りが建てられているのを見て懐旧の情にうたれる。夕食は長谷のとり屋で鍋をつつく。 『妹尾義郎日記』
11月24日 石橋湛山(40)、横浜高等工業学校(現横浜国立大学工学部)の経済学の講師を委嘱される。 『石橋湛山全集』年譜
11月26日 妹尾義郎(34)、橘樹郡向丘村(現川崎市向ケ丘)福山の町田練秀氏のお寺に招かれて講演する。 『妹尾義郎日記』
11月26日 賀川豊彦(36)、横浜港から春洋丸で出航、全アメリカ大学連盟の招きでアメリカに向かう。翌年7月22日に帰国する。 『人物書誌大系』25年譜
11月 長与善郎(36)、鎌倉の内で扇ケ谷の新築の家に転居する。 『日本現代文学全集』50年譜
11月 沢木四方吉(37)、鎌倉扇ケ谷に新居を構える。 「三田文学」
12月3日 前田夕暮(41)、小田原の山荘に北原白秋を訪ね二泊する。5日、帰途横浜に寄る。 「雑草園日記」
12月13日 吉田絃二郎(38)、横浜に行き、横浜高等工業学校文芸部の機関誌「港」主催の第一回文芸講演会で、芥川龍之介と共に講演する。 『横浜近代史総合年表』
12月24日 矢代東村(35)、茅ケ崎に行き、南湖院に入院中の大熊信行を見舞う。 「日光」
12月29日 永井荷風(48)、川崎大師に詣でる。 「断腸亭日乗」
12月29日 中勘助(39)、平塚に家が建ち、そこに住むことにして引越す。昭和7年9月には東京に移る。 『中勘助全集』書簡
12月 前田夕暮(41)、小田原の北原白秋山荘を訪ねる。北原白秋のスケッチ「夕暮百態」が成る。 前田透『評伝前田夕暮』年譜
12月 高畠華宵(36)、鎌倉の稲村ガ崎一の谷の新築の家に移り住む。 高橋光子『高畠華宵とその兄』
月日未詳 大野林火(20)、横浜の神奈川村二本榎の実家から東京帝国大学経済学部に通う。 「俳句」31巻12号年譜
月日未詳 羽仁説子(21)、平塚で再び療養する。 『羽仁説子の本』年譜
大正14年(1925年)
1月6日 今井邦子(34)、箱根に行き、宮ノ下富士屋ホテルに泊まる。短歌五首。 『今井邦子短歌全集』年譜
1月7日 平福百穂(47)、国府津に行き、外遊から帰朝して上京する斎藤茂吉を出迎える。 斎藤茂吉「平福百穂画伯」
1月18日 石川三四郎(48)、横浜鶴見の総持寺で開かれた大庭柯公追悼会に招かれて行く。 『石川三四郎全集』書簡
1月31日 志賀直哉(41)、鎌倉に行き、木下利玄を見舞うが、面会謝絶で会えなかった。翌日終列車まで長与善郎の家で話しこむ。 『志賀直哉全集』書簡
1月31日 新渡戸稲造(62)、横浜に行き、横浜公園内の公衆集会所で開かれた国際連盟協会横浜高商学生支部等主催の講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
1月末 武者小路実篤(39)、鎌倉に行き、木下利玄を病床に見舞う。 『武者小路実篤全集』年譜
初春 生田春月(32)、江の島に遊ぶ。 『生田春月全集』書簡
2月10日 与謝野晶子(46)、与謝野寛(51)、平野万里、高木藤太郎らと三浦三崎に遊び、岬陽館に二泊する。短歌「早春散策」三十八首(与謝野晶子)。高木藤太郎は帰途、鎌倉から江の島、鵠沼に回る。短歌六首。 「明星」第二次
2月15日 川田順(43)、鎌倉に行き、木下利玄を危篤の病床に見舞う。 「短歌」追悼号年譜
2月 並木秋人(31)、小田原に住む北原白秋に招かれて、天神山の「木兎の家」を訪ね二泊する。 中畑信雄『歌人並木秋人』
2月 久米正雄(33)、鎌倉の大町蔵屋敷に転地する。 『日本現代文学全集』57年譜
3月8日 富永太郎(23)、藤沢の片瀬二四五九番地に転地する。5月3日、東京に移る。 『富永太郎詩集』書簡
3月18日 吉植庄亮(40)、矢代東村(36)、小田原に北原白秋を訪ねて一泊、翌日は皆で箱根小湧谷に行き、三河屋に泊まる。その翌日箱根を歩いてから帰る。 「日光」、白秋全集年譜
3月22日 秋田雨雀(42)、横浜に行き、復興会館での第六回劇友研究会で、「昨日・今日・明日の演劇」を講演する。山崎紫紅も「此の頃の芝居」を講演する。 『秋田雨雀日記』
3月23日 芥川龍之介(33)、横浜に佐佐木茂索を同道して行き、大橋房子(ささき・ふさ)を本牧の家に訪ね、佐佐木茂索との結婚の打ち合わせをする。 20日付書簡で予めその由を伝える。
3月末 林達夫(28)、藤沢の内で鵠沼海岸から鵠沼川袋に転居する。 『林達夫著作集』書簡
3月 下村観山(51)、横浜に行き、12年の関東大震災で被害をうけて復旧した本牧和田山の家に戻る。 「大観と観山」展図録年表
3月 小林多喜二(21)、茅ケ崎に行き、南湖院第七病棟第一号室に入院中の旧師大熊信行を見舞う。 大熊信行『文学的回想』
3月 佐佐木味津三(29)、湯河原に行き、痔の手術の予後を養う。回春医院で三度目の手術をする。滞在中「愚かな復讐」を書く。4月、全快して帰京する。「入湯四句」。 「入湯四句」、『佐佐木味津三全集』年譜
吉井勇(38)、鎌倉長谷に仮寓する。翌年5月、東京に移る。 『吉井勇全集』年譜
松本たかし(19)、神経衰弱が昂じ、横須賀秋谷に住む父(宝生流座付の能役者)の門弟の別荘に静養する。三カ月ほど滞在する。 『現代俳句の世界』3年譜、解説
4月9日 小林秀雄(22)、中原中也と、3月末につづいて、片瀬に転地療養中の富永太郎を見舞う。 大岡昇平『富永太郎』
4月10日 依田秋圃(39)、横浜に友人と行き、本牧三渓園に遊ぶ。短歌「園遊」五首。 「園遊」
4月26日 岡本綺堂(52)、熱海からの帰途、湯河原に寄り敷島館別館で入浴、昼食。小田原で土産物を買う。 『岡本綺堂日記』年譜
4月 有島生馬(42)、湯河原に転地療養する。 「有島生馬」展図録
4月 大熊信行(32)、茅ケ崎の南湖院を退院して葉山に移る。11月再び入院、15年5月に退院して郷里に戻る。 『文学的回想』
5月2日 妹尾義郎(35)、横浜に行き、横浜港から春洋丸でアメリカに向かう友人を見送る。 『妹尾義郎日記』
5月初旬 生田春月(33)、箱根に行き、「今度ほど山の中を縦横に歩き廻つた事は、これまでにない」というほど歩きまわる。「芦の湖を見ただけでも、湖水の好きな私は満足であつた」。「山中孤独感」、「郷愁」。 「山中孤独感」、「郷愁」
5月15日 菊村到、平塚に生まれる。作家戸川貞雄の二男である。 『日本近代文学大事典』
5月末 島崎藤村(53)、国府津に行き、蔦屋に保養滞在する。6月18日に帰京する。 『島崎藤村全集』書簡
5月 生田春月(33)、箱根に遊び、底倉、芦之湯に泊まる。「郷愁」。 「郷愁」
6月19日 槇有恒(31)、横浜港からぱりい丸で出航、ロッキー山登頂のためアメリカに向かう。9月12日、横浜港に帰着する。 『横浜近代史総合年表』
6月26日 湯浅芳子(28)、湯河原に行き、避暑先を探すが無く、鎌倉にまわり、北鎌倉明月谷に貸別荘を探しだす。 『百合子の手紙』
6月 堺利彦(53)、熱海から湯河原などを旅行する。 『堺利彦全集』年譜
6月 佐藤惣之助(34)、川崎に居住中、家の裏の川沿いに新居が落成し、詩之家と名づける。7月、詩誌「詩之家」を創刊する。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜
6月 太田水穂(48)、妻四賀光子の療養のため逗子に転地する。9月帰京する。短歌「逗子」六首。四賀光子「転地」九首。 『四賀光子全歌集』年譜
6月 小牧近江(31)、藤沢の鵠沼に在住中、長男が生まれ左馬介と名づける。 『ある現代史』
6月 宮武外骨(58)、湯河原に釣りに行き、旅館で田中純と同宿になり、話がはずむ。 『竹宮外骨著作集』年譜
7月4日 羽仁もと子(51)、横浜に行き、横浜小学校で開かれた、横浜婦人連合会主催の婦人家庭講話会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
7月9日 宮本百合子(26)、鎌倉に行き、湯浅芳子の借りた明月谷の貸別荘に滞在、「伸子」を書き継ぐ。「この夏」。 『宮本百合子全集』日記
7月19日 与謝野晶子(46)、与謝野寛(52)、文化学院教授の戸川秋骨、新居格、堀口大學らと前日伊豆に遊び、帰途、小田原に北原白秋を訪ねて、一時間ほど歓談する。短歌「磯の夜」中八首。 「明星」第二次
7月22日 永井柳太郎(44)、横浜に行き、角力常設館で開かれた、横浜同志会の発会式に中野正剛と共に出席する。 『横浜近代史総合年表』
7月24日 木佐木勝(30)、横浜に住む松永延造を訪ね、「浅倉リン子の告白」掲載を伝え、つづけて「中央公論」に書くことを求める。 『木佐木日記』
7月 竹友藻風(33)、箱根から湯ケ島に遊ぶ。8月、葉山に行き、避暑地の家族と合流する。 「明星」第二次、「一隅の卓」
7月 新井徹(26)、川崎の詩之家に佐藤惣之助を訪ね、来会わせた初対面の中西悟堂らを交えて連詩を試みる。「聯詩閑談」。 「聯詩閑談」
7月 松永延造(30)、川崎に行き、佐藤惣之助を訪ねる。そこで金子光晴に会う。 『松永延造全集』年譜
7月 林不忘(25)、神経衰弱気味のため、松本泰にすすめられて、伊勢原の七沢温泉玉川館に行き滞在、湯治する。翌月、松本夫人の友人と七沢で出会い、はげしい恋におちいる。 室謙二『踊る地平線』
8月7日 北原白秋(40)、吉植庄亮(41)、鉄道省主催樺太観光団に加わり、横浜港から出航する。矢代東村(36)、北原白秋らを見送り、帰途、伊勢佐木町の中華料理屋でアルス主人の馳走になり、鈴木三重吉の快気焔を聞かされる。 『白秋全集』年譜、「日光」
8月22日 斎藤茂吉(43)、箱根に子の茂太を連れて行き、強羅の別荘に滞在する。25日に帰京する。ついで9月1日から5日まで滞在する。 『斎藤茂吉全集』日記
8月30日 室生犀星(36)、鎌倉に行く。久米正雄を見かける。田中純と立話をする。帰りの汽車で吉井勇に会う。 『室生犀星全集』日記、書簡
8月 与謝野晶子(46)、葉山の松田宅に海水浴のため子供を預けたので、その送り迎えに葉山に行く。 「明星」第二次
8月 松本たかし(19)、父の門下生の出資で建てられた鎌倉浄明寺四番地の小屋に一カ月ほど滞在する。10月、帰京する。 「現代俳句の世界」3年譜、解説
8月 吉野秀雄(23)、鎌倉の七里ガ浜の鈴木療養所に入院する。短歌「七里ガ浜療養詠」二十八首。 『吉野秀雄全集』年譜
逸見猶吉(17)、同人誌「SCALA VELDA」(緑色の階段)創刊ののち、鎌倉に弟妹と行き、北鎌倉の明月谷の「仁兵衛」の別荘番をしている友人のもとですごす。  菊地康雄『逸見猶吉ノオト』
堀木克三(33)、大磯に移り住む。一年余をすごす。 「正宗白鳥氏の印象」
松宮寒骨(42)、鎌倉でひと夏をすごす。「鎌倉雑詠」。 「鎌倉雑詠」詞書き
9月10日 斎藤茂吉(43)、岩波茂雄、島木赤彦、土屋文明らと打ちつれて、湯河原伊藤屋旅館に滞在中の平福百穂を訪ね一泊する。『南蛮広記』が出来た祝いをする。 『斎藤茂吉全集』日記
9月26日 山口茂吉(23)、藤沢の鵠沼に各務別荘に行き、滞在する。短歌「鵠沼海岸」四首。 加藤淑子『山口茂吉』
9月27日 佐藤惣之助(34)、「詩之家」の主催で、横浜鶴見の三笠園で野外詩会を開催する。三十六名の参集があり、互選採点の結果は十三票田辺憲次郎、十票八木重吉、七票佐藤惣之助、六票大鹿卓などであった。 「詩之家」
9月 小牧近江(31)、鎌倉の稲村ガ崎に移る。 『ある現代史』
10月21日 横光利一(27)、妻キミの療養のため、葉山町森戸一〇三〇の鈴木三蔵方に転居する。 『横光利一全集』書簡
10月26日 志賀重昂(61)、横浜に行き、県立高等女学校で、「日本に知られざる方面」を講演する。
10月28日 左右田喜一郎(44)、横浜の職業紹介所で開かれた、横浜社会問題研究所主催の労働組合法案講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
10月下旬 生田春月(33)、平塚に住む河井酔茗を訪ねる。「老詩人の家」。 「老詩人の家」
10月 生田長江(43)、鎌倉の稲瀬川一六七に転居する。昭和5年5月東京渋谷に移る。 『日本近代文学大事典』
半田良平(38)、箱根に遊び、旧街道を歩く。短歌「箱根」四首。 「箱根」
11月下旬 萩原朔太郎(39)、鎌倉の材木座芝原四八一番地に、妻の保養のため移り住む。翌年11月下旬か12月初旬に東京に移り住む。 『萩原朔太郎全集』書簡
11月 相馬泰三(39)、大磯町神明町の桂木方に転居する。ある金持の華族とかがひどく同情し、後援し激励につとめている、と言う。翌年6月、化粧坂の今泉別荘に移る。 「文芸時報」
12月31日 与謝野晶子(47)、与謝野寛(52)、平野万里と箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在、越年する。短歌「箱根の冬」九首。 「明星」第二次
12月 吉野秀雄(23)、鎌倉七里ガ浜の鈴木療養所を退院して、長谷の光則寺門前の借家住いをする。短歌「長谷寓居雑詠一、二」三十八首。 『吉野秀雄全集』年譜
12月 賀川豊彦(37)、鎌倉の協議会にジョン・R・モット博士を迎え、「百万人(救霊)運動案」を発表する。 『人物書誌大系』25年譜
12月 堀木克三(33)、大磯の郵便局前の寺田方に転居する。 「文芸時報」
大正15年/昭和01年(1926年)
1月3日 坪内逍遙(66)、国府津の高田半峰の別邸香実荘に招かれて、妻と行く。 『坪内逍遙事典』年譜
1月3日 石井柏亭(43)、箱根の仙石原に行き、俵石閣に滞在中の与謝野晶子、与謝野寛と合流する。 「明星」第二次
1月10日 若山牧水(40)、沼津在住中、小田原に北原白秋を訪ね、詩歌総合雑誌の創刊準備のことを話し、上京する。 『若山牧水全集』書簡
1月11日 藤田湘子、小田原に生まれる。 『日本近代文学大事典』
1月上旬 長田幹彦(38)、湯河原に滞在する。 「よみうり抄」
1月15日 芥川龍之介(33)、湯河原に静養に行き、中西屋に滞在する。31日に鎌倉に菅虎雄を訪ねる。叔父の急病により、2月19日に帰京する。 『芥川龍之介全集』書簡
1月23日 妹尾義郎(36)、横浜に行き、県立高等女学校、女子師範学校で講演する。午後は県立横浜第二中学校で講演する。「滝沢(又一)校長がたいへんよろこんでくれた。どうぞ教育の根本に、宗教の―真に正しき宗教の考入されんことを望む切」。 『妹尾義郎日記』
1月26日 大槻文彦(78)、鎌倉に行き、「長谷大仏谷坂本氏邸」に避寒、滞在する。3月30日に帰京する。 『復軒旅日記』年譜
1月下旬 梶井基次郎(24)、中谷孝雄と箱根に遊ぶ。 『梶井基次郎全集』年譜、書簡
1月 前田夕暮(42)、伊東温泉からの帰途、家族と小田原の北原白秋を訪ねる。 前田透『評伝前田夕暮』年譜
1月 山川均(45)、山川菊栄(35)、鎌倉乱橋材木座二五七番地に転居する。 『山川菊栄全集』年譜
1月 倉田百三(34)、藤沢の元町五五六番地(「生活者」奥付による)に転居する。5月から雑誌「生活者」を発刊する。昭和4年春に東京に移る。 『倉田百三選集』別巻年譜
1月 林不忘(26)、鎌倉の材木座の向福寺の一室を借りて、新婚生活を送る。 『大衆文学大系』18年譜
1月 椿貞雄(29)、鎌倉の扇ケ谷一九二番地に転居する。 「よみうり抄」
1月 松本たかし(20)、鎌倉の浄明寺四番地の小屋に住みつく。昭和20年3月岩手に疎開する。 『現代俳句の世界』3年譜
2月4日 古泉千樫(39)、横浜の鶴見に行く。短歌一首。
2月6日 鶯亭金升(57)、湯河原に行き、上野屋に滞在中の岡部留吉を訪ね一泊する。 『鶯亭金升日記』
2月8日 福田正夫(32)、次女が急死し、生家の菩提寺である小田原早川の久翁寺に葬る。 『追想福田正夫』年譜
2月15日 木下利玄(40)、鎌倉の名越の自宅で死去する。17日、名越火葬場で荼毘に付される。 『木下利玄全集』年譜
2月18日 長田幹彦(38)、横浜の羽衣町の弁天倶楽部で開催された第四十二回劇友会で、山崎紫紅と共に講演をする。3月13日、横浜富士見町の富士見館で開かれた第四十三回劇友会で講演をする。 『横浜近代史総合年表』
2月末 岸田劉生(34)、京都から鎌倉の長谷一四二二番地に転居する。 岸田麗子『父岸田劉生』
2月 荻原井泉水(41)、湯河原に遊ぶ。俳句「湯河原の宿」。 「湯河原の宿」
2月 堀口大學(34)、与謝野寛、与謝野晶子夫妻に従い、新居格、高木藤太郎、吉田精一らと、横浜の金沢八景に吟行する。 『堀口大學全集』年譜
2月 佐佐木茂索(31)、湯河原に行き、中西屋に滞在中の芥川龍之介を訪ね、一緒に湯につかりヘソの見くらべなどをする。 「心覚えなど」
2月 藤森淳三(29)、湯河原ホテルに滞在する。 「文芸消息」(時事新報)
3月4日 河合栄治郎(35)、熱海へ行くつもりが、急に気が変って小田原で下車して箱根に行き、小湧谷に泊まる。「勝部氏の『新カント派の教育説』」を読む。7日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
3月7日 与謝野晶子(47)、与謝野寛(53)、堀口大學、新居格、吉田精一らと横浜の金沢八景と金沢文庫に行き、吾妻屋に一泊する。短歌「早春行」。 「明星」第二次
3月上旬 堀口大學(34)、横浜の金沢に滞在する。 「よみうり抄」
3月15日 志賀直哉(43)、夜京都から箱根に向かう。16日着か。21日に東京に行く。 『志賀直哉全集』日記
3月15日 高橋誠一郎(41)、横浜に行き、横浜社会館で開かれた、県主催の労働講座で講演する。 『横浜近代史総合年表』
3月15日 河合栄治郎(35)、横浜に行き、神奈川県社会教育課の講演会で講演をする。「此の種の講演に一種の自信」ができる。 『河合栄治郎全集』日記
3月28日 片岡鉄兵(32)、藤沢に行き、池谷信三郎の家の別荘にひとり夜を明かす。翌日、佐佐木茂索、長田重男が訪ねてくる。「私の一日」。 「私の一日」
3月31日 諏訪三郎(29)、川崎の明治製菓の争議解決取材のため、川崎南河原の争議団本部を訪ね、「表面は兎に角、全然敗北したんですつてさ」、「休戦するしかありません。時期を誤つたのです」などの言葉を聞く。 「私の一日」
3月 長田幹彦(39)、湯河原に滞在する。 「よみうり抄」
石川淳(27)、鎌倉の妙本寺前に家を借り、小牧近江が貸してくれたラミューズの著「悩めるジャン・リュック」を訳す。 「ジイドむかしばなし」
古木鉄太郎(26)、藤沢の鵠沼に行き、東屋に滞在中の芥川龍之介から原稿をもらう。 「芥川龍之介」
水原秋桜子(33)、相模の大垂水峠に遊んだ帰途、与瀬の町はずれから津久井の釣り橋を歩く。「谷深くうぐひす鳴けり夕霞」。夏に再び行く。「大垂水峠の夏」六句。 「自句自解」
4月1日 田中英光(13)、藤沢にある県立湘南中学校に入学し、毎日江の電で通学する。この年「赤い鳥」三月号に、詩「波」が掲載される。 『田中英光全集』年譜
4月3日 川端康成(26)、葉山の森戸海岸に住む横光利一を訪ね、そこで衣笠貞之助と会い、結成中の新感覚派映画連盟の件で片岡鉄兵に会うため、三人ですぐに東京に行く。 「独影自命」
4月5日 内村鑑三(65)、友人に招かれて湯河原に遊び、7日真鶴港にピクニックする。8日に帰京する。滞在中徳冨蘆花と語る。 『内村鑑三全集』日記
4月6日 徳冨蘆花(57)、湯河原に滞在中、内村鑑三の来遊を知り訪問する。翌日、内村鑑三が答礼訪問し、徳冨蘆花がトルストイを訪ねた際の話などをする。 『内村鑑三全集』日記
4月22日 芥川龍之介(34)、藤沢の鵠沼に静養に行き東屋に滞在する。以後翌年1月ごろまで鵠沼を生活の本拠とする。5月下旬に一時帰京する。 『芥川龍之介全集』書簡
4月 加藤一夫(39)、湯河原に行き、敷島館に泊まる。 「文芸時報」
5月2日 山口茂吉(24)、鎌倉に行き、師の斎藤茂吉の『金槐集私鈔』を鶴岡八幡宮に献本し、ついで藤沢の鵠沼に行く。短歌「鎌倉鵠沼」六首。 「鎌倉鵠沼」
5月10日 保田与重郎(16)、奈良県立畝傍中学四年生の修学旅行で、日光に行き、東京を経て、この日、江の島に泊まり、翌日出立する。 「文武会誌」第二十五号
5月10日 菅忠雄(27)、逗子町新宿二一一七に転居する。 「文芸時報」
5月末 横光利一(28)、妻キミを逗子小坪の湘南サナトリウムに入院させて付きそう。「寝たらぬ日記―湘南サナトリウムの病院にて」。 『横光利一全集』書簡
5月 八木重吉(28)、結核第二期と診断され、茅ケ崎の南湖院に入院する。 『八木重吉全集』年譜
5月 中戸川吉二(30)、鎌倉の扇ケ谷二九八に転居する。11月まで滞在を予定する。 「文芸時報」
6月8日 芥川龍之介(34)、藤沢の鵠沼に静養に戻り東屋に滞在する。下旬に帰京する。 『芥川龍之介全集』書簡
6月初旬 芥川龍之介(34)、妻を連れて湯河原に遊び一泊する。 芥川文子『追想芥川龍之介』
6月15日 今和次郎(31)、箱根の民家の屋根を調査する。「箱根町民家の屋根」。 「箱根町民家の屋根」
6月24日 横光利一(28)、妻キミが逗子小坪の湘南サナトリウムで死去する。 『横光利一全集』年譜
6月28日 山室軍平(53)、横浜港に、P・タフト号で、欧米の社会事業視察から帰国する。7月7日、横浜の高島町会館で、帰国第一回講演会を開く。 『横浜近代史総合年表』
6月 佐藤惣之助(35)、茅ケ崎に行き、南湖院に入院中の八木重吉を見舞う。(藤田年譜は昭和2年としているが、南湖院入院は大正15年なので修正しておく。もし昭和2年ならば、茅ケ崎の借家となる)。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜、修正
7月上旬 芥川龍之介(34)、藤沢の鵠沼に静養に戻り、東屋前の鵠沼イの四号に滞在する。途中一時帰京する。昭和2年1月2日に帰京する。 芥川文子『追想芥川龍之介』
7月13日 小穴隆一(31)、前日芥川龍之介からの電報に接し、藤沢の鵠沼に初めて行く。やがて「イの二号」に移り、芥川龍之介と隣りに住む。翌年2月に帰京する。 『二つの絵』
7月中旬 佐佐木茂索(31)、鎌倉に行き、久米正雄宅の向かい、大町蔵屋敷七七九に避暑する。 「よみうり抄」
7月26日 川端康成(27)、逗子三二四番地の菊池精米所裏に家を借り、横光利一、池谷信三郎、石浜金作らと合宿する。 沖本常吉あて書簡
7月 八木重吉(28)、茅ケ崎の南湖院を退院して、近くの十間坂五二二四番地に家を借り、自宅療養に入る。 『八木重吉全集』年譜
7月 中島健蔵(23)、横須賀の久里浜に行き、ペルリ提督記念碑の隣りに母が建てた小別荘に滞在する。サント・ブーヴの「ヴオリスプテ(愛欲)」、モークレールのポー論を読む。 『回想の文学』
8月1日 依田秋圃(40)、鎌倉に妻子を連れて遊び、由比ガ浜で海水浴に興じ、海浜近くの天幕宿舎に一泊する。短歌「由比ヶ浜の幕舎」十四首。 「由比ヶ浜の幕舎」
8月3日 古泉千樫(39)、箱根に行き、芦ノ湖畔本還寺で行われた増上寺主催の「山の上のつどひ」に参加する。8日に帰京する。 書簡
8月5日 辻本浩太郎(26)、一昨年にも訪れた三浦三崎に滞在し、この日、「読売新聞」に寄稿のため「三崎より」を書く。「表現は一つの暗示に過ぎない」と思い、また「海はすべての苦悶を忘れさせてくれる」と海を讃美する。
8月10日 佐佐木茂索(31)、久米正雄(34)、田中純(36)、松山省三(41)らが、鎌倉からモーターボートで逗子に菅忠雄を訪ね、菅忠雄も同乗する。夜、菅忠雄のもとに池谷信三郎が来る。 菅忠雄「八月十日の記」
8月 白井喬二(36)、鎌倉長谷の光則寺前の坂を上りきったところの家に滞在する。家の前が、中村是公の別荘であった。「朝日ヶ丘より―その二―」。 「朝日ヶ丘より―その二―」
8月 並木秋人(33)、茅ケ崎に行き、小出で講演する。 中畑信雄『歌人並木秋人』
8月 葉山嘉樹(32)、横浜に行き、サラリーマンユニオンの講演会に出る。かつての船の同僚たちを偲び、横浜港の岸壁を歩く。 『葉山嘉樹全集』書簡
8月 稲森宗太郎(25)、葉山に行き、避暑中の師窪田空穂を訪ね滞在する。ある日、二人で競泳するが少し負ける。 都筑省吾「稲森宗太郎伝」(歌集『水枕』所収)
8月 岡田三郎(36)、堀木克三(33)、大磯に滞在中、平塚に戸川貞雄を訪ね、街を歩く。 「文芸時報」
8月 霜田史光(30)、三崎町上橋の荒井邸内に転居する。 「文芸時報」
窪田空穂(49)、葉山で窪田章一郎ら家族と共にすごす。「葉山の夏」、短歌四首。 「葉山の夏」
池谷信三郎(25)、片岡鉄兵、石浜金作、川端康成、横光利一と、逗子の浜で合宿する。そのまま逗子に家を借りて住む。翌年東京に移る。 『池谷信三郎全集(一巻本)』年譜
九条武子(38)、逗子に静養する。佐佐木信綱から贈られた小金井素子(桑木厳翼の長女)の歌集『窓』を読む。「湘南逗子にて」。 「湘南逗子にて」
9月2日 徳富蘇峰(63)、横浜に行き、金沢の称名寺を訪ねる。翌年2月20日、杉田の梅を見て、再訪する。「称名寺二回の訪問」。 「称名寺二回の訪問」
9月19日 堀辰雄(21)、藤沢の鵠沼に滞在中の芥川龍之介を訪ね、一泊する。 芥川書簡
9月25日 斎藤茂吉(44)、土屋文明と藤沢の鵠沼に行き、芥川龍之介を見舞う。東屋で夕食を共にし、十一時頃芥川龍之介は帰る。翌日、朝食後に芥川龍之介が来て海岸を散歩する。午後帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
9月 小沢碧童(44)、藤沢の鵠沼に行き、小穴隆一と芥川龍之介を訪ねる。俳句二句。
9月 吉江喬松(46)、鎌倉五八八の和田邸内に転居する。翌年4月、坂ノ下原ノ台二三八に移る。 「文芸時報」
10月3日 徳富蘇峰(63)、妻と熱海への途中、湯河原に行き、天野屋に立ち寄る。新築改築で宿は面目一新であった。 「二日の小遊」
10月7日 前田河広一郎(38)、横浜に行き、桜木町の本願寺会館で開かれたプロレタリア文学講演会で講演する。新居格、江戸川乱歩、富士辰馬も講演する。 『横浜近代史総合年表』
10月12日 生田蝶介(37)、箱根に行き、堂ケ島で亡き妻をしのぶ。短歌「箱根堂ヶ島にて」。 「箱根堂ヶ島にて」
10月24日 妹尾義郎(36)、小田原に行き、新名女学校の同窓生で、「矢の走ることは、弓の力なり」を講演する。 『妹尾義郎日記』
10月31日 石川武美(39)、小田原の栢山に家族を連れて行き、二宮尊徳誕生の地を訪ねる。 「主婦之友」編輯日記
10月末 小沢碧童(44)、藤沢の鵠沼に数日間滞在し、芥川龍之介と会談する。 鷺只雄『芥川龍之介』
10月 室伏高信(34)、藤沢の鵠沼二二一七に転居する。 「文芸時報」
11月1日 中村星湖(42)、川崎の溝口に、早稲田の学生(上田久七)に連れられて行き、小学校で上演された溝口青年分団演劇部による演劇を見る。 「多摩川べりの一夜―溝ノ口の農民劇を見て―」
11月中旬 山口茂吉(24)、郷里で妹の葬儀を済ませて上京の途次、国府津に下車して、箱根を回り、夕方帰京する。 加藤淑子『山口茂吉』
11月27日 近衛秀麿(28)、横浜に行き、尾上町の指路協会で開かれた交響楽団演奏会で指揮をする。 『横浜近代史総合年表』
11月28日 宇野浩二(35)、藤沢の鵠沼に行き、滞在中の芥川龍之介を訪ね、夕食を共にし、ついで横須賀に行く。 鷺只雄『芥川龍之介』
11月 山川均(45)、山川菊栄(36)、鎌倉の内で稲村ガ崎海岸に転居する。 『山川菊栄集』年譜
11月 北大路魯山人(43)、鎌倉の深沢村山崎に窯を築く。翌年10月、魯山人窯研究所星岡窯が発足する。 「魯山人」展図録年譜
12月中旬 葉山嘉樹(32)、伊豆から三浦半島に新婚旅行をする。 『葉山嘉樹全集』年譜
12月30日 中村雨紅(29)、県立厚木実科高等女学校(現厚木東高校)教諭の辞令をうけ、翌年早々、赴任する。 厚木市立図書館編『夕焼け小焼け』
12月末 与謝野晶子(48)、与謝野寛(53)、箱根の小涌谷に行き、三河屋に滞在、越年する。5日まで滞在する。短歌「函山冬景」。 「明星」第二次
12月 宇野浩二(35)、湯河原に村上八重と行き、天野屋に滞在する。大正天皇崩御(25日)を伝えるラジオ放送を二人で聞く。 『宇野浩二全集』年譜
12月 羽仁説子(23)、藤沢の鵠沼に行き、東屋で転地療養をし、越年する。 「半生を語る」
12月 ささきふさ(29)、健康を害して鎌倉長谷坂ノ下二一番地に佐佐木茂索と共に転居する。 『佐佐木茂索随筆集』年譜
12月 里見弴(38)、鎌倉の内で西御門に転居する。 『里見弴全集』年譜
12月 吉野秀雄(24)、鎌倉で婚約者のはつと結婚する。 『吉野秀雄全集』年譜
小穴隆一(32)、藤沢の鵠沼に滞在中隣りに住む芥川龍之介夫妻と横浜に行き、オデヲン座でヴァレンチノの「熱砂の舞」を観る。 「影照」
吉野秀雄(24)、三浦三崎に遊ぶ。短歌「三浦三崎」三首、「相州三崎」一首。 「三浦三崎」、「相州三崎」
月日未詳 大佛次郎(29)、鎌倉の材木座一一六番地に移り、両親を迎える。 『大佛次郎全集』年譜
月日未詳 小林秀雄(24)、鎌倉の長谷大仏前鉄谷氏方に住む。逗子新宿二一一一番地池谷信三郎方にも滞在する。翌年にいたる。 武者小路実篤書簡
月日未詳 三宅克己(52)、真鶴町四八五番地に、ヨーロッパから帰国後の居を定める。昭和29年6月30日の死去まで同地に住む。 『神奈川県史』年表
月日未詳 吉江喬松(46)、鎌倉の長谷二三八番地に移り住む。翌年、東京に転居する。 『吉江喬松全集』年譜、書簡
月日未詳 中野秀人(28)、横浜港から出航、ヨーロッパ留学に向かう。昭和6年に帰国する。 『中野秀人全詩集』年譜