神奈川文学年表 昭和11年~20年8月

昭和11年(1936年)
1月5日 徳富蘇峰(72)、熱海よりの帰途、藤沢で内山英保に迎えられて鎌倉に行き、扇ケ谷の内山邸冬柏山房を訪ねる。昼食を要山の香風園で馳走になる。 内山英保「山房消息」
1月5日 太田水穂(59)、鎌倉の円覚寺で翌日にかけて潮音社第四回大会を開く。太田青丘も出席する。短歌「円覚寺大会」五首。四賀光子「円覚寺」八首。 『太田水穂全歌集』年譜
1月11日 生田長江(53)、東京で没する。遺骨は鎌倉の長谷観音の裏山に葬られる。 『近代文学研究叢書』40
1月22日 西田幾多郎(65)、鎌倉に行き、姥ケ谷の家に滞在する。二・二六事件の報をそこで聞く。7月26日から10月6日の間も滞在する。 『西田幾多郎全集』日記
1月23日 荒畑寒村(48)、横浜に行き、鶴見総持寺の堺利彦の墓参をする。 『荒畑寒村著作集』書簡
1月24日 高浜虚子(61)、藤沢の片瀬に行き、片瀬海岸の岩本楼別館で鎌倉俳句会を催す。「寒肥の穴掘りすゝむ芝の松」。俳句一句。 『句日記』
1月25日 岩波茂雄(54)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ね、セザンヌの絵を贈る。 『西田幾多郎全集』日記
1月31日 三木清(39)、鎌倉に行き、西田幾多郎を訪ね、哲学の話、時局の話などを聞く。往復の車中で、ジイドの「日記抄」を読んで感激、共産主義と個人主義について考える。 『三木清全集』日記
1月 吉川英治(43)、湯河原に行き、静養する。 『吉川英治文庫 書簡集』
2月1日 河合栄治郎(44)、箱根に行き、ラサールの「レッシング」、「フィヒテ」、菊池寛の「恋愛と結婚の書」を読む。 『河合栄治郎全集』日記
2月3日 与謝野晶子(57)、大磯、箱根から熱海に遊ぶ。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
2月9日 河合栄治郎(44)、国府津に行き、二泊する。ラサールの「フィヒテ」、「ヘーゲル」を読み非常に感激する。小泉信三のラサールやローザ・ルクセンブルクの評伝なども読む。 『河合栄治郎全集』日記
2月11日 南原繁(46)、横浜の鶴見に行き、総持寺で行われた師の法要に列する。短歌「総持寺二首」。 「総持寺二首」
2月16日 矢内原忠雄(43)、鎌倉聖書講演会で講演をする。3月15日「イエスの性格」、4月19日「イエスの無抵抗主義」、5月17日「イエスの私生活」、6月21日「イエスの死」を連続して講演する。 『矢内原忠雄全集』年譜
2月16日 高浜虚子(61)、横浜港から箱根丸で出航、フランスに向かう。6月15日、横浜港に帰着する。 『高浜虚子全集』研究年表
2月16日 中村草田男(34)、横浜港に行き、外遊に出発する高浜虚子を見送る。「横浜解纜」。 「横浜解纜」
2月22日 三木清(39)、鎌倉に行き、西田幾多郎を訪ね、「身体」の問題などについて話を聞く。 『三木清全集』日記
2月22日 秋田雨雀(53)、藤沢の鵠沼で療養中の娘千代子の容態が思わしくないので、孫を引き取りに行く。 『秋田雨雀日記』
2月26日 河合栄治郎(45)、二・二六事件の報を聞き、万一の危害を避けるために国府津に行く。「自分は原理として構わずに自分を貫こうかと思う。あとは運命だ」と思う。27日、横光利一の「家族会議」を読みふける。28日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
2月か 大橋松平(42)、小田急で藤沢の江の島に至り、ついで鎌倉に遊ぶ。短歌十一首。  
2月 山口茂吉(33)、鎌倉から藤沢の鵠沼の各務別荘に社用で訪れる。短歌「鵠沼」八首。 加藤淑子『山口茂吉』
3月9日 河合栄治郎(45)、国府津に行き、ラサールの「ヘラクライトスと既得権と」の序文および序説を読了する。 『河合栄治郎全集』日記
3月初旬 中島敦(26)、横浜の内で中区本郷町三の二四七番地に転居する。 『中島敦全集』年譜
3月21日 五百木飄亭(65)、平塚に行き、小川射山の別荘で開かれた日本新聞社同人観梅会に参加する。「深くとざす遺賢野に在り梅の門」。 『飄亭句日記』
3月21日 古川緑波(32)、箱根に行き、小湧谷の三河屋に泊まる。「実にブルジョアブルジョアしてゐる」。翌日、伊豆修善寺に行く。24日、修善寺からの帰途、横浜で下車、中華街の聘珍楼で御馳走を食べ、円タクを拾って帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
3月22日 与謝野晶子(57)、鎌倉の円覚寺で故与謝野寛の一周忌法要を営む。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
3月23日 山田智彦、横浜に生まれる。 『日本近代文学大事典』
3月24日 牧野信一(39)、2月から単身で小田原の実弟英二方に起居していたが、この日、黄昏時に納戸で縊死自殺する。26日、葬儀が寺町の清光寺で営まれる。 『牧野信一全集』年譜
3月25日 坂口安吾(29)、牧野信一が前日自殺したという報を聞き小田原に行き、翌26日の葬儀に列する。 『坂口安吾全集』年譜
3月26日 中島健蔵(33)、小田原に行き、自殺した牧野信一の葬儀に列する。会葬者に、菅忠雄、坂口安吾、佐佐木茂索、川崎長太郎、河上徹太郎、深田久弥、川端康成、小林秀雄、岡田三郎、中村武羅夫、嶋中雄作などが居た。 『回想の文学』
3月27日 北原白秋(51)、川崎柿生の王禅寺に妻と宮柊二らと探梅する。短歌「王禅寺梅林」。 『白秋全集』年譜
3月31日 長谷川時雨(59)、横浜に湯浅芳子らと行き、十八年ぶりに帰朝の田村俊子を出迎える。杉田の梅林に案内して甘酒を飲んだ後、上京する。 尾形明子『長谷川時雨とその周辺』
3月下旬 三好達治(35)、鎌倉に行き、扇ケ谷の米新亭に滞在、「暮春記」(「改造」五月号に発表)を書く。 『大岡昇平全集』年譜
3月下旬 大岡昇平(27)、鎌倉に行き、扇ケ谷の小林秀雄の家の近くの鉱泉宿・米新亭に下宿する。鎌倉在住の先輩友人たちを連日訪問し、「大岡アイドル氏」の異名をつけられる。翌年8月、父の死で東京に戻る。「鎌倉通信」。 『大岡昇平全集』年譜
3月 岩上順一(29)、植松淑子と結婚、鎌倉扇ケ谷の重松方に住む。14年6月ごろ東京に移る。 『変革期の文学』年譜
3月 久保田万太郎(46)、鎌倉の海浜ホテルに行く。 句詞書き
3月 川端康成(36)、藤沢の鵠沼の東屋に滞在して「改造」に「花のワルツ」を書きつぐ。 『川端康成全集』書簡
3月 斎藤空華(17)、横浜商業学校を卒業し翌月日本勧業銀行に入社する。 『空華句集』略歴
臼田亜浪(57)、横須賀に行く。俳句三句。  
4月2日 秋田雨雀(53)、鎌倉、藤沢の江の島への新協劇団のピクニックに参加する。前日大盛況のうちに「夜明け前」の公演が終わったので、その慰安旅行であった。 『秋田雨雀日記』
4月2日 西条八十(44)、湯河原に吉江喬松、小杉放庵と共に行き、権現山に国木田独歩碑を建てるための実地踏査をする。碑は6月23日の国木田独歩の命日に除幕式が行われる。 『西条八十著作目録・年譜』
4月3日 種田山頭火(53)、上京の途次、鎌倉に行き、巣山鳴雨宅に泊まる。鎌倉の同人たちが集まる。翌日、鎌倉を散歩し、夜は南浦園で中華料理を食べる。5日、上京する。 『山頭火全集』日記
4月5日 北大路魯山人(53)、鎌倉の窯場に自動車で行き、ついで箱根に行き、名家の別荘建築拝見に回る。宮ノ下の郷邸、木賀の同氏別邸と塩原邸、仙石原の団邸をまわり宮ノ下にもどる。「諸名士の箱根別荘拝見記」。 「諸名士の箱根別荘拝見記」
4月15日 秋田雨雀(53)、藤沢の鵠沼に娘千代子を見舞う。松岡家で馳走になり夜帰京する。5月6日にも見舞う。 『秋田雨雀日記』
4月16日 種田山頭火(53)、東京から西下の途中、藤沢まで歩き一泊する。翌日、茅ケ崎まで歩き、汽車で熱海に行く。 『山頭火全集』日記
4月26日 半田良平(48)、津久井渓谷に春季散策会で行く。短歌「桂川津久井渓谷」八首。 「桂川津久井渓谷」
4月27日 山川均(55)、山川菊栄(45)、藤沢の村岡村小塚飛地六〇四番地に転居する。「湘南うづら園」を開く。 『山川菊栄集』年譜
4月27日 武者小路実篤(50)、横浜港から白山丸で出航、欧米へ美術の旅に向かう。12月2日、横浜に帰着する。 「湖畔の画商」
4月 長崎源之助(12)、横浜の市立浅野綜合中学校(現浅野高校)に入学する。16年7月、病気のため退学する。 『長崎源之助全集』年譜
5月1日 徳川夢声(42)、横浜に行き、花月劇場に「マン譚」で出演する。十日間つづく。俳句一句。 『雑記・雑俳二十五年』
5月10日 五百木飄亭(65)、鎌倉に行き、山ノ内の中嶋真雄の香徳堂で催された「春季法要」に参列する。 『飄亭句日記』
5月18日 春山行夫(33)、藤沢の鵠沼に行き、長谷川巳之吉を見舞う。ついで伊藤整とおちあい、鎌倉に行き、小林秀雄、神西清を訪ねる。 『人物書誌大系』24年譜
5月22日 福田清人(31)、横浜港の埠頭に春山行夫と行き、クーリッジ号で帰国するジャン・コクトーを見送る。コクトーは堀口大學を同行して船に乗りこむ。 「横浜埠頭のジヤン・コクトオ」
5月30日 斎藤茂吉(54)、箱根に行き、強羅の一福旅館に滞在し、「アララギ」の選歌をする。6月1日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
5月か 草野心平(33)、鎌倉に劉燧元と行き、劉がかくれるためのアパートを探す。 『私の青春』
初夏 柳瀬留治(44)、横浜に行き、本牧の三渓園に遊ぶ。短歌一首。  
6月11日 西条八十(44)、横浜港から秩父丸で出航、民謡世界行脚に向かう。 『横浜近代史総合年表』
6月15日 川端茅舎(38)、横浜に行き、高浜虚子の帰朝を港に出迎える。 『現代俳句文学全集 川端茅舎集』年譜
6月27日 五百木飄亭(65)、横浜に行き、横浜記念会館で行われた知人の結婚式に出席する。 『飄亭句日記』
6月 鈴木大拙(65)、横浜港から日枝丸で出航、アメリカに向かう。世界信仰大会に出席する。姉崎嘲風、賀川豊彦も同行する。12年1月に帰国する。 『鈴木大拙全集』年譜
7月15日 川端康成(37)、逗子に行き、療養中の十一谷義三郎を見舞う。衰弱の甚だしいのに驚く。ついで中里恒子を訪ねる。 「日記」
7月16日 秋田雨雀(53)、前日に娘千代子が藤沢の鵠沼から横浜久保山の療養院に移ったので、鵠沼に行きついで横浜に千代子を見舞う。11月18日にも見舞う。 『秋田雨雀日記』
7月22日 斎藤茂吉(54)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在し、「柿本人麿」の評釈を終了する。8月2日、和辻哲郎、岩波茂雄が訪ねてくる。和辻哲郎は箱根に滞在する。8月8日、山口茂吉が訪ねてきて一泊する。9月2日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月25日 荻原井泉水(52)、鎌倉に行き、扇ケ谷の冬柏山房を訪ねる。「露けさや石に朝の日がほこほこ」。 内山英保「山房消息」
7月26日 荻原井泉水(52)、横浜の伊勢佐木町の野沢屋で31日まで俳画展覧会を開く。 『横浜近代史総合年表』
7月下旬 荒畑寒村(48)、藤沢に行き、村岡村に住む山川均・山川菊栄を訪ねる。数日後横浜に行き、野庭の里親の家を訪ねる。 『荒畑寒村著作集』書簡
7月 新居格(48)、鎌倉に行き、扇ケ谷の冬柏山房を訪ね、一泊する。翌日の昼に由比ガ浜の海浜ホテルに行く。 内山英保「山房消息」
7月 窪田空穂(59)、二宮海岸に行き、8月まで窪田章一郎ら家族と共に滞在する。「源氏物語」現代語訳にうちこむ。短歌「相模二の宮海岸」。「二の宮町の海岸―通信として」。 「二の宮町の海岸―通信として」
7月 久保田万太郎(46)、箱根に遊ぶ。仙石原温泉荘クラブハウスに一泊する。 句詞書き
7月 染谷進(33)、大磯に行き、9月まで滞在し、結核の予後を養う。 『染谷進歌集』年譜
8月7日 五百木飄亭(65)、横浜に行き、ハワイ行きの「嶋本先生」を埠頭に見送る。 『飄亭句日記』
8月7日 佐藤惣之助(45)、箱根に行き、姥子温泉に二泊する。9月には芦ノ湖で五日間ブラックバス釣りに興じる。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜
8月8日 山口茂吉(34)、箱根に行き、強羅の別荘に斎藤茂吉を訪ねる。 『斎藤茂吉全集』日記
8月10日 谷鼎(39)、秦野に帰省し、12日、帰京する。短歌「帰省」四首。 「帰省」
8月15日 高浜虚子(62)、箱根に行き、元箱根の松阪屋に一泊、句会を開く。俳句十四句。 『句日記』
8月中旬 角田喜久雄(30)、三浦三崎に滞在する。 中島河太郎ほか編『華甲記念文集』年譜
8月29日 佐藤佐太郎(26)、箱根に、山口茂吉と行き、強羅の別荘に滞在中の斎藤茂吉を訪ねる。山口茂吉は翌日帰京、31日、二人で湖尻から元箱根、箱根町を歩き、小湧谷で別れ帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
大岡昇平(27)、鎌倉に行き、北鎌倉に住む佐藤正彰らと共にヨットに興じる。 『大岡昇平全集』年譜
松根東洋城(58)、箱根に行き、駒ケ岳に上る。俳句「箱根駒ヶ岳」三十四句。「景の大や箱根神社の茂りどこ」。 『東洋城全句集』
広野三郎(39)、妻子を連れて藤沢の江の島から鎌倉に日帰りで遊ぶ。短歌「江の島・鎌倉」十三首。 「江の島・鎌倉」
長谷川銀作(42)、大磯に遊ぶ。短歌「大磯」八首。 「大磯」
9月3日 三木清(39)、鎌倉に行き、西田幾多郎邸で「ヒューマニズムの現代的意義」について対談する。 『西田幾多郎全集』日記
9月6日 古川緑波(33)、鎌倉に母と行き、伯父を訪ねる。 『古川ロッパ昭和日記』
9月初旬 田村俊子(52)、鎌倉の改造社社長山本実彦の別荘にこもって原稿を執筆する。 瀬戸内晴美『田村俊子』年表
10月4日 高浜虚子(62)、武蔵野探勝会で、神奈川県の海外婦人協会農園に行く。11月1日、戸塚の貞昌院に吟行する。 『高浜虚子全集』研究年表
10月11日 柳田国男(61)、横浜に行き、県立横浜第二中学校で開かれた横浜民間伝承の会で「神奈川県と民間伝承」を講演する。 『定本柳田国男集』年譜
10月17日 山口茂吉(34)、藤沢の鵠沼に遊ぶ。短歌「冬の海」十一首。 加藤淑子『山口茂吉』
伊藤葦天(52)、川崎神職会の湘南地方神社視察に同行し、寒川神社、茅ケ崎の鶴嶺神社、藤沢の江の島神社、鎌倉の権五郎神社、鎌倉宮などを回る。 句集『穂』
安藤鶴夫(27)、春に結婚した妻愛子が結核となり、平塚に転地療養する。妻は翌年11月4日に、平塚の貸別荘で死去する。 『安藤鶴夫作品集』年譜
飯田蛇笏(51)、箱根に遊ぶ。俳句「箱根賽の河原にて」一句。 「箱根賽の河原にて」
11月4日 与謝野晶子(57)、箱根に行き強羅に泊まり、ついで熱海に向かう。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
三好達治(36)、鎌倉に行き、山ノ内に住む佐藤正彰宅に滞在、「片影」、「鷲と樫鳥」などを書く。 『三好達治全集』9の解題
12月2日 中河与一(39)、横浜港に行き、外遊から帰国の武者小路実篤を出迎える。武者小路実篤は桟橋から降りるなり、ピカソから贈られたゲルニカのリトグラフを見せた。 「誰も書かないから僕が書く」
12月5日 宮柊二(24)、子供の時から好きな海を見たくて、藤沢の江の島に行き、鎌倉の七里ガ浜を歩く。恐ろしい風の日だった。帰途、横浜の鶴見の叔父の家に寄る。 宮英子編『宮柊二青春日記』
12月初旬 市島春城(76)、尾崎行雄(78)、招かれて国府津に行き、前川の高田半峰の別荘香実荘で雅会を開く。 「高田半峰片影」
十一谷義三郎(39)、逗子から三浦郡大楠町秋谷字後四六二番地に転居する。 豊島与志雄「十一谷義三郎を語る」
豊島与志雄(46)、三浦の秋谷に引越した十一谷義三郎を訪ね、共に夕日を拝む。 「十一谷義三郎を語る」
月日未詳 里見弴(48)、鎌倉のうちで小町に転居する。 『里見弴全集』年譜
月日未詳 吉野秀雄(34)、鎌倉短歌会を米川稔と協力して始める。「万葉集」、「金槐集」、「梁塵秘抄」などを輪講する。37年4月まで継続する。 『吉野秀雄全集』年譜
月日未詳 金達寿(17)、横須賀に住む母のもとに行き、土方、トロッコ押しなどの仕事をする。 『金達寿小説全集』うしろ書、年譜
昭和12年(1937年)
1月2日 河合栄治郎(45)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に一週間ほど滞在する。ラスキ「自由主義の勃興」、ラッセル「自由と組織」、「国民主義」などを拾い読みする。 『河合栄治郎全集』日記
1月2日 矢内原忠雄(43)、横浜の綱島温泉に初めて行き試浴する。 『矢内原忠雄全集』日記
1月7日 太田水穂(60)、妻・四賀光子と大船映画都市計画地に遊ぶ。太田水穂「松竹撮影所」七首、四賀光子四首ほか。 「松竹撮影所」
1月8日 五百木飄亭(66)、鎌倉に行き、鎌倉山の山荘に近衛文麿を訪ねる。 『飄亭句日記』
1月18日 秋田雨雀(53)、横浜に行き、久保山の療養院に娘千代子を見舞う。横浜駅で山崎紫紅に出会う。伊勢佐木町を散歩して夜帰京する。3月19日にも見舞う。 『秋田雨雀日記』
1月18日 高嶋米峰(62)、横浜に行き、横浜高等女学校などで開かれた、県中等学校教護連盟主催の日本精神鼓吹講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
1月20日 西田幾多郎(66)、鎌倉に行き、姥ケ谷の家に滞在する。3月29日に京都に帰る。7月26日から9月27日、10月3日から30日の間も滞在する。 『西田幾多郎全集』日記
1月 今井邦子(46)、逗子の養神亭で新春をすごす。短歌六首。  
1月 臼田亜浪(57)、厚木に遊ぶ。俳句三句。  
2月7日 高浜虚子(62)、武蔵野探勝会で、小田原下曽我梅林に吟行する。8月1日、真鶴に、11月7日、横浜の小机に、12月5日、横浜の子安に吟行する。 『高浜虚子全集』研究年表
2月7日 富安風生(51)、「ホトトギス」の吟行で小田原下曽我の梅林に行く。「曽我の梅」。 「曽我の梅」
2月7日 佐藤惣之助(46)、川崎砂子の伊賀屋で砂子吟社句会を開く。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜
2月27日 中原中也(29)、鎌倉扇ケ谷一八一番地に移り住む。寿福寺の裏である。 『中原中也全集』日記
2月28日 田中冬二(39)、鎌倉に俳友たちと行き、二階堂に住む久米正雄を訪問する。近くに住む永井龍男も加わり、瑞泉寺や理智光寺を訪ねたあと、久米正雄邸で披講する。 和田利夫『郷愁の詩人田中冬二』
2月 島木健作(33)、鎌倉雪ノ下六九〇番地に移り住む。 『島木健作全集』年譜
3月7日 徳川夢声(42)、鎌倉に行き、香風園で催された「いとう句会」に出席する。秦豊吉、久米正雄、久保田万太郎、鴨下晁湖、渋沢栄一、内田誠らも参加する。夕方披講をまたずに帰京する。俳句十六句。 『雑記・雑俳二十五年』
3月7日 吉井勇(50)、鎌倉に行き、扇ケ谷の冬柏山房を訪ね、一泊する。 内山英保「山房消息」
3月21日 小金井喜美子(66)、鎌倉の円覚寺で行われた故与謝野寛の三回忌法要に列する。なお、妻与謝野晶子は病気のため不参であった。短歌四首。 内山英保「山房消息」
3月22日 西田幾多郎(66)、鎌倉に滞在中、金沢文庫を訪ね、横浜を回って帰る。 『西田幾多郎全集』日記
3月28日 水原秋桜子(44)、箱根に行き、馬酔木の花を見る会に参加する。「姥子温泉」七句、「芦の湖風景」六句。 『水原秋桜子全集』年譜、「姥子温泉」、「芦の湖風景」
3月下旬 田村俊子(52)、湯河原ホテルに滞在する。 瀬戸内晴美『田村俊子』年表
3月 永井龍男(32)、鎌倉の内で雪ノ下大倉五番地に転居する。通称東御門が俳号東門居の由来となる。 『永井龍男全集』年譜
3月 尾崎士郎(39)、湯河原に滞在し執筆する。 書簡
3月 松永延造(41)、横浜の内で金沢州崎一二七番地に移転する。 『松永延造全集』年譜
3月 泉鏡花(63)、葉山長者園に遊ぶ。 『鏡花全集』年譜
臼田亜浪(58)、湯河原に遊ぶ。 『臼田亜浪全句集』年譜
岡麓(60)、鎌倉に遊び、海岸から長谷観音を経て大仏に行く。「大観音見て大仏の方へ行く鎌倉のみちわれはさびしき」。短歌「鎌倉の春」八首。 「鎌倉の春」、『岡麓全歌集』
飯塚友一郎(43)、片瀬青年団大西全道副団長に依頼されて、片瀬青年団の団歌を作る。 「青年団の歌」
松根東洋城(59)、津久井に行き、津久井渓谷に俳諧草庵を開く。俳句「俳諧草庵句録」。「俳諧草庵」。 『東洋城全句集』、『薪水帖』
4月1日 高野辰之(60)、幸田延らと鎌倉扇ケ谷の冬柏山房で開かれた「老人会」に出席する。 内山英保「山房消息」
4月1日 中原中也(29)、弟の呉郎を連れて、鎌倉から藤沢の江の島を見物する。 『中原中也全集』日記
4月2日 十一谷義三郎(39)、三浦郡秋谷の自宅で死去する。 豊島与志雄「十一谷義三郎を語る」
4月2日 川端康成(37)、三浦郡秋谷の自宅で十一谷義三郎が死去し、豊島与志雄らと通夜をする。 『川端康成全集』年譜
4月2日 高浜虚子(63)、葉山に行き、畠山別邸で家庭俳句会を催す。俳句五句。 『句日記』
4月4日 秋田雨雀(54)、娘千代子危篤の報に横浜久保山の療養院に行く。千代子は6日死去。7日荼毘に付し、8日遺骨を受けとりに横浜に行く。 『秋田雨雀日記』
4月11日 河合栄治郎(46)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に一泊、「学部長を止めた後の寂しさを感じ」る。「オール読物」や「サンデー毎日」を読んですごす。 『河合栄治郎全集』年表
4月23日 高浜虚子(63)、葉山に行き、水竹居山荘で鎌倉俳句会を催す。俳句三句。 『句日記』
4月25日 中原中也(29)、横浜に行く。 『中原中也全集』日記
4月26日 与謝野晶子(58)、大磯に療養に行き、29日まで滞在する。ついで箱根湯本に移り、5月6日に帰京する。短歌「病む」二十九首。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
4月 佐藤惣之助(46)、文化消息誌「文抄」を横浜の藤田三郎方より発刊し、旧「詩之友」同人中進歩派の結集をはかるが、直後に禁止される。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜
4月 武田麟太郎(32)、箱根に行き、底倉の梅屋旅館の土蔵を建てかえた客間にこもって、連載小説「風速五十米」の想を練る。6月まで滞在する。 『武田麟太郎全集』年譜
5月7日 谷鼎(40)、箱根に修学旅行の生徒を引率して行き、一泊する。短歌「箱根」四首。 「箱根」
5月28日 高浜虚子(63)、逗子の小坪に行き、小坪寺で鎌倉俳句会を催す。「小坪とは小さき夏の漁村かな」。俳句三句。 『句日記』
5月 川端康成(37)、鎌倉の内で二階堂三二五番地に転居する。 『川端康成全集』年譜
5月 並木秋人(43)、横浜に居を移し、中区間門二ノ二四二に住む。本牧海岸がすぐ前にあり、南騒居と号した。 中畑信雄『歌人並木秋人』
初夏 広野三郎(40)、鎌倉に行き、長谷寺を訪ねる。短歌「長谷」四首。 「長谷」
6月2日 荻原井泉水(52)、横浜港から大洋丸で出航、ハワイ、アメリカ、メキシコなどを回り、8月19日、浅間丸で横浜港に帰着する。俳句「横浜埠頭」。 『外遊句稿』
6月上旬 依田秋圃(52)、箱根に遊ぶ。短歌「函嶺煙雨」四首。 「函嶺煙雨」
6月14日 中原中也(30)、横浜に小林秀雄夫妻と行く。 『中原中也全集』年譜
6月15日 中原中也(30)、逗子に岡田春吉と行く。 『中原中也全集』年譜
6月17日 長谷川伸(53)、横浜市立図書館に、著書・蔵書の寄贈を申し入れる。7月26日、長谷川文庫が開設される。 『横浜近代史総合年表』
7月9日 与謝野晶子(58)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
7月21日 三宅克己(63)、鎌倉に行き、扇ケ谷の冬柏山房を訪ねる。 内山英保「山房消息」
7月24日 斎藤茂吉(55)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在し、『新万葉集』の選歌に着手する。31日に在箱根の和辻哲郎から、谷川徹三が来たから遊びに来るようにと誘われ、箱根ホテルで会食し、箱根をドライブする。9月8日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月25日 大佛次郎(39)、久米正雄(45)、林房雄(34)ら、鎌倉の由比ガ浜を主会場にして「カーニバル祭」を催す。文士、画家、映画人ら百二、三十人が集まる。 内山英保「山房消息」
7月28日 小泉三申(64)、鎌倉の別荘で死去する。 『日本近代文学大事典』
7月28日 山口茂吉(35)、箱根に行き、強羅の別荘に斎藤茂吉を訪ね一泊する。佐藤佐太郎も来る。8月21日にも、佐藤佐太郎と共に訪れる。短歌「強羅」十六首。 加藤淑子『山口茂吉』
7月31日 徳川夢声(43)、箱根に行き、堂ケ島の対星館で開かれた「いとう句会」に出席、一泊する。浴場で、久保田万太郎から、こんど岸田国士、岩田豊雄と三人で劇団を始めるが入らないかと誘われる。この劇団がのちの文学座である。俳句七句。 『雑記・雑俳二十五年』
7月 吉江喬松(56)、藤沢の鵠沼の娘のもとに行き、12日まで滞在する。 『吉江喬松全集』書簡
8月1日 富安風生(52)、「ホトトギス」の吟行で真鶴に行き、夏網を見る。「夏網」。 「夏網」
8月5日 吉江喬松(56)、藤沢の鵠沼に行き、娘のもとに四、五日滞在する。 『吉江喬松全集』書簡
8月12日 西田幾多郎(67)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中、原田熊雄に招かれて大磯の別荘に行き、野村吉三郎学習院長と共に会食をする。 『西田幾多郎全集』日記
8月21日 宮本百合子(38)、国府津に行き、父の別荘に滞在する。28日、小田原へ行き、「アサヒ」で久しぶりに食事らしい食事をする。30日に帰京する。 『宮本百合子全集』日記
8月23日 高浜虚子(63)、箱根に行き、箱根町の箱根ホテルに泊まる。俳句二句。 『句日記』
8月末 阪本越郎(31)、鎌倉の材木座の海岸で、小林秀雄、中原中也とヨットに興じる。 「中原中也を憶ふ」、「わが途上の花」
山川方夫(7)、大磯に二カ月ほどすごす。母の発案である。以後毎年海水浴に行く。 『山川方夫全集』年譜
松本たかし(31)、真鶴に遊び大敷網を見物する。「真鶴、大敷網見物三句」。 「真鶴、大敷網見物三句」
染谷進(34)、鎌倉に行き、円覚寺に泊まる。短歌「円覚寺に宿りて」四首。 「円覚寺に宿りて」
野口冨士男(26)、鎌倉極楽寺の別荘に滞在中、御成小学校で開かれた鎌倉ペンクラブの夏期大学を、六日間無欠席で聴講する。川上喜久子も聴講生の中に居た。横光利一などが講師であった。 「わずか二度」
9月2日 宮本百合子(38)、国府津に行き、父の別荘に滞在する。3日、小田原の特高が来る。8日、帰京する。 『宮本百合子全集』日記
10月6日 中原中也(30)、鎌倉養生院に結核性脳膜炎で入院する。22日、死去する。24日、寿福寺で告別式が営まれる。 『中原中也全集』伝記年表
10月6日 大岡昇平(28)、中村光夫から中原中也の病状悪化を知り、鎌倉に行き、鎌倉養生院に見舞う。 『大岡昇平全集』年譜
10月初旬 与謝野晶子(58)、伊豆からの帰途、箱根に遊ぶ。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
10月15日 古川緑波(34)、湯河原に保養し、中西屋旅館の新館に泊まる。17日、熱海に向かう。 『古川ロッパ昭和日記』
10月24日 中島健蔵(34)、鎌倉に行き、寿福寺で行われた中原中也の葬儀に列する。会葬者に、河上徹太郎、大岡昇平、佐藤正彰、諸井三郎、中村光夫、永井龍男、深田久弥、小林秀雄、島木健作、青山二郎、横光利一、草野心平、阿部六郎などが居た。そのほか津村信夫、菊岡久利も列席する。 『津村信夫全集』年譜、菊岡久利「鎌倉の曇り日」、『回想の文学』
10月30日 矢内原忠雄(44)、鎌倉に行き、西永家の結婚祝賀会に列する。31日、多摩川岸を二子まで遠足する。 『矢内原忠雄全集』日記
耕治人(31)、鎌倉に行き、二階堂三二五番地に住む川端康成を訪ねる。その後しばしば訪ねる。 『耕治人全集』年譜
伊藤葦天(53)、秦野の鶴巻温泉に遊ぶ。 句集『穂』年譜
水原秋桜子(45)、鎌倉に遊び、鎌倉国宝館を訪れる。「鎌倉国宝館」六句。 「鎌倉国宝館」
臼田亜浪(58)、鎌倉の大船に行き、松竹大船撮影所を訪れる。俳句六句。田谷の大洞窟を見る。俳句七句。  
11月6日 中島健蔵(34)、横浜に行き、中華街の安楽園で催された「不幸つづきの川口篤をなぐさめる会」に出席する。出席者は、渡辺一夫、草野貞之、市原豊太、河盛好蔵、水野亮、前川堅市ら総勢十人であった。「雨後の山下公園で船の灯火を見る。妙な孤独感……」と日記に記す。 『回想の文学』
11月16日 小沢碧童(56)、横須賀に行き、航空母艦飛龍の進水式を見、一泊する。俳句一句。  
11月22日 柳田国男(62)、川崎に行き、川崎中学校(現県立川崎高校)で「タウガラシの話」を講演する。 『定本柳田国男集』年譜
11月23日 水原秋桜子(45)、藤沢の鵠沼に住む妻の父が亡くなり葬儀に出る。「鵠沼の家」五句、「葬り火」五句。 「鵠沼の家」、「葬り火」
晩秋 尾山篤二郎(47)、鎌倉の扇ケ谷に行き、冬柏山房を訪ねる。短歌「冬柏山房抄」十七首。 内山英保「山房消息」
秋元不死男(36)、横浜に行き、鶴見製鉄所を見学する。俳句五句。 「街」
西東三鬼(37)、鎌倉の海浜ホテルに滞在する。俳句「海浜ホテル」。 「海浜ホテル」
松根東洋城(59)、横浜の金沢に行き、九覧亭に上る。俳句「九覧亭五題」十句。「八景をこぼれて鳴ける千鳥かな」。 『東洋城全句集』
大野林火(33)、真鶴に遊ぶ。俳句「真鶴にて」五句。 「真鶴にて」
長谷川銀作(43)、箱根に遊ぶ。短歌「箱根行」四首。 「箱根行」
12月1日 折口信夫(50)、箱根明神ケ岳で道に迷い一夜野宿する。 『折口信夫全集』年譜
12月27日 滝井孝作(43)、箱根に行き、塔之沢に一泊する。 「浮寝鳥」
12月末 高見順(30)、新田潤(33)、箱根に行き、底倉の梅屋に滞在中の武田麟太郎を訪ね、「人民文庫」の執筆メンバーの再度の検挙を防ぐことについて相談する。廃刊を決定。翌年1月廃刊となる。 『武田麟太郎全集』年譜
12月 染谷進(34)、大磯に行き、山手の宿で冬期休暇をすごす。短歌「大磯の宿」十首。 「大磯の宿」
月日不詳 馬淵美意子(41)、湯河原の吉浜大草山上の帝美校分教場で、ランプと七輪の生活に入る。生活費は福島繁太郎が面倒をみる。「大草山」A・B。 『馬淵美意子のすべて』書簡、日記
昭和13年(1938年)
1月22日 河合栄治郎(46)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に二泊する。「夜は女中さんを集めて色々の話」をする。永井荷風「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」、先哲叢書の「ソクラテス」、「道元」、「若きニーチェ」その他を読む。 『河合栄治郎全集』日記
1月24日 水上滝太郎(50)、明治生命常務取締役として、横浜支店優績社員会参列のため横浜に出張する。7月18日にも優績社員大会に出張する。 「出張日記」
1月27日 西田幾多郎(67)、鎌倉に行き、姥ケ谷の家に滞在する。3月23日に京都に帰る。7月25日から10月3日の間も滞在する。 『西田幾多郎全集』日記、書簡
1月下旬 森三千代(36)、箱根に行き、前年末から底倉の梅屋に滞在中の武田麟太郎を訪ねる。 『武田麟太郎全集』年譜
1月 武者小路実篤(52)、藤沢の鵠沼海岸に行き、東屋に滞在して執筆にあたる。 『武者小路実篤全集』書簡
1月 山崎方代(24)、横浜の浅間町に住む姉の嫁ぎ先に、父と共に引きとられる。 『山崎方代追悼・研究』年譜
2月10日 与謝野晶子(59)、「冬柏」の同人らと箱根に吟行。強羅から早雲山、熱海の多賀を回る。短歌「綴る雪」九十九首。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
2月中旬 堀辰雄(33)、鎌倉に住む神西清を訪ね、結婚のことを報告する。帰途喀血し、鎌倉の深田久弥方で静養、ついで額田病院に入院、3月23日に退院する。 『堀辰雄全集』年譜、書簡
2月中旬 立原道造(23)、鎌倉に行き、深田久弥宅を訪ね、病臥中の堀辰雄を見舞う。深田久弥の妻北畠八穂を知る。 『立原道造全集』年譜
早春 長谷川銀作(44)、横浜の杉田に梅を見る。短歌「杉田の梅」四首。 「杉田の梅」
3月4日 佐藤義亮(60)、還暦の祝いに子供たちの招待を受け、家族と共に箱根に遊ぶ。 天野雅司編『佐藤義亮伝』
3月5日 土屋文明(47)、「アララギ」選歌のため、斎藤茂吉と鎌倉に行き一泊する。4月2日、3日は保土ケ谷に6月4日、5日は鎌倉に滞在する。 『論考』年譜
3月6日 吹田順助(54)、鎌倉七里ガ浜のサナトリウムに行き、療養中の社会学者本多謙三を見舞う。本多謙三は翌日死去する。 『旅人の夜の歌』
3月17日 三木清(41)、鎌倉に行き、西田幾多郎を訪ね、哲学の話を聞く。 『三木清全集』日記
3月26日 河合栄治郎(47)、箱根に行き、湯本に一泊し、翌日伊豆下田に向けて立つ。 『河合栄治郎全集』日記
3月30日 古川緑波(34)、湯河原に行く。車中で「喧嘩親爺」の科白を入れる。「セリフを覚えることがなかつたら、此の位いゝ商売ないんだが」。一泊して帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
3月 大岡昇平(29)、鎌倉に行き、扇ケ谷の米新亭に下宿する。8月、円覚寺の白雲庵に移る。 『大岡昇平全集』年譜
3月 水原秋桜子(45)、北鎌倉に俳友を訪ね、明月院趾から最明寺入道時頼の墓を案内してもらう。「北鎌倉明月院」五句。 「自句自解」
萩原蘿月(53)、藤沢に行き、江の島に遊ぶ。俳句「江の島にて」八句。 「江の島にて」
広野三郎(41)、横浜に行き、埠頭を歩く。短歌「横浜」五首。ついで三渓園に遊ぶ。短歌「三渓園」七首。 「横浜」、「三渓園」
松本たかし(32)、藤沢に行き、鴻乙居を訪ねる。俳句「藤沢鴻乙居」。 「藤沢鴻乙居」
4月1日 三好達治(37)、鎌倉極楽寺姥ケ谷の、佐藤信衛の持ち家である隣家に移り住む。生島遼一が訪ねてきて一泊する。 「鎌倉雑記」
4月初旬 水原秋桜子(45)、北鎌倉に卯月会の人々と遊び、円覚寺舎利殿を見る。「若楓金色の厨子を暗くしぬ」。 「自句自解」
4月19日 辻潤(53)、横浜生麦町一七〇七番地に住む津田光造方に、この日から月末ごろまで滞在する。 『辻潤全集』年譜
4月 角田喜久雄(31)、箱根から南伊豆を旅行する。翌年11月にも旅行する。 中島河太郎ほか編『華甲記念文集』年譜
4月 邦枝完二(45)、中央林間の相模カンツリー倶楽部にメンバーとしてゴルフに行く。 「新緑の波」
4月 荒正人(25)、藤沢中学校(現藤沢高校)の教師となる。翌年東京府立九中に移る。 『荒正人著作集』年譜
4月以降 耕治人(32)、鎌倉に行き、雪ノ下六九〇番地に住む島木健作を訪ねる。 『耕治人全集』年譜
5月10日 新美南吉(24)、愛知県立安城高等女学校教諭として、修学旅行に付き添って鎌倉に行き、ついで日光、善光寺におもむく。 大石源三『ごんぎつねのふるさと』年譜
5月16日 中勘助(52)、大船の農事試験場に芍薬を見に行く。ついでに亡友の母親を見舞う。 「逍遙」
5月 徳田秋声(68)、室生犀星と鎌倉に遊び、小杉天外のもとを訪ねて歓談する。 「灰皿」
5月 小林勇(35)、鎌倉の名越の岩波茂雄の家に引越す。 谷川徹三ほか編『回想小林勇』年譜
5月 並木秋人(44)、横浜の中区から神奈川区楠町一八に移転する。歌魂居と号する。7月より「走火」を発刊する。 中畑信雄『歌人並木秋人』
5月 真船豊(36)、妻の病気療養のため、藤沢の鵠沼に移り住む。「片瀬川」。「鵠沼日記」。 『孤独の徒歩』
6月10日 与謝野晶子(59)、湯河原に病後の保養に行き、中西屋旅館に滞在する。その後伊豆下田に移り、再び湯河原に戻り、7月下旬まで滞在する。短歌「続湯河原抄」七十九首。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
6月18日 島崎藤村(66)、湯河原に行き、伊藤屋旅館に滞在する。11月13日に帰京する。 『島崎藤村全集』書簡
7月9日 川端康成(39)、箱根堂ケ島温泉の対星館に泊まり、翌日、本因坊秀哉名人引退碁を観戦する。11日、宮ノ下の奈良屋に移る。 「本因坊名人引退碁観戦記」、全集書簡
7月9日 中河与一(41)、横浜に行き、市立図書館と横浜読書協会共催の第三回教養講座で、「文芸の人生に於ける役目」を講演する。 『横浜近代史総合年表』
7月16日 斎藤茂吉(56)、箱根に行き、宮ノ下奈良屋旅館での小宮豊隆『夏目漱石』出版の祝賀会に出る。岩波茂雄、安倍能成、茅野蕭々、和辻哲郎、中谷宇吉郎らも出席する。一泊して翌日帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月21日 水上滝太郎(50)、平塚に長男を連れて行く。明治生命平塚事務所の招きで相模川に鮎釣りをする。 「出張日記」
7月22日 斎藤茂吉(56)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在し、「万葉集」の評釈をはじめる。8月25日に粗書きがすみ、読みかえしに移る。7月26日に山口茂吉、9月3日に佐藤佐太郎が訪ねてくる。9月9日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月26日 山口茂吉(36)、箱根に行き、強羅の別荘に斎藤茂吉を訪ねる。29日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月 草野心平(35)、大山山麓の鉱泉宿に行く。横光利一から十円借りて、「改造」に頼まれた原稿を書きに行ったが、一行も書けずに二日間で帰京する。 『草野心平全集』年譜
7月 川崎長太郎(36)、東京から小田原に引きあげる。以後二十年間、物置小屋に住みつく。 『川崎長太郎自選全集』年譜
7月 佐々木邦(55)、湯河原に執筆に行き、滞在中肺炎にかかり、8月快癒して帰京する。 『佐々木邦全集』年譜
7月 岡本綺堂(65)、箱根に転地する。これが最後の旅行となる。14年3月1日に死去する。 『岡本綺堂日記』年譜
7月 林芙美子(34)、鎌倉の香風園で仕事をする。大岡昇平の訪問をうける。 『大岡昇平全集』年譜
7月 染谷進(35)、大磯に行き、8月まで滞在する。短歌「夏の大磯」十二首。 「夏の大磯」
8月1日 古川緑波(34)、鎌倉にロッパ一座の慰安会で行く。海岸の日本茶館の出張店で休む。蘆原英了、川口松太郎も招待する。「川口は盛に三益(注、愛子)と遠慮のないとこを見せるので皆アテられたり怒つたりしてゐる」。夜、帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
8月21日 高倉輝(47)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
8月 佐佐木信綱(66)、鎌倉に行き、ペンクラブ主催夏季大学で「源実朝」を講義する。 『作歌八十二年』
8月 荻原井泉水(54)、逗子に家族と行き、石渡方に滞在する。 『大江』年譜
飯田蛇笏(53)、横浜に行き、弟の新居を訪ねる。俳句「横浜高台の舎弟が新居を訪ねて」一句。 「横浜高台の舎弟が新居を訪ねて」
9月3日 佐藤佐太郎(28)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在中の斎藤茂吉を訪ねる。斎藤茂吉の著『柿本人麿』の校正にあたり、翌日、帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
9月5日 西田幾多郎(68)、大磯に原田熊雄を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
9月6日 清水幾太郎(31)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を林達夫、谷川徹三、和辻哲郎、岩波茂雄らと訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
9月8日 古川緑波(35)、横浜の税関の試写会に誘われて行き、治安風俗カットのフィルムを見る。「ジョン・バリの『テムペスト』やデイトリヒの裸、それからワイ映画を見た、ひどいものであつた」。 『古川ロッパ昭和日記』
9月9日 河合栄治郎(47)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に六日間滞在する。「此の頃ひどく妻が好きになつた。自分に適する妻を持つたこと位人生の幸福はない」と思う。川端康成「父母への手紙」、ウィンデルバンド「永遠の相の下に」、西田幾多郎「続思索と体験」などを読む。 『河合栄治郎全集』日記
9月20日 秋田雨雀(55)、横浜の久保山斎場に行き、亡き娘の主治医でもあった松岡冬樹博士の告別式に列する。 『秋田雨雀日記』
9月 小林秀雄(36)、藤沢の鵠沼に住む真船豊を、竜口寺の祭の日に訪れる。 真船豊『孤独の徒歩』
10月8日 高浜虚子(64)、鎌倉の大船に行き、松竹撮影所で開かれた観月句会に出る。俳句三句。 『句日記』
10月11日 志賀直哉(55)、箱根に行き、底倉の仙石屋に滞在する。 『志賀直哉全集』書簡
10月19日 堀辰雄(33)、軽井沢を引きはらって逗子に行き、山下三郎の別荘を借りて滞在する。翌年3月、鎌倉に移る。 『堀辰雄全集』年譜、書簡
10月29日 河合栄治郎(47)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に泊まる。「色々の人が自分から去つた(らという)ことを想うて寂しい気がした」。 『河合栄治郎全集』日記
10月31日 河上徹太郎(36)、佐藤正彰、吉田健一らと鎌倉の「久兵衛」で、神戸に赴任する大岡昇平の送別会を開く。 『大岡昇平全集』年譜
松本たかし(32)、三浦三崎に遊び、本瑞寺に二泊する。「三崎・本瑞寺二泊」三句。 「三崎・本瑞寺二泊」
11月3日 折口信夫(51)、箱根に行き、夏ごろから計画していた仙石原温泉荘の山荘の地鎮祭をおこなう。 『折口信夫全集』年譜
11月5日 河合栄治郎(47)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に二泊する。「読者の意義」を書きかける。19日、再び行き二泊し、原稿を書きあげる。「ソクラテスの弁明」、「クリトン」を読み、「此の偉人の最期に打たれた」。26日、又行き、川端康成の「口笛」を読み、「若い少女の義侠的行為に若き日の情熱を思い起こした」。 『河合栄治郎全集』日記
11月7日 岡本かの子(49)、横浜市立図書館で図書館週間の講演をする。「宗教文芸」。馬場孤蝶「文章と読書」の講演もある。 『横浜近代史総合年表』
11月20日 秋田雨雀(55)、横浜の鶴見の総持寺に行き、新協劇団員だった小野宮吉の三周忌法要に列する。 『秋田雨雀日記』
11月20日 立原道造(24)、逗子に行き、山下三郎の別荘に滞在中の堀辰雄を訪ね、長崎への旅の暇乞いをする。 『立原道造全集』年譜、書簡
11月20日 松永延造(43)、横浜の金沢の州崎の自宅で死去する。中区大平町蓮光寺の墓地に葬られる。 『松永延造全集』年譜
11月 山口誓子(37)、箱根の強羅に行く。水原秋桜子と大湧谷、仙石原に遊ぶ。 角川書店『現代俳句文学全集 山口誓子集』年譜
津村信夫(29)、鎌倉姥ケ谷に住む三好達治を訪ねる。詩「冬夜鴨を煮る」。 「冬夜鴨を煮る」
秋元不死男(37)、横浜の根岸の海岸に移転する。俳句五句。 「街」
12月10日 河合栄治郎(47)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に二泊する。この夜は講談などを読んで休養する。12日に塔之沢の福住楼に移り、和辻哲郎「人格と人類性」を読みあげる。「決して妥協せずに駄目になるなら駄目になる方がよいのだという気が明白になつた」。13日に帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
12月12日 岡本かの子(47)、三浦三崎の油壺に慶応大学生と行き、脳充血で倒れ、そのまま三浦三崎で年を越す。2月18日に東京で死去する。 『岡本かの子全集』年譜
12月 湯浅芳子(42)、藤沢の鵠沼の松島園にこの頃滞在する。 田村俊子書簡
12月 折口信夫(51)、箱根にこもり「死者の書」の執筆に専念する。 『折口信夫全集』年譜
月日不詳 西東三鬼(38)、東京三(秋元不死男)、渡辺白泉と、横浜中華街の聘珍楼に行き、ついで本牧のチャブ屋を訪れ、東京三と生まれて初めてのダンスをする。 「俳愚伝」
昭和14年(1939年)
1月2日 邦枝完二(46)、中央林間の相模カンツリー倶楽部に三日間通う。 「ゴルフ句帖」
1月2日 河合栄治郎(47)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。平山蘆江「唐人船」、木村謹治「ゲーテ」、プラトンの著作などを読む。5日、小田原を散策し、武者小路実篤『人生論』を買う。8日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
1月8日 高浜虚子(64)、武蔵野探勝会百回記念で、鎌倉鶴岡八幡宮に初詣吟行する。 『高浜虚子全集』研究年表
1月26日 西田幾多郎(68)、鎌倉に行き、姥ケ谷の家に滞在する。3月24日に京都に帰る。7月26日から10月16日の間も滞在する。 『西田幾多郎全集』日記
1月 小泉信三(50)、横浜に行き、アメリカへ亡命の途次に立ちよったオッペンハイマーを、ホテル・ニューグランドに訪ねる。オッペンハイマーが9月29日にアメリカに旅立つ前に再訪する。 今村武雄『小泉信三伝』
1月 島木健作(35)、鎌倉の内で扇ケ谷四四一番地に転居する。「鎌倉」。 『島木健作全集』年譜
1月 幸田露伴(71)、湯河原に行き、奥湯河原の山翠楼に、数日間滞在する。 下村亮一『雑誌記者五十年』
2月6日 河合栄治郎(47)、箱根に行き、雪の中を仙石原の俵石閣に泊まり、休養する。湯本を経て10日に帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
2月7日 高浜虚子(64)、横浜に行き、鎌倉丸での船長の招宴に出る。横光利一、星野立子らも招かれる。「鎌倉丸浮き鴎浮く春の海」。俳句三句。 『句日記』
2月9日 与謝野晶子(60)、箱根に遊び、湯本に滞在し、14日に帰京する。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
2月9日 高浜虚子(64)、横浜の鶴見に行き、花月園の喜松院で開かれた七宝会に出る。俳句四句。 『句日記』
2月末 三好達治(38)、小田原の小峰公園大久保神社内に移り住む。 『三好達治全集』書簡
2月 伊藤柏翠(28)、鎌倉の七里ガ浜の鈴木療養所に入院している。 高浜虚子書簡
早春 大谷碧雲居(53)、箱根に行き、姥子温泉に泊まる。俳句「姥子」一句。 「姥子」
3月4日 三好達治(38)、横浜港に行き、平安丸で外遊から帰国する桑原武夫を出迎えるつもりが、時間がずれて行き違いになる。 『三好達治全集』書簡
3月10日 堀辰雄(34)、逗子から、鎌倉の小町三四三番地(日蓮辻説法址の近く)の笠原宅二階に転居する。翌年4月、帰京する。 『堀辰雄全集』年譜
3月12日 河合栄治郎(48)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に泊まる。志賀直哉の「暗夜行路」を読みふける。「唯主人公の気分の余りにデリケートなのが気になる」。 『河合栄治郎全集』日記
3月15日 中島健蔵(36)、鎌倉に三木清と行き、「『一度は見ておけ』と誘われた」西田幾多郎を、姥ケ谷の別荘に訪ねる。 『回想の文学』
3月中旬 暁烏敏(61)、横須賀海軍病院を訪れる。7月にも訪れる。 『暁烏敏全集』日記
3月中旬 武者小路実篤(53)、藤沢の鵠沼海岸に行き、東屋に23日まで滞在する。 『武者小路実篤全集』書簡
3月18日 尾崎秀実(37)、横浜に行き、横浜小学校で開かれた、市成人講座で講演する。 『横浜近代史総合年表』
3月22日 柳田国男(63)、藤沢ついで横浜に行き、弟静雄、甥冬樹の墓参をする。 『定本柳田国男集』年譜
3月 川端茅舎(41)、大磯に行き、鴫立庵に吟行する。 『現代俳句文学全集 川端茅舎集』年譜
3月 臼田亜浪(60)、川崎に行き、久地梅林を訪ねる。 『臼田亜浪全俳句』年譜
4月1日 立原正秋(13)、横須賀商業学校(私立、のち市立横須賀商業高校、現市立横須賀総合高校)に入学する。 『立原正秋全集』年譜
4月1日 豊田三郎(32)、藤沢に行き、県立湘南中学校に国語科教師として赴任する。16年3月、退職する。 『湘南五十周年史』
4月9日 与謝野晶子(60)、湯河原に行き桜を観る。吉浜の真珠荘に滞在し、12日に帰京する。短歌「花のある風景」百九首。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
4月15日 河合栄治郎(48)、横浜に行き、ついで藤沢の鵠沼に行き、二十数年ぶりに東屋に泊まる。「主として今日の軍部のことを考えた」。翌日、藤沢の街を歩き、喫茶店で「サンデー毎日」の小説「選ばれた種子」を読み、ひどく胸をうたれた。 『河合栄治郎全集』日記
4月22日 山口茂吉(37)、妻と結婚十周年を記念して熱海に行き、帰途、十国峠、日金山から湯河原に下る。 加藤淑子『山口茂吉』
4月 三好達治(38)、小田原の内で早川口下河原二四番地に転居する。 『三好達治全集』年譜
4月 折口信夫(52)、箱根の山荘が竣工し、檉隠居又は叢隠居と称する。 『折口信夫全集』年譜
4月 太田水穂(62)、四賀光子と鎌倉扇ケ谷に定住する。四賀光子短歌二首。  
4月 渾大防小平(48)、横浜中区間門に家を借りて住む。 『渾大防小平遺稿集』年譜
4月 久保田万太郎(49)、鎌倉に行き香風園を訪れる。 句詞書き
4月 真船豊(37)、妻が藤沢の鵠沼で死去する。藤沢の真源寺に遺骨を託し、三七忌の夜、満州への旅に出る。 「新盆の月」、『孤独の徒歩』
西東三鬼(38)、鎌倉に行き由比ガ浜の海浜ホテルに滞在する。「春のホテル夜間飛行に唇離る」。 「春のホテル夜間飛行に唇離る」自注
吉屋信子(43)、鎌倉の長谷大仏裏に、老母のため、また自身の折々の休養のため家を建てる。 『吉屋信子全集』年譜
5月6日 長谷川如是閑(63)、鎌倉十二所に、友人後輩らが企画した週末休養のための家が竣工し、贈呈される。 『人、時代、思想と著作目録』年譜
5月6日 長谷川巳之吉(45)、藤沢の鵠沼が気に入り、永住の地と定め、百坪たらずの土地を買い、新築中に移り住む。「永住の地」。雑誌「セルパン」に「鵠沼だより」を、15年5月号まで連載する。 「永住の地」
5月7日 高浜虚子(65)、横浜の金沢に日本探勝会一行と吟行、金沢園に行く。俳句七句。 『句日記』
5月13日 斎藤昌三(52)、湯河原に行き、翌日、県下七つの県立公園選定を記念して、ハイキングをかねた一斉踏査を行う予定が、雨のため関係者だけが雨中を濡鼠となって一周する。ハイキングは21日に行われ、横山隆一、松井翠声らも参加し、三百余名の盛会であった。 「新富町多与里」
5月18日 宮柊二(26)、川崎にある富士製鋼所に入社し、工場新聞の創刊と編集に携わることになる。 『宮柊二集』年譜
5月22日 古川緑波(35)、横浜の鶴見の花月園に「ロッパの子守唄」のロケーションに行く。 『古川ロッパ昭和日記』
5月27日 古川緑波(35)、伊東から箱根に「ロッパの子守唄」のロケーションに行く。塔之沢の福住楼に泊まり、富士屋ホテルで夕食をとり、スタッフと麻雀をする。翌日、小田原に出て多古養魚場付近でロケーションを行い帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
5月 佐藤紅緑(64)、川崎登戸の伊藤葦天のもとに佐藤惣之助の案内で訪れ、夜通し談笑する。 伊藤葦天句集『穂』年譜
5月 森田たま(44)、鎌倉に行き、大茶席松涛庵の茶会に列する。正客は川口松太郎、次は吉川英治、吉屋信子である。 「鎌倉」
6月上旬 染谷進(36)、茅ケ崎の海岸に移り住む。短歌「茅ケ崎海岸の家」五首、ほか。 「茅ケ崎海岸の家」
6月18日 尾崎一雄(39)、妻のお産を手伝いに来てくれた母を送りがてら、小田原に行く。バスで早川口の妹を訪ねる。「小田原行」。 「小田原行」
6月 前田青邨(54)、鎌倉の山ノ内に転居する。 『神奈川県史』年表
初夏 岡麓(62)、伊勢原に行き、日向薬師に詣でる。短歌「日向薬師」五首。 「日向薬師」、『岡麓全歌集』
7月12日 水上滝太郎(51)、平塚に出張する。明治生命平塚出張所の代理店優績社員会に参加し、馬入川で川遊びを楽しむ。 「出張日記」
7月22日 斎藤茂吉(57)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在し、歌の清書、「アララギ」の選歌のほか、「短歌初学門」の執筆に着手する。8月26日、佐藤佐太郎、柴生田稔が、9月11日には岩波茂雄、小林勇が訪ねてくる。9月12日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月24日 南原繁(49)、大磯に行き、「N君」の家に避暑する。8月5日、帰京する。短歌「大磯」四首。 「大磯」
7月29日 中島健蔵(36)、鎌倉に行き、山田珠樹を訪ねる。草野貞之、今日出海、渡辺一夫と山田珠樹宅で落ちあう。ついで佐藤正彰、深田久弥、永井龍男も参ずる。庭でまきを燃やしてかがり火とする。 『回想の文学』
7月 折口信夫(52)、箱根の山荘で夏をすごす。7月28日から8月5日までは講習にあてる。 『折口信夫全集』年譜、書簡
7月 島崎藤村(67)、湯河原に行き、伊藤屋旅館に滞在する。 『島崎藤村全集』書簡
7月 伊藤葦天(55)、秦野の鶴巻温泉に佐藤惣之助らと吟行する。「鶴巻句屑」。 句集『穂』年譜
8月7日 宮柊二(26)、鶴見の自宅で召集令状を受け、20日応召する。中国戦線に参加し、18年10月2日に召集解除となる。 『宮柊二集』年譜
8月12日 中島健蔵(36)、横浜港に行き、天洋丸でアメリカに行く妻の父を見送る。10月28日、鎌倉丸での帰国を横浜港に出迎える。 『回想の文学』
8月22日 幸田露伴(72)、御殿場からの帰途、箱根強羅ホテルに行き、強羅の別荘に居た斎藤茂吉を招き、翌日にかけて将棋を差したり、話をしたりして楽しむ。23日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
8月25日 山口茂吉(37)、箱根に行き、強羅の別荘に斎藤茂吉を訪ねる。翌日、柴生田稔、佐藤佐太郎も来る。27日、帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
大橋松平(45)、津久井郡の与瀬に遊ぶ。短歌五首。 『大橋松平全歌集』
高田浪吉(41)、藤沢の片瀬海岸に行き、海水浴に興じる。短歌「片瀬海岸」五首。 「片瀬海岸」
9月7日 水上滝太郎(51)、平塚に長男を連れて行き、馬入川で鮎狩りをする。 『水上滝太郎全集』年譜
9月上旬 与謝野晶子(60)、奥湯河原に遊び、ついで箱根にまわる。短歌「秋風」五十九首。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』年譜
9月15日 西田幾多郎(69)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中、大磯に原田熊雄を訪ねる。晩に高木惣吉(海軍)、長与善郎も来会する。 『西田幾多郎全集』日記
9月18日 古川緑波(36)、鎌倉に行き、雪ノ下に住む上森子鉄を訪ねるが留守であった。帰途、久米正雄を訪ね、丁度上京するところだったので共に東京に向かう。「久米氏昔ほどの元気が無い」。 『古川ロッパ昭和日記』
9月22日 高浜虚子(65)、横浜の戸塚に行き、旧東海道松並木に沿った老松茶屋で鎌倉俳句会を催す。俳句五句。 『句日記』
9月29日 河合栄治郎(48)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に泊まる。「科学への考察」を書き、また金井延の伝記を書きつぐ。11月23日に書きあげる。 『河合栄治郎全集』日記
9月 三木清(42)、鎌倉に行き、海浜ホテルに滞在する。21日に帰京する。 『三木清全集』書簡
初秋 水原秋桜子(46)、箱根に遊び、芦ノ湖、仙石原を歩き、俵石閣に泊まる。「函嶺初秋」七句。 「函嶺初秋」
10月1日 黒田三郎(20)、藤沢の江の島に兄妹と行く。「興亜奉公日」なので、料理店茶房などみな店を閉めていた。 『黒田三郎日記』
10月3日 西田幾多郎(69)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中、大磯の原田熊雄を訪れる。「近衛(文麿)、城戸(幸一)、織田、長与(善郎)、上田、松平内大臣秘書、来会」。 『西田幾多郎全集』日記
10月8日 木下杢太郎(54)、逗子の神武寺に、時習会の植物採集会で行く。 『木下杢太郎全集』日記
10月15日 木下杢太郎(54)、箱根強羅に遊ぶ。二泊して17日に帰京する。 『木下杢太郎全集』日記
10月27日 高浜虚子(65)、藤沢の片瀬に行き、片瀬川畔を逍遙、まさお居で鎌倉俳句会を催す。俳句四句。 『句日記』
10月 佐多稲子(35)、箱根に行き、湯本の古い小さな旅館の八畳間に、食事つき二円で三ケ月滞在して「素足の娘」を執筆する。はじめての書き下ろし長編小説で、翌年3月に新潮社から刊行される。 「時と人と私のこと(3)」
11月5日 斎藤茂吉(57)、改造社社長山本実彦の欧米行を横浜港に見送り、松平と中華街の「てい珍」で食事し、ついで三渓園に行く。 『斎藤茂吉全集』日記
11月8日 谷川徹三(44)、横浜に行き、市立図書館で開かれた、読書普及運動記念講演会で講演する。久松潜一も講演する。 『横浜近代史総合年表』
11月16日 志賀直哉(56)、二宮に里見弴を訪ね一泊する。17日、箱根に行き、湯本福住楼に滞在する。20日熱海に移る。 『志賀直哉全集』日記
11月23日 高浜虚子(65)、日本探勝会(第八回)で、小田原に吟行する。12月3日の第九回は箱根に吟行する。 『高浜虚子全集』研究年表
11月24日 河合栄治郎(48)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に泊まり、「人生観想」、「風雪」(阿部知二著)を読み、「とても楽しい数日」をすごし、「こんな事は珍しい」と思う。 『河合栄治郎全集』日記
11月26日 大野林火(35)、真鶴に妻子を伴い遊ぶ。俳句八句。  
11月 佐佐木信綱(67)、鎌倉に日ぐらし富士の歌碑が建立された。「日ぐらしに見れどもあかずここにして富士は望むべし春の日秋の日」。 『作歌八十二年』
11月 前田愛(8)、父の赴任先の旭川から、藤沢に一家転任する。藤沢小学校に転入学する。 『前田愛著作集』年譜
11月 小林秀雄(36)、藤沢の鵠沼に住む真船豊を訪ねる。真船豊の「孤雁」を力作とほめる。 真船豊『孤独の徒歩』
長谷川銀作(45)、湯河原に遊ぶ。短歌「奥湯河原」五首。 「奥湯河原」
12月2日 黒田三郎(20)、秦野まで小田急で行き、東大農事試験場で学ぶ兄を訪ねる。二人で弘法山に上る。一泊する。翌日、一人で小田原に行き、海を見る。帰途、わさび漬をぶらさげて鎌倉の伯父の家による。 『黒田三郎日記』
12月10日 土屋文明(49)、横浜の中区西中町二ノ六の普門院で開かれたアララギ歌会に出席する。鹿児島寿蔵、佐藤佐太郎、斎藤茂吉も出席する。 「アララギ」
12月14日 河合栄治郎(48)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。高橋亀吉「日本資本主義発達史」、田辺元「史学の意味」、ウインデルバント「歴史と自然科学」を読む。23日に帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
12月22日 山崎紫紅(64)、横浜の自宅で死去する。24日、久保山斎場で葬儀が行われ、岡鬼太郎、長谷川伸らも列席する。 『横浜近代史総合年表』
12月26日 滝井孝作(45)、箱根塔之沢に遊ぶ。 「浮寝鳥」
12月 鈴木貫介(21)、小田原に転居してきた三好達治を訪問し、短歌の添削をうけ、詩人の風格に感動する。 『鈴木貫介全歌集』年譜
昭和15年(1940年)
1月11日 西田幾多郎(69)、鎌倉に行き、姥ケ谷の家に滞在する。3月15日に京都に帰る。7月25日から10月29日の間も滞在する。 『西田幾多郎全集』日記
1月中旬 坂口安吾(33)、三好達治の誘いで、茨城県取手の家を引きはらい、小田原早川橋際の亀山別荘に住む。 『坂口安吾全集』年譜
1月20日 邦枝完二(47)、藤沢の鵠沼に転居する。31年8月2日、この地で死去する。 「空襲日記」
1月26日 田畑修一郎(36)、箱根に行く。途中小田原で三好達治に会う。強羅ヒュッテに滞在中の中山義秀のもとに泊まる。27日、中山義秀と強羅を歩く。28日、小田原に住む川崎長太郎を電話で呼ぶ。29日、中山義秀と小田原に出る。31日、宇野浩二が強羅に来る。夕方、共に小田原に出て、川崎長太郎も交え四人で夕食をとる。夜、宇野浩二と一緒に帰京する。 『田畑修一郎全集』日記
1月28日 新関良三(50)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
1月31日 古川緑波(36)、箱根に行き、宮ノ下の富士屋ホテルに泊まる。バスで湯にとっぷりつかることができず、畳がなくて「ハラバヒ」になれない、と嘆く。「ホテル生活は格子なき牢獄であるというユーモア小説が書ける」。4日、熱海に向かう。 『古川ロッパ昭和日記』
1月 岸田国士(49)、鎌倉の由比ガ浜の海浜ホテルに滞在中、堀辰雄、小林秀雄、三好達治と一日歓談する。 『堀辰雄全集』年譜
1月 並木秋人(46)、鎌倉に行き、古墳を踏査する。 中畑信雄『歌人並木秋人』
1月 田畑修一郎(36)、箱根の強羅に行く。9月にも再訪する。 『日本現代文学全集』82年譜
2月8日 田辺茂一(34)、倉橋弥一に誘われ、新田潤、南川潤、高見順、小田嶽夫と、新宿に集まり小田急で箱根に行く。 「箱根行」
2月12日 与謝野晶子(61)、正宗得三郎、「冬柏」同人らと箱根須雲川に吟行、吉池旅館に泊まる。14日、耳の痛みのため急遽帰京する。短歌「須雲川のほとり」七十九首。 杉本邦子・大塚豊子編『与謝野晶子未発表書簡』、年譜
2月18日 高浜虚子(65)、日本探勝会で、三崎油壺に吟行する。4月21日、横浜三渓園に、5月5日、小田原に、11月3日、鎌倉に、12月22日、川崎コロンビア蓄音器工場に吟行する。 『高浜虚子全集』研究年表
2月 前田夕暮(56)、郷里秦野の弘法山に門下生と遊ぶ。 前田透『評伝前田夕暮』年譜
早春 岡麓(62)、逗子に行き、海岸に遊ぶ。短歌「逗子海岸」十一首。 「逗子海岸」、『岡麓全歌集』
3月11日 暁烏敏(62)、横浜の大谷派別院に滞在中、鎌倉の姥ケ谷に住む西田幾多郎を訪ねる。「西田幾多郎を訪ふ」。 「西田幾多郎を訪ふ」
3月14日 川端康成(40)、横光利一、片岡鉄兵とあてのない東海道の旅に出て、まず箱根関所に泊まる。 『川端康成全集』書簡
3月21日 北原白秋(55)、川崎柿生の王禅寺に「多磨」同人と吟行する。「王禅寺吟行」。 「多磨」
3月 宇野浩二(48)、小田原に行き牧野信一の墓に参る。つづいて箱根強羅のヒュッテに滞在中の中山義秀を訪ねる。川崎長太郎が同行する。 『宇野浩二全集』年譜
島崎藤村(68)、湯河原に行き、伊藤屋旅館に滞在し、「戦陣訓」を校閲する。 「雑記帳」
中村汀女(39)、鎌倉に行き、星野立子を訪ねる。俳句「鎌倉にて、立子さんと」二句。 「鎌倉にて、立子さんと」
滝春一(38)、真鶴岬に遊ぶ。俳句七句。夏、大磯に遊ぶ。俳句四句。 『滝春一全句集』
五味保義(38)、箱根に行き、二年ごしの仕事に打ちこむ。短歌「箱根」五首。 「箱根」
4月1日 佐藤さとる(12)、横浜の県立第三中学校(現緑ケ丘高校)に入学する。 『佐藤さとる全集』年譜
4月16日 志賀直哉(57)、箱根に行き、底倉の仙石屋に滞在し、20日に帰京する。 『志賀直哉全集』日記
4月18日 黒田三郎(21)、横浜に行き、横浜港から南洋に向かう「大平氏」を見送る。帰途、「駅前の食堂にはいつて珈琲をのむ。シロツプのような珈琲を。一時代昔の流行歌が鳴つている。僕は腰に力がなくなつてしまつた。」。 『黒田三郎日記』
4月 岩越昌三(30)、小田原夜間中学校(現相洋高校)の英語教師となる。 『神道斎霊孤師伝』年譜
4月 唐木順三(36)、高座郡大和村南林間都市三六九〇番地に居を定める。川崎の法政第二中学校(現法政第二高校)の教師となる。 『唐木順三全集』年譜
5月12日 土屋文明(49)、横浜に行き、中区西中町二ノ六の普門院で開かれたアララギ歌会に、鹿児島寿蔵、柴生田稔と共に出席する。短歌一首。 「アララギ」
5月27日 草野心平(37)、箱根に行き、富士屋ホテルで来日中の林伯生と一夕をすごす。8月1日からの南京行きはここで決まったという。 『現代詩読本』年譜
5月31日 川端康成(40)、箱根に行き、小湧谷の三河屋に二泊し、「少女の友」連載の「美しい旅」ほかを書く。 『川端康成全集』書簡
初夏 依田秋圃(55)、寒川に行き、一之宮の工場に勤務し農家に間借りしている長男を訪ねる。短歌「相模野」十首。 「相模野」
初夏 高田浪吉(42)、大磯、鎌倉に遊ぶ。短歌「大磯にて」五首、「鎌倉に遊ぶ」五首。 「大磯にて」、「鎌倉に遊ぶ」
6月中旬 武者小路実篤(55)、藤沢の鵠沼海岸に行き、東屋に滞在する。23日に帰京する。 『武者小路実篤全集』書簡
6月中旬 森田草平(59)、鎌倉円覚寺前に住む前田青邨を訪ね、ついで扇ケ谷の冬柏山房を訪ねる。 内山英保「山房消息」
6月29日 高浜虚子(66)、藤沢に行き、遊行寺で鎌倉俳句会を催す。「堂塔は古びたれども祖師涼し」。俳句四句。 『句日記』
6月 前田夕暮(56)、矢代東村らと大山山麓の七沢温泉、広沢寺温泉に遊ぶ。 前田透『評伝前田夕暮』年譜
7月3日 柳田国男(64)、茅ケ崎の別荘に牧口常三郎を伴って行き、一夜法華正宗のことを語りあう。 『定本柳田国男集』年譜
7月8日 高楠順次郎(74)、鎌倉の扇ケ谷に行き、冬柏山房を訪ねる。 内山英保「山房消息」
7月13日 松根東洋城(62)、箱根に行き、山上林中の小さな草庵にこもり、「遁暑」し「独居」する。「籠山八旬」ののち10月5日に下山する。「薪水帖」。 「薪水帖」
7月19日 古川緑波(36)、川崎に行き、扇島海水浴場で挨拶をする。一方が鉄工場の並ぶ浜辺は殺風景であった。 『古川ロッパ昭和日記』
7月22日 斎藤茂吉(58)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在し、28日に一旦帰京、29日に再び強羅に行く。歌稿の整理や「満洲遊記」の執筆などにあたる。9月13日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月29日 山口茂吉(38)、箱根強羅の別荘に斎藤茂吉を送り、夜帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月30日 青野季吉(50)、鎌倉に行き、大森義太郎の葬儀に列する。山川均、小林秀雄らも列する。帰途、稲村ガ崎の知人の家に行く。 『青野季吉日記』
7月 太田水穂(63)、鎌倉円覚寺主催の夏期講習会で芭蕉俳談を講演する。 『太田水穂全歌集』年譜
8月1日 尾崎一雄(40)、下曽我に二人の子を連れて帰郷する。翌日、女の子を小田原早川口の妹のところに連れて行く。 「帰郷記」
8月11日 北原白秋(55)、鎌倉円覚寺での「多磨」第三回全国大会に出席する。13日に講演する。短歌「円覚寺雑唱」。「新秋歌話」。 『白秋全集』年譜
8月11日 穂積忠(39)、鎌倉に行き、円覚寺で開かれた「多磨」全国大会に出席し、第一回多磨賞をうける。 「多磨」
8月17日 高浜虚子(66)、箱根に行き、元箱根の松阪屋に滞在、句謡会を催す。俳句十一句。 『句日記』
8月19日 妹尾義郎(50)、江の島に子供たちを連れて海水浴をする。夕方、江の島神社に参拝、洞窟を見物し、夕食をとって帰京する。 『妹尾義郎日記』
8月19日 石田波郷(27)、葉山に行き、堀内の吉田北舟子方に三日間滞在し、「近年に無い愉快な日々」をすごす。21日夜に帰京する。 『石田波郷全集』書簡
8月19日 土屋文明(49)、相模の大山に遊ぶ。 『論考』年譜
8月21日 古川緑波(37)、伊豆の大仁からの帰途、箱根に行き強羅ホテルに泊まる。森田たまが滞在中であった。24日、帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
8月25日 大橋松平(47)、箱根に在り、強羅の別荘に滞在中の斎藤茂吉を、中井克比古と訪ね、強羅ホテルで昼食を共にする。 『斎藤茂吉全集』日記
8月29日 山口茂吉(38)、佐藤佐太郎と箱根に行き、強羅の斎藤茂吉の別荘に一泊して帰る。 『斎藤茂吉全集』日記
8月29日 西東三鬼(40)、石田波郷に誘われ、山本健吉夫妻も共に、石田波郷の友人吉田北舟子の住む葉山森戸海岸で、ヨットや水泳に興じた。 「俳愚伝」
8月 永井龍男(36)、鎌倉の内で二階堂五三番地に転居する。 『永井龍男全集』年譜
9月7日 木下杢太郎(55)、真鶴に住む三宅克己を訪ね、夕方帰京する。 『木下杢太郎全集』日記
9月17日 田畑修一郎(37)、箱根に行き、強羅に泊まる。南京虫にくわれて眠れず、翌日、部屋を代わる。仕事の見込みなく、19日、小田急で帰京する。 『田畑修一郎全集』日記
9月30日 河合栄治郎(49)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に10月16日まで滞在する。 『河合栄治郎全集』日記
9月30日 和辻哲郎(51)、鎌倉姥ケ谷に西田幾多郎を妻と訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
9月 山口誓子(38)、箱根の強羅に行く。水原秋桜子の訪問をうける。 『現代俳句文学全集 山口誓子集』年譜
9月か 柳田国男(65)、大和郡の深見に行く。「深見」。 「深見」
10月9日 島崎藤村(68)、急に思いたって湯河原に行き、伊藤屋旅館に滞在する。20日ごろ帰京する。 『島崎藤村全集』書簡
10月10日 津田左右吉(67)、小林勇に伴われて、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。翌年1月と3月にも訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
10月10日 尾崎一雄(40)、横浜に榊山潤と行き、大桟橋から金竜丸に乗りこみ、紀元二千六百年特別観艦式の予行を見る。「観艦式予行」。 「観艦式予行」
10月10日 木下杢太郎(55)、横浜に行きホテル・ニューグランドに一泊する。翌日、横浜沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式に戦艦長門艦上で参列する。 『木下杢太郎全集』日記
10月中旬 西脇順三郎(46)、川崎の影向寺を美術研究の青年と共に訪ねる。 「夏から冬へ」
10月19日 妹尾義郎(50)、富士の大石寺参拝からの帰途、国府津に下車し、つたや旅館に一泊する。 『妹尾義郎日記』
10月21日 河合栄治郎(49)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在、「明治思想史」の前半を書く。11月中旬に再び行き、後半を書きあげ、17日に帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
10月 辻潤(56)、小田原でバラック工芸社を営む山内我乱洞方に寄寓する。11月は横浜鶴見北寺尾一五ノ九番地の津田光造方に寄寓する。 『辻潤全集』年譜
10月 中勘助(55)、川崎の柿生に柿を見に行く。 「逍遙以後疎開まで」
10月 山口茂吉(38)、藤沢の鵠沼から江の島に遊ぶ。 加藤淑子『山口茂吉』
10月 染谷進(37)、横浜の日吉町に居を移す。翌年8月4日、死去する。 『染谷進歌集』年譜
大橋松平(47)、箱根に遊ぶ。短歌九首。  
長谷川銀作(46)、鎌倉に行き、円覚寺に遊ぶ。短歌「鎌倉円覚寺」十四首。 「鎌倉円覚寺」
11月13日 山口茂吉(38)、鎌倉から藤沢の江の島、鵠沼に遊ぶ。短歌「砂丘」十一首。 加藤淑子『山口茂吉』
11月14日 佐藤信衛(35)、横浜に行き、市立図書館で開かれた読書普及講演会で講演する。三木清も講演する。 『横浜近代史総合年表』
11月中旬 中里恒子(30)、伊豆の伊東から川奈を経て箱根に行き、泊まる。「作品以前」。 『中里恒子全集』書簡
11月24日 水原秋桜子(48)、鎌倉に行き、二階堂杉本寺の住職尾崎迷堂を訪ね、友人知人を交えて歓談、国宝の観世音菩薩を拝ませてもらう。随筆「初冬」。 「初冬」
11月30日 徳富蘇峰(77)、逗子の老龍庵に妻と久しぶりに行き、昔時を偲ぶ。ホテルで昼食の際、金森通倫に出会う。 早川喜代次『徳富蘇峰』
11月 真船豊(38)、葉山に行き、長者園に二カ月間滞在し「田園」を書きあげる。 『孤独の徒歩』
滝春一(39)、柿生に遊ぶ。俳句五句。また七里ガ浜に遊ぶ。俳句二句。 『滝春一全句集』
富安風生(55)、箱根に遊ぶ。「冬嶺に対ふ手擢をかく華奢に」、他一句。 「冬嶺に対ふ手擢をかく華奢に」詞書き
12月7日 松村英一(50)、横浜の金沢八景に行き、千代本で「国民文学」三百号記念懇話会を催す。短歌「武蔵金沢」十四首。 『松村英一全歌集』年譜
12月10日 冠松次郎(57)、横浜に行き、蚕糸会館で開かれた、日本山岳会による皇紀二千六百年講演会で講演する。槇有恒、武田久吉らも講演する。 『横浜近代史総合年表』
12月16日 北原白秋(55)、箱根に行き、河出書房刊行予定の『白秋詩歌集』全八巻の編集のため滞在する。 『白秋全集』年譜
12月17日 河合栄治郎(49)、箱根に行き、湯本に一泊、翌朝、仙石原の俵石閣に移り二泊する。「明治思想史」の結尾を書き終える。 『河合栄治郎全集』日記
12月29日 滝井孝作(46)、箱根に行き、塔之沢に一泊する。 「浮寝鳥」
月日未詳 吹田順助(57)、鎌倉に行き、伊東健吉夫人の死を弔問する。弔歌「逝にし君が手作りのちさ青青とただ汐風にをののきてあり」。 『旅人の夜の歌』
月日未詳 森田たま(46)、箱根に行き、17年まで足かけ三年間滞在する。 「私の万年筆」
昭和16年(1941年)
1月1日 北原白秋(55)、鎌倉の香風園に家族同伴で行き、二泊する。3日海浜ホテルに移り、6日に帰京する。短歌「湘南新春吟」。 「多磨」、「私録」
1月初旬 富安風生(55)、鎌倉鶴岡八幡宮に初詣をする。「鳩の翔つ塵もめでたし初詣」、他一句。 「鳩の翔つ塵もめでたし初詣」詞書き
1月11日 西田幾多郎(70)、鎌倉に行き、姥ケ谷の家に滞在する。4月4日に京都に帰る。7月23日から10月18日の間も滞在する。 『西田幾多郎全集』日記
1月13日 島崎藤村(68)、大磯に行き、大内館に泊まる。14日の左義長の祭で安田靫彦、中勘助らと会う。15日、湯河原に行く。 「雑記帳」
早春 松根東洋城(63)、箱根に行き、俳諧草庵を開く。俳句「山を詠ふ」四十七句。「霞む日や俳諧草庵峰の寺」。 『東洋城全句集』
2月4日 秋元不死男(39)、京大俳句事件に連坐して、横浜山手警察署に留置される。12月16日、東京拘置所に拘置され、18年2月10日に保釈される。 「瘤」
2月10日 津村信夫(32)、大雪の中、横浜に行き、父の弟子三浦玄二を訪ねる。帰途、東横線の中で恩師小泉信三と会う。 『津村信夫全集』年譜
2月12日 柳田国男(65)、鎌倉郡中和田村(現横浜市)の柳明に行く。「柳明」。 「柳明」
2月18日 高倉輝(49)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。3月、9月、10月にも訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
2月25日 島崎藤村(69)、大磯町東小磯八八に家(町屋園)を借りる。17年8月に買いとる。大磯と東京を往き来し、その間、しばしば湯河原を訪れる。 『島崎藤村全集』年譜、書簡
2月下旬 尾山篤二郎(51)、三浦半島に遊び、芦名浄楽寺、油壺、三崎をめぐり、芦名の淡路氏別邸で「この花会」を開く。 滝沢博夫『評伝尾山篤二郎』年譜
2月 中村光夫(30)、鎌倉の稲村ガ崎四一三番地に移り住む。 『日本現代文学全集』92年譜
3月9日 広瀬哲士(57)、鎌倉の姥ケ谷に西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
3月13日 高浜虚子(67)、小田原に行き、斎藤香村宅で七宝会を催す。俳句六句。 『句日記』
3月23日 高浜虚子(67)、横浜の鶴見に日本探勝会で行き、花月園を訪ねる。「総持寺は矢の先の方木の芽坂」。俳句四句。 『句日記』
3月 中島敦(31)、横浜高等女学校を病気のため休職する。6月16日に退職届を出す。翌年12月死去する。 『中島敦全集』年譜
3月 伊丹三樹彦(21)、現役入営を前に「旗艦」同人たちと会うために上京し、そのあと大和に行き、上鶴間の青柳寺に八幡城太郎を訪ねて一泊する。翌日、八幡城太郎の案内で横浜に行き、鷲巣繁男に会う。 『伊丹三樹彦全句集』、坪内稔典「伊丹三樹彦の出立」
4月1日 阿部昭(6)、藤沢市立第一国民学校初等科に、国民学校最初の一年生として入学する。のち鵠沼中学校を経て、湘南高等学校に学ぶ。 『阿部昭全作品』年譜
4月7日 松村英一(51)、横浜の金沢八景に行き、千代本で保坂正夫の送別会を開く。 『松村英一全歌集』年譜
4月11日 田畑修一郎(37)、津久井郡の与瀬町に行き、相模川でハヤ釣りをしたが、河虫がほとんど居ず無収穫に終わる。河原でひる寝して帰京する。 『田畑修一郎全集』日記
4月15日 佐藤紅緑(66)、川崎に行き、登戸の丸山本院に、伊藤葦天管長の尽力で建った句碑「天地のはじめ畑を誰が打ちし」の除幕式に参列し、記念句会を開く。北林透馬、翁久允、福田正夫、佐藤惣之助らも参集する。 伊藤葦天句集『穂』所収の写真と説明
4月 深田久弥(38)、箱根に行き、強羅、芦ノ湖から金時山をめぐる。 『人物書誌大系』14年譜
4月 佐佐木信綱(68)、横浜の金沢の金沢文庫を訪ねる。短歌五首。 『作歌八十二年』
4月 渾大防小平(50)、県立横須賀工業学校(現横須賀工業高校)の嘱託となる。 『渾大防小平遺稿集』年譜
松村英一(51)、鎌倉に行き、療養中の子を見舞う。「病む子其二」七首、「鎌倉雑吟」七首、「小坪道」五首。 『松村英一全歌集』年譜
大橋松平(47)、多摩川に遊ぶ。短歌二十七首。初夏、平塚に吟行する。短歌五首。  
5月19日 河合栄治郎(50)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。体が不調で休養する。「後半の公判をしつかりやつて汚名を雪ごう」と決意する。24日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
5月23日 高浜虚子(67)、逗子の小坪に行き、小坪寺で鎌倉俳句会を催す。俳句五句。 『句日記』
5月24日 古川緑波(37)、箱根に妻子を連れて行き、宮ノ下の富士屋ホテルに泊まる。水上滝太郎「貝殻追放」などを読む。昨年2月の時と比べて食事がひどく緊縮ぶりであった。27日、ロビーで喜多村緑郎と会う。強羅ホテルに森田たまを訪ねる。28日、帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
5月下旬 堀口大學(49)、藤沢の鵠沼に行き、友の家に身を寄せる。 詩「興津懐古」
5月 並木秋人(47)、足柄国民学校高等科生の遠足に加わり箱根の足柄峠を越える。 中畑信雄『歌人並木秋人』
5月 松本たかし(35)、箱根の湯本に遊ぶ。「箱根湯本」三句。 「箱根湯本」
6月7日 津村信夫(32)、第二詩集出版の相談のため、小田原の早川口に住む三好達治を訪ねる。三好達治は不在で、外出先の熱海まで赴く。 『津村信夫全集』日記
6月7日 北原白秋(56)、三浦三崎に詩碑歌碑建設のための打ち合わせに妻と行き、三崎館に泊まる。翌日、午後横須賀を経て帰京の途次、横浜三渓園での支部歌会に出席する。 「多磨」、「私録」
6月22日 前田夕暮(57)、横浜に行き、市教育会館で開かれた、県文化翼賛連盟の一翼としての県歌人会結成大会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
6月22日 黒田三郎(22)、鎌倉に行き、藤沢の江の島にまわる。夕暮れ、岩畳の上で、波の砕け散るのを眺め、いろいろなことを考える。「僕は俗物だ」と繰りかえし思い、「砂の上を歩くと僕は少年になってしまう」と思う。小田急で帰京する。 『黒田三郎日記』
6月24日 津村信夫(32)、小田原に三好達治を訪ね、三好達治に同道して上京、丸ノ内の大政翼賛会で岸田国士と高村光太郎に紹介される。 『津村信夫全集』日記
6月 一色次郎(25)、川崎の海軍管理工場芝浦製作所銘板(ネームプレート)部の工員となる。翌年退職する。 旺文社文庫『左手の日記』所収年譜
初夏 岩波茂雄(59)、箱根に行き、強羅ホテルに静養中の長男を見舞い、たまたま滞在中の森田たまと親しくなる。 森田たま「私の万年筆」
7月2日 斎藤茂吉(59)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在し、洋行中の歌稿整理などをする。9月12日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月6日 柳田国男(65)、箱根に行き、仙石原の折口信夫の別荘で連句の会を営む。 『定本柳田国男集』年譜
7月7日 河合栄治郎(50)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。由良哲次「実践哲学の基本問題」、花見氏「鎌倉時代概観」を読む。「道徳生活と哲学」を書き始め、「公判記」を書く。16日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
7月15日 柳田国男(65)、横浜港から氷川丸で神戸に向けて出航、船上での洋行座談会に加わる。林芙美子、内田百閒らも参加する。 『定本柳田国男集』年譜
7月25日 津村信夫(32)、5月、6月と下見しておいた鎌倉の建長寺内の禅居庵の借家に転居する。大船町山ノ内一五三四番地である。18年11月に浄智寺裏に移る。 『津村信夫全集』日記
7月 土方与志(43)、横浜港に、ヨーロッパ滞在を打ちきって帰国し、そのまま特高警察によって逮捕される。敗戦の年の秋まで監獄生活を送る。 尾崎宏次、茨木憲『土方与志』
8月2日 横光利一(43)、箱根に行き、日本精神道場で行われた、五日間にわたる、大政翼賛会主催の第一回「みそぎ」に参加する。滝井孝作、中村武羅夫も参加する。「みそぎ祭」。 『横光利一全集』年譜
8月4日 山口茂吉(39)、箱根に行き、強羅山荘に滞在中の斎藤茂吉を訪ねる。 『斎藤茂吉全集』日記
8月16日 高浜虚子(67)、箱根に行き、元箱根の松阪屋に滞在、句謡会を催す。18日に帰宅する。俳句十句。 『句日記』
8月25日 大橋松平(47)、箱根に行き、強羅の別荘に斎藤茂吉を訪ねる。 『斎藤茂吉全集』日記
8月27日 青野季吉(51)、藤沢の江の島へ、「海が恋しくなって」、出かける。四、五年ぶりに遊泳する。 『青野季吉日記』
8月28日 戸坂潤(40)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
8月28日 津村信夫(32)、横浜に行く。高村光太郎の詩集『智恵子抄』を買ってくる。 『津村信夫全集』日記
8月30日 古川緑波(38)、9月からガソリン車廃止の由で、横浜へ名残りのドライブをし、中華街の聘珍楼で食事をする。「自動車よさらば、今日の横浜ドライブは、もはや最後のドライブであらう。さあ歩け歩けが始まるのだ。辛い!」。 『古川ロッパ昭和日記』
8月31日 佐藤佐太郎(31)、山口茂吉と箱根に行き、強羅山荘に斎藤茂吉を訪ねる。 『斎藤茂吉全集』日記
8月 三好達治(41)、7月21日に早川が決壊して家財が浸水し、御幸ノ浜の養生館に避難したあと、十字町諸白小路三ノ七一〇番地に移る。19年3月、福井県三国に移住する。 『三好達治全集』書簡、年譜
松本たかし(35)、三浦三崎に行き、本瑞寺に泊まる。「三崎・本瑞寺に泊る 三句」。 「三崎・本瑞寺に泊る 三句」
都筑省吾(41)、藤沢の鵠沼に行き、友人宅での歌会に出席、会ののち、汀づたいに片瀬に歩く。短歌六首。  
岡麓(64)、逗子に行き、海岸に遊ぶ。雨にあう。短歌「逗子海岸」五首。 「逗子海岸」、『岡麓全歌集』
9月初旬 石坂洋次郎(41)、大船の松竹撮影所に行き、自作「何処へ」のセット撮影を見学する。 「『何処へ』の映画化」
9月中旬 宗左近(22)、小田原に三好達治を訪ね、一高での講演を依頼する。 石原八束『駱駝の瘤にまたがって』
9月 飯田龍太(21)、国学院大学休学中、真鶴に転地療養する。 福田甲子雄『飯田龍太』
10月7日 丸山薫(42)、鎌倉に行き、山ノ内の禅居庵に住む津村信夫を訪ねる。「丸山さんは山や樹がこわいとさかんに云ふ。森々の気を怖れるなり」と信夫は日記に書く。一泊して翌日の昼すぎに帰京する。 『津村信夫全集』日記
10月14日 安倍能成(57)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
10月25日 津村信夫(32)、横浜の新子安の日産自動車会社内青年学校の教師として務めはじめる。徴用を避けるためである。 『津村信夫全集』日記
10月25日 中山義秀(41)、藤沢の鵠沼道場における大政翼賛会中央訓練所主催の禊修行に参加する。菊池寛、吉川英治、福田正夫も同行し、福田正夫と共に最終日の29日まで務めた。「修齋記」。 「修齋記」
10月26日 津村信夫(32)、急に思いたって小田原に三好達治を訪ねる。「三好さんは高村さんの芸術はあまり高く買つてゐない。あれは一種のデモクラシイだと云つてゐた」。 『津村信夫全集』日記
10月29日 北原白秋(56)、三浦三崎の油壺ホテルで保養する。ついで11月2日、見桃寺の歌碑除幕式に出席、「多磨」吟行会を開く。翌日、鎌倉の海浜ホテルに移り、一泊の後帰京する。 『白秋全集』年譜
10月 小田切秀雄(25)、県立横須賀中学校(現横須賀高校)の国語教師となり、東京から通勤する。翌年3月に府立園芸高校に転ずる。 『私の見た昭和の思想と文学の五十年』
10月 佐藤義亮(63)、湯河原に手術後の転地療養する。 天野雅司編『佐藤義亮伝』年譜
10月 赤城さかえ(33)、逗子の湘南サナトリウムに入院する。20年11月中旬に退院する。 『赤城さかえ全集』年譜ほか
中村汀女(41)、横浜の三渓園に吟行する。俳句「横浜三渓園吟行」三句。 「横浜三渓園吟行」
松本たかし(35)、箱根に行き、芦ノ湖畔の松阪屋に滞在する。「箱根芦の湖畔松阪屋滞在 五句」。 「箱根芦の湖畔松阪屋滞在 五句」
安西篤子(14)、中国大陸から帰国し、横浜宮崎町の社宅に入る。ついで三春台に移り、県立横浜第一高等女学校に通う。18年には東京に移る。 「宿縁」
窪田空穂(64)、鎌倉に行き、太田水穂を訪ねる。短歌「鎌倉に遊ぶ」ほか。 『窪田空穂全集』年譜
滝春一(40)、大磯に遊ぶ。句二句。冬にも遊ぶ。句二句。 『滝春一全句集』
高田浪吉(43)、家族を連れて六国峠を越え、鎌倉に下る。短歌「相模六国峠越え」四首。 「相模六国峠越え」
11月15日 小杉天外(76)、鎌倉ペンクラブの主催で喜寿の会が催される。 『明治文学全集』65年譜
11月15日 谷口雅春(47)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた生長の家講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
11月 辻潤(57)、小田原の山内我乱洞方に寄寓する。12月5日、宮城県気仙沼に行く。 『辻潤全集』年譜
初冬 吉野秀雄(39)、箱根に遊ぶ。短歌「芦湖初冬」四首。 「芦湖初冬」
12月5日 古川緑波(38)、伊豆長岡の帰途、横浜に途中下車して、芝居の立見や東宝の東海林太郎のアトラクションなどを見て、中華街の聘珍楼に行く。8月の時と違って「何とムザンや不味いの何のつて」。伊勢佐木町の博雅で買ったシュウマイも魚肉であった。「あゝ食ひものよ、何うなり行く」。 『古川ロッパ昭和日記』
12月7日 半田良平(54)、横浜の金沢に行き、泊まる。短歌「武州金沢にて」八首。 「武州金沢にて」
12月7日 坂口安吾(35)、小田原に行き、ガランドー工芸社に滞在する。翌日、小田原の床屋で太平洋戦争勃発をラジオのニュースで知る。 「真珠」
12月8日 中村光夫(30)、相模カントリーにゴルフに行く。ラジオがないので太平洋戦争の開戦を知らず、鎌倉駅のプラットホームで近所の奥さんから知らされる。ゴルフ場には河上徹太郎も来ていた。午後のゴルフは半分で切りあげ、帰途、いつものように中央林間近くの安売りの八百屋で野菜を買いこむ。 巌谷大四『懐かしき文士たち』
12月8日 吉野秀雄(39)、小田原に三好達治を訪ねていて、太平洋戦争開戦を知る。 『三好達治全集』年譜
12月12日 徳川夢声(47)、川崎に行き、公会堂で開かれた講演会で講演をする。久米正雄、浜本浩、吉川英治も講師であった。 『夢声戦争日記』
12月15日 江頭彦造(28)、横須賀の海軍砲術学校で一カ月の訓練をうける。 『江頭彦造著作集』年譜
12月27日 徳川夢声(47)、横浜に行き、横浜宝塚劇場に出演、「放送失敗の話」をする。 『夢声戦争日記』
12月下旬 小泉信三(53)、箱根に、出征を前にした子の信吉らと行き、宮ノ下ホテルに数日間滞在する。信吉は17年元日の夜に立っていった。 『海軍主計大尉小泉信吉』
12月 小林勇(38)、鎌倉扇ケ谷に岩波茂雄が建ててくれた家に引越す。ここが終生の住家となり、56年11月20日に死去する。 谷川徹三ほか編『回想小林勇』年譜
月日未詳 江藤淳(7)、病弱のため鎌倉に移り、極楽寺六〇五の義祖父の隠居所に住む。のち鎌倉第一国民学校を経て湘南中学校に入学する。 『江藤淳文学集成』年譜
月日未詳 菱山修三(32)、茅ケ崎小和田の万松閣に母と共に移り住み、療養生活をする。 『菱山修三全詩集』年譜
月日未詳 福田恆存(29)、藤沢の県立湘南中学校の嘱託講師となる。 『福田恆存評論集』年譜
昭和17年(1942年)
1月20日 津村信夫(33)、夜、鎌倉の長谷に行き、木立亭での鎌倉ペンクラブの会に出る。久米正雄、三好達治、永井龍男、深田久弥、大佛次郎、佐藤正彰らすべてで十六名であった。「この星月夜の林の中の家のやうな不思議な料理屋は、なかなか美味い。久し振りで御馳走をくつた」。 『津村信夫全集』日記
1月25日 矢内原伊作(23)、横須賀の第一海兵団に、海軍兵科予備学生として入団する。 『矢内原忠雄全集』年譜
1月 川端康成(42)、大磯に住む島崎藤村を訪ね、小山書店から創刊の雑誌「八雲」についての協力を依頼する。8月に創刊される。 『川端康成全集』年譜
1月 金達寿(22)、横浜の神奈川新聞社に就職する。18年5月退社、19年再入社、20年6月退社する。 『金達寿小説全集』年譜
1月 今井邦子(51)、湯河原に左手の骨折治療に行く。8月にも行く。中西屋に泊まる。短歌四首・十首・八首。 『今井邦子短歌全集』年譜
1月 中勘助(56)、大磯に左義長の祭を見に行く。大磯在住の島崎藤村と会う。 『中勘助全集』年譜
2月1日 丸山薫(42)、鎌倉に行き、山ノ内の禅居庵に住む津村信夫を訪ねて一泊する。 『丸山薫全集』書簡
2月4日 辻潤(57)、気仙沼を引きあげて、横浜の鶴見の津田光造方に寄寓する。 『辻潤全集』年譜
3月16日 矢内原忠雄(49)、横須賀に行き、第一海兵団に長男の矢内原伊作を訪ねるが、学生舎に伝染病発生のため面会不許可となり、帰る。 『矢内原忠雄全集』書簡
3月22日 水原秋桜子(49)、箱根に「馬酔木」の会員たちと吟行する。 『水原秋桜子全集』年譜
3月25日 青野季吉(52)、伊勢原からバスで広沢寺温泉に行く。金子洋文や鶴田知也も同宿する。読書と執筆に日をすごし、31日、帰京する。 『青野季吉日記』
3月 大佛次郎(44)、鎌倉文化連盟(大政翼賛会支部)結成にともない、委員長久米正雄の依頼で文学部長となる。 『大佛次郎全集』年譜
3月 宮内寒弥(30)、藤沢の鵠沼東海岸六七一一番地に転居する。 「食用蛙その他」
3月 城夏子(39)、藤沢の鵠沼に知人の別荘を借りて移り住む。ある日、「長谷川巳之吉」の表札に気づき、長谷川巳之吉を訪問、そこで林達夫にも出会う。 「辰知十年」
3月 中勘助(56)、大磯の安田靫彦宅での観梅会に行く。島崎藤村、石井鶴三も同席であった。 『中勘助全集』年譜
中村汀女(42)、「大川氏兄弟出征神奈川に訪ふ」。 句詞書き
4月2日 大木実(28)、横須賀の海軍に入隊中、鎌倉に行き、津村信夫を訪ね、夜送られて帰隊する。 『津村信夫全集』日記
4月21日 久保栄(41)、鎌倉に行き、銀行で書類の書き換えをする。28日にも再び行く。 日記
4月 西脇順三郎(48)、家族を鎌倉の大町の服部方に移り住まわせる。 『西脇順三郎全集』年譜
4月 深田久弥(39)、箱根に行き、金時山に登る。 『人物書誌大系』14年譜
5月4日 高浜虚子(68)、藤沢に高野素十らと行き、遊行寺境内に遊ぶ。「境内やところどころに大夏木」。俳句三句。 『句日記』
5月4日 河合栄治郎(51)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。「永井荷風集」を読み、「自分の江戸趣味が之によつて段々自覚せられる」ことを感じる。「日蓮」(大佛次郎著)、「植村正久文集」などを読む。12日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
5月上旬 吹田順助(58)、鎌倉に行き、扇ケ谷に住む岡本信二郎の死を弔問する。 『旅人の夜の歌』
5月 窪田空穂(64)、横浜に行き、料亭金陵で空穂会を開く。 『窪田空穂全集』年譜
5月 宇野浩二(50)、田畑修一郎(38)と箱根に行く。小田原で川崎長太郎と逢い、牧野信一の墓に詣る。 『宇野浩二全集』年譜
5月 村野四郎(40)、鎌倉に行き、材木座の義姉の別荘で、肺門淋巴腺の療養にあたる。 『村野四郎全詩集』年譜
6月2日 佐藤惣之助(51)、5月15日に東京で死去し、この日、川崎の菩提寺の日蓮宗正教寺に葬られる。 藤田三郎『佐藤惣之助』年譜
6月15日 高浜虚子(68)、川崎に玉藻吟行会で行き、明治精糖会社を訪ねる。俳句五句。 『句日記』
6月18日 亀井勝一郎(35)、横浜に行き、市立図書館で開かれた横浜読書協会総会で、「現今読書界の一般傾向」について懇談する。 『横浜近代史総合年表』
6月19日 荻原井泉水(58)、横浜の伊勢佐木町の野沢屋で墨戯展を開く。24日まで。 『横浜近代史総合年表』
6月26日 滝井孝作(48)、箱根に遊ぶ。 『浮寝鳥』
6月末 並木秋人(49)、平塚の西郊旭村河内の天台宗明王院の方丈を借り、一人で住む。離騒居(のち離爪居)と号する。 中畑信雄『歌人並木秋人』
6月 荻原井泉水(58)、鎌倉に行き、雪ノ下一四〇番地、鉄の井の前に家を借りて滞在する。 『大江』年譜
6月 渾大防小平(51)、川崎の日本鋼管川崎製鉄所青年学校講師となる。 『渾大防小平遺稿集』年譜
7月2日 島崎藤村(70)、湯河原に行き、伊藤屋旅館に三泊する。 『島崎藤村全集』書簡
7月6日 津村信夫(33)、鎌倉の長谷の浅羽屋での鎌倉ペンクラブの会に出る。川端康成、中里恒子、大佛次郎、それに初対面の林房雄など十名ほどの出席であった。帰途、鎌倉駅近くの中華料理店二楽荘に皆で行く。「酒ビールスタウトと出てその上、ハムや鶏肉が卓の上にづらりと並べられたのには一寸驚いた」。 『津村信夫全集』日記
7月9日 斎藤茂吉(60)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在、「作歌四十年」を書き始め、また正岡子規歌論の稿をすすめる。9月8日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月24日 柴生田稔(38)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在中の斎藤茂吉を訪ねる。 『斎藤茂吉全集』日記
7月26日 佐藤佐太郎(32)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在中の斎藤茂吉を訪ね、「アララギ」の「斎藤茂吉歌集批評特輯」についての意見を聞く。 『斎藤茂吉言行』
7月30日 柳田国男(66)、箱根に行き、仙石原の折口信夫の別荘で連句の会を営む。 『定本柳田国男集』年譜
7月31日 丸山薫(43)、鎌倉に行き、津村信夫を訪ねる。明月院、時頼の墓、円覚寺などを散歩する。翌日、由比ガ浜の海月で昼食をとり、共に東京に向かう。 『津村信夫全集』日記
7月31日 大悟法利雄(43)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在中の斎藤茂吉を訪ね、斎藤茂吉の著『伊藤左千夫』の見本刷を見せる。 『斎藤茂吉全集』日記
7月 深田久弥(39)、横須賀の憲兵隊に一日留置される。『紀行文集 山頂山麓』に屋久島の略図を載せようとして、スパイ容疑をうけたためである。 『人物書誌大系』14年譜
8月9日 小泉信三(54)、平沼亮三に招かれて横浜に行き、夜は磯子海岸の磯子園に在り、ソロモン海戦の捷報を聞く。 『海軍主計大尉小泉信吉』
8月10日 林房雄(39)、横須賀の大津国民学校で17日まで開かれた大東塾夏期講習会に講師として出席し、「大西郷と大東亜戦争」を講義する。 影山正治『日本民族派の運動』
8月15日 高浜虚子(68)、箱根に行き、元箱根の松阪屋に滞在、句謡会を催す。俳句八句。 『句日記』
8月16日 大橋松平(48)、箱根に在り、強羅の別荘に滞在中の斎藤茂吉を訪ね清談、夕食を共にする。 『斎藤茂吉全集』日記
8月23日 室伏高信(50)、東京代々木の家を引き払って、津久井郡与瀬町七〇七に移り住む。かつて居住した三沢村からは三里の川上である。 『山村記』
8月27日 山口茂吉(40)、箱根に行き、強羅山荘に斎藤茂吉を訪ね、一泊する。 『斎藤茂吉全集』日記
8月 佐佐木信綱(70)、鎌倉に行き、源実朝歌碑の除幕式に式辞を読む。「『おのづから山の蝉なきて』清く涼し今日のこの式を喜ばすらし」。 『作歌八十二年』
8月 松田常憲(46)、鎌倉に行き、鎌倉ペンクラブが行った第一回実朝祭で「実朝の王侯体の歌について」を講演する。短歌二首、長歌一首。 『松田常憲全歌集』
永井龍男(38)、大佛次郎の鎌倉アマチュア写友会と、久米正雄のもとに集まる文壇句会を合同させ、荏柄句会を作る。 『永井龍男全集』年譜
大橋松平(48)、箱根に遊ぶ。短歌五首。  
飯田蛇笏(57)、箱根に遊ぶ。俳句「箱根芦の湖」一句。 「箱根芦の湖」
9月5日 丸山薫(43)、鎌倉に行き、津村信夫を訪ね、二泊する。 『津村信夫全集』日記
9月11日 津村信夫(33)、鎌倉の長谷の浅羽屋での鎌倉ペンクラブの会に出る。横山隆一の歓迎会であった。福永恭助、関口泰、林房雄なども出席していた。 『津村信夫全集』日記
9月25日 高浜虚子(68)、藤沢の片瀬に行き、西方の仙石隆子邸で鎌倉俳句会を催す。俳句四句。 『句日記』
9月 生田蝶介(53)、藤沢の鵠沼に遊ぶ。短歌「鵠沼海岸」。 「鵠沼海岸」
9月 藤枝静男(34)、平塚の第二海軍火薬廠海軍共済組合病院眼科部長に就任する。 『藤枝静男著作集』年譜
10月8日 柳田国男(67)、川崎の溝口に新村出と散歩し、国木田独歩の記念碑に案内する。 『定本柳田国男集』年譜
10月21日 西田幾多郎(72)、鎌倉に行き、姥ケ谷の家に滞在する。越年する。 『西田幾多郎全集』日記
10月23日 高浜虚子(68)、逗子に行き、久木の岩殿観音(岩殿寺)で、鎌倉俳句会を催す。俳句六句。 『句日記』
10月24日 宇野浩二(51)、箱根の底倉の仙石楼に「日曜会」の遠足で行く。渋川驍、石光葆らが同行。宮ノ下で川崎長太郎が出迎える。 石光葆「昭和十七年」
10月 角田喜久雄(36)、海軍報道班員としての従軍から帰還し、箱根の強羅に滞在して静養する。 中島河太郎ほか編『華甲記念文集』年譜
吉野秀雄(40)、逗子に遊ぶ。短歌「逗子行」九首。 「逗子行」
川崎長太郎(40)、宇野浩二、田畑修一郎、中山義秀の四人が小田原の盛り場を歩く。「義秀さんのことなど」。 「義秀さんのことなど」
11月4日 柳田国男(67)、湯河原に行く。「湯河原」。 「湯河原」
11月7日 唐木順三(38)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。12月27日、高桑純夫らと再訪する。 『西田幾多郎全集』日記
11月26日 高浜虚子(68)、川崎に行き、明治精糖会社で臨時川崎俳句会を催す。俳句一句。 『句日記』
11月27日 古川緑波(39)、横浜に「音楽大夜会」のロケーションに行き、横宝のすぐそばの「いとう屋旅館」に泊まり、「梅林」でとんかつと蝦のカレーライスを食べる。夜、磯子の重の井に行く。28日外国人墓地付近でロケーション、夜再び重の井に行く。29日、ロケーションの後、帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
12月4日 島崎藤村(70)、横浜に行き、ホテル・ニューグランドに泊まり、翌日外国人墓地、山手、中華街などを回る。 「雑記帳」
12月7日 河合栄治郎(51)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。西哲叢書「デカルト」、馬場孤蝶「明治の東京」を読む。「昨今の感想」を書く。11日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
12月16日 丸山薫(43)、鎌倉に行き、津村信夫を訪ね、一泊する。 『津村信夫全集』日記
12月17日 小泉信三(54)、箱根に一家で行く。子の信吉戦死に伴う弔問への対応の疲れのため、宮ノ下ホテルに泊まり、21日に帰京する。 『海軍主計大尉小泉信吉』
12月 乾直恵(41)、相模原上鶴間矢口の青柳寺の僧房に、高祖保の案内で八幡城太郎を訪ねる。 上田周二『詩人乾直恵』
12月 柴田錬三郎(25)、召集され、相模原第八十九重砲連隊に入営する。幹部候補生試験を受けることを拒否、衛生兵として相模原陸軍病院に配属され、三カ月後、横須賀陸軍病院に転属となる。18年夏、病気を理由に召集解除となる。「わが生涯の空白」。 澤辺成徳『無頼の河は清冽なり』
月日未詳 小泉信三(54)、大磯に行き、高麗山の原田熊雄邸の晩餐会に出席し、吉田茂らに初めて会う。 今村武雄『小泉信三伝』
月日未詳 呉茂一(45)、藤沢の辻堂に移転する。 藤沢市文化人資料
昭和18年(1943年)
1月1日 西田幾多郎(72)、前年秋以来、鎌倉姥ケ谷の家に滞在し越年する。6月16日に京都に帰る。7月17日から翌年初夏にかけての間も滞在する。 『西田幾多郎全集』日記
1月3日 杉森孝次郎(61)、津久井郡与瀬町に住む室伏高信を訪ね、清談に時局談に時をすごす。夜、帰京する。 室伏高信『山村記』
1月9日 高浜虚子(68)、家の新築祝いを兼ね、鎌倉の高木晴子宅にて句会を行う。 『高浜虚子全集』研究年表
1月上旬 尾崎士郎(44)、箱根に行き、塔之沢環翠楼に滞在、慢性胃潰瘍の静養をする。12日ごろ帰京の予定とする。 尾崎一雄あて書簡
1月11日 河合栄治郎(51)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。読書に明け暮れる。横光利一「刺羽集」を読み「文学者としては思想もあり、勉強もしている方だろうが物足りない」と思う。16日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
1月18日 高浜虚子(68)、横浜キリスト教青年会の句会に出席する。 『高浜虚子全集』研究年表
1月25日 橘樸(61)、津久井郡与瀬町に住む室伏高信を訪ね、数時間話して帰る。 室伏高信『山村記』
1月 山口茂吉(40)、鎌倉に遊ぶ。 加藤淑子『山口茂吉』
早春 伊藤葦天(59)、大山山麓の広沢寺温泉に遊ぶ。 句集『穂』年譜
2月1日 河合栄治郎(51)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。カントを読み、また講談「梁川庄八」を読む。6日、帰京する。22日に再び行く。カント「人間学」などを読む。 『河合栄治郎全集』日記
2月25日 小泉信三(54)、横須賀に行く。翌日再び行き、故信吉らの海軍合同葬儀に列する。 『海軍主計大尉小泉信吉』
2月 真船豊(41)、鎌倉の円覚寺境内の離れ家を借り、石原求龍堂から頼まれた「梅原龍三郎」の執筆にあたる。 『孤独の徒歩』
3月7日 妹尾義郎(53)、真鶴に行き、友人の長風山荘を訪ね、「心談」つきず、一泊して帰京する。 『妹尾義郎日記』
3月8日 津村信夫(34)、藤沢の辻堂に行き、富士見丘に住む呉茂一を訪ねる。ブランデンブルグ・コンチェルトやシャリアピンのレコードを聞かせてもらう。「永い間忘れてゐたやうな一つの詩的昂奮を感じた」。 『津村信夫全集』日記
3月15日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。松村克己「アウグスティヌス」、岩下壮一「中世哲学史」、山谷省吾「パウロの哲学」などを読む。19日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
3月18日 唐木順三(39)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
3月21日 室伏高信(50)、国府津の海岸に行き、国府津館に泊まり、弟二人と話をする。この数年、毎月二、三日は国府津ですごす。ここのしらすが大好物であった。「朝とつて昼には溶けてしまふ『しらす』が、私にとつては魚肉の王者である」。 『山村記』
3月29日 中村光夫(32)、唐木順三と共に、鎌倉姥ケ谷に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
3月29日 丸山薫(43)、鎌倉に行き、津村信夫を訪ねて四泊し、4月2日、横浜駅まで同道して、別れる。 『津村信夫全集』日記
3月30日 柳田国男(67)、鎌倉で講演をする。 『定本柳田国男集』年譜
3月 川合仁(42)、川崎の小杉にある加藤一夫の持家を借りて転居する。 『私の知っている人達』年譜
3月 前田夕暮(59)、川崎の工場地帯を視察する。芝浦特殊合金製作所で講演する。 前田透『評伝前田夕暮』年譜
3月 福永武彦(25)、藤沢の日ノ出町四二〇番地の羽衣荘に移り住む。翌年2月、東大病院に入院のため帰京する。 『福永武彦全集』年譜、書簡
滝春一(41)、藤沢の鵠沼に遊ぶ。句四句。 『滝春一全句集』
4月5日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。西田幾多郎「自覚に於ける直観と反省」、三谷隆正「アウグスティヌス小伝」、ジンメル「カントとゲーテ」を読む。10日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
4月22日 高浜虚子(69)、古希の祝いをかね、鎌倉俳句会二百五十回祝賀句会を開く。 『高浜虚子全集』研究年表
4月29日 高見順(36)、北陸の講演旅行から帰って上野に着くと、その足で北鎌倉の引越し先に妻と行く。5月1日、残りの荷物を大森から運ぶ。 『高見順日記』
4月 阿川弘之(22)、横須賀の海軍通信学校に入り、特務班要員としての訓練をうける。対敵通信諜報暗号解読の機関であった。 『阿川弘之自選作品』年譜
4月 渾大防小平(52)、横浜蒔田町の勝国寺の離れ家に仮寓、二カ月余をすごす。 『渾大防小平遺稿集』年譜
5月2日 津村信夫(34)、鎌倉駅近くの中華料理店二楽荘での鎌倉ペンクラブの会に出る。珍しく小林秀雄が出席、久米正雄、里見弴も顔を見せた。ブドー酒を飲み、初めて酔っぱらって、フラフラして帰った。 『津村信夫全集』日記
5月3日 呉茂一(45)、鎌倉に行き、山ノ内の禅居庵に住む津村信夫を訪ねる途中、車内で偶然津村信夫と一緒になる。夕方、亀ケ谷の小林秀雄のところに連れていかれ、焼物などを見せてもらう。 『津村信夫全集』日記
5月5日 田畑修一郎(39)、宇野浩二、中山義秀夫妻と小田原に行き、川崎長太郎と落ちあい、箱根に向かい塔之沢の環翠楼に泊まる。「後藤新平伝」の構想を語る。翌日、宮ノ下ホテルで昼食、小田原で夕食ののち帰京する。 『田畑修一郎全集』日記
5月12日 西田幾多郎(72)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中、藤沢の江の島の岩本楼で会合をもつ。「来会者、金森、金井、田辺、石田磯次」。 『西田幾多郎全集』日記
5月12日 丸山薫(43)、鎌倉に行き、山ノ内の禅居庵に住む津村信夫を訪ね一泊する。 『津村信夫全集』日記
5月13日 与田凖一(37)、鎌倉に行き、山ノ内の禅居庵に住む津村信夫を訪ね、印税の一部として五百円を届ける。前日から来ていた丸山薫も交えて話す。 『津村信夫全集』日記
5月22日 高見順(36)、横浜鶴見に行き、佐藤敬、美子夫妻を訪ね、絵を依頼する。 『高見順日記』
5月28日 妹尾義郎(53)、箱根に、勤務先の東洋乾電池会社の慰安旅行で百三十余名と共に行き、遊覧するが、あいにくの雨天であった。 『妹尾義郎日記』
5月30日 津村信夫(34)、藤沢の辻堂に行き、呉茂一を訪ねる。夫人が先日三十二歳で亡くなったことを知る。「呉さんには一種明治の匂ひがある。なんとなく小説に出てくるやうな感じの人だ。知性的であつても現代的な形ではない。なにか寂しさがひつそりと身についた人である」。 『津村信夫全集』日記
5月末 森田たま(48)、鎌倉に行き、松涛庵での茶会に出席する。吉屋信子が相客であった。 「鎌倉」
5月 川崎長太郎(41)、宇野浩二、田畑修一郎、中山義秀と箱根を歩く。 『中山義秀全集』月報6、写真
6月9日 尾崎士郎(45)、横浜に行き、横浜基督教青年会館で開かれた、必勝青年教養講座で講演する。 『横浜近代史総合年表』
6月14日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。アリストテレス「倫理学」にうちこむ。19日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
6月23日 柳田国男(67)、茅ケ崎に行き、別荘に26日まで滞在し、読書をする。 『定本柳田国男集』年譜
6月26日 神西清(39)、箱根に行き、底倉の蔦谷に一泊する。 『人物書誌大系』23年譜
6月28日 本多顕彰(44)、国府津に移り住む。見すてられ、生活を奪われても、「どんなにしても生きのこつてやれ」という思いで、住み家を求めて、鵠沼、藤沢、辻堂、茅ケ崎、平塚、大磯、二宮と湘南地方を歩き廻った末の転居であった。 『指導者―この人びとを見よ』
6月 立原正秋(17)、横須賀商業高校在学中、勤労動員で横須賀海軍工廠に働く。12月、繰上げ卒業となる。 『立原正秋全集』年譜
7月4日 津村信夫(34)、藤沢の辻堂に、花を買って、呉茂一を訪ねる。「辻堂は寂しいところだ」。7月10日にも行く。「辻堂は北鎌倉へんに較べるとやや新開地の感がある」。27日にも訪ねたが留守であった。 『津村信夫全集』日記
7月12日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に三泊する。高橋穣「倫理学」、片山正直「倫理学」、ウインデルバント「道徳の原理」などを読む。15日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
7月18日 斎藤茂吉(61)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在し、「古典全書」の「金槐集」の校注、解説、長塚節の歌についての原稿などを書く。9月7日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月23日 石田波郷(30)、箱根に行き、強羅の一福で開かれた七曜会に出席する。 『石田波郷全集』年譜
7月24日 妹尾義郎(53)、伊豆函南の友人を訪ねようと函南駅まで行ったが、ドシャ降りで一旦引きかえし、湯河原に一泊する。 『妹尾義郎日記』
7月31日 神西清(39)、藤沢の鵠沼に一同と海水浴に行く。「夕食頗る美味豊富。浜辺に酔歩を曳く」。一泊し、土産の水瓜、水蜜、まくわ瓜、白魚、乾魚などを入れたリュックをかついで帰る。 『人物書誌大系』23年譜
8月4日 古川緑波(39)、箱根に行き、先発の母、妻、子と合流し、強羅ホテルに泊まる。10日、宮ノ下の富士屋ホテルに移る。朝日新聞社の鈴木文史朗夫妻などと会う。13日、「第四十一回誕生日」。15日、ロビーで犬養健と話しこむ。17日、帰京する。「二人寄れば食ものゝ話、段々とヤミの話、これが近頃の『社交』。変わる世の中、人心」。 『古川ロッパ昭和日記』
8月7日 丸山薫(44)、鎌倉に行き、津村信夫を訪ね、一泊する。 『津村信夫全集』日記
8月12日 高浜虚子(69)、箱根に行き、湯本の清光園で句謡会を催す。翌日小田原に出て早雲寺をめぐり、山中湖に向かう。「幾本の蝉の大樹や早雲寺」。俳句七句。 『句日記』
8月21日 島崎藤村(71)、大磯の自宅で、「東方の門」執筆中に脳溢血で倒れる。22日、死去する。24日、大磯南本町地福寺境内に土葬される。「文樹院静屋藤村居士」。 『島崎藤村全集』年譜
8月29日 佐藤佐太郎(33)、小田急線で箱根に行き、強羅の別荘に滞在中の斎藤茂吉を訪ね一泊。翌日、朝の山を一緒に散歩する。 『斎藤茂吉言行』
8月 富安風生(58)、箱根に行き芦之湯に滞在する。 『自選句集 春時雨』年譜
8月 中山義秀(42)、海軍報道班員として南方諸地域巡歴の留守中に、留守宅は鎌倉の極楽寺九一番地に引越す。12月鎌倉に帰還する。 「鎌倉交遊記」
中村汀女(43)、横浜港に行く。「横浜港」二句。 「横浜港」
中村草田男(42)、箱根芦ノ湖に吟行する。「芦の湖にて」十二句。 「芦の湖にて」
9月19日 伊藤整(38)、藤沢の片瀬で開かれる十和田操の戦地からの帰還歓迎句会に出るついでに、辻堂の小林家に寄ろうと思い、小田急線を藤沢駅で東海道線に乗りかえたが、茅ケ崎まで行ってしまい、引きかえして片瀬の柏屋旅館に入る。那須辰造、城左門、福田清人、高祖保、岩佐東一郎、十和田操等が出席する。夕食は刺身、煮魚、野菜煮、エビフライ、ビール五本、ウイスキー三本など久しぶりの御馳走であった。会費は六円で安かった。 『太平洋戦争日記』
9月27日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。カントを読む。10月4日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
9月28日 柳田国男(68)、鎌倉に行き、10月4日まで滞在する。 『定本柳田国男集』年譜
9月 並木秋人(50)、旭村のうちで高根に移り親子三人の暮らしを始める。二合庵と号する。 中畑信雄『歌人並木秋人』
10月3日 高見順(36)、鎌倉小町の二楽荘に改造社社長の招宴で行く。川端康成、林房雄、大佛次郎、久米正雄などと同席する。肌のあわない林房雄と酔って議論する。 『高見順日記』
10月12日 徳川夢声(49)、大船の松竹撮影所に行くが、何もなくお帰り下さいとのことであった。 『夢声戦争日記』
10月26日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。カントを読みつづける。塩尻公明「天分と愛情の問題」や、講談「大久保彦左衛門」を読む。11月上旬、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
10月28日 柳宗悦(54)、箱根に行き、国立傷痍軍人療養所で製作品を見、「民芸について」を講演する。 『柳宗悦全集』年譜
10月28日 鹿子木員信(58)、横浜に行き、開港記念会館で開かれた、大日本言論報告会主催の思想謀略破砕大講演会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
10月31日 徳川夢声(49)、大船の松竹撮影所に行き、「生きている彦六」の吹きこみをし、宣伝スチールを撮る。 『夢声戦争日記』
10月下旬 山口茂吉(41)、藤沢の鵠沼に遊ぶ。短歌「秋海」十三首。 加藤淑子『山口茂吉』
10月 小島直記(24)、海軍経理学校生徒の時、病を得て横須賀の海軍病院に入院する。12月に退院する。 『小島直記伝記文学全集』15年譜
10月 辻潤(59)、小田原の山内我乱洞方に寄寓する。 『辻潤全集』年譜
10月 尾崎孝子(46)、逗子に転居する。 『尾崎文庫目録』①
11月1日 徳川夢声(49)、大船に行き、松竹撮影所で「お婆さん」の撮影をする。9日にも撮る。 『夢声戦争日記』
11月5日 徳川夢声(49)、大船の松竹撮影所に行くが仕事はなく、北鎌倉に行き、初めて円覚寺に詣で、北条時宗の廟所を見る。 『夢声戦争日記』
11月14日 永井柳太郎(62)、横浜に行き、横浜基督教青年会の出陣学徒壮行会で講演する。 『横浜近代史総合年表』
11月25日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。「カント書簡集」、山口諭助「カントの哲学概念」、リッケルト「現代文化の哲人としてのカント」を読む。12月4日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
11月26日 古川緑波(40)、小田急線で箱根に行き、宮ノ下の富士屋ホテルに泊まる。ロビーで滞在中の喜多村緑郎と話しこむ。27日、熱海に向かう。 『古川ロッパ昭和日記』
11月30日 津村信夫(34)、鎌倉の内で浄智寺裏に新居を買って転居する。佐藤正彰の家と向かいあわせである。 『津村信夫全集』年譜、日記
12月1日 高見順(36)、横浜に行き「若き姿」を見る。 『高見順日記』
12月9日 徳川夢声(49)、大船の松竹撮影所に行く。途中、東京駅は学徒出陣のため検札が厳重だった。「出陣列車襟巻の父見送れり。枯野走る学徒出陣列車かな」。「決戦」の撮影をおこなう。10日、11日とつづいて撮る。 『夢声戦争日記』
12月12日 丸山薫(44)、鎌倉に行き、浄智寺谷の新居に移った津村信夫を訪ねる。「丸山さんの寝言をきく『ミヨ子』と一声云つた」と、津村信夫は日記に書く。翌日、海浜ホテルで夕食をとる。「ポタージュに魚一皿、肉一皿にケーキ、あまりうまくなかつた」。 『津村信夫全集』日記
12月21日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。カントについてまとめる。宮本和夫「カント研究」、木村素衛「独乙観念論」などを読む。19年1月1日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
12月24日 高浜虚子(69)、藤沢の片瀬に行き、西方の仙石隆子邸で鎌倉俳句会を催す。俳句六句。 『句日記』
12月末 本多顕彰(45)、小田原に行き、富士フイルム工場にかつての教え子を訪ね、就職を依頼する。話は進んだが、結局、軍のブラックリストに載っているということで駄目になる。 『指導者―この人びとを見よ』
12月 山川方夫(13)、二宮町二宮九七番地に新築の家が落成、疎開をかねて一家で移り住む。20年8月15日の敗戦もここで迎える。 『山川方夫全集』年譜
月日未詳 近藤東(39)、横浜市に転居し、以来横浜市に住みつづける。 『近藤東全集』年譜
月日未詳 高田保(48)、大磯に移り住む。 『日本近代文学大事典』
月日未詳 池波正太郎(20)、横須賀の海兵団に入団する。 『日本近代文学大事典』
昭和19年(1944年)
1月1日 西田幾多郎(73)、前年夏以来、鎌倉に滞在し越年する。5月4日に京都に帰る。6月18日より翌年6月7日死去までの間も滞在する。 『西田幾多郎全集』日記
1月5日 石川武美(56)、横浜に行き、中華街で人を招待する。 『石川武美全集』年譜
1月12日 柳田国男(68)、南武線で厚木の長沼に行き、「館の明神」から山道を歩き、長沼に戻り帰る。2月、3月、5月、6月と、柿生、向丘、登戸のあたりを歩く。 「炭焼日記」
1月13日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。シュテルン「人と物」、バウフ「幸福と人格」、阿部次郎「人格主義」、カント「人間学」などを読み、自我と人格との考察にふける。23日、帰京する。 『河合栄治郎全集』日記
1月15日 清沢洌(53)、横浜に行き、中華料理店で石橋湛山に馳走になる。蝋山政道らも同席する。「非常に豊富な料理」で、中国人の「材料集めの上手」に感心する。 『暗黒日記』
1月25日 秋田雨雀(60)、日本少国民文化協会の挺身隊に動員されて、鶴見駅に集まり日東化学工業の工場に行く。 『秋田雨雀日記』
1月31日 徳川夢声(49)、大船の松竹撮影所に行く。「わずか1ロールのアフレコで了い。こんな事で人を簡単に呼びつける」。2月2日にも行く。 『夢声戦争日記』
1月 庄野潤三(22)、横須賀の武山海兵団の海軍予備学生隊に入隊する。 『庄野潤三全集』年譜
1月 太宰治(34)、熱海に行く途中、下曽我村の大雄山荘に太田静子を訪ねる。 相馬正一『太宰治の生涯と文学』年譜
初春 辻邦生(18)、東京を強制疎開させられ湯河原に転居する。4月、松本高校に入学する。20年8月、敗戦と共に松本から湯河原の自宅に帰る。 菅野昭正編『作家の世界 辻邦生』所収年譜
初春 窪田空穂(66)、太田黒敏男に誘われて箱根塔之沢に遊ぶ。 『窪田空穂全集』年譜
2月1日 伊藤整(39)、前日、保土ケ谷まで電車で行ったが、その先の汽車の切符が買えず、改めて辻堂往復の切符を並んで買い、新潮社入社の挨拶のため辻堂の中村武羅夫を訪ねる。留守で会えず、帰途、小林家によって帰京する。 『太平洋戦争日記』
2月2日 宮柊二(31)、滝口英子と結婚して、横浜の鶴見区鶴見六〇二番地に家を持つ。 『宮柊二集』年譜
2月3日 清沢洌(53)、箱根に行く。富士屋ホテルに泊まり、対外宣伝のことについて協議する。「ホテルは日本一だけに御馳走は整つているが、分量は少ない」。草稿を書き5日に帰京する。 『暗黒日記』
2月5日 伊藤整(39)、藤沢の辻堂に行き、小林家を訪ねる。 『太平洋戦争日記』
2月8日 河合栄治郎(52)、箱根に行き、仙石原の俵石閣に滞在する。ウインデルバントの諸編を読む。14日、帰京する。その翌15日、逝去する。 『河合栄治郎全集』日記
2月13日 高倉輝(52)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ね、ハーサニイのガリレオ伝The Star gaserを贈る。3月、4月にも訪れる。 『西田幾多郎全集』日記
2月 柳田国男(68)、川崎の王禅寺の村を歩く。「王禅寺」。 「王禅寺」
2月 久保田万太郎(54)、横須賀に行く。 句詞書き
早春 高田浪吉(45)、北鎌倉に梅を見に行き、北条時宗廟を訪ねる。短歌「北条時宗廟」五首。 「北条時宗廟」
早春 大悟法利雄(45)、厚木に行き、広沢寺温泉に遊ぶ。短歌「相模広沢寺温泉」四首。 「相模広沢寺温泉」
3月4日 宮本百合子(45)、国府津に子供たちを連れて行き、二泊する。 『宮本百合子全集』日記
3月5日 国分青厓(86)、死去する。鎌倉の円覚寺に葬られる。 『日本近代文学大事典』
3月17日 唐木順三(40)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
3月19日 伊藤整(39)、小田急線で箱根に友人と遊び、宮ノ下の大和屋ホテルに一泊する。初めての箱根、渓谷の美しさに目を見張る。翌日、辻堂に途中下車して、小林家を訪ねる。 『太平洋戦争日記』
3月22日 徳川夢声(49)、横浜の鶴見駅から支線に乗りかえて弁天橋で下車し、鶴見造船所に行き、慰問する。 『夢声戦争日記』
3月30日 長与善郎(55)、津久井郡小淵村大字藤野の鈴木方に疎開する。 書簡
3月 河竹繁俊(54)、秦野陸軍病院を慰問し講話する。 『牛歩七十年』年譜
3月 荻原井泉水(59)、鎌倉の建長寺前禅居院の地内に疎開する。 『此の道六十年』年譜
3月 小島直記(24)、海軍主計中尉に任官早々に病を得て横須賀の海軍病院に入院する。 『小島直記伝記文学全集』15年譜
3月 鈴木大拙(73)、鎌倉の松ヶ岡文庫の書庫、閲覧室、住宅が完成する。20年12月に財団法人松ヶ岡文庫の設立が神奈川県から許可される。 『鈴木大拙全集』年譜
4月1日 前田愛(12)、藤沢の県立湘南中学校に入学する。 『前田愛著作集』年譜
4月22日 青野季吉(54)、中央林間にある宇都宮邸に行き、夕方帰京する。「独り林間を帰路について……理想的な生活設計だと思ふ」。 『青野季吉日記』
4月23日 徳川夢声(50)、横浜の鶴見駅から新鶴見駅に行き、鶴見操車場を見学し、慰問する。ついで桜木町駅長室にも寄る。 『夢声戦争日記』
4月23日 和辻哲郎(55)、逗子に行き、海軍予備学生の長男夏彦と面会する。 『和辻哲郎全集』書簡
4月24日 有島生馬(61)、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
4月 太田青丘(34)、横浜市立医学専門学校(現横浜市立大学医学部)道義人文科の講師となる。 『太田青丘全歌集』年譜
森田たま(49)、鎌倉山に移り住む。27年に東京に転居する。 「牡丹剪る」
晩春 幸田露伴(76)、箱根に雑誌記者と行き、塔之沢の福住楼に無理に泊めてもらう。翌日、国府津に行き、国府津館に数日滞在する。木村義雄を呼ぶ。又、このころ、国府津館の別棟を仮住居としていた室伏高信と歓談する。 下村亮一『雑誌記者五十年』
5月2日 徳川夢声(50)、大船に行き、松竹撮影所で「紙芝居」の四カットを撮影する。 『夢声戦争日記』
5月4日 斎藤茂吉(61)、横浜の東俣野(鉄砲宿)の住友邸に行き、一泊して、藤沢を回って帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
5月8日 和辻哲郎(55)、鎌倉の八幡宮境内で行われた予備学生との集団面会に妻と行く。 『和辻哲郎全集』書簡
5月9日 小林勇(41)、特高により横浜の東神奈川署に連行、留置される。8月29日に釈放される。 『一本の道』
5月10日 野田宇太郎(34)、大磯に行き、坂田山中腹に住む高倉輝を訪ねる。東海道線の切符制限のため、八王子から橋本そして茅ケ崎、そこからバスを二つ乗りついで大磯という道中だった。しばらくしての再訪の折に初めて坂田山に上る。 『桐後亭日録』
5月12日 森田草平(63)、疎開を考え、北足柄の矢倉沢を紹介されて行く。東京から汽車で山北に行き、迎えの自動車に乗る。温泉宿に泊まる。帰りは山北からバスで松田町に出て小田急で帰京する。 『森田草平選集』日記
5月28日 尾山篤二郎(54)、鎌倉に吟行会を催し、円覚寺を訪ねる。 滝沢博夫『評伝尾山篤二郎』年譜
5月下旬 円地文子(38)、東京大空襲で罹災し、母が疎開していた二宮に移る。7月に一家で軽井沢に移る。 『円地文子全集』年譜
5月 吉屋信子(48)、鎌倉の家に移り住む。 『吉屋信子全集』年譜
5月 宮本和吉(60)、鎌倉姥ケ谷に西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
5月 折口信夫(57)、鎌倉に行き、文学報国会に連句部会を設置するため、準備委員として、柳田国男、高浜虚子、久米正雄と打ち合わせ会をもつ。 『折口信夫全集』年譜
5月 小島政二郎(50)、鎌倉比企谷一一三七番地、妙本寺境内に疎開する。 『円朝』所収山田幸伯編年譜
6月3日 森田草平(63)、小田急で小田原に行き、大雄山鉄道に乗りかえて関本に、さらに徒歩で矢倉沢の田代家を再訪する。一泊し、翌日は小田原に行き十字路の築井宅に泊まり、5日、帰京する。矢倉沢への疎開の件は、初めての訪問時と話が大分違うので、取りやめる決心をする。 『森田草平選集』日記
6月5日 徳川夢声(50)、鎌倉に行き、「週刊朝日」の企画で、円覚寺で朝比奈宗源管長と対談する。「あまり面白く行かなかつた」。仙光国師の墓を拝み、管長が採ってくれた岩煙草を弁当箱に入れて帰る。 『夢声戦争日記』
6月6日 徳川夢声(50)、映画のロケーションのため、小田急線で新松田へ、バスで下曽我に行き、富士屋に泊まる。翌日、帰京の車中で、いつも見えていた茅ケ崎南湖院の風車が見えなくなっているのに気づく。 『夢声戦争日記』
6月11日 斎藤茂吉(62)、鎌倉に土屋文明と行き、建長寺で営まれた高橋愛次夫人の三十五日法要に列する。 『斎藤茂吉全集』日記
6月25日 古川緑波(40)、横須賀に「敵は幾万ありとても」のロケーションで行き、「あら井旅館」に泊まる。26日、曇天で撮影中止となり、横浜へ行き、中華街の海員閣に案内される。あとから山田五十鈴、灰田勝彦も来る。「食ひものは先ず近頃の珍味」だったが、食っているのを窓の目かくしの上からまでものぞかれて閉口する。磯子に行き、もと待合の千楽に泊まる。27日、再び横須賀に行き、戦艦三笠のところでロケーションをして帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
6月25日 里見弴(55)、原田熊雄と共に、鎌倉姥ケ谷の別荘に滞在中の西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
6月26日 徳川夢声(50)、横須賀に行き、「アライ旅館」で衣裳調べをする。翌日、再び行く。電車三輌すべて英霊という夥しい英霊に出会う。古川ロッパと共に三笠艦でロケーションをする。 『夢声戦争日記』
6月27日 津村信夫(35)、鎌倉の自宅で死去する。28日火葬に付され、29日、浄智寺本堂で本葬がおこなわれる。 『津村信夫全集』年譜、津村秀夫「弟信夫の追憶」
6月29日 丸山薫(45)、鎌倉に行き、津村家を訪ね、亡くなった津村信夫の葬儀の委員長となり、本葬、焼骨式に立ちあい、30日、告別式で弔詩「君去ったあと」を読む。 『丸山薫全集』年譜
6月30日 神西清(40)、鎌倉の浄智寺に行き、津村信夫の告別式に列する。 『人物書誌大系』23年譜
6月30日 室生犀星(54)、鎌倉に行き、浄智寺で営まれた津村信夫の告別式に列し、弔辞を読む。 津村秀夫「弟津村信夫の思ひ出」
6月 渡辺白泉(31)、召集され、横須賀海兵団に入団する。 『渡辺白泉全句集』年譜
6月 立原正秋(18)、3月、京城に行くが、肋膜炎、肺浸潤のため横須賀に戻る。 『立原正秋全集』年譜
7月10日 斎藤茂吉(62)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在し、「赤光」「あらたま」の評釈、「作歌四十年」のつづき、作歌などをすすめる。8月31日に帰京する。 『斎藤茂吉全集』日記
7月11日 徳川夢声(50)、ロケーションで御殿場から下曽我に移る。12日、伊勢原にロケーションに行く。松尾旅館の主人が野菜を土産にくれる。13日、新松田から歩いて上曽我にロケーションに行く。「靴底ノ減ルガ専ラ心配ナリ」。「久米正雄に似たる農夫や花南瓜」。15日、17日、上曽我のロケーションをつづける。 『夢声戦争日記』
7月13日 柳田国男(68)、川崎の向丘を越え、鴛鴦沼の松本宅へ桃を買いに行く。「代金むさぼり放題、桃三十箇にて十六円。昔話となるべし」。 『定本柳田国男集』日記
7月24日 谷崎潤一郎(58)、藤沢に行き「阿部ちゃん」を見舞い、夕刻、小田原に住む娘鮎子方に行く予定と報じる。 『谷崎潤一郎全集』書簡
7月31日 斎藤茂吉(62)、山口茂吉と箱根強羅の別荘に行く。途中、藤沢で住友家からの野菜を受けとる。 『斎藤茂吉全集』日記
7月 逸見広(45)、相模湖畔で働く勤労学生の監督に行く。「この日月」を書く。 『逸見広選集』年譜
8月20日 佐藤佐太郎(34)、箱根に行き、強羅の別荘に滞在中の斎藤茂吉を訪ね、一泊する。 『斎藤茂吉全集』日記
8月 吉野秀雄(42)、横須賀の街を、妻のための薬を探して歩きまわる。短歌二首。29日、妻、胃の肉腫で鎌倉の佐藤病院に入院中死去する。短歌「玉簾花」百一首。 「玉簾花」詞書き
8月 獅子文六(51)、湯河原の吉浜町に疎開する。 『昭和国民文学全集』28年譜
8月 北川桃雄(45)、津久井の吉野町に、同地に疎開した長与善郎を慕って移り住む。 『追想北川桃雄』年譜
9月1日 清沢洌(54)、妻子の忌日でもあり、横浜の鶴見の総持寺に詣でる。墓場の鉄柵はすべて取り去られ、銅像もなくなっていた。「いずれも徴用されたのである。橋には袂なく、窓には金具なし。大東亜戦争は、根こそぎ鉄類を日本から奪つてしまつた」。 『暗黒日記』
9月14日 野口冨士男(33)、横須賀海兵団に第二国民兵として召集され入団する。 『海軍日記』
9月24日 青野季吉(54)、中央林間に宇都宮氏を訪ねる。「殿版四書、古法帖、家伝の古陶器―すべて閑寂。水瓜とサツマ芋を振舞はる」。 『青野季吉日記』
9月30日 尾崎一雄(44)、胃潰瘍で大出血し、一家をあげて郷里下曽我に疎開する。 『尾崎一雄全集』年譜
9月 川崎長太郎(42)、海軍の運輸部工員に徴用されて横須賀で勤務する。 『川崎長太郎自選全集』年譜
10月3日 高浜虚子(70)、信州小諸の疎開先から鎌倉の句謡会に出席する。 『高浜虚子全集』研究年表
10月3日 稲垣足穂(43)、徴用され、横浜鶴見のジーゼル自動車工業鶴見製造所に出頭、以後勤務となる。この間に「夏至物語」を構想する。 『東京きらきら日誌』
10月5日 野田宇太郎(34)、鎌倉に行き、川端康成を訪ね、「文芸」創刊号のための原稿を催促する。 『桐後亭日録』
10月15日 徳川夢声(50)、沼津からの帰途、横浜で東横線に乗りかえて、東横工業都市の東京兵器工場に行き、慰問する。 『夢声戦争日記』
10月17日 徳川夢声(50)、鶴見駅で臨港線に乗りかえて武蔵白石で下車、東京鋳物工場に行き慰問する。ついで茅ケ崎に行き、東都製鋼工場で慰問、帰途、東横工業都市の住友電気工場で慰問する。 『夢声戦争日記』
10月26日 徳川夢声(50)、大磯に行き、高田保を訪ね、初めて大磯海岸を見る。国民学校講堂で、昼夜二回の興行に出演する。宮城道雄、水谷八重子らも出演する。終わって「高田家ニテ大イニ飲ミ泊ル」。翌日、大鰺五、金目鯛二、魳(かます)三を土産にもらって帰京する。 『夢声戦争日記』
10月29日 青野季吉(54)、中央林間に宇都宮氏を訪ねたが不在であった。 『青野季吉日記』
10月末 宇野浩二(53)、中山義秀(44)、横須賀の海軍運輸部に荷物運搬夫として徴用されていた川崎長太郎を訪ねる。 『宇野浩二全集』年譜
10月 田中英光(31)、勤労報国隊として、勤務先の横浜護謨株式会社の鶴見寮で共同生活に入る。 『田中英光全集』年譜
10月 乾直恵(43)、8月に室生犀星の媒酌で結婚した高柳奈美との新居を横浜市中区元町のアパートに持つ。 上田周二『詩人乾直恵』
富安風生(59)、鎌倉に行き、笹目谷の星野立子居での小集に加わる。「一葉に十三夜あり後の月」。 「一葉に十三夜あり後の月」詞書き
11月1日 野田宇太郎(35)、鎌倉に行き、扇ケ谷に住む島木健作を訪ね、「文芸」二月号の小説原稿を依頼する。 『桐後亭日録』
11月2日 徳川夢声(50)、川崎の八丁畷に行き、鶴見自動車部品工場での慰問で二席努める。3日、烈風大雨の中、川崎に行き、市民会館で慰問する。 『夢声戦争日記』
11月5日 佐佐木茂索(49)、伊東から渋沢秀雄邸での「いとう句会」に行く途中、国府津で空襲の警報に接し、大磯で途中下車して、高田保の家に寄る。 『佐佐木茂索随筆集』年譜
11月6日 青野季吉(54)、中央林間に宇都宮氏を訪ね、駅を降りて警戒警報を知らされる。「遠い物音にも心がすくんだ。立ちどまって祷る」。留守であったが、夫人が「月のものを用意してくれた」。 『青野季吉日記』
11月19日 尾山篤二郎(54)、国府津に行き、前川の知人の葬儀に列する。 滝沢博夫『評伝尾山篤二郎』
11月26日 神西清(41)、逗子の中里恒子の許に依頼されていた句を持参するが留守であった。 『人物書誌大系』23年譜
11月 並木秋人(51)、丹沢山麓の北秦野村菩提に移り、役場に仮寓する翌年3月、同村戸川の村の会館に居を移す。 中畑信雄『歌人並木秋人』
11月 吉植庄亮(60)、津久井の青根村を訪ねる。短歌一首。  
吉屋信子(48)、星野立子に連れられて、鎌倉に住む高浜虚子を初めて訪ねる。 「高浜虚子」
12月26日 伊藤整(39)、小田急線で藤沢に行き、東海道線に乗りかえて大磯に菊池重三郎を訪ねる。菊池重三郎に案内されて小田原に行き、栢山で鯉四百匁(九尾)を、また西海岸で蜜柑二貫目を買ってもらう。翌日、鯉二匹を、召集令状のきた江口清のもとに届けさせる。 『太平洋戦争日記』
12月 福士幸次郎(55)、箱根の強羅に行く。 『福士幸次郎著作集』年譜
12月 鈴木貫介(26)、フィリピンに向かう今日出海に招かれて逗子に行く。 『鈴木貫介全歌集』年譜
月日未詳 浅原六朗(49)、中央林間に、「戦争に倦み、執筆に疲れ、筆を折ることを決意して」、疎開する。 『定本浅原六朗句集』年譜
月日未詳 竹山道雄(41)、鎌倉扇ケ谷八二番地に移り住む。24年に材木座に転居する。 『竹山道雄著作集』年譜
月日未詳 三枝博音(52)、鎌倉の山ノ内一七九番地に東京から転居する。 『三枝博音著作集』年譜
月日未詳 花田清輝(35)、鎌倉の材木座八三〇番地に移り住む。 『花田清輝全集』年譜
月日未詳 石原慎太郎(12)、父の転勤に伴い逗子に転居し、逗子国民学校に転入学する。20年4月、県立湘南中学校に入学する。 『新潮日本文学』62年譜
昭和20年(1945年)
1月2日 久保田万太郎(55)、逗子に、伊藤道郎・熹朔と行き、吉村太一を訪ねる。俳句一句。 「季題別全俳句集」
1月4日 江口清(38)、召集され、横須賀海兵団に入隊する。 伊藤整『太平洋戦争日記』
1月10日 野田宇太郎(35)、鎌倉に行き、川端康成、久米正雄らを訪ねる。 『桐後亭日録』
1月11日 高浜虚子(70)、信州小諸の疎開先から鎌倉に行き、星野立子方に14日まで滞在し、鎌倉句会に出席する。 『高浜虚子全集』研究年表
1月15日 大橋松平(51)、中津渓谷に小島宗二と遊ぶ。 『大橋松平全歌集』年譜
1月20日 浅見淵(45)、小田原下曽我に初めて尾崎一雄を訪ねる。6月19日に再訪する。「尾崎一雄訪問記」。 「尾崎一雄訪問記」
1月21日 佐藤正彰(39)、中日文化協会の件で、鎌倉扇ケ谷に住む島木健作を訪ねる。 『島木健作日記』
1月26日 山本有三(57)、谷川徹三(49)、鎌倉姥ケ谷に西田幾多郎を訪ねる。 『西田幾多郎全集』日記
1月30日 古川緑波(41)、横須賀に行き、田浦の海軍航空隊で、格納庫の急造舞台で慰問演芸をする。夜、帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
2月9日 高田畊安(83)、茅ケ崎の南湖院で死去する。12日、南湖院で葬儀が営まれる。 川原利也「南湖院と高田畊安」
2月24日 野口冨士男(33)、横須賀海軍病院から転舎を命じられ、湯河原分院の十一病舎(旅館翠明楼)に入る。3月24日、退院して横須賀にもどり、4月12日、田浦山砲台作業員となり、田浦駅近傍の小丘陵に配置される。 『海軍日記』
2月 足立源一郎(55)、箱根に疎開する。 『神奈川県美術風土記』
2月 源氏鶏太(32)、海軍舞鶴防備隊から藤沢の電測学校に入校する。6月、横須賀軍港に艤装中の特設駆潜艇の勤務となり、敗戦を迎える。 『私の履歴書』
3月3日 高見順(38)、藤沢の江の島へ行こうとしたが、電車が混んでいたので、歩いて長谷の大仏に行き、ついで極楽寺の中山義秀を訪ねる。 『高見順日記』
3月9日 島津久基(53)、鎌倉の大町の出征中の弟の留守宅に転居する。その夜東京は大空襲をうけ、命拾いしたと思う。「三月九日」。 「三月九日」
3月15日 青山光二(32)、召集されて横須賀の武山海兵団に入団する。8月15日の敗戦をそこで迎える。 「青春の文学放浪記」
3月18日 青野季吉(55)、中央林間へ宇都宮氏を訪ね、蔵書を買ってもらう。途次、偶然に林房雄夫妻に出会う。「いままでの人間が使はれてゐる間は駄目だと云つてゐた。濁酒をつくつてあるから来いと云つた。この人間は、走つてゐる馬にしか乗つてをられない人間だ」。 『青野季吉日記』
3月中旬 一瀬直行(41)、9日の東京大空襲で焼け出され、国府津に移り住む。5月、「日頃のやりきれない生活からのがれるため」に、妻子を連れて小田原を散策する。「国府津にて」。 「国府津にて」
3月24日 徳川夢声(50)、藤沢に行き、日本精工藤沢工場で慰問する。「昼食、うな丼。但し臭イうなぎ也」。同社嘱託の邦枝完二に会う。「一列車乗リ損ジ、藤沢ノ町ヲ歩ク。海軍ノ町トナツテイル」。 『夢声戦争日記』
3月27日 木下杢太郎(59)、藤沢に、久邇宮家の姫を診察に行く。 『木下杢太郎全集』日記
3月 河竹繁俊(55)、横浜の鶴見の日本鋼管株式会社で講演をする。 『牛歩七十年』年譜
3月 清水基吉(26)、鎌倉の海蔵寺の近くに転居する。4月29日、扇ケ谷に島木健作を訪ねる。 句詞書き、『島木健作日記』
3月 池波正太郎(22)、横須賀から横浜磯子の〔八〇一空〕の基地に転属となる。初夏に山陰の基地に再び転属する。 「横浜にて」
4月1日 渡辺水巴(62)、東京で強制疎開にあい、藤沢の鵠沼に移る。「四月一日離京 大戦生きて妻子の影麗ら」。「鵠沼の日暮」。 「鵠沼の日暮」
4月3日 島木健作(41)、逗子に行き、花見達二を訪ねる。「横須賀線に乗るのは昭和十六年以来はじめてのこと」、病後最初の遠出であった。 『扇谷日記』
4月5日 徳川夢声(50)、東横線で横浜の日吉に下車、海軍分室となっている慶応義塾に行き、若い士官の殉職の件で相談する。 『夢声戦争日記』
4月10日 長与善郎(56)、津久井郡の内で、牧野村字吉原の宮崎方に転居する。 書簡
4月13日 太田青丘(35)、東京の自宅・潮音社が13日の大空襲で全焼し、鎌倉の父太田水穂の家に移る。 『太田青丘全歌集』年譜
4月15日 古川緑波(41)、横須賀に行き、海軍病院で慰問演芸をする。夜、帰京する。 『古川ロッパ昭和日記』
4月30日 徳川夢声(51)、横浜の鶴見に行き、鶴見硝子工場を慰問する。空襲で焦土のつづく中、大工場の工作機械が焼けて累々としている光景に胸うたれる。「これで戦争はやつて行けるか、という気さえする」。 『夢声戦争日記』
4月 立原正秋(19)、早稲田大学専門学校法律学科に入学するが、勤労動員で相模原海軍工廠、川崎の日本鋼管などに赴く。 『立原正秋全集』年譜
4月 乾直恵(43)、横須賀支店(神戸製鋼所)に転勤となる。 小寺正三「乾直恵回想」
4月 宗左近(25)、召集され、横須賀海兵隊に入隊する。精神錯乱を装って一週間で除隊となる。 『日本近代文学大事典』
5月1日 川端康成(45)、久米正雄、中山義秀、高見順ら鎌倉在住の文士たちと鎌倉八幡通りで貸本屋「鎌倉文庫」を開く。「貸本屋」。 『川端康成全集』年譜
5月3日 野田宇太郎(35)、鎌倉に行き、島木健作を訪ね小林秀雄にも会う。鎌倉文庫の開店ぶりをのぞき、久米正雄、高見順、中山義秀らを見る。 『桐後亭日録』
5月5日 夏目伸六(36)、鎌倉に行き、文芸春秋社員として、扇ケ谷に住む島木健作を訪ねる。10日、再訪し原稿「名附親」を受けとる。29日、車谷弘と三度行き、空襲のため共同印刷が罹災し、原稿が焼失したことを告げる。 島木健作『扇谷日記』
5月5日 徳川夢声(51)、川崎に行き、軍需工場を慰問する。 『夢声戦争日記』
5月13日 古川緑波(41)、湯河原に一行七人で行き、もと清光園の海軍病院分院で慰問演芸をする。一泊し、翌日熱海での慰問に向かう。 『古川ロッパ昭和日記』
5月15日 池島信平(35)、召集され、東京駅から特別編成の列車で横須賀に行き、海兵団に入団する。吉田健一も居る。二週間後、青森県大湊に向かい、さらに小樽に送られる。 「狩り立てられた編集者」
5月15日 吉田健一(33)、召集され、横須賀海兵団に入団する。 『吉田健一著作集』年譜
5月21日 徳川夢声(51)、横浜で開かれた演芸協会の集会に出席する。「支那街『華勝楼』ナルトコロ、ウイスキート大御馳走」(注、上文中現代では不適切な表記があるが、引用なので原文のままとする)。 『夢声戦争日記』
5月25日 尾崎士郎(47)、下曽我に車谷弘(38)と行き、病床にある尾崎一雄を見舞う。「友ありて来たりし宵の風薫る」(尾崎一雄)、「君の住むよき家にして風薫る」(尾崎士郎)。「崕下村」。 「崕下村」
5月29日 寺田透(30)、横浜大空襲で罹災する。「わが罹災記」。「横浜空襲」。 「わが罹災記」、「横浜空襲」
5月31日 田河水泡(46)、鎌倉に行き、扇ケ谷に住む島木健作を訪ねる。 島木健作『扇谷日記』
5月下旬 桑木厳翼(70)、大空襲で東京から焼け出されて、茅ケ崎東海岸の別荘に、火傷した妻をいたわりつつ命からがらたどりつく。翌年12月15日に茅ケ崎で死去する。 『近代文学研究叢書』59
5月下旬 吉田健一(33)、上京から横須賀海兵団への帰途、鎌倉に立ちより中村光夫を訪ね、一晩語り明かす。 「中村光夫」
5月下旬 岡野直七郎(49)、東京大空襲で罹災し、小田原に行き、短歌の弟子の家に避難する。 「斎藤茂吉氏と『蒼穹』」
5月 槇有恒(51)、横浜で大空襲にあい罹災、長野県に移る。 『槇有恒全集』年譜
5月 三島由紀夫(20)、東京帝国大学法学部在学中、勤労動員で海軍高座工廠(現大和市)の寮に入る。寮で7月7日から23日にかけて「岬にての物語」を書く。8月15日、発熱のため東京世田ケ谷豪徳寺の親戚の家に帰り、敗戦を知る。 『三島由紀夫全集』年譜
5月 吉屋信子(49)、鎌倉八幡通りに開かれた貸本屋「鎌倉文庫」に加わる。 『吉屋信子全集』年譜
初夏 水原秋桜子(52)、箱根に供奉する。「箱根供奉」五句。 「箱根供奉」
6月7日 西田幾多郎(75)、鎌倉姥ケ谷の自宅で尿毒症のため急逝する。9日、逗子の小坪火葬場で荼毘に付される。 『西田幾多郎全集』年譜
6月23日 徳川夢声(51)、大船に行き、松竹撮影所で「健康保険」の録音をする。「大船からの帰り途『クオ・ヴアデイス』を読んでいて、気がつくと上野駅まで乗り過ぎていた」。 『夢声戦争日記』
6月下旬 川端康成(46)、藤沢の片瀬に行き、夫が出征中の佐藤碧子を訪ねる。別れぎわに、「お金、困つたら来て下さい。カミさんも心配してますよ」と静かに言い、碧子は胸迫る。 佐藤碧子「月」
6月末 稲垣足穂(44)、川崎の稲田登戸の農家の二階に転居する。8月初め、横浜の弘明寺に移る。 『東京きらきら日誌』
6月 菊池寛(56)、藤沢の鵠沼堀川の別荘に移り住む。 『文学碑建立記念誌』年譜
7月中旬 島木健作(41)、鎌倉養生院に友人たちに付き添われて入院する。8月17日、危篤の報に、高見順が訪問先の川端康成邸から馳けつけ、臨終に立ちあう。死去する。浄智寺に葬られる。 『島木健作全集』年譜
7月19日 徳川夢声(51)、川崎に行き、某工場を慰問する。「川崎駅ノ海岸側ニ大工場ガ未ダ三ツ以上残ツテ居ルヨウダ」。 『夢声戦争日記』
7月 渾大防小平(55)、横浜工業専門学校(現横浜国立大学工学部)の教授となり、同校官舎に転居する。 『渾大防小平遺稿集』年譜
8月7日 徳川夢声(51)、豊川からの帰途、夜十時に小田原で汽車が止まってしまい、駅前の旅館で一泊、翌朝小田原発一番列車で帰京する。「平塚ハ見事ニ無クナリタリ。国府津、大磯ナドモ被害アリ、高田保ノ家ハ無事」。 『夢声戦争日記』
8月15日 鳥海青児(43)、伊勢原の農家で、敗戦の日を迎える。 土方定一『大正昭和期の画家たち』
8月15日 折口信夫(58)、終戦の勅を聞いた後、箱根の山荘に四十日間こもる。 『折口信夫全集』年譜